謎の打ち合わせ
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「仲居の誘拐は失敗したそうだな」
「…………まあ耳には挟んでおられますよね」
都市スピネルのどこかの地下室。蝋燭数本の灯りだけが頼りの薄暗いその場所で、ひそひそと話し合う二人の男がいた。どちらも姿が分からないよう真っ黒なローブで身を包んでいてお互い顔は見せない。
「当たり前だ。もちろん尻尾は捕まれていないだろうな」
一人は特徴のない声、
「もちろんでございます。捕まった馬鹿たちからでは到底我らには届かないでしょう」
もう一人はねっとりとした声をしている。
「ならいいが、用心に越したことはない。あそこの主人――ルーフェはともかく、あいつに集まるのはなかなかキレ者が多いからな」
「はい……しかし誘拐が失敗と言い切るのはいかがなものかと。誘拐までは上手くいったのですから。半分成功、半分失敗ということで報酬を考えてもらえませんかねえ」
「ふん、それでも失敗は失敗だ。誘拐した相手は今も仲居を続けているんだろう?」
「はい。ですが、元より狙っていた『勇々自適』の仲居の方は一緒に攫われた『魔天楼』という旅館に移ったそうですよ」
「ほう、それは初耳だな」
興味を持ったのか男の目尻が上がり、視線が鋭くなる。
「確か『魔天楼』は都市部より離れたところにある旅館だったか」
「お知りなのですね」
「旅ランに入る旅館は一通り把握している。まあ少し噂を流した程度でランク外に落ちる旅館など底が知れているが……。そうか、そんな辺鄙なところに転職していたか」
「はい。どうでしょう、報酬の方ははずんでいただけますか?」
「はずみはしない。最初の契約通りの金額を支払おう」
その言葉にねっとりとした声の男はちっ、と気付かれないよう後ろを向いて舌打ちをする。しかし振り向いたときにはしっかりと笑みを貼り付けてもう一人の男を向いた。
「分かりました。今回はそれでいいでしょう。他に仕事はありますか?」
「いまは警備が強化されている。下手に動くのは良くないだろうからしばらくはじっとしていろ…………いや待てよ。その『魔天楼』という旅館は広大な土地を持っていたそうだな」
「はい、それはもう『勇々自適』に匹敵するほど」
「……なるほど。その土地は興味深いな……。しかもここからは遠く警備は薄い。ならそちらを先に潰しに行こうか」
「では私めにお任せを。報酬は……はずんでくださいね」
「土地が手に入ればな」
「くくっ、必ずや潰してみせましょう。それでは私はこれで……『魔天楼』の情報を集めなくては……」
男はゆらりと地下室を後にする。
確実に出て行ったのを確認した後、一人になったところでどこからともなくハスキーな女性の声が発せられた。
「あいつは金目当て。やがて裏切る……分かっているんでしょ?」
その声に対し、男は先ほどまでとは違いフランクに答える。
「まあね。あいつも一つの駒に過ぎない。それなりに優秀だから使っているだけさ。旅館を潰してもらえればラッキーぐらいにしか思ってないよ。ルーフェが出入りしているという旅館の力を見るのに利用させてもらうだけさ。信用しているのは君ぐらいだよ」
「そう……」
「あいつじゃ情報集めも底が知れているし、君にお願いできるかい?」
「……御意」
女性が答えると同時に蝋燭の火と男の影が揺らぐ。
「ああそうだ――――」
最後に一つだけと言って男は言葉を付け足す。
それはまるで未来を予想しているかのように非常にさっぱりとした物言いだった。
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「――またのお越しをお待ちしております…………ふぅ、これで今日お送りするお客さんは全部だな」
本日の送迎はこれにて終了。次は客室の清掃だけど、それほどお客さんが多くなかったので、時間に余裕はありそうだ。
「ようやく一息つけるにゃ~」
化猫のカトレアが手を上に大きく伸ばして伸びをする。黒色の猫耳がぴこぴこと動いていてかわいい。
「でも思ってたより少にゃかったにゃ。せっかくプール開きもしたのに」
「さすが宣伝は最近したばかりだし仕方がないだろ。徐々に増えてくるさ」
なんと言っても季節は夏。プールの需要はかなりのものと予想される。プールをお客さんに貸し出すと決まってから一週間ちょっとしか経っていないので、まだ効果は出ていないけど来月の初めくらいにはプール目当てで泊まる場所をここにするお客さんも増えるだろう。
「ふ~ん、そんにゃもんかにゃ。みゃあ忙しくなりすぎにゃいくらいに来てほしいにゃ~」
「その辺りは大丈夫だろ。従業員も増えてきているし」
サキュバスのククだけでなく、不死系の魔物が泊まる別館には仲居や清掃員として吸血鬼や風精が入り、団体客もまあまあ前よりは迎え入れられるようになった。また、別館の従業員が増えたことにより、リムが別館を手伝う必要がほとんどなくなった。
またカトレアと一緒のところで働ける! って嬉しがっていたなぁ。今日はお休みだけど。
「確かににゃ~。ちょっと前と比べるとこの旅館もずいぶん大きくにゃった気がする」
「旅館の面積は変わってないけどな」
しかしカトレアの気持ちも分かる。なんと言っても俺がここに来るまでは旅館のあらゆる場所を持て余していて、全然活用していなかったのだから。それを少しずつ改善していって今があるのだ。
……まあ数ヶ月で大幅に改装できたのは一流大工ゲンゾーさんによるところが大きいんだけどね。早いし正確な設計及び建築。作業ごとにどこかしらの骨を折ってしまうのが彼の唯一と言っていい欠点である。
「にゃはは確かにそこは変わってにゃいね…………ってあれ? あそこにいるのは……お~い、ククちゃ~ん!」
カトレアの呼びかけに、片付けの最中で朝食のお盆をいくつも積み重ねて持って運んでいたククが振り向く。
「クレスさん、カトレアさんおはようございます。どうされましたか?」
「おはよう。ちょっとお客さんを見送った帰りなんだ。お盆運ぶの手伝うよ」
「あっ――」
遠慮される前に半分ほどお盆を持ってあげる。
「にゃらウ~チも」
さらにカトレアがククの手に持った半分を持ってあげた。
「そんな持っていただかなくても大丈夫でしたのに……まあいいです。ちょうど二人にはお話したいことがありましたし」
「えっ!? みゃた説教? にゃ、にゃにか怒られるようなミスしちゃったかにゃ!?」
カトレアがびくっとして、ガチャリと危うくお盆に載った器を落としそうになる。……危なかったけどセーフ。
「あはは、違いますよ。この前話していた旅館の改善に関することです」
ああ、そのことか。
三日ほど前にククにどこを改善していったらいいかククに相談していたのである。なんせ彼女は旅ラン一位である『勇々自適』で働いていた経験がある。興奮して暴走さえしなければかなり優秀な仲居なのは明らか。俺では気付かなかったアイディアがあるんじゃないかと思ったからだ。
結果、聞いたのは正解。すぐに実践できるアイディアがいくつもあった。一つがカトレアがかんでいるものだ。
「どうですか? スピネルの穴場は見つけられましたか?」
「ばっちりにゃ! 隠れ家的名店からちょっと変にゃ景色の場所までいろいろ見つけてきたよ」
「ありがとうございます。じゃあまた後でパンフレットの地図にまとめましょうか」
旅館独自のパンフレットの作成。
大都市であるスピネルを一日で観光するルートや変わった穴場などを印した地図をそのパンフレットに載せ、客室においておくのである。
次の日観光するお客さんへの手助けとなるよう、または観光を終えて泊まっていったお客さんへまた来ていただけるように思ってもらえるものとなるよう作る予定だ。そこにさりげなくうちが所有するの大型プール施設も載せればよい宣伝となる。
また非常に助かったアイディアもある。それは何かといえば――さすがに暑くて最近は利用するものも少なくなっていた着ぐるみの改善である。
ククは部屋の温度を下げるため夏によく用いられる氷の魔石の、効果が切れかかって客室を涼しくできなかった物を再利用する方法を教えてくれたのだ。
客室のような広い空間はダメでも、着ぐるみの中ぐらいの狭い空間なら魔石の効果は十分にあるという。なので使い古しの魔石を着ぐるみの中に入れることで、コストも掛からず快適に着ぐるみを着用できるようになったのである。
ほんと試しに着てみたときは驚いたね。
「あの~クレスさん」
あの着ぐるみの快適さを思い出していたらククに話を振られた。
「どうしても改善したい『あれ』についてはどうでしょうか?」
「そりゃあ(暴走しないために)なんとか自制してもらうしか……」
「違います! 私のことじゃありませんよ、もう!」
ぷんぷんと怒るクク。その姿もかわいらしくて全然怖くはない。
「ごめんごめん。冗談、分かってるって。――『料理』のことだろ」
「……はい」
「にゃんで料理? おいしいのに?」
「確かにな。だけど――」
俺とククはその理由、そして考えをカトレアに分かりやすく伝える。
「にゃるほど……にゃんとにゃく分かった。えっと、それをフォワには伝えたのかにゃ?」
フォワとはうちの料理長のことである。
「伝えたよ。でもなぁ…………」
俺はこちらの改善が上手く行っていないことを二人に話した。




