選択肢などなかった
「ん……」
――眩しい。
目を手でかざしつつ、まぶたを上げる。
どうやら天井近くに取り付けられた窓から日の光が入り込み、顔を照らしていたみたいだ。
朝か……。確か八時に受付ロビーに来てくれって言われてたんだよなぁ。
「はぁ……」
深くため息をつく。
結局昨日は流されるがまま、持ってきてもらったご飯を食べて、その後は……あまり覚えていない。魔物旅館ね……と思いながらぼーっとしていて、気付かない間に寝てしまっていた。
「やっぱりここで働くのはちょっと……」とその一言がどうしても出てこなかった。
だって断ったら何されるか分かったものじゃないし、あの笑顔がまた……。「ここまでしてあげたのだからもちろんいいですよね」と訴えているような目だった。
恐るべし無言の圧力。
選択肢なんて『ここで働いて♪』『???(きっとひどいこと)』の二択のみ。選択の余地なんてないようなものだもんなぁ。……けどあのまま草原で倒れたままだったら、『生きる』選択肢が現れもしなかった。そう考えれば今の状況はまだましか。
それにしても問題は魔物だよ魔物。まだ見かけているのがフェーダさん――ダークエルフとのこと――、食事を持ってきてくれた猫耳の女の子、あとルシフっていうエロ子供――そういえばどんな魔物か聞いてないぞ? ――の三人だけ。まだ人の姿をしているからいいけど、他にどんな奴がいるのか……恐ろしい奴もいるかもしれない。
こんな仕事場で馴染めるんだろうか。そもそも人間だからって殺されは――さすがにないか。そんな気があるのならご飯なんてくれるはずもない。しかし不安だ……。
「ええい、考えても仕方ねえ――よし!」
ベッドから勢いよく起き上がる。
どうせ一度捨てたような命だ。周りが魔物だろうとなんだろうとやりきってやろうじゃねえか。
真っ白な壁にぽつんとかけられた時計を見る。
――六時半。
八時までまだ時間がある。
「とりあえず……シャワーでも浴びよう」
シャワー室は各部屋にあるらしい。
壁に備え付けられた青の魔石を叩くなどして衝撃を与えれば水が吹き出るようになっている。止めるにはもう一度衝撃を与えればいい。ちなみに水の温度は青の魔石のすぐ傍にある赤の魔石で調節する。衝撃を与える強さを変えてやるだけでいい。
――ザアアアアアァァ……。
土、汗で汚れた体をきれいに洗い流し、シャワー室を出る。
思えばよくこんな状態で眠れたもんだなぁ。それだけ疲弊していたってことか。肉体的にも…………精神的にも……。
ふと昨日、そして一昨日のことを思い出してしまう。
――バシャッ!
シャワー室の隣――洗面台で流した水を顔に打ちつける。
一瞬浮かび上がりそうになった涙はすぐに冷水で流してやった。
顔を上げ、鏡で確認する。
よし、涙の痕はまぎれて見られないな。悲しむのは昨日で終わりにしておかないと。
備え付けのタオルで体、そりて顔を拭き、もう一度鏡を見る。
映るのは当然自分の顔。
眉、耳を覆うくらいに伸びた茶色の髪。瞳は栗色で顔は他の人と比べると小さいほうだ。体も筋肉はそれほどついておらず、スッとしているのも相まって女性に見えなくはない……のだろうか。自分じゃよく分からない。
ただ間違えられた回数がなぁ……。
昨日だけでプラス二だ。
こうなったらもうちょっと髪を短くしてみようか…………いやだめだ。ちょっとやそっとじゃ髪形変えたと思われるくらいだし、やるなら坊主くらいに変化をつけなきゃいけないけど、でもさすがにそこまで短くしたくない。
やっぱり必要なのは男らしさかな……一応口調は意識して変えたけど、まだまだ間違えられるんだよなぁ。…………ってああもう!
ふるふると首を振る。
うだうだ考えるのは良くない。それこそ男らしくない!
まだ少し早いけど受付ロビーに向かおう。
働く初日だし、早めのほうがいいだろう。
「ええと、着るものはこれがいいか」
さすがに土や草汁で汚れた元々着ていた服をもう一度着るのは嫌だったので、置いてあった浴衣に着替えて俺は部屋を出た。