甘い誘惑に釣られて……
踵落としをもろに受け、ピクピクとうつ伏せになって気絶しているエロ子供を、目の前の女性はまるでゴミ当然のように部屋の隅に退ける。そして俺に向かって深く頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。私の監視が行き届かなかったばっかりに……あとできつく痛めつけておきます」
気絶させられたのにまだ制裁が下されるのか……。
さすがにちょっと同情する。
「別にいいですよ、俺も服を脱がされる前に蹴ってやりましたし。それに頭を下げるのはこっちの方です。――倒れているところを助けてくれてありがとうございました」
相手が大人びた雰囲気をしているのでこちらも敬語になってしまう。
俺はベッドに座りながら礼をした。
「体のほうは大丈夫なんでしょうか?」
「うーん、だいぶ寝てすっきりしましたし……大丈夫かな。まあ腹はかなり減ってるんですけど」
「それなら夕食の余りがありますが……いかがですか?」
何から何までしてもらってすごく悪い気もする。でも、せっかくの善意だし…………どちらにせよ腹に何か入れないとまともに動けそうもないから、素直にいただこう。
「お言葉に甘えさせていただきます」
「では誰かに持ってこさせましょう。少々お待ちください」
軽く礼をして部屋の外へ出て行く。
持って『こさせる』ということはここでの彼女の地位は高いんだろうと推測する。
――一分もしないうちに彼女は戻ってきた。
「では少し……草原で倒れていたことについてお話を伺いたいんですけどよろしいですか?」
「ああ…………分かりました」
本当は現実から逃げようとした情けない話だからあまり言いたくない。ただここまでしてもらって何も話さないというのもあんまりだ。
「実は――――」
俺は倒れるまでの経緯を説明した。
「なるほど……親も、働いていた旅館もなくして行き場所がなくなったというわけですか……」
「……まあそんなところです」
時間も短いし、給料ももらってないから、働いていたというよりは手伝っていたって感じだけど……あえて訂正する必要はないか。手伝いの内容は――『あれ』だし……あえて話を掘り下げる方向に行くことはないだろう。
「ふむ……」
彼女は何か思うところがあったのか目を瞑り小さくうなづく。
そして次の一言は俺の人生、未来を大きく変えるものだった。
「――ではここで働いてみてはどうでしょう?」
「えっ?」
言っていることが信じられなくて即座に聞き返す。
「ですから、こ・こ・で・働いてみてはどうでしょう? 従業員の寮もありますし、住む場所も確保できます」
「で、でもさすがにお情けで入れてもらうわけには……。そもそもここって何をして、いや、されてるんですか?」
「旅館です」
――旅館!?
あまりの衝撃に一瞬頭が真っ白になる。
「それに情けではありません。実際募集はしていましたし、ここまで連れてきたのはスカウトでもあったのです」
こんな偶然があっていいんだろうか。助けられた先が旅館でしかも雇ってくれるって!?
正直俺の年齢、経験から雇ってもらえるところなんてほとんどないと思っていた。建築、建設の作業現場がいいところだろうと諦めかけていた。
でも、旅館で働かせてもらえるならすぐにでも夢を追える。旅ラン一位を目指すことができる。願ったり叶ったりだ。
もしかすると今まで不幸が続いた反動かもしれない。落として上げるなんて神様も意地が悪いなぁ。
「そ、それじゃあよろしくお願いします。なんか座ったままで本当にすみません」
俺は深々と頭を下げ、二つ返事で了承する。
「いえいえ、そういえばお名前は……?」
「クレス=オルティナといいます」
「クレスさんですね。私はフェーダ、そこに転がっている不届きものはルシフです。ようやく人間の方が従業員として入ってきてくれたことをうれしく思います」
――ん? 人間……?
フェーダさんの言葉に少し引っかかりを覚えるけどまあ聞き間違いだろう。
ちょっと興奮しすぎてるな俺。
ひとつ深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。そしてどうしても気になること――旅館といえばやはり『あれ』を彼女に聞く。
「不躾ですが、ひとつお聞きしたいんですけど旅ランは……」
「お恥ずかしながら圏外です。旅館『魔天楼』――聞いたことありませんか? 都市スピネルから少し離れたところにあるのですが……」
圏外かー、街外れなら仕方ない気もするけど……ここから順位を上げていくのは大変だ。
「ごめんなさい。その名前を聞くのは初めてです」
「やはり知名度は良くありませんか……。なかなか要領をつかめてないんですよね……。だからこそ『人間』の方を従業員に加えようとおもったのですが」
「えっ? 人間の方……?」
今度ははっきり聞こえた。聞き間違いではない。なんでそこを強調するのだろう? まさかいやそんな話聞いたことが……。
「あの俺以外の従業員の方って……」
「種族は様々ですが、一般に魔物と呼ばれる者たちですよ。私も含めて。ここ旅館『魔天楼』は世界でただ一つ、『魔物が経営する旅館』なのですから」
さらりと言ってのけるフェーダさんに唖然とせざるを得ない。
「はあ……ははは……」
幸福はそう簡単には訪れない。
俺はこのとき、上手い話には裏があるということを痛いほど実感した。