やる気(あ~ん)スイッチ
「ごめんくださーい」
ルシフ宅のチャイムを鳴らす。
とっとっと――とすぐに中から足音が聞こえ、玄関の扉が開かれた。
「あら、二人ともお疲れ様です。どうでしたか、お客さんがたくさん来た感想は」
「大変でしたよ。こっちの言っていることは理解してくれているみたいでしたけど、なかなか意思疎通が取れなくて。それに全然見分けがつかなかったので客室への案内も……」
リムが後から来てスライム達を先導してくれなかったら確実に一時間以上、後から来たお客さんを待たせるところだった。
「ほんともうヘトヘトにゃ~」
「ふふっ、おなかも空いているでしょう。作りすぎたご飯が余ってるんですが、いかがです?」
「もちろんいただきまーす!」
「じゃあお言葉に甘えて俺も」
俺とカトレアはフェーダさんに連れられ居間へ。
「適当に座って待っていてください」
とフェーダさんに言われたので居間の中央にある木製の机の周り、座布団に座って待つことにした。
「はい、どうぞ。お口に合うかは分かりませんけど……」
机に並べられたのは白米、色取り取りな山菜の炒め物、野菜、魚の切り身がごろごろと入ったあら汁とシンプルな和食だ。
「「いただきまーす!」」
――あら汁から一口…………美味い!
魚の出汁がよく効いていてご飯と非常に合う。一口大の野菜も柔らかくなるまで煮込んであり、しっかりと味が染み込んでいる。
「どうでしょうか?」
「うん、美味い。レシピを教えて欲しいくらいにゃ」
「フェーダさんが作ったんですか?」
「はい。大抵食事は毎日私が作っていますので」
「ルシフはいつもこんな美味しいもの食べているのか」
「うらやみゃしいにゃ~。……あれっ、そういえばご主人様は?」
そうなんだよなー、さっきから姿が見えない。あいつに用があったのに。
「ああ、ルシフ様なら書斎にいますよ」
「――もうどうすりゃいいんじゃあああぁぁ……」
おお!?
急に奥からルシフの叫びが聞こえてくる。
「いったい何事!?」
カトレアが耳と尻尾をピーンと立ててきょろきょろと辺りを見渡す。
「お気にになさらず。明日のお客様の部屋割りに苦労してるみたいですから。改装した小部屋が足りないそうで」
こんなに急にお客が増えるなんて思ってなかったからなぁ。準備不足だったか。
「そんにゃに来るの!?」
「お客様からの情報だと二、三百匹ほどスライムが」
また群れひとつ分くらいか……。
「ふえ~、忙しくにゃるね~」
「まあでも何とかなりそうだな。今日で大体要領はつかめたし。久しぶりの来客なんだから頑張ろうぜ!」
「もちろんにゃ! ……ふふふ~、頑張った分はたっぷりボーナスをもらってやろうかにゃ~♪」
何か欲しいものでもあるんだろうか? 残業代も気にしていたし。
とりあえず分かるのはカトレアにとっては猫に小判とはいかないってことだな。
「ふふっ、明日もお願いしますね。……はぁ、ルシフ様も二人と同じくらいやる気を見せてくれれば……。エサはまいたつもりなんですけどね」
「エサ、ですか?」
「はい。部屋割り等仕事が終わったら、ご飯を持っていくと言ってあります」
…………逆に言えば終わるまでご飯おあずけということでは?
エサというよりは罰だろう。なんかまたフェーダさんを怒らせるようなことでもしたんだろうか。
「にゃるほど~、じゃあウチからも。――ご主人様―! 早く終わったらウチがあ~んして食べさせてあげるよ~」
ガタッ!!!
椅子から立ち上がったような大きな音が。
………………。
――と思ったらしばらく静かになり、
スパーン!!!
と居間につながる障子が勢いよく開かれた。
赤紫色の毒々しい袴を着た、いつものルシフだ。
「できたのじゃ!」
嘘つけ! さっき絶望的に叫んでいたくせに!
「…………ふむ」
フェーダさんがルシフの持ってきた書類に目を通す。ぺらぺらと見た後、それを俺に手渡してきた。
「クレスさんはどう思います?」
「えっ? ええと……」
渡された書類をざっと読む。
どれどれ……足りない分は人型の魔物を泊めるような大きな部屋(改装済)にまとめて入ってもらう……と。それでも足りないなら宴会場などもっと広いスペースを泊めれる空間に急遽変える、か……。
「いいんじゃないでしょうか。元より群れで暮らしているので、同じ部屋でも問題ないでしょうし。……あっ、もちろんお客様の了承はとらなくちゃいけませんけど」
「どうじゃ問題なかろう。じゃから~、ほれほれレアにゃ~ん」
口を開けて待つルシフ。
「もう仕方にゃいにゃ~」
そう言ってカトレアは箸であら汁に入っている魚の切り身――(あっ、つかみ直した!)じゃなくてニンジンをルシフの口へ。
「はい、あ~ん」
「あ~(ひゅん!)、ん……?」
ニンジンと同時にルシフの口に大根(俺の器に入っていたもの)が投げ入れられる。大根を飛ばしたのは俺じゃない――フェーダさんだ。
「――ぅー! あっふ、あっふい! みふ、みふ!」
なぜか口をはふはふと動かして、熱そうにしているルシフ。
おかしいな。フェーダさんが持ってきてから時間は経っているし、十分冷めていたと思うんだけど。……もしかして!
フェーダさんの顔色をうかがう。
……にこっとした表情に余り変化は見られない……けどこめかみあたりに怒りマークがあるような気がするのは気のせいじゃないはず。
ダークエルフで攻撃魔法の得意なフェーダさんのことだ。火の魔法で大根を熱々の状態にしてからルシフの口へ放り込んだんだろうな。……しかしまああれだ。小さな大根だけを狙って、それもちょうど熱々の温度に調整するなんてなんという魔法技術の無駄遣い!
「んぐんぐんぐ……ぷはぁ!」
ルシフは近くにあったコップに入った水(俺が飲んでたもの)を一気に飲み干す。
「まったく何するんじゃ、フェーダ。せっかくの楽しみを」
「楽しみ……ですか……」
暗く低いフェーダさんの声。
おお、怖えー。隣にいるカトレアもびびって耳がへにゃんと垂れてるぞ。
「えっ、ああ、いやその、フェーダ以外の女子からは珍しいからの。そそそ、それでじゃ。フェーダからもらうときの方がもっとうれしいぞ」
「…………そうですか。じゃあ私があ~んしてあげますと言ってもよかったんですね?」
「ん? どういうことじゃ?」
「あっ、いえ、カトレアさんの一言で急にやる気が入ったように思いましたので」
「…………あ、ああ、そうじゃとも。フェーダも言ってくれればもっと早く終わってたんじゃからな、はははっ」
「じゃあ次からはそうしますね」
「お、おう!」
言葉とは裏腹に、普段から白いルシフの顔は一層蒼白になり、冷や汗をかいているように見える。
フェーダさんの『あ~ん』じゃやる気スイッチは入らないんだろうなー……次同じように仕事に詰まったことがあったらその時はドンマイ!
フェーダさんの怒りも収まったようなので、ここへ来た本題へ。
「夕方もちらっと話したけどさ。今日の来客の多さについて何か知ってるんだろ。教えてくれないか?」
「あ、あとこのラッシュがいつみゃで続くのかも! たくさん来るなら覚悟はしておきたいのにゃ~」
「……ほうひゃな。ひはらふは」
「ひとまず食べるのをストップしてくれ」
「にゃに言ってるか分かんにゃいよ」
「行儀も悪いです」
口いっぱいにご飯をほおばりながら話そうとするルシフに総つっこみが入る。
「――ごく。むう、ワシじゃって腹減っておるのに……仕方あるまい。部下の話に耳を傾けるのも上に立つものの定めじゃからのう、うん」
この場にいる誰もルシフの立場が上とは考えていないだろうけどここは黙っておく。言い争いになったら面倒だ。
ルシフが言葉を続ける。
「そうじゃなぁ。スライムの来客はしばらくは続くと思うぞ。たぶん各国のスライムがここに押し寄せてくるじゃろうからのう」
「うわ~、大変になりそうにゃ。でもにゃんでこんにゃことに?」
「ん? ……ああそうか。レアにゃ――う、ぅん! カトレアには話しておらんかったのう。集まる理由はリムが『クイーンスライム』ということが他の――前連れてきたスライムにばれたからじゃろうな」
それがよく分からないんだよなぁ。ばれたからなんなの? って話だ。
カトレアの方もさっぱり分からないって感じで首を傾け、うなっている。
「あら、お二人ともご存知ないんですか。『クイーンスライム』はスライムの最上位。存在だけで首相レベルの権力を持つのですよ。スライムの世界では、ですが」
「一声かけるだけで普通のスライムなど意のままに操れるじゃろう。支配階級――もっと言えば神に近く、崇められたりもする。どこの国でも一帯のスライムを取りまとめているのは一匹の『キングスライム』か『クイーンスライム』じゃな」
「そんな彼女が普通に働いていて、しかも来たら客として接してくれるので、その珍しさに一気に集まったんでしょうね」
はぁ…………そんなに凄いやつだったのかリムは……。
唖然とするしかない。
人間の世界で言うならリムは国王クラス。一般人なら話す機会も近づける機会もまずないレベルってことだ。
そうなるとどうしても一つ疑問が出てくる。
今聞かなきゃタイミングを逃しそうだからここで聞いてみよう。
「でもそんな凄い『クイーンスライム』ならなんでここに?」
「あーそれはのう――」
ピン……ポーン。
一つ間の空いたチャイムが鳴り響く。
「――彼女本人から聞いたほうがいいじゃろう」




