初めての団体客
「ふぁあ~あ……」
仕事中――今は受付で客待ち中――だけど思わず大きなあくびが出てしまう。
「ティナが眠そうにしてるにゃんて珍しいにゃ~」
同じく俺の隣で客待ちをしているカトレアが不思議そうに首を傾けて聞いてくる。
正直、お越しになる予定があるのは、火の魂――最近ちょこちょこ来店する機会の増えた魔物だ――二体だけなので別に二人で待つ必要もないんだけど……部屋の清掃とかは終わっているし、他にするべきことはないからまあいいだろう。
「ああ……ちょっと昨日寝不足でね……」
「昨日はお休みの日じゃにゃかったっけ?」
「そうなんだけどさ。ちょっといろいろと魔物について特性を調べてたら夜遅くになっちゃって」
魔物それぞれに合ったサービスを考えなければくつろぎの空間は与えられない。
この前のスライムの一件でそれを理解した俺は、休み一日を使って調べ物をした。
――主にルシフから聞くという方法で。
なんか暇そうだったからとりあえずダメ元で聞いてみたら、意外なほど魔物に対して知識が豊富でかなり情報を得られた。
見た目はあれだけどやはり魔王の子の噂は伊達じゃない。
種族それぞれの気質、好物を知っていてさらには人間と交流の深い、よくスピネルに観光しに来る魔物も網羅しているみたいだ。
ってかそこまで情報があるなら、もっと先に旅館の方針を変えて集客できたとはずだろ! ――ともちょっと思った。でもやっぱり、それ以上に経営力がなく、お客のいうことを素直に受け入れすぎる馬鹿正直さ、いやバカなところが今のがらんとした旅館を作ったのだろうなぁ…………。
「……ナ、ティナ! お客さん見えてきたにゃ!」
「……えっ、何!?」
カトレアの大きな声にびくっとなる。
ダメだ、一瞬意識飛んでた。
「もう、ぼーとして。働きすぎはよくにゃいよ! 休みの日くらいゆっくり休まにゃいと。ウチが接客するからティナはちょっと休んでるにゃ」
「ん、悪い……」
一歩下がる俺。
少しくらい寝なくても大丈夫と思っていたけど無理があったか。
さすがに部屋の改装やチラシ配り、魔物助けで泳いだりと体を動かし続けてきたからなぁ。迷惑をかけないためにも今日は早く寝よう。
「ようこそ魔天楼へ~。二名様ですにゃ? こちらへどうぞ~」
カトレアが手際よく火の魂を客室へと案内していく。
日当たり、そして風通しのよい客室へ、だ。
どうも火の魂は自身の炎をより強めれる場所を好むらしい。
まあその分普通の旅館では泊まるのを断られることがほとんどらしいけど――火事になるから。ちなみにウチの旅館はちゃんと防火の素材を用い、火耐性の魔法を付与した客室でその辺心配はない。
さらに客室の中には特殊な鉱石の粉末が少量用意してある。その粉末を浴びることによって普段はオレンジ色の炎が緑や青になったりとイメチェンをすることができるというサービスだ。
そういうわけで少しずつではあるが火の魂の来客は増えてきている。問題は単純にその伸び方が緩やか過ぎることだ。
「これじゃあ今期の旅ランは圏外待ったなしだよなぁ……」
客数も前回と比べて数RP(旅館ポイント)上がるくらいだろう。評価は結構伸びてもいいと思うけど、それでも下位は免れない。
これじゃあ何ヶ月、何年かかるやら……。
はぁ~とため息をつき、下のほうを見ると、入口には新しいお客さんが目に入った。
青色のプルプルした物体――スライムだ。
「あっ、ようこそお越しくださいました。一名様でしょうか?」
すぐに仕事モードに切り替え、スライムに尋ねる。
プルプル。
スライムは横に揺れ、否定の意を示した。
そしてプルッと体の一部の形状を変化させて、後ろを指す矢印を作り出した。
「ん?」
俺は矢印の指す方向を眺める。
すると……ぴょこん――と一匹のスライム――――じゃない!
ぴょこプルっ、ぴょこプルっ、ぴょこぴょこぴょこぴょこプルプルプルプル。
十……いや百匹近いスライムが群れとなって押し寄せてきた。
「し、少々お待ちくださいませ!」
両手を前に出して『待って!』と合図してから俺はひとまずその場を離れる。
こんな多くのお客は一人で対応できるはずも無い。応援を呼んでもらいにルシフの仕事場――兼自宅へと向かった。
「ルシフはいるかー!」
俺はルシフ宅の玄関を開け放つ。
普段ならもちろんチャイムを鳴らすかノックをするけど、今は緊急事態。それに今はルシフも仕事中なので許してくれるだろう。
勝手に中に入り、書斎へ。
いた! ――けど!
「あ~む、う~ん、やはりフェーダの作る『ういろう』はうまいのう~」
「ふふふっ」
何あ~んとかいちゃいちゃしてるの!?
し・ご・と・中!
「おー、どうした? せめてチャイムくらい鳴らさんか。それともあれか! そんなにワシに会いたかったのか!? しょうがないの~、あ~んくらいさせて――むぐっ!」
フェーダさんが一拳大のういろうをルシフの口の中に無理やり詰め込む。
「あら、クレスさん。どうしたんですかそんなに慌てて」
そして平然とルシフの鼻をつまみながらこちらを向く彼女。
「むぐぐ、うん、むん、むぐむぐ……ごくっ! これフェーダ、鼻をつまんでは味わえないではないか!」
味わえないというか息できなかっただろ。
さすがに慣れているんだな。今日のSっぷりはかわいい方だったからか気付かないくらい……ってそんなことより!
仕事中のいちゃいちゃとか言いたいことはいろいろあるけど、一番重要なことだけ伝える。
「スライムの群れがやってきて対応しきれないんだ。応援を受付にとりあえず寄こして欲しい!」
「む?」
ルシフがあごに手を当て熟考する。
「………………あー、なるほどのう。やはり来たか……分かった。すぐに呼ぼう。フェーダも行ってやってくれるか?」
「もちろんです。ふふっ、忙しくなるなんて開店当時以来でしょうか」
「じゃあすぐに来てください。いまお客様を待たせている状態なので」
俺はフェーダさんの手を引いて急いで受付ロビーに向かおうとする。
「ちょっと待てい。ひとまず受付はフェーダに任せて、ティナは先にリムを探してくるのじゃ。彼女がどこにいるか知っておるじゃろう?」
「そりゃあさっきまで一緒に客室の清掃をしていたから知ってるけど……なんでリムを?」
「ん。彼女は『クイーンスライム』という『キングスライム』と並ぶ最上位のスライムじゃからな。彼女がいれば数百、数千のスライムくらいしっかり取りまとめてくれるはずじゃ」
「…………はい?」
思考が一時的に停止する。
……最上位のスライム?
「ルシフ様、それはリムさんから秘密にしておいてと言われ――書かれていたことでは?」
「えっ!? あー……ま、まあ緊急事態じゃし、そ、それにいずれ分かったことじゃろう、うん。ほれ、お客様を待たせておるのじゃろう。早く行かんと!」
ルシフに背中を押される。
「おい、ちゃんとどういうことか説明――」
いやそれより優先すべきは待たせているお客様からだと考え直す。
説明してもらうのは接客が落ち着いてからだ。
「――は後でいいや。フェーダさん急ぎましょう」
俺とフェーダさんはルシフ宅から出てそれぞれ別々の方向に向かう。
フェーダさんは受付ロビーへ。
俺はリムが掃除しているであろう客室へ。
ここに来て初めての団体客だ。しっかりおもてなしをしてあげなければならない。
「よし!」
俺は接客のモードへと気持ちを切り替える。
「まずは待たせてお詫びに冷たいお茶を出してあげましょう……それから寝床は干草か布団のどちらがいいか試してもらって……」
スライムへの接客を再度シミュレーションしながら急ぐ。
「…………ふぅ」
駆け足で客室へと向かっていると、早くも息が上がってしまう。
心拍数がいつもより早いからだろう。
ずいぶん前から心臓が高鳴ったままだ。
さっきまでは突然の緊急事態発生による焦り。
でも今は違う。気分の高揚によるものだ。
「今日は忙しくなりそうですね……腕が鳴ります!」
やはり理由はよく分からなくても、お客様が来てくれるのは嬉しいと感じていた。
ページを開いてここまで読んでくださるのも嬉しいですよ、と一言。
もうちょっとでようやくこの章が終わりそうです。




