お客様に合わせた客室に
もうすぐ旅館『魔天楼』へ帰り着く。
びしょ濡れだったシャツもぽかぽかと暖かな陽気によってある程度は乾いた。これなら風邪を引くことはなさそうだ。
一応着物はあまり濡れないように気を付けながら下半身に掛けて、座っている。
だって女の子の前だし、あんまり下着のみをさらすのもどうかと思って……ねえ?
…………。
静かだ。
行きが騒がしかった分余計にそう感じる。
もちろん溺れていたスライムを安静にさせるためなのはあるのだけど……。
リムがスライムをひざに乗せてじっと座っているのはいいとして、カトレアが俺の方をちらちらと振り返り見てくるのが気になる。
別にさっき自分で助けに行けなかったのをそんなに気にしなくてもいいのになぁ。
俺がずぶ濡れになったのも気負う必要は全然ないと思う。第一俺の意思で助けに行ったんだから。自分にできなくて任せれるところはどんどん任して欲しいくらいだ。同僚なんだぞ?
……まあこの話はまた時間のある仕事中の暇なときに話してやるか。今はそんな雰囲気じゃない気がするし。
おっ、旅館が見えてきた。
入口まで迎えに来てくれているのは女将のセンカさんだ。
「まったく、足音から久しぶりに大きなお客さんがやって来たと思ったらあんたたちかい」
呆れたようにため息を吐かれる。
「理由は後で説明するから、とりあえず一室用意して欲しいのにゃ!」
『問題発生』
「はいはい、分かってるよ。だからアタシがここまで出てきたんじゃないか。リムの抱えているのはスライムだね。どうしたんだい?」
ぶっきらぼうな物言いだけどしっかりと事態を把握してくれている。
やはり根はかなり優しいみたいだ。
平然を装っているけど、ほほに汗が流れている。予定よりかなり早い帰りになにかあったと心配して。駆けつけて来てくれたんだろう。
「草原の川で溺れていたんです。今は気絶しているだけですけど安静に寝かせたいので、どこか余っている部屋に入れてあげてください」
「ふん、いくらでーも余ってるよ。今日のお客はまた火の魂一匹だけだからね。スライムなら……あそこだね。付いて来な」
あそこってどの部屋のことだろう。改装した部屋の一つだろうか?
疑問に思いながら、俺、カトレア、リムはセンカさんが蛇の尾で這い進む後に続いた。
「さぁ、ここだよ」
センカさんが部屋の扉を開ける。
六畳ほどの程の小さな客室。
小さな魔物専用の部屋だ。狭い分(とはいっても体のサイズからすれば十分な広さ)宿泊費は普通の客室に比べかなり安くなっている。
タタミが敷かれており、壁際には拳ひとつ分くらいの高さしかない台の上に少しの和菓子が置かれている。
少し前に改装した部屋だ。
「とりあえずは寝かせる場所を作らないとねえ」
そう言ってセンカさんは押入れを開ける。
中には布団が入っているからそれを取り出――あれ?
センカさんが取り出したのは両手で抱えるほどの干草の塊。
両手、胸の下でがっちり固定。
さすがだ。三点固定。あれならこぼれない……じゃなくて! 干草!? あんなの用意した覚えないんだけど?
「にゃるほど~。干草にゃら普段と同じように寝れると思うにゃ」
「そうなの?」
『柔らかな草の上で眠ることが多い』
そうか……。
改装したのは俺の考える落ち着きのある客室だ。――いわば人間基準。これじゃあお客様の立場を考えられていない。
もっとそれぞれの魔物のことを良く知らなければ……。
「にゃに難しい顔してるのにゃ?」
「いやあ、この改装が俺の価値観の押し付けだったんじゃなかったかなぁと」
「別に気にすることにゃいって。ティナが変える前はもっとひどかったでしょ」
「それでもお客様のことを考えられてなかったのには変わりないさ。布団なんて使わないのはちょっと考えれば分かることだったのに」
『悔やむのは一歩前進した証拠。次がある』
そう言って……いや書いてくれると助かる。
「……そうだな。よし! これから良くしていけばいいんだ。今回のことでまず一つ覚えたぞ。自然に住む者に布団はいらな――」
リムが待ってというように腕を前に出して俺の言葉を制止させる。そしてメモにさらさらと彼女の考えを書き出した。
『いや布団は残したほうがいいかと。あれはあれで寝心地がいい。普段使ってなくても良さは伝わると思う』
じゃあ布団は置いたままにして、スライム自身に選んでもらう形にしよう。
しかし、干草なんて誰が用意していたんだろう? それにもう一つ、俺が置いた覚えのないものがある。
俺の腰の高さほどの窓に向かって伸びる階段状に作られた台だ。あれはいったい……。
「何きょとんと見てんだい」
スライムを干草の上に寝かしつけたセンカさんがこちらに這い寄ってきた。
「あ、いやあれは何かなぁを思いまして」
「ん、あれかい? どうもスライムを窓の外に出れるようにするみたいだよ。その先の庭園の一区画をスライム達の交流の場にするんだってさ。基本あの子らは群れで行動するからねえ。みんなといれる空間を作ってあげたってわけさ」
へぇ~。そうなのか。ちゃんと特性に合わせてるんだなぁ。
感心すると同時にここまで考えて用意したのが誰か気になってくる。
センカさんは誰かから聞いたみたいだから違うだろし……やっぱりフェーダさんかなぁ。
なんかできる魔物って感じが出てるし。
「そういえばご飯はどうするにゃ?」
「もう腹減ったの? まだ真昼だけど。カトレアは食いしん坊だなぁ」
「ウチじゃにゃいって! スライムのにゃ! いつからウチが食いしん坊キャラになったのにゃ!」
うーんと、今?
まあ嘘だけど。普通よりは食べるかなーっていうぐらいで食いしん坊とはまでは言えない。
「あははっ、分かってるって。えーと確かスライムは……なんでも食べるんだっけ?」
「……(コク)」
『でもできればスープなどの液体。消化せず直接吸収できるものがいい』
なるほど。人間でも調子の悪いときは消化の良い物を食べる。その辺は人間も魔物も変わらないみたいだ。
「にゃらウチが持ってくる~」
「いいけど、大丈夫か? こぼさない?」
「心配しすぎにゃ。いつからウチが子供扱いされるキャラになったにゃ!」
それは前からだろう。
まあ本人が否定しているんだから突っ込まないでおいてあげるか。
プルプル。
……おっ!
カトレアが二度も大きな声をあげたせいか、スライムが目を覚ましたみたいだ。
辺りを見回すかのように右に左に揺れ、くるーと干草の上で一回転する。そしてぴたっと止まった……
ぽよん、ぽよん、ぽよぽよぽよぽよぽよっ!
――と思ったらダッシュ!? 速っ!?
あっという間に俺達の股をくぐりぬけ客室の外へ。
全員で追いかけるも捕まえることはできず、スライムは草原のほうに向かって一目散に逃げ出していった。
速過ぎ……メタルスライムかよ……。
ちなみにメタルスライムとはスライム随一の俊足。青色ではなく金属の光沢を持ったスライムだ。
それにしてもなぜ逃げた……?
まさか俺らの着物姿を見てお金を払わなきゃいけないとでも勘違いしたんだろうか。払わせる気なんて全然なかったのになぁ。
まああれだけ元気に走れるのなら心配はいらないだろう。その点はよかった。
旅館を出てまで追いかけた俺らは疑問に思いつつもゆっくりと旅館へ引き返した。




