道中の思わぬ苦行
「うにゃー! いい景色―! いつもの草原もこの高さにゃら違って見えるにゃ!」
俺の後ろでカトレアが楽しそうに声を上げる。
「おーい、立ち上がると危ないぞ。座って、座って」
小さい子へ注意するように一言。
別にそこまで小柄ってわけじゃないけど、言動――特に天真爛漫なところがそう思わせるんだよなぁ。…………後は発達の見れない胸とかも。
ただ立つと危ないのは確かだ。
なんせ今は超蜥蜴の背に乗っているから。俺、カトレア、リムの順に。
体長六メートルほどの大蜥蜴の背は広く、乾いたごつごつした皮で覆われているので滑り落ちることはないだろうけど――
「平気平気―――うにゃ!?」
さすがに移動中なんだから揺れるんだよ。
ちなみに今は草原を横断中。
ぽすっ。
よろめいたカトレアに後ろから抱きかかられる。
う、うわぁ…………。
思わず声が漏れてしまいそうになるのをぐっとこらえる。だって――
首元に回された腕からはふわっと柔らかな香りが。
そして肩の辺りにはふにっと柔らかな感触が。腕の柔らかさとはまた違う。これはわずかだけどふくらみを持った、そう胸だ。
…………やっぱり小さくてもあるにはあるんだな。
十分感触が分かるくらいには。外からは見えなくても。
「ほ、ほら、い、言わんこっちゃ、ない」
密着した状態に動揺してかみかみになってしまう。
「うぅ、ごめーん」
一方で平然と謝るカトレア。
くそぉ、俺だけドキドキするとか不公平だ! 男なんだぞ、見た目はどうあれ!
――ん?
ゆっくりとカトレアが離れたと思ったら、つんつんとほほを突かれた。
何事かと思い振り返ると大きく書かれた『ずるい』の三文字。
カトレアの後ろにいるリムが横からぴょこっと顔を出し、メモを突きつけている。
いや、そんなじとーと見られても。あれは事故だし、そもそもカトレアのせいだし。
俺は苦笑いをしつつ、首を横に振る。するとリムは何を思ったのか急に立ち上がり……不自然によろめき、カトレアを飛び越え俺に向かってダイブしてきた。
カトレアとは違うぽよんとした感触がまたも肩に!
そして、首に回された手に持っている紙には……
『カトレアのぬくもりを』
いやいやいやいや!
「なら本人に抱きついたらいいだろ!」
俺はリムにだけ聞こえるように小声で指摘する。
『それは恥ずかしい』
これは恥ずかしくないのか!?
基準が全然分かんない!
「リム~、立ち上がったら危にゃいよ」
カトレアからの注意。――うん、お前が言うな。
あと、リムが自分を飛び越えたことにはスルーかい。
カトレアが、自分の前に座らせようとリムの腰に手を回すと、彼女は満足そうに俺から離れていった。
はぁああ……疲れた。動いていないのに息切れしそうだ。
二人からの思わぬ抱きつきに心臓がバクバクと高鳴っている。
そんな俺をよそに普通に景色を楽しんで眺めているカトレア――を眺めているリム。
俺が気にしすぎているだけ? いやいや異性に触れるのはやっぱりドキドキするだろう。それとも魔物だから感性が違うとか? この際だから聞いてみよう。どうせまだ目的地の妖精の森までは時間があるし。
「なぁ、二人とも。さっきのこと何にも思っていないのか?」
「にゃにが?」
「?」
同じ方向に首を傾けられる。
マジか……。
「さっき抱きついてきたことだよ! 前々から言ってるけど俺は男だぞ? 異性、でしょ?」
「んにゃこと言われてもにゃ~、ティナだし」
「……(コクコク)」
そんなに深く頷かないでくれ……。
「それに…………少にゃくとも男らしさはにゃいよね」
「ええっ!?」
なんで!? こんなに言葉遣いも注意してるのに!?
「ど、どこが!?」
「まず見た目」
見た目はまあうん、自分でもそう思ってるよ……。
『雰囲気』
そ、それは個人の感覚によるものだし……。
「あと座り方とか。今もおんにゃの子座りでしょ」
『あぐら見たことない』
だ、だってあれ足痺れるんだぞ! まだ正座の方が楽なくらい!
「それに料理! この前作ってくれた夕食おいしかったにゃ~」
『裁縫』
料理と裁縫は親父の旅館の手伝いで……。
「まだあるにゃ。丁寧でしょー」
『文字もきれい』
「…………もういいです」
思っていた以上にとめどなく出てくる女らしさに、前方を向いて耳を塞いで話を避ける。今まで普通だと思ってたのに、言われてみればって感じだ。
こ、これは旅館のランキングを上げるのと同じくらい重要事項かもしれない。
男らしさを見せる。
やっぱり一生懸命仕事をしている姿を見せれば……いやだめだ。接客中のあれは俺じゃないから、断じて。
待てよ、そもそも男らしさとは……何?
…………………。
ショックでしばらく考え込んでしまった。
…………男女とはそれぞれ意識し合うから、違いを明確にしようとするのであって、別物として意識を外せば――はっ!
なんか哲学的な方面へと思考が迷走していると、肩をバンバンと叩かれた。
いてて、かなり力強い……ってことはリムか。
振り返ると、リムはぶんぶんとある方向を指差している。
先にあるのは澄んだ川。
そして目を凝らせばその川の中央でなにやらばしゃばしゃと何かが波打っているのが見える。水にまぎれて見えにくいけどあれは――――『スライム』だ。
『助けてあげて』
いつものかわいらしいものではなく、殴り書きしたリムの文字。それだけ焦っているということだろう。
「もちろんだ!」
付きかけている命、助けられる命を見過ごすほど薄情なことできるか! たとえ人間ではない小さな魔物であったとしても……大事なお客様になり得るんだからな!
俺は超蜥蜴の背から飛び降りる。
元々走っているわけではなく移動速度は低く、加えてリムが背を思いっきり叩いて動きを止めてくれたおかげで、難なく着地することができた。
そのまま川に向かって走る。
走りながら着物の帯を外す。
着物を着たまま飛び込めば水を吸って重くなってしまうからだ。
バサッ!
やはり着物は脱ぎやすく、走りながらでも容易に脱ぐことができた。
残り身につけているのは薄手のシャツ一枚とパンツ(もちろん男物!)のみ。これぐらいなら大丈夫だろう。脱いでいる時間がもったいない。
ザバン!
川へダイブする。
先ほどまで体を伸縮させてなんとか体を浮かせていたスライムだったが、力尽きたのかゆっくりと沈んでいくのが見えた。
くっ! すぅー……。
大きく息を吸い込み、沈むスライムを追いかけるようにして潜る。
よし!
スライムを抱えることは成功。ただし……当然片手はふさがる。
自由な片手、そして両足を必死で動かし、水面へ浮き上がろうとする。
…………おっ!
水面付近で誰かの手が川に突っ込まれている。掴めばいいんだな!
ガシッ! ――バシャッ!
手を掴んだ瞬間、一本釣りのように地上へ引っ張り上げられた。
――いっててて、この力はリムだな。まったく焦りすぎだって。危うく川へスライム落としそうになったぞ。なんとか地上で腕から滑り落ちただけでよかったけど。
「大丈夫かにゃ!?」
「……ああ」
「ごめんにゃ。ウチも助けに行きたかったんにゃけど泳げにゃいから……」
「謝ること無いって。それに無理してカトレアまで溺れたら大変だからな。それよりあのスライムは?」
「それにゃら……」
カトレアが俺の右手の方を指差す。
そこではリムが懸命にスライムの体を押し、水を吐き出させていた。
…………。
………………にこっ。
しばらくしてリムの顔に安堵の色が窺えた。
「大丈夫みたいだな」
リムに近寄り話す。
「……(コク)」『でもしばらく安静が必要』
「なら今日は『魔天楼』まで戻ろう。そこで寝かしてあげればいいんじゃないか。……俺もびちゃびちゃでもうチラシ配りどころじゃないし」
「そうするにゃ」
「……(コクコク)」
俺の提案に二人は素直に頷く。
……妖精への宣伝はまた今度でいいか。




