変わらない日常
近くの草原に住むスライム達にチラシを配ってから一週間が経った。
もちろんその間にも部屋の改装――特に小さな魔物を泊める用の小部屋(通常の四分の一サイズ)を掛け軸や壺を配置して和室へと装っていったのだけど……
「来ないなー」
「そうだにゃー」
「……(コクコク)」
受付ロビーで待っていてもお客さんは一向に来る気配はない。
この一週間で来たのは炎を身にまとった体のため宿に断られ続け、困っていた火の魂が数体くらいだ。
まあそんなにすぐに効果があるとは思ってないけどさ。
「結構受け取ってもらえていたと思うんだけどなぁ……」
チラシの減りは好感触だった。多めに持って行ったはずのチラシが旅館へ帰るころには手元になくなっていたんだから。
「スライム達の評判でもちょっと聞いてこようかにゃ?」
「聞くってどうするんだって。会話できないぞ? そもそも言葉を理解しているのか?」
『言葉は大丈夫』
「リムの書いたとおりにゃ。そもそも言葉が分からないのにやらチラシも読めにゃいでしょ?」
それもそうか。いまさらすぎたな。
『簡単な質問は可能』
「『はい』、『いいえ』を書いた紙でも持って行ったらいいかにゃ? 客に見せて移動してもらうの」
「……(フルフル)」
リムは首を横に振り、メモを一枚めくってさらさらと書き始める。
『紙はなくても大丈夫。『はい』ならぴょんと軽くはねるし、『いいえ』なら横にぷるぷると揺れてくれる』
「へぇーそんな反応示してくれるんだ。リムは物知りだなぁ」
俺がほめるとリムは恥ずかし気にメモ帳でそっと顔を隠す。
「ならまたチラシを配るついでに聞いてみるか? それを見て泊まってみたいと思えるかどうか」
まだ妖精の住む森へ行くための魔物のレンタルができていないみたいだからな。移動範囲はまだスピネルか草原くらいでやれることが……少ない。
ルシフも手伝ってくれているみたいなんだけど、どうも三人も乗せれる大きな魔物はプライドが高いやつが多く、自ら認めた者しか背に乗せてくれないので探すのに苦労しているみたいだ。
「そうするにゃ。おっ出かけ~♪ おっ出かけ~♪ リムも行くにゃよね?」
「………………(コク)」
「なら善は急げ。今日にでも――」
「久しぶりのお客さんだよー!」
蛇尾女のセンカさんが大きな声でこちらに這い寄って来る。着物の上からでも分かるほど大きな胸が進むたびにぼよんと弾むので目のやり場に困ってしまう。
「お客さんってほんとかにゃ?」
「ああ、それも人間さ。たまに……二か月に一回くらいは来るんだよねぇ」
「物好きなやつもいるもんにゃ」
物好きって……一応自分の働いている旅館だぞ? 女将さんの前でも普通に自虐するんだな……まあ本当にただのお客さんなら物好きってことに同意はするけど。
「そのお客様は俺が対応します。いつ来られるんですか?」
「いいのかい? 午後七時だから時間外になってしまうよ?」
「問題ありません。どうしても俺が応対したいです。たぶんRJの人でしょうし」
『RJ?』
「旅館審査委員のこと。確実に評価はつけるだろうし、うまくいけば他の旅館の状況とか引き出せるかもしれない」
「そんな大事なお客さんをあんたに任せて大丈夫なのかい?」
少々高圧的なセンカさんの視線。
「だいじょーぶ! ティナはお客の前にゃら人が変わるんにゃよ」
『私たちより上手』
「そ、そうかい。ならいいかねぇ……」
一瞬にして態度を軟化させる。
なんだろう。俺にだけ厳しいのか?
「じゃあ任せるからしっかり頑張るんだよ」
そう言ってセンカさんはこのロビーから離れていった。今の時間なら行くとしたら食堂だろう。
「…………はぁー、なんか俺に対してだけ冷たくない? 厳しいというか……。新人のくせに出しゃばってるとか思われているのかな?」
「別に違うにゃ。たぶん魔物の威厳を見せるために無理してると思うにゃよ」
『ラミアはそこそこ上級』
あー、プライドかー。世間的には平等でもやっぱり隔たりはあるんだよな……。
「でも元が優しいからすぐにボロが出ると思うにゃ」
うーん、確かに。本当に嫌っているなら大事な客を任せたり、最後の頑張れっていう一言も出ないか。
「まあセンカのことはどうとでもなるにゃ」
『時間が解決してくれる』
「それよりもさっきの話の続き。今日ティナが旅館に残るのにゃら草原に行くのはどうするにゃ」
「うーんと……時間ももったいないし二人で行ってきてくれるか?」
「おっけーにゃ!」
「…………」
カトレアは快諾。あれ? リムは……?
カトレアと二人きりになるチャンスなのだから嬉しがると思ったのに、何か複雑そうな顔をしている。
少し悩んでからリムは思いついたかのようにメモに書き出した。
『ティナの仕事ぶりを見てみたいから私も旅館に残る』
「そう?」
接客中はあんまり見てもらいたくないのだけどなぁ。なんか恥ずかしいし。あれは俺じゃないんだ、うん。
それにしてもなんだろう。リムはあんまり外に出たくないのか?
ただ、リムがここに残るっていうなら無理に連れていく必要もない。
「じゃあカトレア一人になっちゃうけど頼めるか?」
「全然問題にゃいよー。まあ今から出かけるとリムの歩くスピードじゃ遅くにゃるし、仕方にゃい」
「……(コク)」
なんだ、単純にカトレアに迷惑かけるのを避けていただけか。ちょっと考え過ぎてたかも。
「じゃあ早速、ターっと行ってきてターっと帰って来るにゃ」
カトレアは旅館の入り口から外へ出ようと走り出す。
「ちょっと待て! ちゃんとチラシは持ったか!?」
「おおっと! 忘れてたにゃ」
「まったく……他に忘れ物はないか? ちゃんとハンカチ持ったか? 道は覚えてるか?」
「ティナはウチのかーちゃんかにゃ。大丈夫にゃ!」
怒られてしまった。
だって見た目も言動も子供っぽいんだもの。心配するって。
「もーう、はいチラシも持った。これで完璧にゃ。じゃ、行ってきまーす!」
「はーい、いってらっしゃい。評判がどうなっているか期待しながら待ってるから」
「――あっ、そうか! 配るだけじゃにゃかった!」
…………不安だ。
俺とリムは軽く手を振りつつ、カトレアを見送った。