ピエロ
父はピエロだった。
ずっとサーカス団の一員で、色々な所を転々と移動しながらピエロに化け、サーカスを披露していた。
サーカスは大好きだ。
観衆の応援の声やあの雰囲気、一つ一つ丁寧に行う技。うまくいった時の団員の満足げな笑顔と大きな拍手…。どれも最高だ。
ただ、どうしてもピエロは好きになれなかった。
笑い方がとても怖く見えるのだ。
人を蔑むような、嘲笑うような表情。
世の中を笑っているように見えて怖い。
「理遊、おいで」
そう笑う父が怖い。
ピエロは全部知ってる。
ピエロは世の中の
悲しみ
苦しみ
汚さ
全部知ってるんだ、と。
だから、ピエロは
世の中の、人の醜さ
全部、嘲笑って…。
いつも、おどけて、人を笑わしているけれど
本当は
世界で一番悲しい人なんじゃないか。
あの表情には悲しみが隠れている。
いつしか、そう思うようになった。
❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅
母は死んでいる。
物心ついた頃には既にいなかった。
あれは…確か五歳くらいの頃だった。誰にでも「母親」という人がいるのを知った時、父に聞いた。
「お父さん、私にはお母さんはいないの?」
父は一瞬かたまって、時は一瞬止まった。
すぐに父は表情を取り戻して、けれど取り戻した表情は悲しげで…。
「死んじゃったんだよ」
そう言った父は地を見つめて今までに聞いた事のない重い声だったのを覚えている。
❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅
父はピエロだ。いつまでも。
中一の時、信じられない事実を突きつけられた。
母は死んでなどいなかったのだ。
その年の大晦日、大掃除をしていたら若い女の写真が出てきた。
「…これ、誰?」
「お母さん」
やっぱり、重い声で。
「本当は、お母さんは死んでない。俺とお母さんは結婚してお前を生んで、その後すぐに金だけ奪って逃げた。そして、帰ってこない」
父はその日から、ピエロだ――。
「ふっ…あっ、はは…ははははは!」
ピエロの時と同じ表情で自嘲していた。
❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅
私はピエロだ。
サーカスは色々な場所でやる為、移動もしょっちゅうだったから転校もしょっちゅうだった。
そこで、皆、別れる時に
「絶対、理遊ちゃんの事、忘れないよ」
と、言って忘れられた。
中二の時は忘れられるのは愚か、いじめられて、忘れないよと言ってくれる人ですらいなかった。
けれど、高校一年生の時、私の事、忘れないでいてくれる人がいた。
蘆谷祐司――。
たったの半年しかいれなかった高校だったけど、仲良くなった祐司はよくメールしてくれた。手紙もくれて…。
人の汚さしか知らなかった私は初めて人の優しさを知った。
そして、祐司は初恋の相手となった。
高一の三月に久しぶりに会って告白して、付き合うことになった。
高ニの夏の或る日、初めてバイトして、貰った給料で出かけようという話になって、再び祐司に会った。
そこでどうしてもお金を貸してくれと頼まれた。
優しくしてくれた祐司の為ならと、五万、貸した。
その瞬間、祐司は薄気味悪く笑った。
「えっ――?」
祐司は逃げ去った。
しばらくして、全く返ってこない借金を返してもらおうと電話すると、返すわけないだろとぶっきら棒に何の感情もない声で彼は言った。そして、見えもしない薄笑いが携帯の画面越しに見えて……。口を開いた。
お前は俺に踊らされた、と。
ずっと偽りの優しさに騙され続けて、お金だけ奪われて、いいカモだったらしい。
そうか――。
私も、やっぱりピエロなのか……。
ピエロになってしまったのか……。
「ふっ…あっ、はは…はは」
そう言いながら泣いていた。
❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅
あの時、奪われたお金は五万で済んだけれど、心の傷は数字では表せないくらいだ。そして、今も焼き付いている傷だ。
ピエロ――。
世の中の悲しみ、苦しみ、汚さ全部知っている人はピエロだ。
それでも、ピエロは笑っている。
嘲笑っている。