師範と父と従妹
out side
ある山中
「ハッ、ハッ。」
規則的な呼吸。
全身に廻る酸素。
道なき道を駆ける少年。
その姿は幼く、十歳にいくかいかないかであろう。
だが幼い姿とは裏腹に、大人顔負けの速さで目的地を目指す。
…………少しペースを間違えて。
夢 side
ある部屋の中。
その場にいるのは、転がっている十歳前後の少年とその場に立つ貫禄のある中年。
ここは霊新山の半ばにある道場内。
小さい山だが、その分整備に乏しい。
山道、けもの道を通ればこうなってしまうだろう。
「ぜぇっ、はぁっ、ぜぇっ、はぁっ……。」
「鍛え方が足りんぞ!!夢!!おまえはそのスピードで調子に乗る癖がある!スピードに依存するな!」
「お……押忍……。」
「よし!じゃあ昼休憩だ。道場で飯を用意したから食ってけ。」
「押忍。」
規則的な呼吸を取り戻し、立ち上がる夢。
見た目は従順に訓練をこなしているようだが、心の中は愚痴だらけである。
(絶対おかしい。このクソ師範、やらせる訓練が絶対小4にやらせる内容じゃない。だいたいランニングが山十周ってのもふざけてる。それに――――――。)
「飯は無しの方がいいか?」
「この地獄耳!!」
おれには、心の中にもプライバシーが無いのか!?
「そうだ!」
「認めた!?」
このジジ……もとい師範。
実はおれの伯父に当たる。
親父の兄だ。(ちなみに弟の場合叔父である)
名前は新川芳次。
うちの一族は全員その体に妖怪(とか精霊とかなんかそのへんのもん)を宿す。
もちろん、自分の伯父も宿している。
宿すのはサトリ、心を読む妖怪だ。
まあ、実際は本を読むかのように心を読むわけではない。
あくまで心を読む、予測するのである。
サトリを宿した師範は、人間の脳波の変化、心拍数などの微妙な状態を肌で"何となく”感じるのだ。
脳波を計算するなどという超絶的な頭脳は普通持つことはできない。
何となく、感覚で相手の感情を理解する。
それでも夢の心を完全に読めたのは、単純に子どもは分かりやすいからだろう。
そして今、空手の師範の位にいるのもこの能力が原因だ。
相手の心を読む。
つまり、対戦中に一手も二手も先読みできるということだ。
格闘技においては大きなアドバンテージとなるだろう。
もちろん、それを生かし切れる芳次の実力があってこそだ。
「一応聞かなかったことにしてやろう。さあ、飯だ。腹が減っては戦は出来ぬぞ。」
「押忍。」
PM12:02
「はい。たくさん食べてね。」
「いただきます!!」
現在。
おれ、新川夢は昼食をごちそうになっている。
ここは道場の奥。
伯父の家のダイニング。
作ってくれたのは伯母さんだ。
名前は新川里美。
温厚な性格で料理上手。
たまに料理を教えてくれたりする。
ちなみに母さんもそうだが、嫁や婿で新川一族に入った場合、その時点で妖怪を体に宿す。
妖怪という意味のわからないものと同化するのは抵抗があっただろうが、二人とも結婚を優先した。
ゆえに、普通の夫婦より若干絆が強い。
伯母さんが宿すのは猫又。
猫又そのものに諸説あるが、大きく分けると山に住むタイプと老猫が変化するタイプがある。
どちらにも共通し、かつ伯母さんの能力が『幻惑』だ。
猫又は人を誑かし、惑わす。
ゆえに、幻覚や感覚を崩す事が得意だ。
とはいっても、この平和な日本じゃそんな能力を活用させる場は少ない。
というかこの降妖自体を続けていることがどうなんだろう。
「もぐもぐ。」
そんな考えの中、いつの間にやら向かい側にお仲間ができたみたいだ。
1歳年下の従妹、新川真理。
この家、つまり伯父夫婦の一人っ子である。
「真理、よく噛んで食べなきゃだめよ。」
「ふぁあい。」
「急いで食べると…………太っちゃうわよ。」
ビクッ!「はい!」
やはりというか9歳とはいえ女の子だ。
体型はまだ、よくわからなくても太るということには抵抗があるらしい。
注意を受けてからはゆっくりと食べているようだ。
「夢兄はお昼からどうするの?」
ゆっくり食べる手段として、おれとの会話を選んだらしい。
まあ、別に問題はないので答えることにする。
「4時まで練習……だな。」
「じゃあね、4時から一緒に山で遊ぼうよ。」
「うーん……。」
師範の練習は甘くない。
はたして、練習後に遊ぶ気力が残っているだろうか?
「だめ?」
「………………はぁ。」
年下のその目は反則だと思う。
もし、できないと言っても泣き出してわがままを言うことはないだろう。
真理は聞き分けのいい子だから。
だからこそ、涙をこらえる様子が目に浮かんだ。
「わかった。4時からだろ?遊びに行こっか。」
「うん!」
満面の笑み。
今のうちにたくさんご飯を食べてこの後の練習や山遊びに備えようかなと思う。
まあ、とりあえずは。
「おかわり!」
PM13:00 練習再開
「というわけで、午後からは俺も指導に加わる。」
「…………………。」
ごめん、真理。お兄ちゃん、気力が残るか分かんないよ。
「大丈夫だ。夢の気力が遊んだ後にちょうど空になるように調整してやる。」
「鬼!!妖怪!!」
「俺は妖怪で鬼だ!!」
「ですよねー!!」
このく……クソ親父!!
名前は新川源樹。
一応この道場の指導員で空手4段。
クソ師範と一緒になって俺をいじめる大人げない大人だ。
まあ、さっきも言ってたように、親父が体に宿しているのは『鬼』。
鬼の特性は『屈強』。
腕力に耐久力、瞬発力まで強固な体を形成する。
この細く見える体でどこに筋肉があるのか全く謎だ。
「では、練習を始める。正座!!」
「押忍!!」
「黙祷!!」
「………………。」
「道場訓!」
練習後 PM16:02
「閉足立ち!!これにて本日の練習終り!!」
「したっ!!」
やっ……と、終った。
ホントにこの二人、おれの体力をギリギリ残しやがった。
「あっ、夢兄-!」
「おー、真理ー。」
「練習おつかれさま!」
「ああ……、遊びに行くか!」
「うん!」
「気をつけろよー!!」
「今晩は真理ちゃん家とご飯一緒だからなー!!」
「分かった!」
「いってきまーす。」
霊新山 山中
ここは山の中でも木々の少ない草原地帯。
というか、木々を切って広場となった場所だ。
もともとは降妖を行った一族の修練場だった場所らしい。
現在は過剰な戦闘能力は無意味とされ使用はされておらず、もっぱら一族の子供とその友達の遊び場になっているのが現状だ。
友達とは言ったが、ここは山の中。
いくら元気のある子どもとはいえ、夏休みでもない週末にわざわざ登山してまでここに遊びに来ることはほとんどない。
普段、練習のない週末は下山して友達の家に遊びに行くことが多い。
無論、真理もそうしている。
登下校もそうだが、降妖したおれたちにはそこまで苦痛じゃない。
ちなみに、週末に来ることはほとんどないが、キャンプ目的で遊びに来ることはある。
その時だったら、おれはもちろん大活躍。
小さいころから(今も小さいけどそこは子供の背伸び)山を遊び場にしてきているから当然だ。
まあ、ここは山の中では平らな土地。
そんな中おれたちが何をしているのかというと。
「いっくよー!!」
「おーう!!」
玉投げ。つまりドッジボールの練習だ。
男子小学生にとって、ドッジボールが強いとクラスのヒーロー扱いである。
快活な真理も男子に交じってドッジをするので、一目置かれたかったりするのだろう。
だけど既に俺たち二人、3年と4年のドッジボールヒーローだけどな。
降妖を行っているおれたちは身体能力が高い。
能力を使わなくてもだ。降妖の副産物で免疫機能も常時高い。
そして今の一族の子供は同じ学年がいない。
競争相手がいないも同然で、大概のスポーツでは負け無しだ。
まあ、能力の使用は禁止されているけど。
「もういっぱーつ!!」
「よっしゃー!!」
練習というか普通にキャッチボールしているだけだけど。
「おりゃあー!!」
「って、ちょっと待てえええぇぇぇ!!」
強く投げたいのは分かった。
分かったけど“耳を出すな”よ!!
「真理、耳が出てるっ!!しまえ!!」
「あっ、ホントだ。ゴメンねー。」
てへっ、とした表情の真理。
その頭からは、まだしまっていない“オオカミの耳”が出っ放しだった。
おれの従妹、新川真理が宿している妖怪は『雷獣』。
日本では江戸時代に有名だった妖怪。
他の国でも雷の獣の伝承は多い。
日本でも姿形や大きさが一定ではないが、どの伝承にもよく書かれているのは落雷の時に空から落ちてくる獣ということだ。
その中でも、真理はオオカミ型を宿したらしい。
ただ、オオカミだからと言って凶暴性があるわけじゃない。
基本的に雷獣はおとなしいことが多かったらしい。
まあ、真理の様子を見れば、オオカミというよりじゃれてくる子犬みたいだけど。
閑話休題。
というわけで、いくらここら辺が一族の土地とはいえ、一般人が全く来ないわけじゃない。
いつ見られるか、わかったもんじゃないわけだ。
頼むからその黄色い耳をしまってくれ。
「んしょっと。」
「ようやくしまったか……。」
「あっ、ボール……。」
「はっ!!」
そうだ、耳の注意に気を取られてボールを受けるの忘れてた。
ここら辺は壁がないから止まるのは植物みたいな障害物か、自然停止ぐらいなんだ。
って、あっちの方向は。
「ボール、あっちに行っちゃった……。」
「うわー……。」
あっちの方向。
この山の中で、親父たちから立ち入り禁止を言い渡されたところ。
そこの区域は特に妖力とか霊力がかなり強い場所らしい。
ただ、なんで立ち入り禁止なのかわからない。
別に危険な獣が跋扈しているわけじゃないし、大妖怪が住んでいるわけでもない。
そもそも妖怪の存在自体、一族でも確認はとれていない。
この山を一族が選んだのも妖力(霊力?)が濃い場所だからだ。
妖力の濃い場所だとおれたちは活性化するというのに、立ち入り禁止にする訳が分からない。
「マリのボール……。」
夢兄ぃ、と上目遣い。もちろんサムズアップ。
……そんな目されたら。
「行くしかないよなぁ……。」
「行ってくれるの!!」
「ボールを取ったらすぐに戻るからな。」
「うん!!」
まっ、ちょっとくらいは大丈夫だよな。
そう思うくらいには、夢は子供なのだ。
霊新山 立ち入り禁止区域
「ないなー。」
「なー。」
真似をしていた真理。『獣化』を使っていたから、結構強く投げちゃったらしい。
おれたち二人、ボールを探す姿に疲労はない。
この場所は本当に一族を活性化させる場所らしい。
おかげで真理は耳と尻尾を出したまんま。
活性化してて自分でもしまえないみたいだ。
「うん……うーん。」
「どうした?」
「水の音がするの。それに匂いも。」
「水?」
ここら辺は川が通る場所じゃないはずだけどな。
池でもあるのかな?
「あっちからだよ。」
確かに真理は耳を出した状態。普通の状態より五感は鋭いからあてになる情報だ。
特に嗅覚はオオカミほどじゃないけど、五感の中で一番強いからな。
「あっちだな。行くぞ。」
「うん。」
霊新山 ???
ボールは見つかった。その場所に浮かんでいる。
そこは池。いや、それはこの場所に対して失礼を感じる。
湖と呼ぶべきだろう。
普通、湖の水は濁る。
川の水は流れているので、きれいな場所だと本当にきれいな水になる。
でも、この場所は違う。
非常に透き通った透明性の強い水。
そのクリアな水はとてもおいしそうだ。
だが、解る。あの湖はとても強い妖力を放っている。
おれの本能が告げる、“あの水を飲んではいけない”。
真理 side
「綺麗……。」
「おい、真理!!」
ふらふらと、その水に引き寄せられる。
夢兄の声も霞むほどに、その水は魅力的だった。
途端にのどが渇く。好都合だ。
マリの本能が告げている、“あの水を飲みたい”と。
「はあぁぁ。」
湖面に映るマリの顔。
湖はとても穏やかで、まるでマリを受け入れているみたい。
ゴク。
「おい!!真理!!」
渇いたのどを潤すひとくちの水。
とても冷たく、とても淡いかすかな味。そしてとても強烈な妖力の充実感。
そのどれもが絶妙で、ひとくちだけなんて耐えられない。
ゴクゴク。
「真理!!飲むな!!それ以上飲むな!!」
「おいしいよ。」
本当においしい。
ゴクゴクゴク。
「おいしい、おいしいよ。」
ゴクゴクゴクゴク。
「おいしい!!おいしいよ!!」
ゴクゴクゴクゴク。
「飲むなあああああぁぁぁぁぁ!!」
ビクンッ。
「へっ?」
たぶん、この時に出た声はとても間抜けなものだったんだと思う。
キョトンとして、何かがいつの間にか身に起こったのか、それさえもわからない表情で出た声だと思う。
湖面はマリの飲んだことで揺れ、マリの姿は湖じゃ見れない。
「ああ……。」
見る余裕も、マリにはすでにないから。
「ああ。」
自分の体を抱きしめる。
自分の中の“何か”を抑えるように。
「――――――――。」
夢兄が何かを言って、マリを支えてくれる。
でも、たぶん“コレ”は止められない。
「ああ!」
自分が爆発しそう。体から出る熱が止められない。
バチバチと、勝手に電気も漏れだした。
自分を抑えられない。自分が自分ではなくなっていく。
「あああああああああああああああ!!」
たすけて、夢兄ちゃん。
夢 side
真理の動きが突然止まった。
その瞳に意思はなく、表情もすでに真理のものではなかった。
バチ。
はじける電気。
その電気は明らかな敵意、害意を持って。
バリバリバリバリ!!
おれに襲い掛かった。
「っ!?」
バッ、と真理から離れる。
この状態の真理から離れるのに抵抗があったが、自分が気絶したら意味がない。
そんな理性で真理から離れたが、――――――どうやら正解だったらしい。
「ガルルルルルルルルル!!」
バチバチと雷が真理を覆い、耳と尻尾の毛も逆立っている。
雷以上に、真理からの威圧感がすさまじい。
「ああちくしょう。」
今更に、ようやく、こうなってから初めて理解した。
ここが立ち入り禁止にされた訳。
この湖の存在。強すぎる妖力の塊。
それに引き寄せられ、飲んでしまう。
そして暴走してしまうのだ。