第60回(家=国家=小宇宙の神話以前・その12)
「…」
すると、女神様はうっとりとした目付きでボクたちの声を見て、ぎょっ、何ですかあの不自然に真っ赤な舌は、普段の女神様はあんな、その舌でやはり奇妙に血色の良くなってるらしいご自身の唇を、ねっとり熱烈に舐め回したのでした。はぁ、そうなんだ。
「よーしよしよしよし、食ったかー」
一方、こちらも今ではすっかり血色の良い、ただ女神様のそれが元々具わったものの今一瞬の煌めきなら、風ちゃんのは時間が少しずつ彫琢してきた、そんな好好爺然としたものなのではありますが、とにかく満面を上気・つやつやさせて風ちゃんが戻ってきたのです、そして空になった器を不思議そうに眺め突っ立ってる女神様に声をかけるなり、その器とスコップをひょいと女神様の両手から取り上げたのでした。ああ、正義の味方656仮面・中のひと風ちゃん。聞いてよ聞いてよ女神様ったら酷いんだよ、自分の朝ご飯は別にあんのにこんな所でつまみ食いして、しかもそのつまみ食いしたの、ボクたちのご飯なんだよ。さ、法を厳格に運用し女神様には罰則を、ボクたちには改めて風ちゃん飯を。あああの、何なら材料は取れ取れの地産地消で一向に構わないってゆーか、むしろこの場であれやこれや目でも楽しみつついただきたいってゆーか。
「さっきから先生に向かってそういう不埒なことを言ってる人こそ朝ご飯抜きです。でもって銀河系外周100万周の罰ですよ。さ、分かったらとっとと行く」
うっぷす。またしてもボクたちの本質が事態の幸せな進行を妨げ、却って仇に。
「学んだら少しは黙っとけ。ま、反省したからといって、飯抜きは変わらないけどな」
ななな、何故でごわすか。
「女神様が平らげた分でおしまいだからだよ。お前らの虚構が耳に入ってきてそれじゃぶち捨ててやるかって思った時、丁度女神様が起きてきてな。しかしホントに食うとは思わなんだぞ。そりゃ食べる? とは聞いたが、もちろん冗談だったし」
「そうなんだよ風ちゃ~ん。エレちゃん、食べられちゃったんだよぉ」
あら、女神様突如お目覚めのようで、風ちゃん着用のフリースの裾を脈絡もなく摑んだかと思うと、空いた手で目をこしこし擦りながらそんなことを訴え始めました。ええ? ちょっとお待ちな、そこ違うでしょ。食べられた、じゃなくて、食べたのはあなた。でもって、止めどなく溢るる血涙を拭いたいのはこっち。ぐっ。ぐうう。
「ほら。ここと、ここと…ここ。みっつも」
女神様は、すっきりしたデザインながら高女子力な印象のパジャマの右袖をめくり、左足の裾を膝まで持ち上げ、最後に襟元をぐっと開き頭をもたげ、風ちゃんに向かってちょっと前屈みの格好をして見せたのでした。ほほう、なるほど。女神様は寝る時、付けない派だったですか。
「なにこれ、蚊かなんかに刺されたの? まったくどういう寝相で寝てたんだか」
あれ、気にするのそっち?
「むぅ、エレちゃんお行儀良く寝てたもん。それより問題はこのお家の方でしょ、大体なんで冬に蚊が出るの」
「蚊って成虫で越冬する奴もいるんですよ。エレ様暖房つけっぱなしで寝てたんじゃないでしょうね。どっかに隠れてたのが、夜もあったかいから出てきたのかも知れませんよ」
「ふぁああ…あふ。んー、もうなんでもいいや。とにかくエレちゃんは避難してきただけだから。風ちゃんのベッド貸してね」
「あ、こら。人のベッドで寝直すんじゃない、てかもう起きろ」
そうだそうだー。さっき堪能しやがったボクたちの朝ご飯、寝起きの胃腸に染み渡ったんじゃなかったのかー。
「うー、冷えてきちゃった…おんや?」
そりゃ冬場にパジャマ一枚で起き出してきたんじゃ寒くないわけ無いのですが、そそくさと風ちゃんのベッドに近寄り掛け布団を一気にめくった女神様、そこで目を丸くして固まります。
「誰、この娘? 新しいメル変っ子?」
「よせ、縁起でも無い…姐御だよ。なんか知らんけどいつの間にか家ん中に居て、穴メル変に落ちかけてた」
そうなのです。掛け布団の下で子供のように体を丸めていたのは、落下者列伝中恐らく最も頑なに理に抗い、しかし虚しく人為に破れ、パッシブ・ブラックホールたる穴メル変に永遠に捕らえられたはずの姐御さんなのでした。その内なんとかなるだろう、姐御さんを無情にも絶望させた人為の主かく語りき、けれどそのマジックワードは、確かに無責任の隠れ蓑なんかじゃなかったのです。
「…ん」
姐御さんはあったかい毛布と羽毛の掛け布団が急に無くなった不満と不安を一層身を縮こませることで表明するようです、横臥した体を更に小さく畳んで、殆ど膝を抱えるような格好になってしまったのですが、するともそもそもそっ、例の肩も露わなセーターのお腹の辺りが、急に波立つように乱れ始めたのです。化繊のうねりは、かと思うと突如円錐形に鋭く集約・立ち上がろうとし、ぼそっ・ぼそっ・ぼそっ、立て続けに三度、姐御さんの引き寄せられた両膝を強く打ちました。むぅ、これは。古典的には、今気付く寄生の事実! とか、新種誕生! とか言いたくなる光景ですが、やはりここは新味を持たせて。さて。何と言ってみようか。




