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第43回(なんにも穿かずに失礼してます・その10)

「ただいまー」

 入り口の左手にはどっしりとした木製のカウンターテーブルがしつらえてあって、その奥にさっき言ったこの施設に常駐するスタッフさんたちが詰める事務室があるのです。女神様がそちらに向かって挨拶すると、中に居た二人の若い女性スタッフが直ぐに気付き、お帰りなさーいと返してくれました。森の散策を始める前にも立ち寄って、同じスタッフさんたちとお喋りしてたからこの遣り取りってのもあるんだけど、女神様ってばしょっちゅうこの森に遊びに来てるんだよね、だからここで働いてる人となら例外なく顔馴染みって理由も、一方ではあったりするのでした。

「寒かったでしょう。事務室の中へどうぞ。今、お茶を淹れますから」

「さみゅーちゃんには会えましたか? 多分、わたしたちに話してた通り、湖畔の小道の方へ行ったと思うんですけど…」

 女性スタッフの一人は事務室のドア越しに、もう一人はカウンターの所まで出てきて、次々に女神様に話しかけます。仕事上、園内の今の自然を見てきた女神様から情報を得たいってのは勿論あるんだろうけど、ただ単純に話し相手が欲しいって意図もこの歓迎ぶりの中には含まれてるみたいですネ。カウンターがあるのは様々な情報や自然物に触れられる広い展示室内の左隅で、その対角には薪ストーブが赤々と燃えているのですが、人気となると女神様たち以外に全く無く声が良く響きます。要するに、現時点で当ビジターセンターのお客様は女神様のみ、彼女たちは仕方なく開店休業の有様なのです。うるさいことを言っちゃえば確かに公私混同あるけどねー、事情あってこの程度なんですから、これはまぁ許される範囲だよね。

「会ったというか遭ったというか…途中で捕まって、計画には無いルートを回らされて…今に至るんだな…」

 まぁ本来が地を這うように歩く四つ足の小動物、人間の側に居たら視界に入りづらいのは当然ですけどね。小動物がとことこ進みながらぼやくと、女神様の顔ばかり見ていたスタッフさんはびっくりして、さっとカウンターから身を乗り出し、女神様の足下を覗き込みました。その拍子に首から下げている名札がぷらんと揺れます。名札には手書きかつセンスのいい字体と色使いで “やまぬぇ” と書き込まれています。やまぬぇ。当ビジターセンターのスタッフさんたちは、訪れた人たちに先ずリラックスして貰おうと、一人残らず名札には本名ではなく楽しいあだ名を書き込んでいるものなのですが、やまぬぇとはそもなんぞやとゆーか山鵺ですかってゆーか。あだ名は本名から連想されるものは勿論、自分が好きなものから考え出すケースもあるようです。でまぁ、このスタッフさんは後者の例でありまして、彼女は体長10センチ前後の小さな哺乳類、ヤマネをあだ名に使おうと思ったのですね。実際、このスタッフさんは小柄で愛くるしいところがありますから、他のスタッフさんたちもぴったりだって賛成してくれてたんですよ。でも、彼女の名札には何故かやまぬぇ。照れ臭いとかあったのかな。しかしまぁとにかく、やまぬぇ嬢はさみゅーを認めるとぱっと笑顔になって、屈託なく言ったのです。

「ごめーん、さみゅーちゃん。気付かなかったー。お帰りー」

「ただいま、なんだな…」

 まるっきり気にした様子も無く、滑らかな曲線を描くカウンターの縁をマイペースな歩幅で巡って、小動物は事務室の中へ入っていきます。その様子を見送り、女神様に微笑みかけたやまぬぇさんが小動物に続きます、最後は頷いた女神様。お邪魔しまーす。

「エレナさん、お昼は持ってきてますか? 今ならまだ、翡翠かわせみ亭やってるかも」

 事務室に残ってお茶の用意をしていたもう一人のスタッフさんが、彼女の名札にはこれは毛筆にて流麗かつ強靱、奔流の如き筆致で “ごろすけ” って書いてあって、多分彼女はフクロウが好きでそれでこの鳥の俗称を借りて言わばお出迎えネームとしたのでしょうけれど、細身が鋭利を思わせる彼女の外見と相俟ってなんかいざ参らん! むしろ挑みかかられてるような気になってしまうのはええわたしたちの思い過ごしでしょうとも、まぁ、なんともはや、とにもかくにもごろすけさんは机に湯気の立つ湯飲みを置きながら女神様に問うのです。ちなみに、翡翠亭というのは当ビジターセンターに併設されたレストランのことですネ。通常の営業時間は10時から17時までと定められてます、けれど如何せん今日は園内がこれだけ閑散としてるでしょう、書き入れ時のお昼時でこれじゃあなぁという場合は、午後も早くに店じまいしてしまうこともあるのでした。ごろすけさんに聞かれた女神様は相手に微笑み返します、続けて湯飲みの置かれた席の椅子を引くと、人の代わりにちょんと腰掛けていた小型のリュックを、容量は20リットル、使い込まれてはいるもののよく手入れされた女神様ご愛用の本格的な登山ギアで、園内散策は身軽な方がいいからって預けてあったのです、ひょいと持ち上げて言いました。

「平気。準備してきたから」

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