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第32回(図書館の彼女と魔性少女・その15)

 おっと、わたしたちとしたことが話をあっちこっちさせてしまいました。改めて姐御さんの疲弊とリンちゃんの不可思議な自然治癒との関係についてですが、その説明のためには先にちょっとだけ触れてそのままにしていた、存在の場に再び目を向けなければなりません。存在の場は思考の場と必ず対になって在るものでしたが、一口に言えばこれも示してくれるもの、何者かの在り方をその見方が分かる者には一摑みにさせてくれる、多極にして一極の指標であります。それでですね、ある人の在り方というものはその人のものの見方ひとつ変わっても影響を受けるものですよね、例えば恋愛なんて格好の事例だと思います、つまり思考の場が変化すれば存在の場も何らかの変化を見せるケースが多々あるのですが、その際に存在の場のパラメタの一つである生命力が、自身の存在圏の外へ流出してしまうという現象が観測されることがあります。もうお分かりですネ。リンちゃんと姐御さんの間にも目には見えない所でそんな交渉があったのです、リンちゃんが姐御さんの思考を変化させた、そのために姐御さんの精力あるいは生命力がリンちゃんの存在圏へと流出して、その分姐御さんは弱りリンちゃんは自然では不可能な自己治癒を成し遂げたのであります。ふむふむ。けどね、こうやってタネを明かしちゃえば簡単に聞こえるだろうけど、何故存在の場の変化という原因が生命力の流出という結果を招くのか、そもそも何で詩妖と交渉した時にだけこんなことが起こるのか、人間同士じゃ話しただけで魂吸われるなんてただの比喩で…比喩だよね? まぁともかくそんな現象が観察されるのは事実なんだけれども、その理由となると満足のいく説明をした人はまだ世界のどこにもいないのですヨ。好むと好まざるとに関わらず、この宇宙にはまだまだ謎が一杯なんだにゃー。ロマンロマン。

「…ちゃんと書けたみたいですね。じゃあ知的法悦のご褒美、くださいね…」

 じーっと姐御さんの手元を見詰めていたリンちゃんが、不意にそんな事を言い出しました。姐御さんの手元と言えば例の報告書があるはずですから、自分が姐御さんに“打ち込んだ”魔性的文面が、そこで確かに文字になりきったのを確認したのでしょう。リンちゃんは優しい保母さんみたいな笑顔を浮かべると、そぉっと屈み込み姐御さんの頬へ顔を近付け始めます。ん? 姐御さんはと言えば、先程からのお疲れ状態が遂に耐え難い所まできてしまったらしく、今かくって頭が一段落ちました、少し前から睡魔との勇ましくも痛々しい戦いを続けていて、険しく寄せられた眉根にこんな場合でもたわまない姐御さんの責任感がぎらりと見て取れます、そんな様子なのでリンちゃんが妖しく異常接近してくることに全く気が付いてません。…ん。リンちゃんそのまま姐御さんのほっぺにキスしちゃいました、桜色の唇を離す瞬間笑顔は保母さんのままに瞳には熱く艶っぽい吐息を走らせ、うむぅさすがの魔性少女め、先に呟いたご褒美というのが詩妖流ギブアンドテイクのテイクを指すのならば傷が癒えたことで既に受け取ってるはずなのです、これはきっと姐御さんがあまりにも無防備なもんだから思い付きで魔性遊戯を仕掛けたんでしょうね。あ、姐御さんぴくっとなって目を開けた。慌てて顔を上げリンちゃんを見ます。でも再び動き始めた意識は自分が何をしていたかの把握ばかりを急ぐようで、自分が何をされていたのかには全く注意を払う様子がありません。左のほっぺには光の加減でリンちゃんの唇が触れた痕跡が今も見えるのですが。ちょっとすーすーしたりしないのかしら。

「あれ…私、寝てた?」

「ええ…でも、ほんの一瞬ですよ」

「まじで? …ん~、どうしたんだろう。なんか急に変になったな」

 両頬をぺちぺち軽く叩いたり首をぐるぐる回してみたり、なんとかシャンとしようと努める姐御さんには答えず、リンちゃんはちらと脇へ視線を走らせます。

「うっ…あれ、そんなに長く床に寝てたのか…」

 視線の先では腰をさすりつつぼやきつつ、風ちゃんがようやく意識を取り戻していました。旦那、暢気だねぃ。

「風太さんにカウンターをお任せしても平気なようですし…気分転換に、お顔を洗ってくるのも良いのでは…」

「…おぅっ!!」

 あれ。それ自体はなんでもないはずのリンちゃんの提案なのに、姐御さんの全身に立ち塞がるもの全て斬るっ! なんだか斬鉄剣ひらめかすが如き決意が勃然とみなぎりましたヨ? これはうーん、例えば“革命の時は

「ふ  う⤵    た⤵⤵」

 来たっ!”とか続きそってなんかすっげードップラー効果だぁ!? ちょーっと姐御さん! なにそんなに急いで! バタンッ! ……いや。あんまり速くって言葉も追いつきませんでした、やや離れた場所から聞こえた、ドアを勢い良く閉める音が一連の出来事の締めだったようにも感じられますが、実際にはその直前から直後くらいまで、ヒトの可聴範囲ぎりぎりかそれ以下の低音で“頼んだ”とかなんとかも響いていたような?

「あれ? 姐御は?」

「はい。目覚ましに、顔を洗ってくると仰って…」

 風ちゃんが起き上がってくれば椅子をくるっと回した姐御さんではなくカウンターの向こうにほんわかと立つリンちゃんが笑顔で出迎える訳です。すっかり温もりを失った自分の椅子を引こうとしていた風ちゃんは、はたと動きを止めました。

「いや、顔を洗うって言うならリンちゃんこそ…」

「あっ…!」

「はい?」

「だって、風太さんが急に見詰めていらしたから…う、嬉しいですけど、その…」

 とか言って、話の前後もなく激しく照れ始めるリンちゃん。網目状の血痕で赤黒くなっていた顔に、新鮮な赤味が更にプラスされ。

「わ、私っ、今日お借りする本を選んできますねっ…!」

 顔を俯かせる、両手で頬を覆う、その上しゃがんだり立ったり上半身を前後左右に無意味に振り回したり、とにかく風ちゃんの視線から逃れたいらしく暫くの間魔性的振る舞いを見せていたリンちゃんなのですが、やがて上擦った声でそう宣言しました。ぎこちなく回れ右すると、てててっと書棚へ一目散。

「あ、リンちゃん」

 風ちゃん咄嗟に右手を伸ばすも、それは虚しく宙を摑んで…むぅ。萌えたの?

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