第22回(図書館の彼女と魔性少女・その5)
しかしですね。事態が急進するのあまり今まで言いそびれていましたが、今現在全く申し分のない、そうですね古代ギリシアの理想がそのまま息づいていると言っても差し支えありません、それほどの体勢美を三点倒立をもって見せ付けているのはうら若きお嬢さんなのであって、しかも彼女着用のボトムはふんわりとしたラインの八部丈くらいのスカートなのであります。黒のストッキングに優しく締め上げられたが故により明瞭になった、ピンと張り詰めた背中へと続く瑞々しい流線の連なり。中空から不意に落ち始め細く・やや太く・また細く・やがては末広がりに、小ぶりなれど生命の予感に満ちて丸く在る滝壺へ流れ落ちる。そしてその滝壺を覆うたおやかな天蓋、限りから限りへ伸びやかに架かる虹は。黒のストッキングを透かして。…色の。清楚な。そのう。あーっ! なんなのわたしたち、一部需要を喚起したいの? 堕すの? 死ぬの? しかし現象の口述は我らが自然。見て見ぬふりなどそれこそあり得ず、たとえ一部や広義の10代のみが先生っ、おれっちのフロントギアがトップに叩き込まれちまったっす! 背筋を強張らせるような描写に口を汚そうとも。ええい、だから色は。あっ。自身による個人情報の流出ってか配信に今更ながら気付いたらしいお嬢さんが、急に両手を床から離し一人茶巾寿司状態の身の上をなんとかしようと動きました。いやしかし。そうしたいのなら、先ずは倒立状態を解除すべきだったのは言うまでもないでしょう。三点倒立した肉体が表現しうるその最良の美しさを、可能な限り保持したかったのか。お嬢さんは両手のみを忙しく動かしてスカートの裾を重力に逆らわせようとして、実際奇跡の倒立姿勢美は奇跡的にもまだ保たれています。ぐらぐら。すげーこれまた目を瞠るような一点倒立。いや見守ってる方も頭痛くなってきました、今やお嬢さんの全体重を表面に小さなでこぼこが施された人工石製の床に支えるのは、お嬢さんの小さなおでこだけなのです。ぐらぐら。だんだん体の揺れが激しく。ぐぅらぐぅら。痛い痛い。ぐぅらぐぅらぐ、ごりゅっっっ。おぅ痛ぁ! お嬢さんの体には逆らいがたいトルクがかかりつつ、腰が捩れ、首はもっと無残に、いやぁ一点倒立を可能にしたほどの強靱極まりない首のはずですが面白く捩れるものですなぁ、で、おでこと石の床は火花が散るほど激しく擦れ合い、その部分の薄い皮膚は容易に裂けぱっと小さな血飛沫が飛ぶ。がつんっ。痛ぅおっ。これまたこっちの骨が軋みそうな。倒れた先には今月の特集と題し月毎のテーマに沿っていろんな棚から持ち寄られた資料の並ぶブックトラックが置いてあったのですが、鉄製の重たいそれに受け身も何も無く、お嬢さんは背中からもろに倒れ込んだのでした。
「!」
いや実際に物凄い音がしましたから、いくら議論に気を取られてた二人だってさすがに息を呑んで振り返ります。しかし、風ちゃんと姐御さんが砲撃に吹き飛んだかのようにひっくり返っているブックトラックと、刷毛を叩きつけたみたく床に濃く残った血痕を認めた時には既にお嬢さんの姿は何処にもなく、まぁねぇ、あれはさすがに離散的な視力だけじゃ追えないわ、離散的受容にして全体的結像の視力を持ったわたしたちでさえやっと追えたくらいの超スピード by 界王様、二人が振り返り始めた時にはもう、お嬢さんはちらっときらめいたその奥歯の光よりも速く、数メートルを縮地し自動ドア脇のトイレに駆け込んでいたのです。
「え、なに? 何が起こったんだ?」
当然訳が分からず狼狽を口にしながらではありますが、姐御さんも風ちゃんもさっと仕事の顔に戻り、急いでひっくり返ったブックトラックへ近寄ろうとします。しかしっ、その瞬間っ!
「えー」
やらせではありませんしアニメじゃない♪ のもまたホントのことです。先程お嬢さんが駆け込んだ先の女性用お手洗いなのですが、今そこから人影がひとつひょこっと現れ。しかしその姿の奇態なこと、しかも現れた先が先ですから、風ちゃんも姐御さんもすわと足を止めつんのめりそうになるしかなかったのです。いやね、わたしたちは勿論歩み出てきた変ガールがあのお嬢さんだって知ってる訳でして、変は変でも決して変質者では。ないと。思いまS…U?…EN? む。まあ? 聡明な印象を与えていたお嬢さんの額には無表情猫がプリントされた絆創膏がべたべた、恐らく肩から提げたバッグの中にあったありったけの在庫なんでしょうけど、額を覆い尽くしてもなお例の倒立失敗で負った傷は塞ぎきれず、なんか所々から血がたらたらと、うわぁ一枚一枚が小さな絆創膏なもんだから粘着部分も傷口にかかっちゃってて、早くも剝がれそうな物がちらほらあります。しかし怪しさはそこに止めを刺すのではなく、ほらあのふんわりラインの可愛くも大人びたスカート、その裾が今やお嬢さんの両膝の下辺りできゅっとすぼめられ、余った端ががちっと結んであってですね、いや全く両膝の自由を奪っているようなのは何故なのでしょう。もう逆立ちしたって茶巾にはならねぇぜ! とゆー決意表明のようにも見受けられますがそれは空目ですよね。いやちょっとお待ちなさい、まさか本気でリベンジとか。考え。お嬢さんは更に歩を進めます。自ら両膝を拘束しているのですから無論様相はスズメのホッピングです。古くは大陸のリビングデッドでしょうか。ぴょんこぴょんこ。
「だ、誰じゃ貴様はぁ!」
まぁ、このような状況であるならば誰だって今の風ちゃんのように、お約束な誰何しかできなかったことでしょう。




