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王都ルージアから南東に徒歩で五日ほどの位置にある商業都市アナイア。
”神聖王国”の都市には珍しく”主神”以外の神殿もそれなりに栄えている神殿街の片隅に、国と神殿の保護を受けた孤児院が設けられていた。
院長の政治的経済的手腕もあり国一番の施設であるその孤児院には常時百人近くの孤児や捨て子が保護を受けていた。
孤児たちは十代後半になると卒院して、殆どの者が普通に手に職を持ち街へと溶け込んでいくが、中にはそのまま孤児院の職員となる者もいた。
”取り替え子”の半森妖精カルラーン・フォン・アイルフォードもその一人であった。
「カル、お疲れ様。また明日ね」
帰宅するカルラーンを孤児院の門まで出て見送る院長セフィール・フォン・アイルフォード。
その後ろで子供たちが元気よくカルラーンに手を振っている。
「カル兄また明日なぁ」
子供たちの元気な声に、振り返って軽く手を振り返して答えるカルラーン。
「あぁ、また明日」
神殿街を一歩出ると一気に人通りが多くなる。
皆、一日の仕事を終えて帰宅する人たちだろう。
「お父さん、お帰りぃ」
通りがけに、わざわざ迎えに来たらしい子供に抱きつかれて相好を崩す男を見かけ、羨ましそうに見つめる。
孤児院の子供たちは可愛いし、親代わりのセフィールに不満はない。
だが捨て子として孤児院で保護され育てられてきたカルラーンは、そう言った『家族代わり』ではない『本当の家族』に対する憧れが強い。
セフィールには、それなら早く家でご飯を作って待っててくれるような女の子を見つけなさい。と揶揄されているが、そんなに簡単に見つかるようなら当の昔に見つけてるわい、と情けない事を自信満々に返答して呆れられてる。
「まぁ、その内可愛い彼女をつれて来てくれる事を期待しているわよ」
と、以前、全く期待していない口調で激励された事を思い出し、いつか見返してやるぜ、見返してやりたい、見返してやれるかなぁ、見返してやれるといいなぁ。と一人ごちるカルラーンであった。
「ん?」
三年ほど前にセフィールの仲介で買った自宅に帰ってきたカルラーンは、玄関先で訝しげに首を捻る。
カルラーンの自宅前に座り込み、扉に背を預けて眠りこけている少女。
将来的には兎も角として、今現在カルラーンに家で待っててくれるような女の子は居ない。勿論、男の子も。
「家を間違えた……わけないし」
起こさないよう静かに近づいて、眠っている少女の顔を覗き込んでみるが、全く見覚えがない。
「え……っと」
カルラーンは改めて、家を間違えたわけじゃないよな。と辺りを見回して、ここが自分の家であると確認する。
「ふぁ……あら、お帰りなさい」
人の気配を感じたのか目を覚ました少女は、自分を覗き込んでいるカルラーン微笑みかける。
「え、あ、はぁ」
何と答えたものかと戸惑っているカルラーンを、不思議そうに見上げてた少女は、そう言えば、と思い出した様に呟いて口を開く。
「どちらさまですか?」
「あぁ、えっと……カルラーン。カルラーン・フォン・アイルフォード」
立場が逆である。
「私はエルフィーナ、勝手にお邪魔して申し訳ありません」
「いえ、どういたしまして」
座ったままであるが丁寧にお辞儀して謝罪するエルフィーナにカルラーンは状況を把握できないままお辞儀を返した。
道行く人が、玄関先に座り込んでいるエルフィーナと、膝を突いてエルフィーナの顔を覗き込むようにしている自分に不思議そうな視線を向けている事に気づいたカルラーンは、取り敢えず少女を自宅に入るように促す。
近所に変な噂が流れても困る。
「で、君は誰なんだ?」
カルラーンが、玄関先から物珍しそうに家の中を見回しているエルフィーナに声をかける。。
「エルフィーナですよ?」
さっき名乗ったでしょう?と小首を傾げる少女。
「いや、名前じゃなくて、どこから来たのか、とか、何で俺の家に居るのか、とか」
天然丸出しの反応に頭を抱えつつ改めて質問しなおすと、あぁそういうことでしたか、と納得しエルフィーナが返答する。
「私はこの街の東にある村から来た僧侶見習いです」
その返答に、カルラーンが改めてエルフィーナを観察してみると、確かに巡礼の女性信徒が好んで着用する法衣を模したワンピースの服を着ている。
歳の頃は十六か十七か、カルラーンの頭一つ低い位の身長で、黒瞳に薄っすらと日焼けした肌、腰まで届く艶のある黒髪が照明用のランプに照らしだされている。
公平にみてかなりの美少女であり、ぶっちゃけ、カルラーンの好みど真ん中である。
光の加減か、青味がかった長髪に思わず見ほれるカルラーン。
「ルージュ姉さまと一緒にこの街まで来たのですが、姉さまは王都に用事があるとかで街を出てしまったのです。この街で待っているように言われていたので宿を探していたのですが……」
荷物を無くし、探しているうちに道に迷ってしまったらしい。
「宿屋なら街の反対側だぞ?」
カルラーンの家は街の西側にあり、そこから東に神殿街や先程まで働いていた孤児院のある区画を越え、更に商店街やら歓楽街やらのある一角に幾つか宿屋がある。と説明すると、エルフィーナは暫く思案気に首を傾げた後、頭を掻いてカルラーンに苦笑いを向ける。
よくわからなかったらしい。
「まぁどっちにしろ、今から行くと着くまでに暗くなっちゃうし、部屋が空いてるかどうかもわからないか……」
商業都市であるアナイアは人の出入りが激しく、それ程多くない宿屋は不足がちになりやすい。
商人や仕入れの業者、更には彼らの護衛に雇われている傭兵たち等で賑わう夜の歓楽街はお世辞にも治安が良いとは言えず、明らかにおのぼりさんなエルフィーナを一人で行かせるのは少々危なっかしい。
そもそも、荷物をなくしたと言うエルフィーナには宿に泊まるお金もない。
「そのルージュさんっていつ頃帰って来るんだ? 帰り道とか、連絡する方法とかわからない?」
「わかりません」
にっこりと断言するエルフィーナ。
「とりあえず、明日セフィールにでも相談してみるか」
そう呟いたカルラーンは、仕方ないから今日はこの家に泊まって行く様に、とエルフィーナに告げる。
ありがとうございます。と心の底から嬉しそうに笑うエルフィーナに数瞬見惚れるカルラーン。
暫く泊めてあげてもいいかな。
ふと、そんな気になった。