【エッセイ】今日もまた、ささやかに抗う ~壊れゆく世界で、それでも僕らは……~
●たとえば、月曜日の朝
月曜日の朝、満員電車に揺られながら、あなたは考える。
「今日も会社に行く。明日も行く。来週も、来月も。でも、何のために?」
隣の人も疲れた顔をしている。向かいの人はスマホを見つめている。みんな同じように、どこかへ運ばれていく。ベルトコンベアの上の工業製品のように。
昨夜、SNSで誰かが書いていた。「人生って何のためにあるんだろう」。いいねが1000以上ついていた。みんな、同じことを考えている。
仕事は、まあまあだ。
ひどくはない。
でも、情熱があるわけでもない。「やりがい」という言葉を聞くたびに、少し居心地が悪くなる。上司は「この仕事には意味がある」と言うけれど、正直、ピンとこない。数字を入力して、メールを送って、会議に出て、また数字を入力する。この繰り返しが、何につながっているのか。
そして、ふと思う。
どうせ人間は死ぬ。
自分も、隣の人も、上司も、社長も、いつかは死ぬ。100年後には、この電車に乗っている人は誰もいない。じゃあ、何のために今、ここにいるんだろう。
この問いに、答えはあるのだろうか。
●宇宙は今も、壊れていっている
唐突だが、物理学の話をしたい。
熱力学第二法則というものがある。簡単に言えば、「宇宙のすべては、最終的に無秩序へと向かう」という法則だ。専門用語では「エントロピーの増大」という。
コーヒーにミルクを入れると、最初は白い渦ができるが、やがて均一な茶色になる。もう元には戻らない。氷を置いておけば溶ける。建物は放っておけば朽ちる。人間の体も老いる。記憶も薄れる。すべてのものは、秩序から無秩序へと流れていく。
宇宙全体も同じだ。
星は燃え尽き、銀河は散り散りになり、最終的にはすべてが均一な「何もない」状態に収束する。物理学者はこれを「熱的死」と呼ぶ。
つまり、宇宙には確実な方向性がある。
壊れていく方向だ。
これを知って、あなたはどう感じるだろうか。
絶望的だと思うだろうか。
「やっぱり、すべては無意味じゃないか」と。
でも、ちょっと待ってほしい。
●抵抗する存在
宇宙が無秩序へと向かう中で、私たち人間は《《奇妙なこと》》をしている。
朝起きて、顔を洗い、服を着る。朝食を作る。家を出る。電車に乗る。会社に行く。仕事をする。帰宅する。夕食を作る。風呂に入る。明日のために準備をする。
これらの行為は、すべて「秩序を作る」ことだ。
散らかった部屋を片付ける。書類を整理する。データを入力する。プレゼンを作る。料理をする。洗濯をする。植物に水をやる。メールに返信する。
一つひとつは小さな行為だが、すべて「バラバラになろうとするものを、一時的に整える」行為だ。放っておけば、部屋は散らかる。仕事は溜まる。関係は壊れる。体は衰える。でも私たちは、それに抗おうとする。なぜだ?
物理法則から言えば、これは不思議なことだ。宇宙全体が無秩序へと向かっているのに、この小さな地球の、さらに小さな一角で、私たちは必死に秩序を作り続けている。
もちろん、これは宇宙全体の流れを変えるものではない。あなたが部屋を片付けても、宇宙のエントロピーは増え続ける。あなたが仕事をしても、最終的にはすべて無に帰す。
でも、それでも。
私たちは、今日も秩序を作ろうとする。
●局所的な奇跡
ここで、重要な概念を導入したい。
「開放系」という考え方だ。
地球は《《閉じた系ではない》》。
太陽から膨大なエネルギーを受け取っている。このエネルギーがあるからこそ、私たちは「局所的に」エントロピーを減少させることができる。
冷蔵庫を考えてみよう。
冷蔵庫の中は冷たく保たれている。つまり、秩序が維持されている。でもこれは、外部に熱を放出することで成り立っている。全体としては、やはりエントロピーは増えている。
人間も同じだ。
私たちは食べ物を食べ、エネルギーを得て、それを使って秩序を作る。でも食べ物を生産するには資源が必要で、その過程では多くのエントロピーが発生する。
つまり、私たちの営みは《《局所的なエントロピー減少》》なんだ。全体の流れは変わらない。でも、この小さな場所で、この短い時間だけは、秩序を維持できる。
これは「意味がない」ということだろうか?
いや、違う。
むしろ、これこそが《《私たちの存在の本質》》なんだ。
●だって石ころは悩まない
あなたの家の庭の隅に、小さな石が転がっているとしよう。
その石は、何も考えない。自分がそこにあることの意味を問わない。いつか風化して砂になることを恐れない。石ころには「有限性の自覚」がない。
でも、あなたは違う。
あなたは知っている。
自分がいつか死ぬことを。
両親も死ぬことを。
愛する人がいなくなることを。
作ったものが壊れることを。
努力が報われないことがあることを。
この「知っている」ということが、人間と石ころを《《決定的に分ける》》。
そして、この自覚が、すべての意味の源泉になっている。
なぜか。
無限に時間があるなら、すべて「今日やらなくてもいい」となる。だっていつでもできるから。でも時間は有限だ。今日という日は二度と来ない。この瞬間は、もう戻らない。
だから、私たちは選ばなければならない。
何をするか。
何をしないか。
誰と時間を過ごすか。
何に自分のエネルギーを使うか。
この「選択の必然性」が、意味を生み出す。
●仕事という名の問い
「でも、仕事には選択の余地がないよ」
あなたはそう思うかもしれない。
確かに、生活のために働かなければならない。
嫌な上司にも従わなければならない。
顧客が言うことはいつだって無理難題ばっかりだ。
その理不尽な要求にも応えなければならない。
選んだ覚えのない仕事を、延々と続けなければならない。
そう、仕事には不自由がある。
でも、ここで問いたい。
あなたは本当に、何も選んでいないのだろうか?
今の会社を選んだのは誰か。
その仕事に就くことを決めたのは誰か。
辞めないという選択をしているのは誰か。
もちろん、選択には制約がある。
経済的な制約、社会的な制約、能力の制約、人間関係の制約……。
完全に自由な選択ができる人などいない。
でも、「選択の余地が限られている」ことと「何も選んでいない」ことは違う。
あなたは今日、起きた。会社に行った。仕事をした(したよね?)。これは誰かに強制されたことだろうか? 確かに、行かなければクビになるかもしれない。でも「クビになるよりはマシ」と判断して、行くことを選んだのは、あなた自身ではないか。
この違いは小さく見えるが、決定的だ。
「やらされている」と感じるか、「選んでいる」と感じるかで、《《同じ行為の意味が変わる》》。
●意味は、与えられるものではない
ここで、別の角度から話をしたい。
多くの人は、仕事の意味を「外側」に探そうとする。
「この仕事は社会の役に立っているのか」
「この会社のビジョンに共感できるか」
「この仕事は自分の成長につながるか」
これらは大切な問いだ。
でも、これだけでは足りない。
なぜなら、意味は「与えられるもの」ではなく、「作り出すもの」だからだ。
例えば、あなたがデータ入力の仕事をしているとしよう。
単調で、退屈で、意味を感じにくい仕事だ。
でも、少し見方を変えてみる。
このデータは、誰かが使う。正確に入力すれば、誰かの仕事がスムーズになる。ミスがあれば、誰かが困る。つまり、この単調な作業は、見えない誰かの時間を守っている。
あるいは、こう考えることもできる。
この退屈な作業を通して、自分は集中力を鍛えている。正確さを追求している。地味だが、これも一つの技能だ。この技能は、いつか別の場面で役立つかもしれない。
さらに言えば、この仕事をしている時間も、自分の人生の一部だ。どうせやるなら、少しでも良い状態でやりたい。作業環境を整える、効率的な方法を考える、同僚と良い関係を築く。これらは、自分の生活の質を上げることだ。
意味は、そこに「ある」のではない。あなたが「見出す」んだ。
もちろん、どうしても意味を見出せない仕事もある。そういう場合は、辞めることも選択肢だ。でも辞める前に、一度だけ考えてみてほしい。
この仕事を通して、あなたは何らかの秩序を作っているはずだ。それは小さいかもしれない。取るに足らないように見えるかもしれない。でも、それは確かに、宇宙の無秩序化に抗う営みなんだ。
●あなたがいなくなったら、何が変わるか
こんな思考実験をしてみよう。
もし明日、あなたが突然いなくなったら、何が変わるだろうか。
会社の仕事は、誰か別の人が引き継ぐだろう。
あなたがいなくても、会社は回る。
世界は回る。
そう考えると、虚しくなるかもしれない。
でも、本当にそうだろうか?
たとえばあなたが毎朝買うコンビニのコーヒー。
店員さんは、あなたの顔を覚えているかもしれない。
「いつもの人が来ないな」とちょっと淋しく思うかもしれない。
あなたが時々メッセージを送る友人。
あなたからの連絡が途絶えたら、心配するだろう。
あなたが住んでいる部屋。
窓から見える風景は、もう誰の目にも映らなくなる。
あなたがやっていた仕事。
確かに誰かが引き継ぐ。
でも、《《全く同じやり方ではない》》だろう。
あなたなりの工夫、あなたなりの配慮は、消えてしまう。
あなたの笑い方、話し方、考え方。
それらは世界に二つとない。
つまり、あなたがいなくなったら、世界は確実に変わる。
それは小さな変化かもしれない。
でも、《《確実に変わる》》。
あなたの存在は、世界に特定の秩序をもたらしている。
あなたがいるから、世界は今、この形をしている。
これは、意味がないことだろうか?
●完璧である必要はない
ここまで読んで、あなたはこう思うかもしれない。
「じゃあ、もっと意味のある仕事をしなければ」
「もっと社会に貢献しなければ」
「もっと頑張らなければ」
違う。
そうじゃない。
エントロピーに抗うということは、《《完璧な秩序を作ることではない》》。
朝、ベッドから起き上がること。
《《それだけで、すでに抵抗だ》》。
だって体は「寝ていたい」と言っている。
でもあなたは起きる。
これは、惰性という無秩序に抗う行為だ。
歯を磨くこと。
これも秩序の維持だ。
放っておけば、口内環境は悪化する。
でもあなたは歯を磨いてそれを阻止する。
朝食を食べること。
栄養を取り、エネルギーを得て、今日一日を生きる準備をする。
これも、身体という秩序を維持する営みだ。
すべて、小さな抵抗だ。
完璧な人生を送る必要はない。世界を変える必要もない。ただ、今日、できる範囲で、少しだけ秩序を作る。それで十分なんだ。
料理を作る。
部屋を片付ける。
植物に水をやる。
友人に連絡する。
本を一ページだけ読む。
散歩する。
深呼吸する。
どれも小さい。
でも、どれも確かに、《《あなたなりの秩序の創出だ》》。
●失敗もまた、抵抗の一部
あなたは今まで、たくさん失敗してきたかもしれない。
仕事で失敗した。
人間関係で失敗した。
夢を諦めた。
目標を達成できなかった。
また同じミスをしてしまった。
「無駄な時間だった」と思うかもしれない。
でも、考えてみてほしい。
失敗するためには、まず何かを試みなければならない。試みるということは、「こうあってほしい」という秩序のイメージを持つということだ。そのイメージに向かって行動するということは、現状の無秩序に抗うということだ。
結果として失敗したとしても、その過程であなたは確かに何かを学んだ。視野が広がった。自分の限界を知った。あるいは、意外な発見があった。
エントロピーに抗うということは、成功することではない。
試み続けることだ。
作家は、何度も書いては消す。
音楽家は、何度も演奏して、気に入らなければやり直す。
科学者は、何百回も実験して、そのほとんどが失敗する。
でも、その試行錯誤のプロセス全体が「創作」であり、「研究」なんだ。
あなたの人生も同じではないだろうか。
うまくいかなかった仕事、壊れた関係、叶わなかった夢。それらすべてが、あなたという人間を作っている。そして、その経験が、今のあなたなりの秩序の作り方を形作っている。
無駄な経験など、一つもない。
●つながりの中で抵抗する
もう一つ、大切なことがある。
あなたは一人で抵抗しているわけではない。
今日あなたが食べた食事。
誰かが作物を育て、誰かが運び、誰かが調理した(あるいは、あなたが調理するための食材を用意して自身で調理した)。
あなたが着ている服。
誰かがデザインし、誰かが作り、誰かが売った。
あなたが今いる部屋。
誰かが設計し、誰かが建て、誰かが管理している。
あなたが使っているスマホ。
無数の技術者が、何年もかけて開発した。
私たちは、《《互いのささやかな抵抗の上に生きている》》。
そしてあなたも、《《誰かのささやかな抵抗を支えている》》。
あなたが仕事をすることで、誰かの生活が回る。あなたが商品を買うことで、誰かの仕事が成り立つ。あなたが友人と話すことで、その友人の孤独が和らぐ。あなたが笑顔でいることで、周りの空気が少し明るくなる。
見えにくいかもしれない。
でも、確実につながっている。
宇宙は無秩序へと向かっている。
でもその中で、私たちは互いに支え合いながら、小さな秩序を作り続けている。
そんな人間の姿を、あなたは愛おしい、と思わないだろうか。
あなたの抵抗は、孤立していないのだ。
●月曜日の朝、ふたたび
さて、もう一度、月曜日の朝に戻ってみよう。
満員電車の中、あなたは今日も会社に向かう。
「何のために働くのか」という問いは、まだ完全には答えられないかもしれない。
それでいい。
だってこの問いに、簡単な答えはないのだから。
でも、少しだけ見方が変わったかもしれない。
それが大事だ。
あなたが今日する仕事は、小さいかもしれない。取るに足らないように見えるかもしれない。でも、それは確かに、この世界に何らかの秩序をもたらす。
データを入力する。それは情報を整理し、誰かの意思決定を助ける。
メールに返信する。それは関係を維持し、仕事を前に進める。
会議に出る。それは意見を交換し、より良い方向を探る試みだ。
後輩に教える。それは知識を伝え、組織の秩序を次世代につなぐ。
どれも完璧ではない。
でも、どれも確かに、エントロピーに抗う営みだ。
そして、仕事が終わったら。
友人に連絡を取るかもしれない。料理を作るかもしれない。部屋を片付けるかもしれない。本を読むかもしれない。ただぼーっと空を見るかもしれない。
それらすべてが、あなたなりの秩序の創出だ(ぼーっとすることだってそうなんだ!)。
宇宙は広大で、あなたは小さい。
あなたの作る秩序も、宇宙の時間から見れば一瞬だ。
でも、その一瞬の積み重ねが、あなたの人生だ。
●明日もまた、ささやかに抗う
「人生に意味はあるのか」という問いに、普遍的な答えはない。
でも、意味を作ることはできる。
あなたが何を選ぶか。
何に時間を使うか。
何を大切にするか。
それが、あなたなりの意味になる。
医者のように人の命を救うことも、パン職人のように毎日おいしいパンを焼くことも、データ入力をすることも、清掃員として任された場所を清潔に保つことも、すべて等しく、エントロピーへの抵抗だ。
どれが「より意味がある」かは、誰にも決められない。
あなたが「これだ」と感じるものが、あなたにとっての意味だからだ。
そして、今はまだそれが見つからなくても、大丈夫だ。
探し続けること、悩み続けること、それ自体が抵抗だ。
「意味がないかもしれない」と思いながらも、それでも今日を生きること。それこそが、最も人間らしい抵抗かもしれない。
完璧な人生を送る必要はない。
劇的な変化を起こす必要もない。
ただ、明日もまた、ささやかに抵抗する。
朝起きて、顔を洗って、何かを食べて、外に出る。
仕事に行く。
人と話す。
何かを作る。
何かを整える。
何かを選ぶ。
それだけでいい。
宇宙は無秩序へと向かっている。
壊れていっている。
これは変えられない事実だ。
でも、その大きな流れの中で、あなたは今日も小さな秩序を作る。それは一時的かもしれない。不完全かもしれない。誰も気づかないかもしれない。
でも、それは確かに、あなたの痕跡だ。
「私はここにいた」
「私はこう生きた」
「私はこれを選んだ」
その痕跡が、たとえ一瞬であっても、消えゆく宇宙の中に刻まれる。
これが、生きるということなんだ。
●今日、できること
今日、何か一つだけ、《《ささやかな秩序を作ってみてほしい》》。
散らかった机の上を、5分だけ片付ける。
誰かに、短いメッセージを送る。
窓を開けて、深呼吸する。
今日やり遂げた小さなことを、一つだけ思い出す。
明日の自分のために、コップ一杯の水を用意する。
どんなに小さくてもいい。
それが、あなたなりのエントロピー減少だ。
それが、あなたなりの抵抗だ。
それが、あなたが生きた証だ。
宇宙は壊れていく。
同じように人間もまた、一日一日確実に死に向かっている。
でもあなたは、《《まだ何かを創れる》》。
だから明日も、また。
あなただけの素晴らしい一日を。
(了)




