3通の手紙
自習室での会話が終わった後、
教頭は監督席から静かに立ち上がった。
彼女は、
大地、鈴木、佐藤の三人がまだ机に残って話しているのを、
遠くから、ただ見守るだけだった。
三人の声は小さく、
「精子提供の憂い」「孤児増加を防ぎたい」「どうにかならないか」という3人の言葉は
教頭の耳にしっかりと届いていた。
教頭(心の声)
(……生徒たちが、
そんな深刻なことを……
私には関係のない話だと思っていたのに……)
教頭は、生徒たちとは距離を置く存在だった。
お堅い性格で、生徒からは「近寄りがたい」と評判。
職員室でも同僚からは「厳格すぎる」と陰で言われていた。
彼女自身も生徒と積極的に関わることは避け、
校則と規律を守ることだけを最優先にしてきた。
(担任からの報告だと、
鈴木くんは他人を寄せ付けない冷徹漢だと聞いていた。
けど今の印象は2人を導くいい指導者。
佐藤くんもトラウマが深刻で、
女子に近づかれるだけで震えると報告があった。
でも今は女性の問題を真剣に考えている。
彼らの変化の中心には荒木くんがいたのかも知れない。
問題児だと、目を向けることもしなかった彼らが
世の中をこんなにも考えている。
教師としてなんて情けない。)
教頭も孤児院育ちであった。
男性減少初期、
まだ補助金制度や孤児院への寄贈・寄付も少ない頃、
貧しい環境下で育てられた。
孤児院で育った過去を誰にも明かさず、
心の奥底に封じ込めていた。
それゆえに孤児を憂いた彼らの会話は耳に残る。
職員室に戻った教頭は、
いつものように無表情で机に向かった。
引き出しから便箋を取り出し、
丁寧に、しかし感情を押し殺した筆致でペンを走らせ始めた。
(今の私にできること。それは彼らの拙い思いの丈を少しでも届く範囲に送り届けてあげること。)
彼女は手紙にこう記す。
一通目。
教育委員会へ。
教育委員会 御中
嘆願書
件名:男子生徒の社会復帰支援強化について
現在、男子生徒の不登校率が極めて高くなっています。
単位免除制度が背景にありますが、
学校という社会の縮図の中で男子が自然に溶け込める環境を整えることが、
彼らの将来の社会参加意欲に直結すると考えます。
復学した男子生徒がクラスメイトと自然に会話できる空間を、
ぜひ支援・啓発いただけないでしょうか。
具体例として、
クラス内での「男子生徒との交流を促す指導」や、
カウンセリング体制の強化を要望します。
次に、二通目
妊娠促進委員会へ。
妊娠促進委員会 御中
嘆願書
件名:出産・育児支援と孤児増加リスクの低減について
妊娠直後の補助金は大変手厚いものと認識しておりますが、
出産後の社会復帰支援が不十分なため、
女児を孤児院に預けるケースが後を絶たない状況です。
母親が安心して子育てと仕事を両立できる環境を整えることが、
孤児増加の最大の予防策になると考えます。
具体的には、
育児休暇後のポジション保証、
時短勤務の義務化、
復帰支援プログラムの拡充を強く要望いたします。
3通目
厚生労働省へ。
厚生労働省 御中
嘆願書
件名:男性保護法の見直しと育児支援の両立について
男性保護法は必要不可欠ですが、
過度な保護が職場での男性排除を招いている現状があります。
一方で、女性の出産・育児負担軽減も急務です。
両立できる政策を早急に検討いただきたいと考えます。
具体策として、
男性の職場復帰支援、
有給休暇取得率の向上と義務化、
育児・介護休暇の男女共通化、
育休取得後の昇進差別禁止の徹底を提案いたします。
それぞれ三通の文末に
「さて、本書に記載の内容は、男子生徒らの会話より抜粋したものでございます。彼らは将来に対し強い憂慮を抱いており、その実情を示すものとして取りまとめた次第でございます。
つきましては、本件の趣旨をご賢察の上、何卒ご高配を賜りたく、慎んでお願い申し上げます。」
貴重な男子生徒の意見を届けたい。その一心で。
教頭は三通の手紙を封筒に入れ、
丁寧に封をした。
封筒の表には、
それぞれ「嘆願書」とだけ記した。
彼女の表情はいつも通り無表情だった。
感情を表に出すことを長年避けてきた。
教頭(心の声)
(私にできるのは、
この程度……
でもあの子の言葉が、
私の過去を思い出させた。
孤児院で感じた寂しさ……
もう、誰にも味わわせたくない。)
彼女は職員室の窓から外の梅雨空を見上げた。
雲の切れ間から、一筋の陽射しが差し込んでいた。
教頭は、静かに微笑むことなく
ただ手紙をポストに投函する準備を始めた。
少年たちの拙い願いをのせた
この3通の手紙がやがて世間を巻き込む大きな波となる。
そのことをまだ誰も知らない。
この流れがなければ世界はどうなっていたか。
少し考えてました。
孤児世代が母親になり、出産による孤児リスクを考え妊娠・出産を控えるものが増える。
それと対照的に孤児故に家族に憧れを抱き、妊娠・出産をし、母としてしっかりと愛を持って育て上げる。
二極化する世界になる想定でした。
教頭が動いたこの世界。どうなるのでしょうか。
教頭の名前や年齢も考えてはいますが、遠い存在として名も知らぬ教頭ってのは現実でもよくあるでしょう?
そーゆーことにしておいてください。by作者




