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惨夢  作者: 花乃衣 桃々
◆第六夜
6/8

第6話


 ふっと身体が宙に投げ出されたような感覚があった。

 そのまま落下する錯覚を覚え、急降下とともに目が覚める。


「!」


 明るい朝の色で満たされているはずの世界は、なぜか()せて感じられた。

 それなのに、光の粒が散っていて眩しい。


 目の(きわ)が冷たくて、不思議に思いながら目尻を拭うと指先が濡れた。

 いつの間にか泣いていたようだ。光の粒の正体はこれだった。


(昨日、は────)


 思い返すまでもなく頭の中に昨晩の光景が浮かんでくる。

 だけどそれを遮るかのように、突如として左腕が焼けた。


「痛……!」


 細く煙がたなびき、みるみる傷が塞がっていく。

 熱い焼き(ごて)を皮膚に押し当てられ、大火傷を負っているような痛みだ。


「……っ」


 拭ったはずの涙が自ずと再び滲み、わたしは起き上がれないまま身悶(みもだ)えしていた。

 やがて痛みがなくなると、震える腕を確かめる。


 傷は残りひとつ。残機はたったの1だ。


 もう、あと一度でも死んだらおしまいだった。

 もしかしたら、今日が人生最後の日になるかもしれない。




     ◇




 今日は土曜日だけれど、隔週(かくしゅう)で行われる授業日なので登校した。


 半日で終わるため普段より荷物は軽い。でも、気持ちは重かった。

 憂鬱(ゆううつ)さを感じながら教室へ入る。


 柚と夏樹くんの仲はもはや最悪だ。


 ふたりとも塞ぎ込んでいて、自分の席から動こうとしない。


 柚は自分を抱き締めるような形で強く両腕を握り締めていて、夏樹くんは切羽(せっぱ)詰まったように親指の爪を噛んでいた。

 宙へ落とした視線は、何も捉えていない。


 遠巻きにふたりを眺めつつ、3人で集まった。

 朝陽くんがこちらへ目を戻す。


「……昨日、どうなった?」


「ああ……結局、職員室からは何も見つからなかった。それから日南と分担して少し経ったあと、非常ベルが鳴ったよな」


「うん、それですぐに屋上開いてたね」


「出られたの?」


 彼が身を乗り出した。

 反対にわたしはうつむき、首を横に振る。


「……誰に殺られた?」


 すかさず高月くんが尋ねてきた。

 どきりとして、間近に迫った包丁と柚の()き出しの殺意を思い出してしまう。


「誰っていうか、間に合わなかっただけだよ」


 それは間違っていないし、嘘をついているわけでもないのに、どうしてか不安気な声色になる。


「本当か?」


 高月くんに懐疑(かいぎ)の眼差しを向けられ、怯んでしまう。


「え……?」


「僕はベルの音を聞いてから上に走ったけど、それでも3階までは行けたぞ。結局、そこで化け物に殺されたが……。日南はどこにいたんだ?」


「それ、は……」


 とっさに口を開いたものの、言葉を見つけられずに結局つぐむほかなかった。


 わたしは恐れていた。

 昨晩の柚の態度、主張、出来事すべてを打ち明けて、朝陽くんや高月くんまでもが豹変(ひょうへん)してしまったら、と。


 本来の目的を忘れて、目先の利益を追いかけるようになってしまったら。


 つまり、悪夢を終わらせる方法を考えることを二の次に、残機を増やすことだけに囚われてしまったら。


 地獄だ。

 誰も信用できない、ただの殺し合いが始まってしまう。


「大丈夫だから、正直に言って」


 (さと)すように朝陽くんが言ってくれる。

 半ば懸けるような思いで、わたしは小さく頷いた。


「……わたしが死んだのは本当に間に合わなかっただけなの。ただ、その前に……非常ベルが鳴る前に、柚に会って」


「襲われたのか?」


「ちがう。夏樹くんを知らないか、って。包丁持ってて」


 返り血を浴び、殺意を(たぎ)らせながら徘徊(はいかい)していた柚。

 彼を切りつけたけれど殺し損ねて、とどめを刺すために探し回っていた。


「止めようとしたんだけど、だめだった。そしたら何かもう……力抜けちゃって」


 力なく笑うものの、頬が重たくてうまく持ち上がらなかった。


 泣きそうになる。

 柚が変貌(へんぼう)してしまったことと、友だち同士で殺し合っている現状へのショックがあまりに大きくて。


「……そっか」


 (いたわ)るように言った朝陽くんが目を伏せる。

 高月くんは何も言わずに柚と夏樹くんの方を振り返った。


「……柚は、目的果たしたっぽいな」


 ぽつりと呟かれた言葉に顔を上げる。


(そう、なのかな……)


 残機を確かめれば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だけれど、いまは話しかける勇気が出ない。

 近づくことさえためらわれる。


 だけど、言われてみればそんな気がしてきた。


 昨日ほど殺気(さっき)立っていないし、露骨(ろこつ)に争っている様子もない。

 でも、明らかに亀裂(きれつ)が入っていて、底が見えないほど溝は深まっている。


 柚が夏樹くんを殺したとすると、昨晩死んだのはわたし、朝陽くん、高月くん、夏樹くんだ。

 彼女が残機を取り返したのなら、恐らくふたりの残機数は入れ替わっている。


 現状、それぞれの残機は、わたしが1、朝陽くんが2、高月くんも2、柚が4、夏樹くんが3ということになる。


(昨日、屋上を開けたのは……夏樹くん?)


 非常ベルが鳴った時点で、既に朝陽くんは亡くなっていたはずだ。

 わたしと高月くんは1階にいて、さらに柚とも別れてすぐだった。

 タイミング的に、消去法で夏樹くんということになる。


 だけど、それから殺されてしまったんだ。

 出口を目の前にして、あと一歩のところで。


 首に深い傷を負っていて、動きが鈍っていたのかもしれない。

 もしくはドアを開けて力尽きてしまったのかも。


 いずれにしても、柚の執念が勝ったんだ。


「……ばからしいな」


 ふと、視線を戻した高月くんが言った。

 吐き捨てるとまではいかないものの、非難のような侮蔑(ぶべつ)のような色が混ざっている。


「これじゃまともに向き合ってる僕たちが損して、私利私欲(しりしよく)に走った奴が得するだけだ」


 そんなことない、とはさすがに言えなかった。

 膝の上できつく拳を握り締める。


 昨晩もその前もそうだった。


 鍵を探そうと、終わらせる方法を考えようと、そのために動いていただけなのに、柚とわたしは自分本位な行動をとった夏樹くんに殺された。


 昨晩はまた、利己(りこ)的な復讐を果たした柚だけが得をした。

 失った残機を取り返し、生き延びて。


 真面目に鍵や手がかりを探し、朝陽くんに至っては身を(てい)して守ってくれたというのに、これはそんな自分たちを嘲笑うかのような結果だった。


「……結局、どうしたら終わらせられるんだろう?」


 これ以上、感情が波立っていかないように、恨みに変わらないように、話題を逸らす。

 だけど実際、一番重要なことだ。


「“裏切り者”を見つけ出す。だよね」


 わたしたちの中に紛れ込んでいる犯人の霊。

 白石芳乃に手を下し、恨まれて、呪い殺されたと思われる彼または彼女。


「そうだとして、それはあくまで僕たちが解放されるための条件だよな」


「……え、どういうこと?」


「悪夢を終わらせることと、呪いそのものを解くこと。それはまったくの別物なんじゃないか」


 はっとした。確かにそうかもしれない。


 “怪談”として不特定多数の人を誘い込んでいることを考えると、この悪夢に閉じ込められたのはわたしたちが初めてではない可能性が高い。


 以前もそうだけれど、これ以降にも、恐らく呪いは続いていく。

 わたしたちが死んでも、生きて解放されても。


「“裏切り者”を見つけ出すことが終わらせるための条件だとしたら……それだけじゃ呪いは解けないってことか」


「仮にそれでわたしたちが解放されても、白石芳乃の怨念(おんねん)は残り続ける」


「ああ。だからまたあの怪談を試す奴らが現れたら、今度はそいつらが悪夢に閉じ込められる。呪いを解かない限りは延々その繰り返しだな」


 何も知らない不幸な犠牲者が増え続けるわけだ。


 どこかで輪廻(りんね)を断ち切らない限りは。

 高月くんの言うように、呪いを解かない限りは。


「じゃあ────」


「待て、無理だ」


 口にする前に制された。

 わたしの言わんとすることを正確に読み取ったような高月くんは、険しい表情で“(いな)”を示している。


「僕たちに呪いなんて解けるはずないだろ。そもそも僕たちが解放されるかどうかも怪しいのに、それどころじゃない」


 確かにそれはそうだ。

 終わらせる方法に見当がついても、肝心の“裏切り者”にはまったくたどり着けていない。


「でも、このままじゃ……」


「どうしてもっていうなら、悪夢から解放されてからにしろ。本当の意味で夢から覚められたら、そのとき考えればいい」


「うん、それからでも遅くないと思う。いまはとにかく目の前のことに集中しないと……花鈴はもう死ねないんだからさ」


 口をつぐむ。

 朝陽くんの言葉を受け、急激に心細くなってきた。


 もう死ねない。あとがない。

 ふたりにもまた、もう余裕や猶予(ゆうよ)はない。


 呪いそのものを解くだなんて途方もないことを考えている暇は確かにない。

 一旦それは置いておいて、とにもかくにも終わらせることを最優先するしかないのだ。


「……そうだよね。ごめん、分かった」


 そう言うと、高月くんが一拍置いて口を開く。


「じゃあ“裏切り者”を探そう」


「うん」


 だけど、それについてはどこからどう考えていけばいいのだろう。

 どうしたら見つけ出せるのだろう?


 化け物の正体は判明した。けれど、所詮はそれまでだ。

 分かったところで“裏切り者”へは通じないし、結局は容赦なく襲いかかってくる。


 時間がない。向き合うしかない。


 だけど、このまま答えを出せずに夜になって夢に閉じ込められたら、また二の舞になるだけのように思える。


 脅威は、化け物だけではなくなってしまったから。


 心臓を貫いた刃の感触が、(うつ)ろな夏樹くんの瞳が、正気を失った柚の言葉が、頭の中に浮かんではでたらめに混ざり合う。


(……そうだ)


 何とかしなければならないのは、悪夢のことだけじゃない。


「わたし、夏樹くんと話してみる」


 顔を上げて、毅然(きぜん)と言ってみせた。

 ふたりからは驚愕(きょうがく)の視線が返ってくる。


「やめといた方がいい。下手に刺激して反感買ったら、今夜また狙われる」


「そうだよ、わざわざ危ない橋渡ることないって。もし殺されたら……」


 反対されるだろうことは予想していたものの、その理由は少し意外なものだった。


 どうせ話なんて通じない、分かり合えない、という頭ごなしな否定ではなくて、わたしの身の安全を心配してくれるなんて。


 ありがたいと思う(かたわ)ら、よかった、と正直ほっとしてしまった。


 ふたりともがそう言ってくれるのなら、これ以上こじれることはきっとない。

 彼らが私利に走ることも、豹変してしまうこともないはずだ。


「そうならないために話しておきたいの。あとがないからこそ、協力しなきゃ」


 それ以上、ふたりから反論は出てこなかった。

 朝陽くんは、けれど不安が拭いきれないような表情で、高月くんは諦めて割り切ったような様子で、ひとまず黙り込んでいる。


「……まあ、どのみち3人では厳しいか」


 ややあって高月くんがこぼした。

 鍵を探すのも“裏切り者”を特定するのも、ということだろう。


「じゃあ行ってくるね」


 がた、と席を立った。


「俺も行こうか?」


 すかさず朝陽くんが言ってくれるけれど、首を左右に振る。


「大丈夫、ありがとう。待ってて」




     ◇




 意を決して夏樹くんの席に歩み寄ったはいいものの、なかなか声をかけられないでいた。

 とにかく尋常ではないように見えて怯んでしまう。


 ガリ、ガリ、と噛むたび爪が音を立て、指先には血が滲んでいる。

 視線を宙に彷徨わせ、(せわ)しなく瞬きを繰り返していた。


「……夏樹くん」


 たまらなくなってそう呼びかけると、はたと彼の動きが止まる。


 恐る恐るといった具合で顔を上げた。

 時間をかけて、その焦点(しょうてん)がわたしに定まる。


「……何だよ」


 落ち着かない呼吸を繰り返しながら、絞り出すように言った。

 昨日のような、傲慢(ごうまん)で開き直った態度じゃない。


 見るからに怯えていて、前面に出している不信感を隠そうともしていなかった。


「ちょっと話があるの。来てくれないかな」


「なに……? 何で?」


 いっそう眉根に力を込める。

 警戒心を強めたのか、動こうとしてくれない。


 でも、ちょっと意外だった。

 無視されるか、まったく聞く耳を持たれずに拒絶されることも想定していただけに、これでも十分な反応が返ってきたと感じられる。


 わたしは袖をめくり、左腕を差し出した。

 刻まれた傷は1本だけ。

 それを見た彼が、はっと目を見張る。


「おまえ、それ……」


「うん、実はもうかなり追い詰められてて」


 肩をすくめてやわく笑った。

 深刻にならないようにしようと思ったのに、こういうときは笑うと逆効果なのかな。うまく笑えない。


 衝撃を受けたように揺らいでいた彼の瞳に、また警戒するような色がさした。


「……だから何だよ。俺を責めに来たのか?」


「ちがうよ、そんなんじゃない」


 そんなふうに受け取られるとは思わず、少し焦ってしまう。

 けれど、よく考えたらわたしが気後れする理由なんてなかった。


「わたしは、みんなで協力して悪夢を終わらせたいと思ってる。そのために話がしたいの。夏樹くんも、話したいことあるんじゃない?」


「…………」


 彼は吟味(ぎんみ)するようにしばらく黙り込んだ。


 睨みつけるみたいだった目つきから、だんだん鋭さが抜け落ちていくのが見て取れる。


 ()り固まった猜疑心(さいぎしん)を表面から()ぎ落とし、砕いて手放していっているようだ。


 最後には不安そうな色だけが残った。


「……分かったよ。手短にしてくれよな」


 渋々といった感じは否めないながら、ようやく席を立ってくれた。

 とりつく島がないわけではやっぱりなかったのだ。


 内心ほっとしながら頷いて答えると、わたしたちは廊下へ出た。


 教室から少し離れ、西階段の前まで来た。


 突き当たりの壁には窓があって、その下に背もたれのないベンチが設置されている。


 前を歩いていたわたしが先に腰を下ろすと、夏樹くんは並んだもうひとつのベンチの方に少し離れて座った。


 まず何から切り出そうか、なんて考えているうちに、彼が口を開いた。


「……ごめんな」


 あまりに予想外のひとことに「えっ」と思わず正直なリアクションをしてしまう。

 まじまじと夏樹くんを見つめた。


「俺のせいだろ、それ」


 ちら、と左腕に視線を寄越される。

 残機のことを言っているのだ。


「てか、いまの状況も。ぜんぶ俺のせいだ」


 何か吹っ切れたのか、態度が一変した。

 わたしを追い詰めた一因(いちいん)は自分だと、和を乱すきっかけを作ったのは自分だと、素直に認めるつもりのようだ。


 最初にしおらしく謝ってくれたことからして、意外ではあったけれど嬉しい変化でもあった。


「夏樹くん……」


「情けないよな。それでも、俺を殺してくれ、とは言えなくて。マジで最低だわ、俺」


 自嘲(じちょう)するように笑った夏樹くんだけれど、その表情はどこか泣きそうにも見えた。

 彼もまた、いまはうまく笑えないみたいだ。


 ふと、昨日の帰り道、朝陽くんが言ってくれたことを思い出す。


『今夜、夢で俺のこと殺していいよ』


 彼はいったい、どれほど強い覚悟を持っていたのだろう。

 “優しい”なんて言葉じゃ言い表せないくらいあたたかい。

 気にかけて、大事に思ってくれている。


「……どうかしてた。頭に血上って、気づいたらあんなこと」


 柚やわたしを殺した理由は、昨日言っていた通りなのだろう。


 残機が立て続けに減ってすっかり冷静さを欠き、図らずも柚が追い打ちをかけてしまった。

 それで、感情的かつ捨て(ばち)な行動に出たのだ。


「昨日、柚に殺されたのも……自業自得だよな。ああなって当たり前のことしたんだし」


「……なら、もうやり返したりしない?」


 半ばそう祈るような思いで確かめる。

 夏樹くんは静かに、だけどしっかりと頷いてくれた。


 弱くて、臆病で、だからこそそんな自分の一面から目を背けて逃げようとしていた彼。


 壊れないように必死で正当化していたけれど、本当は間違っているということに、ちゃんと気づいていたんだ。


「よかった」


 思わず肩から力が抜けてそうこぼした。

 弾かれたように顔を上げた夏樹くんが、怪訝(けげん)そうに凝視(ぎょうし)してくる。


「……何でそんなふうに笑えんの? 俺のこと、恨んでないのかよ」


「“許せない”とは確かに思ってたよ。でも謝ってくれたし、反省してるんでしょ?」


「それは……うん。謝って済むことじゃねーけど、本当に悪かったと思ってる。ごめん」


「もういいよ、十分」


 いつの間にか強張りがほどけ、頬を緩めていた。

 自分でも驚くくらい、怒りも恨みも湧いてこなかった。


 純粋に嬉しかった。

 また、以前のように話せたこと。ちゃんと反省して元に戻ってくれたこと。


 これでもう殺し合いなんてしなくて済む。

 みんなで協力することができるはずだ。


「……柚も許してくれるかな」


「大丈夫だよ、ちゃんと謝れば伝わると思う。きっと意地になってるんだよ。昨日でおあいこなんだから、あとはきっかけがあれば仲直りできるはず」


 半分は自分に言い聞かせていた。

 昨晩目の当たりにした彼女の恐ろしい一面を否定したくて。


 夏樹くんが誠心誠意謝れば、柚だって正気を取り戻すはずだ。

 そう信じたい。


「それ、で……話って何だ? これ以外にも何かあるんだよな」


 間を置いてから、おずおずと切り出す夏樹くん。


「あ、えっと────」


 わたしは本題を思い出し、姿勢を正した。


 化け物の正体、白石芳乃の死亡記事、わたしたちの中に紛れ込んでいる“裏切り者”。

 それを見つけ出して悪夢を終わらせたいと考えていること。


 それらを夏樹くんにもすべて伝えておく。


「白石、芳乃……」


「そう。彼女は被害者なの」


 だからって誘い込んだ無関係な人たちを次々呪い殺していいわけでは、もちろんないけれど。

 それでも、殺されたとなると同情の余地(よち)がある気がしてくる。


「“裏切り者”を特定すれば終わんの?」


「たぶん……」


「特定する()()で?」


「え?」


 懐疑的な夏樹くんの瞳を見返した。

 何が言いたいのだろう。


「……こんなこと言ったら、また俺のこと軽蔑(けいべつ)するかもしんないけど」


「なに?」


「見つけ出すだけじゃ足りないんじゃねーかなって」


 険しい表情を浮かべたまま、彼は目を伏せる。


「それこそ“殺す”とか……そんくらいのこと必要なんじゃね?」


「えっ!?」


「だってさ、知らないうちに幽霊が紛れ込んでるってそれだけで怪奇現象じゃん! それって、化けもんが……白石芳乃が何かしてるってことだろ?」


 なんて突飛(とっぴ)なことを言い出すのだろう、と思ったけれど、妙に納得してしまったのもまた事実だった。


「た、確かに……。白石芳乃自身は犯人が誰なのか分かってるんだもんね。わざわざわたしたちに当てさせる意味なんてないかも」


「だよな!? その点“見つけ出して殺す”って条件ならさ、何となく分かる気がする。復讐、みたいな」


 その可能性に信憑(しんぴょう)性と説得力が増していく。


 白石芳乃は“裏切り者”をわたしたちの中に紛れ込ませ、わたしたちに殺させようとしている。


 何度も何度もこんな悪夢を繰り返しているのなら、犯人すなわち“裏切り者”は何度も何度も殺されているのだろう。


 そうやって殺し続けることが、白石芳乃の犯人に対する復讐なのだ。


 自分の手でも、仲間(厳密(げんみつ)にはちがうけれど)の手でも、死してなお何度も手を下すことで苦しめ続けている。




     ◇




「本っ当にごめん……!」


 1時間目が終わって休み時間に入るなり、夏樹くんは真っ先に柚の元へ向かった。


 机に頭を打ちつけるんじゃないかと心配になるくらいの勢いで、ばっと頭を下げる。


「…………」


 柚は呆気(あっけ)にとられたようにその後頭部を眺め、ぽかんと口を開けている。

 突然のことに理解が追いつかないようだ。


「な、なに急に……」


「冷静になって考えたら、許されないことしたって気づいて。だから、とにかくごめん」


 そろそろと頭を上げかけた夏樹くんは、申し訳なさそうに再び腰を折った。


 朝陽くんと高月くんは成り行きを見守っている。

 わたしも慎重に動向(どうこう)を窺った。


 戸惑いに明け暮れていた柚は我を取り戻すと、反射的に怒ろうとして、だけどその前に力が抜けたようだった。


 その顔からだんだん毒気が抜けていき、やがてため息をついて夏樹くんを見下ろす。


「……分かったから、もう顔上げてよ」


 完全に元通りとはいかないまでも、憎しみを(つの)らせていた昨日とは明らかにちがう声色だった。


 言われた通りに頭をもたげた夏樹くんは、窺うような眼差しで柚を見やる。

 彼女は居心地悪そうに、腕を組んだままそっぽを向いた。


「……あたしも、ごめん。むきになって、あんたのこと殺した」


 はっとしたのは夏樹くんだけじゃなかった。

 それから、安堵の息をつく。


 ふたりの間に切り込まれていた亀裂(きれつ)や溝が埋まって、なだらかにならされていく。

 それが見て取れた。


(わたしの知ってる柚だ)


 意地っ張りでなかなか強情(ごうじょう)なのだけれど、相手が折れたり正直になったりすると、つい素直になって同じだけの真心を返す性分(しょうぶん)


 元に戻ってくれた。夏樹くんも柚も。

 ほっとすると、自分でも気づかないうちに頬が緩んでいた。


「てか、あんた。花鈴にも謝ったんでしょうね?」


「あ、謝ったよ! 当たり前だろ」


 柚は「あっそ、ならいいけど」なんて淡々と返しながら席を立つと、打って変わって泣きそうな表情でわたしの方へ駆け寄ってきた。


「わ……」


 その勢いのままに抱きつかれ、思わずたたらを踏む。

 何が起きたのかとっさに分からず困惑してしまう。

 ふわ、と起きた風で我に返った。


「ごめんね、花鈴」


「え」


「あたし、昨日あんたにひどい態度とった。怖がらせたし、傷つけたよね……。本当にごめん!」


 わたしの両肩に手を置き、まっすぐな眼差しと言葉をぶつけてくる。

 そのことをちゃんと気にかけてくれていただなんて意外で、少しの間ほうけてしまった。


「……ううん。もう気にしないで」


 彼女も夏樹くんも、悪夢のせいで恐怖につけ込まれてしまっただけだったのだ。

 気が狂っておかしくなったわけじゃない。


 そうと分かって、心の底から安心した。

 これですべてを水に流して、みんなで同じ方向を目指していける。


「ありがと……。夏樹にも話つけてくれたんでしょ? 花鈴のお陰だね」


「わたしは何も」


 ただ、何とかしたいと思っただけだ。そのために必死だっただけ。

 褒められるようなことは別にしていないけれど、ちょっと報われた気持ちになった。


「朔と成瀬にも迷惑かけてごめんね」


「俺も……ごめん」


 こちらへ歩み寄ってきた夏樹くんも、気まずそうではあるもののそう口にした。


 そっとふたりの反応を窺う。

 朝陽くんが何か言いかけたとき、ふいに高月くんが呆れたような息をついた。


「……もういい加減にしてくれ」


 (とげ)のある口調に驚いて思わず彼を見やると、思いきり眉をひそめていた。

 怒っている、というよりは不愉快そうだ。


「おまえたちのくだらない喧嘩のせいで、昨日僕たちがどれだけ苦労したと思う? 結局また殺されたし、日南なんてもう残機1しかないんだぞ」


 柚と夏樹くんは口をつぐんだまま、いたたまれない表情をたたえている。

 わたしも何も言えなくて、ついうつむいた。


「“ごめん”で済むのか? いまさら謝られたって残機は戻らないんだ。おまえらを殺さない限りはな」


 不機嫌そのものの態度で、高月くんは教室から出ていってしまった。


 彼の姿が見えなくなってから、引き止めるのを失念(しつねん)していたことにやっと気づく。


「……だよな。花鈴、本当ごめん」


 唇を噛み、夏樹くんが再び謝ってくれる。

 わたしは緩やかに首を左右に振った。


「そう思うなら、協力しよう? みんなで悪夢から抜け出すの」


 わたしの言う“みんな”の中には、もちろん高月くんも含まれている。

 ひとりでどこかへ行ってしまったものの、彼のことは正直あまり心配していなかった。


 高月くんは頭がよくて冷静だ。

 感情に左右されることなく、最適解をいつも正確に見極められる。


 先ほどはああしてふたりの謝罪を突っぱねたけれど、本当のところは何もかも分かっているはずだ。


 だから、大丈夫。

 わたしたちが再びばらばらになることは、きっとない。




     ◇




 次の授業の時間、高月くんを除いた4人で屋上へ出た。

 人目を気にせず話し合うのにここは都合がいい。


「なあなあ! 俺と花鈴はすごいことに気づいたぜ」


 開口一番、得意気に夏樹くんが言った。

 な、と同意を求められ、わたしも頷く。


 彼は一切気まずさを感じていないようだ。

 さすがはフレンドリーなムードメーカーだけあって切り替えが早い。


「なに? すごいことって」


 不思議そうな表情で瞬く朝陽くんに寄り、彼はにんまりと笑う。


「悪夢を終わらせる方法が分かった」


 白石芳乃はただ闇雲(やみくも)に犠牲者を増やしたいだけじゃなかった。

 当初想定していたよりもよっぽど、彼女の怨念(おんねん)は根深い。


「え、だからそれは“裏切り者”を見つけることでしょ? それはあたしたちも知ってるって」


「ちがいますー。いや、ちがわねーけど、それだけじゃない」


 もったいぶるように間を空けてから、夏樹くんは再び口を開いた。


「“裏切り者”を見つけて殺す」


 親指の先を自身の首に向け、ぴっと真一文字(まいちもんじ)に動かす。

 ありえないと分かっているけれど、そこから鮮血(せんけつ)があふれてくる幻を見た。


「殺す……?」


 目を見張った朝陽くんが聞き返す。

 柚も衝撃を受けたようではあったけれど、何かひらめいたようにはっとしていた。


「そっか……! ()()、そういう意味なんだ」


 何かが腑に落ちたようなもの言いに、首を傾げてしまう。


「これ、って?」


「あー、そうだった。見てよ」


 そう言いながら取り出したスマホを操作し、わたしたちに画面を向ける。

 メモの写真だった。


 “殺セ”。


 既に化け物と化した白石芳乃の言葉なのだろう。

 これまでとちがって、血の滲んだ赤い文字で記されている。

 ほかのメモとは明らかに毛色がちがった。


「昨日は荒れてたから無視しようかとも思ったんだけどさ、こんなだったから一応ね」


 柚は肩をすくめる。


「……“裏切り者”を、ってこと?」


「そうだと思う。いまの話聞いたら」


 “裏切り者”を見つけて殺す。


 それが白石芳乃の求めていることであって、悪夢から抜け出す方法────。

 その考えは正しいと、このメモが、いや、白石芳乃自身が肯定(こうてい)しているような気がした。


「犯人のことは殺しても殺し足りないって感じか」


「……だね。それだけ恨んでるってことは、やっぱり白石芳乃にとっても“裏切り者”だったんじゃないかな」


「わたしたちにとっても、白石芳乃にとっても“裏切り者”……」


「“裏切り者”は嘘ついて、俺たちを騙してるんだよな。いまこの瞬間も演技してる。ま、この場にいない朔がそうかもしんないけど」


 何度確かめてもひとり増えていたクラス名簿。

 “裏切り者”は間違いなく、わたしたちの中に存在している。


「うわ、何かゲームみたいな話になってきたね。そういうゲーム、実際あるし」


「どんな?」


「嘘つきを見つけて追放(ついほう)するゲーム」


 紛れ込んでいる人殺しを、犯人を、“裏切り者”を見つけ出して、自分たちが処刑する。

 要するにそういうことなのだ。


「……白石芳乃ね」


 ふと、夏樹くんが意味ありげにその名前を口にした。

 柚が(いぶか)しむように顔を上げる。


「なに? てか、あんた何でその名前知ってんの? あ、まさか夏樹が“裏切り者”……!?」


「ちげーよ! 今朝、花鈴からひと通り教えてもらったんだよ」


 色々調べていくうちに判明した事実や行き着いた可能性については、確かにわたしから説明しておいた。


「そういうことじゃなくてさ、何か……引っかかってて」


「何に?」


「白石芳乃って名前、聞いたことある気がする」


「ニュースとか記事で見たんじゃないの?」


「そう、なのかなー?」


 夏樹くんは考え込むような顔で首を(ひね)る。彼自身、曖昧なようだった。


 何かの記憶と混同しているのか、思い違いをしているのか、いずれにしても答えが出てくる気配はない。


 そのとき、キィ、とふいに(きし)んだドアの開閉音がして、高月くんが顔を覗かせた。


「やっぱりここにいたか」


 いつも通りの平板(へいばん)な口調で言い、こちらへ歩み寄ってくる。


「へー、優等生のあんたがサボり?」


「いまに始まったことじゃないだろ。僕には勉強よりも命の方が大事だ」


 柚と交わすやりとりまで普段通りのものだった。

 今朝のような一触即発(いっしょくそくはつ)の雰囲気はなくなっていて、酸素の薄さも居心地の悪さも感じられない。


 やっぱり、余計な心配はいらなかった。

 ほっとしながら密かに小さく微笑む。


「どこ行ってたんだ?」


「図書室。また色々調べてきた」


 そう言ってスマホを差し出してくる。

 画面には新聞記事の写真が映し出されていた。


「写真撮っていいんだっけ」


「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。早く見ろ」


 茶々を入れる柚に高月くんは律儀(りちぎ)に返す。

 それぞれ記事に目を落とし、黙って文字を追った。


 ────白石芳乃が亡くなった年、タイミングを同じくして5人の生徒が死亡していた。


 それぞれ死因は心臓麻痺(まひ)

 ネット上では芳乃の呪いともささやかれていた。


 5人が亡くなる前、それぞれの腕に切り傷があったことが確認されているが、遺体にそのような痕跡(こんせき)はなかったようだ。


 また、彼ら彼女らと芳乃との関係は不明とある。けれど、だいたい想像はつく。

 芳乃は恐らくいじめに遭っていた。


 亡くなった5人はその加害者で、もしかするとその中の誰か、あるいは全員が芳乃殺害に関わった犯人なのかもしれない。


 いや、紛れ込んでいる“裏切り者”がひとりなら、手を下したのはあくまでその中の誰か……?


 いずれにしても、5人はいまのわたしたちと同じ状況にあったにちがいない。

 腕の切り傷や不自然な心臓麻痺────呪いはそこから始まっていた。


(わたしも残機がなくなったら……)


 きっと、心臓麻痺で死ぬんだ。


 ぞっとした。

 その存在感を知らしめるように、どくん、と大きく拍動(はくどう)する。


「や、やばいじゃん……。早く殺して終わらせないと!」


 同じことを考えて怯んだらしい柚が焦りを滲ませた。

 飛び出した物騒(ぶっそう)な単語に高月くんが訝しげな顔をする。


「殺すって何の話だ?」


「ああ、それが────」


 朝陽くんが代表して説明した。

 “裏切り者”を見つけ出すだけでなく、殺して初めて悪夢を終わらせられるのだという結論、それを裏づけるに足るメモの写真なんかについて。


「……なるほどな、確かに納得できる。乾にしては()えてるな」


「だろ」


 褒められているのか(けな)されているのか分からないけれど、夏樹くんは前者だと解釈したのか誇らしげだった。


「……でも、本当にこの中に“裏切り者”なんているわけ?」


 じっとそれぞれの目を見据え、疑わしそうに柚が言う。


 いつもみたいに腕を組んでいるのかと思ったけれど、そうではなく両腕を交差させて掴んでいるだけだった。


 相手はとうに死んだ人間だということで、無意識のうちに寒気を感じているのかもしれない。


(確かに……)


 誰ひとりとして嘘つきには見えない。

 これでは“裏切り者”を殺すどころか、見つけられるかどうかすら怪しい。


「いや本当、怖ぇわ。溶け込みすぎだろ……」


 夏樹くんも引きつった表情で各々を見やる。


「あ! じゃあさ、夢の中で花鈴が片っ端から殺していけば?」


 思いついたように言った柚に「え?」と反射的に返していた。


「“裏切り者”を殺れればラッキー、間違ってても残機が増える。ノーリスクハイリターンで、まさにウィンウィンじゃない?」


 生き生きとした柚の表情を見て、思わず苦い気持ちになった。


 考え方としては間違っていないのかもしれない。

 だけど、そんな残酷なことを平然と提案できるなんて、と怖くなる。


 先ほどみんなで口にしていた“ゲーム”という単語が自然と浮かんだ。

 彼女は完全にゲーム感覚だ。


 命の重みが、死に対する認識が、分からなくなってずれ始めているように思えてならない。


 でも、それは柚が悪いわけじゃない。

 何もかもこの悪夢のせいなのだ。

 少なからず感覚を狂わされた。


「無理だよ、できない……」


「だろうな。それに、殺された方の残機は減るだろ。そもそも日南が“裏切り者”じゃないって保証はどこにもない」


「そっかぁ」


「あのさ。まず“裏切り者”を殺すのって、現実で、じゃないの?」


「それな、俺も朝陽と同じこと思った」


 はっとした。

 言われてみれば、それは当然かもしれなかった。


 みんな既に夢の中で1回以上死んでいるけれど、現実では全員同じように生き返っている。

 夢の中で手出ししても無意味なのだ。


 すなわち、当てずっぽうは通用しない。失敗したら終わりだ。

 現実での死は、当たり前だけど本当の死を意味する。


 もし“裏切り者”以外を殺してしまったら────。

 ぎゅ、と冷えた両手を思わず握り締めた。


(絶対に間違えられない)


「えー……。でもやっぱ信じらんないよ、この中に“裏切り者”がいるなんてさ」


 柚は同じ主張を繰り返したけれど、先ほどとは一転して困り果てたような笑みを口元に浮かべていた。


「だって花鈴は去年から同じクラスで親友でしょ。朔は中学からずっと一緒。成瀬とは……出会ったのは今年だけど、花鈴に色々話聞いてたし」


 どきりと心臓が跳ねた。

 思わぬところから不意打ちで攻撃を食らった気分だ。


「そうなの?」


「えっ!? あ、えっと……覚えてない!」


 朝陽くんに小首を傾げられ、慌てて誤魔化した。

 鳴り響く心臓の音が加速していくのに気づいてしまうと、かぁ、と頬まで熱くなってくる。


 柚はいきなりなんてことを言い出すのだろう。

 それじゃまるで、わたしがずっと朝陽くんのことを気にしていたみたいだ。


「まあ、そうなると怪しいのはやっぱり……乾ってことか」


 高月くんはわたしの動揺を知ってか知らずか、まるごと無視して推測を口にした。

 それは名簿を見た日、わたしも考えたことだ。


「はぁっ!? 俺なわけねーじゃん! 適当なこと言うのやめろよ」


 夏樹くんは全力で否定した。

 疑われたことへの驚きと苛立ちが半々といった様子だ。


「“裏切り者”の目的だって、結局はほかの4人と同じだろ? バレずにやり過ごして生き延びる。俺がそうなら、殺すまでが条件だとか言わねーよ」


 意外にも冷静な反論だった。

 そしてそれは的を()ていると思う。


 “裏切り者”の立場からしたら、仲間から殺されるような展開は避けたいはず。


 そのリスクを負いたくないのだから、見つけ出して殺すことが終わらせる条件なんじゃないか、なんて自分の口から言うことはまずないだろう。


 裏をかいて、という可能性はあるけれど、そこまで追っていたらきりがない。


 ただ、彼のことを去年以前から知っている人は、少なくともこの中にはいない。

 それもまた事実だった。


 そんなことを考えたとき、はっとあることに思い至った。


「ねぇ、思ったんだけど……。“裏切り者”がいつの間にか紛れ込んでたことを考えると、記憶ごと書き換えられてるって可能性はないかな」


 わたしたちの中に紛れ込んでも不都合が生じないように、記憶を改ざんされている可能性。


 思いついてしまうと、逆にいままでどうして気づかなかったのか不思議なほどだ。


「そうだな、確かに。それが自然だ」


「じゃあ、いまある思い出も偽物かもしれないんだ……」


 だとすると、過去の繋がりはあてにならない。


 わたしと朝陽くん、柚と高月くん、それぞれが共通して持っている思い出だって、本当は存在しないものかもしれないのだ。


 前提が崩れた。

 覚えている、知っている、というようなことは何の保証にもならない。


 夏樹くんだけじゃなく、誰しもが同じだけ“裏切り者”である可能性を秘めているということだ。


「うわ、もう……そうなってくると、ますます分かんないって」


 はっきり言って、何も信じられない。

 過去も、いま目の前にある現実も。


 どこからどこまで、そして何を疑えばいいのだろう。

 真理(しんり)に近づいたはずなのに、余計に難しくなった。


 せっかくみんながまとまって協力し合えそうだったのに、これではまた疑心暗鬼(ぎしんあんき)(おちい)ってしまう。仲間割れしてしまう。

 そういう意味でもまた恐ろしかった。


「マジで、誰なんだよ……?」


 夏樹くんは怯えたような眼差しを忙しなく行き来させていた。


 急速に渦巻いた不安感がわたしたちを飲み込んでいく。


 先ほどまでみんなの存在を近くに感じていたのに、いまは彼らとの間に重厚(じゅうこう)で冷たい壁を(かく)されたような気がしていた。


「“裏切り者”って」


 半ば口をつくような形で、気づいたら切り出していた。

 だけど、考えは頭の中できちんと形作られている。


「自分がそうだって自覚があるとは限らないよね……?」


 悪意を持ってわたしたちを騙そうとしている、とは。


 あえて嘘をついて(あざむ)き、わたしたちを死へ誘導しようとしているわけではない可能性がある。


 白石芳乃はその人に殺され、彼女もまた既にその犯人を呪い殺しているのだ。

 それなのに彼女たちが味方同士というのは、不自然と言わざるを得ない。


「それも……盲点だったな」


「協力し合える関係とは思えないし、お互いに手を貸す理由がないと思うんだけど」


 そう言うと、柚が難しそうな顔をした。


「つまり?」


「つまり、その“裏切り者”も記憶を書き換えられてて……白石芳乃の呪いに利用されてるのかも」


 当初はその“裏切り者”の方が主導権を握っているのだと思っていたけれど、逆だったのかもしれない。


 何はともあれ、この結論ならば、違和感や矛盾(むじゅん)があるようには感じられない。


 これまで図らずも無視していた、あるいは気がつかなかったような(ほころ)びも、すべて説明がつくような気がする。


(“裏切り者”は自分が“裏切り者”だって気づいてない可能性がある……)


 ということは、自分が既に死んでいるとも知らないわけだ。


 もしかしたらわたし自身がそうである可能性も、大いにありうる────。




     ◇




 ベッドに腰かけ、左腕の傷を眺めた。


 残機は1。

 眠らない、という選択肢もないわけではない。


 だけど、日中に寝落ちしてしまうことが一番怖かった。

 “日没前の夢”は夢でありながら現実でもある。

 うっかり殺されたのではたまらない。


 1日や2日くらいなら眠らなくても耐えられるかもしれないけれど、身体の状態は夢の中にも影響する。

 不調を(きた)したり、まともな判断力が鈍ったりするのは避けたかった。




 ──キーンコーンカーンコーン……


 いつの間にか眠りに落ちていたわたしは、重々しいチャイムの音で目を覚ました。


 いつもの流れでスマホのライトをつけ、音を立てずに立ち上がる。

 まだ眠っている面々を起こして回った。


「始まったか」


 高月くんが呟くように言う。

 わたしはつい、黒板に目をやった。


 “飛び降りて死ね”────今夜は絶対に、何がなんでも生き延びなければ。


「さて……誰がどこ行く?」


「俺は花鈴と同じとこ」


 間髪(かんはつ)入れずに朝陽くんが言った。

 驚いて彼を見ると、真剣な眼差しが返ってくる。


「今夜を最後にはさせないから」


 ……心が震えた。嬉しかった。

 わたしを守ろうとしてくれる、彼の決意と優しさが染み渡る。


「あれあれ? やっぱ、ふたりってそういう……?」


 冷やかすように柚が言う。

 その顔には面白がるような笑みが浮かんでいた。


「ちょ────」


「でも、あたしも花鈴についてく」


 慌てて反論しようとするも、最初からとり合うなどなかったらしく、彼女は堂々とそう宣言した。


「おいおい。邪魔してやるなよ、柚」


 夏樹くんまで何を言い出すのだろう。

 何だか暑くなってくる。


「それもそうなんだけどさ、残機1なんてやっぱ危ないじゃん。だから、いざというときはあたしが盾になる」


 それは思いもよらない言葉だった。

 驚いてまじまじと彼女を見る。


「柚、それは……」


「花鈴がなんて言おうともう決めてるから。諦めてあたしたちに守られなって」


 一点の曇りもなく得意気に笑う。

 向日葵みたいに明るくて眩しい笑顔だ。


 つい朝陽くんの方を窺うと、こくりと心強い頷きが返ってきた。

 何度、そうして自信をもらったことだろう。


「……ありがとう」


 しみじみと告げる。

 昨日までなら信じられないような展開だった。


 わたしたちの関係性は、もう修復できないほど粉々に砕け散って、みんなばらばらになってしまうのではないかと怖かった。


(そうならなくて本当によかった……)


 こうして手を取り合って、同じ方向を向いて、歩幅を合わせて歩き出せて。


 協力しよう────。

 もしかしたら、そんなわたしの唯一の主張が響いたのかもしれない。


 何だってよかった。

 目の前の現実は、あたたかいものだったから。


「よし、じゃあ本気出して鍵探すぞ! 花鈴のためにも」


「ああ、急ごう。悪いが、3人で動くなら1階を任せてもいいか?」


 揚々(ようよう)と言った夏樹くんに高月くんが続く。

 わたしは慌てて頷いた。


「もちろん」


「じゃあ俺が2階行くわ。朔は3階頼むな」


「分かった」


 そんなやりとりから、団結してまとまったことを強く実感できてますます嬉しくなる。


 あたりを警戒しつつ教室を出ていくふたりに続こうとしたけれど、ふと足が止まった。

 室内の方を振り返る。


「……どうかした?」


 声を落とした朝陽くんに尋ねられる。


「そういえば、ここにも何かあったりするのかな?」


 いつも(おの)ずと素通りしていた、スタート地点であるわたしたちの教室。

 ここにも鍵やメモなどが隠されていることはあるのだろうか。


「言われてみればそうね。何もないだろう、って無意識のうちに決めつけてスルーしちゃってたけど」


 既に廊下へ出ていた柚が言いながら戻ってくる。


「3階は朔の担当だけど、ここだけ俺らでさっさと調べとこうか」


「そうしよ。朔もたぶんスルーするし」


 先に出ていった高月くんは、どうやら北校舎側へ向かったようだ。

 普通教室より手こずることの多い特別教室を優先的に終わらせておく、という考えだろう。


 夏樹くんも既に2階へ下りていったため姿はない。

 わたしたちも急がないと。




 3人で教室内を見て回るも、鍵やメモは見つからなかった。

 ただ、予想外のものを発見した。


(何だろう、これ)


 窓際一番後ろの席。

 図書委員を務めている女の子の机から、ビーズでできた指輪が出てきた。


 カラフルなそれは小さい子向けのおもちゃみたいだ。

 糸が緩んでいるのがひと目見て分かる。


 ただの忘れものだろうか。

 あるいは白石芳乃に関わるヒント……?


「何かあった?」


「んー、何もないね」


「花鈴はどう?」


 そう尋ねられ、はっと我に返る。


「あ……ううん。何も見つからなかった」


 結局、前者だと判断して机の中に戻しておいた。


 これまで、ヒントと(おぼ)しきものはすべてメモだった。

 だけど、これは異質だ。確信が持てない。


 余計な混乱を招いても申し訳ないし、無関係だったらただ時間を浪費(ろうひ)するだけだ。

 一旦、見なかったことにしておこう。


 1階へ向かうため廊下へ出て、ぴしゃりと教室の扉を閉めておいた。


 ここを閉めておく意味は特にない、とあとから気がつく。

 この一連の動作もまた癖になっているようだ。


 ──ぴちゃん……


 ふいにそんな水音が大きく響いてきた。


「……!」


 思わず息をのむと、恐怖と緊張から心臓が早鐘(はやがね)を打ち始める。


 かなり近い位置にいる。

 それを悟り、慌ててライトを消した。


 引きずるような音が聞こえなかったことを考えると、ワープしてきたところかもしれない。

 偶然か、狙ってかは分からないけれど。


「どこ……?」


 空気に溶けるほど小さな声で柚がささやく。


「たぶん、階段らへん……」


 同じ調子で朝陽くんが返した。


 ここから近いのは西階段だ。

 その近辺(きんぺん)にいるらしく、余計に音が反響して聞こえる。


 ──ぴちゃん……


 困ったことになった。

 教室を閉めてしまったせいで、戻るに戻れない。


 だけど、廊下に隠れられる場所なんてない。

 階段前は北校舎側と南校舎側の岐路(きろ)だ。


 化け物が後者を選んだら、わたしたちは見つかって終わり。

 かといって前者を選んでも、高月くんが追われることになるだろう。


「…………」


 じっと息を殺し、身を縮めながら、慎重に動向を窺った。


(お願い……)


 心の内で何度も繰り返す。

 とにかくこの凍てつくような脅威を脱することだけをひたすら祈っていた。


 ──ぴちゃ……


 ──ズズズ……


 やがて化け物が動き出す。

 その音は、一度響いたきり聞こえなくなった。


(どういうこと?)


 どこへ行ったのだろう。

 まだそこにいる?

 その割には水音も聞こえない。


「……ワープした?」


 油断なく硬い声で、柚が言う。


 本当に危機を(まぬが)れたかどうかを確かめるべく耳を澄ませるけれど、化け物の発する音はやはり拾えなかった。


「あぁ……よかった」


 思わず深く息をつき、胸に手を当てる。

 暴れる心音がてのひら越しに振動として伝わってくる。


 そのとき。


 ──ぴちゃん……ぴちゃん……


 水の滴るような音が、再び響いてきた。


「……っ!?」


 呼吸が止まった。

 直接鷲掴(わしづか)みにされたかのように、心臓が大きく打って痺れる。


(うそ……)


 化け物はまだ、すぐ近くに潜んでいたのだろうか。

 だとしたら、わたしたちの声もきっと聞かれた。


(見つかる!)


 そう思ったとき、近くで何かが動いた気配があった。

 暗闇に溶けて見えない。


「あーもう……!」


 柚が声を潜めたまま嘆くように言う。気配の正体は彼女だ。

 ライトをつけ、迷いのない足取りで階段の方へつかつかと向かっていった。


(柚……!?)


 その姿が廊下の曲がり角の向こうへ消えて見えなくなる。


「来るなら来なさいよ、化け物っ!」


 威勢(いせい)よく、でも実際には恐怖を押し殺しているような調子で啖呵(たんか)を切る。


 まずい。嫌だ。柚が殺されてしまう。

 頭の中を混乱が駆け巡った。

 だけど、身体が動いてくれない。


 すぐに悲鳴か逃げる足音が聞こえてくるだろう、と覚悟して身を硬くしたものの、あたりは静まり返ったままだ。


 ──ぴちゃん……ぴちゃん……


 滴るようなそんな音が響いているばかり。

 化け物に襲われているような気配は感じられない。


「ゆ、柚。大丈夫……?」


 たまらずそう声をかけた。

 朝陽くんがつけたライトの明かりを頼りに、階段の方へ向かう。


 ここを通ると、いつも突き当たりの窓に自分の姿が反射して脅かされる。

 ここは今朝、夏樹くんと話をしたところだった。


 角を曲がり、階段の方を見やる。

 立ち尽くす柚の後ろ姿を認めた。


 ──ぴちゃん……ぴちゃん……


 それと同時に、天井から垂れてくる黒っぽい雫が照らされる。

 床に血溜まりができているのを見て、降っているのが赤い血だと分かった。


 ──ぴちゃん……


 雫が床に落ちるたび、そんな音とともに血溜まりが少しずつ範囲を広げていく。


「何これ……」


 戸惑いを口にしながら、柚の様子を窺う。

 彼女は天井を見上げたまま怯えたような浅い呼吸を繰り返していた。


「ひっ!」


 その視線を追って、思わず上げかけた悲鳴をどうにかおさえ留める。


 天井には大きな顔の染みがあった。

 苦悶(くもん)に歪められたその顔は、そのまま壁に吸収されたのではないかと思うほどリアルだ。


 わたしたちを見下ろす血走ったような目から、赤い雫が滴り落ちている。


「……趣味悪いなぁ」


 朝陽くんがあえておどけるような調子で言う。

 お陰で柚の金縛りが解けた。


「あ、あーもう……本当びっくりした! 化けもんじゃなくてよかったけどさ」


 柚がそう言った瞬間、ずる、と何かが滑り落ちるような音がした。

 その直後には、べちゃ、という音が続く。


「あ……うそ……」


 突如(とつじょ)として天井から落ちてきたのは生首だった。

 先ほどの血溜まりを跳ねさせ、そこに転がっている。


 苦悶の表情を浮かべた男子生徒の頭部。

 恐れと驚愕と憎しみと、あらゆる感情を凝縮(ぎょうしゅく)したような目が、わたしたちを捉えていた。


 虚ろなのに爛々(らんらん)として見えて、底知れない恐怖が全身を()う。


「……っ!!」


 悲鳴を上げそうになった柚の口を、とっさに動いた朝陽くんの手が覆って塞ぐ。

 叫んだら、今度こそ化け物を呼び寄せることになる。


 わたしはというと、一部始終をまともに見てしまってすっかり放心状態だった。


 声を上げる気力すらなく、がたがたと全身を震わせることしかできない。


 一拍置いて柚が彼の腕を叩いた。離してくれ、ということだろう。

 朝陽くんが彼女を解放する。


「……っは、ごめん。助かったよ、成瀬」


「いや、こっちこそごめん。苦しくなかった?」


「平気」


 顔色は悪いままでも、柚はいくらか落ち着きを取り戻したようだった。


 朝陽くんもきっと冷静ではないけれど、そう装ってくれたお陰でパニックに(おちい)らずに済んだ。


 おさえた声で話しながら、生首から逃れるように急ぎ足で階段を下りていく。


「それより手の冷たさにびっくりしたわ」


「ごめんごめん。……正直、寒くてたまんない」


 彼は苦く笑った。

 やっぱり、朝陽くんも平気ではなかったみたいだ。


 そのとき、ふと何かを思いついたような柚が突然したり顔になって、わたしに向き直る。


「花鈴、握ってみ? 成瀬の手」


「へ……!?」


 あまりに唐突(とうとつ)な言葉につい()頓狂(とんきょう)な声が出る。

 困惑するわたしの手を掴み、ぐい、と引っ張ろうとした柚だったけれど、すぐに離された。


「……って、あんたもか。手冷たっ!」


 血の気の引いたわたしの体温はきっと下がりきっている。

 目眩(めまい)を覚えるほどだった。

 先ほどの光景への衝撃が未だ抜けきらない。


「大丈夫?」


「だ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」


 心配そうに首を傾げる朝陽くんに答える。


 ぐるぐる渦巻く感情は落ち着かない。

 先ほどの衝撃より、もっと根本的な恐怖の占める割合の方が大きかった。


 ああしてすぐ近くに化け物の気配が迫ったことで、嫌でも“死”を意識させられた。


 目を背けても、状況は変わらない。

 わたしの背中には、ぴったりと死が張りついているのだ。




 1階へ移動し、昇降口、階段横のお手洗いを調べ終え、先に手間のかかる北校舎側へ向かうことにした。


 あれ以降、化け物の気配はひとまず遠ざかり、怪奇現象も起こっていない。


 開いたのは校長室、応接室、放送室、資料室で、いくつかの鍵を得たわたしたちは、北校舎東側の一番端にある資料室を調べ始めたところだった。


「思ったんだけど」


 ふいに何の脈絡(みゃくらく)もなく柚が口を開く。


「“裏切り者”じゃなくて、白石芳乃本人を殺すんでも終わらせられるんじゃないの?」


 ざわ、と胸が騒いだ。

 もしかすると、確かにそうかもしれない。


 この悪夢を作り出した元凶(げんきょう)である白石芳乃が消えたら、自ずとわたしたちも解放されるはずだ。


 既に亡くなっているのに“殺す”というのは妙な感じがするけれど、それは紛れ込んでいる“裏切り者”にも同じことが言えるため気に留めなかった。


 思えばその柚の言葉は、最初に考えたものの諦めた可能性だった。

 化け物を倒すなんて途方もなくとても現実的じゃない、と。


「でも、近づいただけで殺されちゃうんじゃ……?」


 不安を隠せないままわたしは言った。


 自由自在にワープして、鉈を()ぎ払うだけで人間の身体をいとも簡単に一刀両断してしまうのだ。

 太刀打ちできるビジョンが見えない。


「うん、無理だよ」


 意外なことに朝陽くんはそう断言した。

 曖昧(あいまい)な言い方はせずにはっきりと。


「何で?」


「物理的に触れられない。……昨日試した」


 そういえば昨日、彼が(おとり)を買って出てくれたとき、確かに“試したいことがある”と言っていた。


「試した、って」


「適当な教室に逃げ込んで、ぎりぎりまで引きつけて、机で殴りかかったんだよ。……本当言うと、殺すつもりで」


「えっ」


「いまさっきの小日向さんと同じこと考えてさ。化け物殺せば終わるんじゃないか、って可能性に懸けたんだけど」


「すり抜けて無理だった、ってことね」


 化け物の方は鉈で襲いかかってくるという物理攻撃の手段をとっているけれど、こちらが本体に触れられない以上は手出しできないようだ。


 そうなると、化け物を倒す、という強硬(きょうこう)手段はやっぱり諦めざるを得ない。


「てか、あんたも名前で呼んでいいよ。苗字だと距離感じるし」


 朝陽くんに向き直った柚が言う。


「ああ……うん。でも何か“小日向さん”で慣れちゃった」


「えー? 花鈴のことは呼び捨てなのに?」


 どき、と心臓が跳ねる。


 それは単に小さい頃からの流れや慣れのお陰だろうと思ったけれど、わたしを一瞥(いちべつ)した朝陽くんはどこか照れたように笑った。


「花鈴は……特別だから」


 鼓動がみるみる加速していった。

 照れくさいのと嬉しいのと戸惑いとで、とっさに言葉が出てこない。


「なに、もう! まーたいちゃついて。あーあ、どうせあたしはお邪魔ですよ」


 面食(めんく)らって圧倒されていたらしい柚が、ややあって我を取り戻す。


「暑いったらないわ」


 ぱたぱたと手で(あお)ぎながら呆れ半分に言う。

 残りの半分は、やっぱり面白がっている。


「い、いちゃついてないから!」


「いいって、嬉しいくせに」


 慌てて反論するけれど、にやにやとしながら一蹴(いっしゅう)された。


「や、やめてよ。朝陽くんに迷惑……」


「俺は迷惑じゃないし、困ってもないけど」


 えっ、と思わず声が出た。

 彼の方を見るけれど、暗がりの中では影しか見えない。

 でも、照らしてまともに顔を合わせる勇気はない。


 どうしてしまったんだろう。

 先ほどからやけにストレートというか、迷いのない感じだ。


 どきどきさせられる。

 まさか、もしかして本当に────。


 ──コツ……


 ──キン……ッ


 唐突(とうとつ)に物音が聞こえた。


 はっとする。

 3人が3人とも警戒を深めると、浮ついたような空気が一変して凍てついた。


 先ほどとはちがい、重みを伴って早鐘(はやがね)を打つ心臓。

 音は廊下の方から聞こえてきた。


「なに……? 何の音?」


「とにかく隠れよう……!」


 聞き慣れない不審な物音に困惑しながら、それぞれライトを消す。

 化け物にしろ、ほかの怪異にしろ、恐ろしい予感が漂って全身に絡みついてくる。


 その場に屈み、手探りでテーブルの下に潜った。

 周囲は壁に沿って配置された棚に囲まれている。

 隠れられるようなスペースはここ以外にない。


 開けられたら、入ってこられたら、確実に見つかる……。


(来ないで、お願い)


 ──ガララッ


 切実な願いも虚しく、扉が開けられてしまった。


 ──コツ……コツ……


 近づいてきた硬い足音が、すぐ目の前で止まる。

 ちかっ、と途端に眩しい光が射し込んできた。


「うわ、眩しっ」


 柚が声を上げる。

 ひやりとしたものの、返ってきたのは意外な反応だった。


「あー、やっと見つけた」


 そう言った足音の主が屈む。

 この声は……夏樹くんだ。


「夏樹!? もう、びびらせないでよ!」


 文句を言いながらも心底ほっとしたように、ライトをつけ直した柚がテーブルの下から這って出る。


 同じく抜け出して立ち上がったわたしと朝陽くんも、驚いてしまいながらまじまじと彼を見た。


「何してんの? こんなとこで」


 (いぶか)しむように朝陽くんが尋ねる。

 そうだ、彼は2階を探索していたはずだ。


 “やっと見つけた”というのは、わたしたちを捜していたということだろうか。


「…………」


 おもむろに夏樹くんが動いた。

 後ろ手に隠していた何かを取り出す。


 白い光をぎらりと弾く刃────包丁だ。


「!」


 息をのんだ。たぶん、彼以外の全員が。


 ぞく、と背筋を冷たいものが滑り落ちていく。恐怖心と危機感。

 身を強張らせながら反射的に一歩あとずさる。


「な、なにそれ……。あんた、まさかまた……」


 動揺で声を引きつらせながら柚が言った。

 だけど、包丁の切っ先がわたしたちに向くことはなかった。


「ちげーよ。……花鈴、これ」


 ()を掴んだまま腕を押し出すようにして、夏樹くんが包丁を差し出してきた。


 彼がまたしても残機の強奪(ごうだつ)目論(もくろ)んで仲間の命を狙ったわけではなかったと分かり、その点はひとまず安心した。けれど。


「え……?」


 意図が掴めなくて、ただただ戸惑ってしまう。

 包丁と夏樹くんを見比べ、眉を寄せる。


「それで俺を殺してくれていいから。おまえの残機、返させてくれよ」


 見張った瞳が揺れるのを自覚した。


 今朝はそう言えないことを嘆いていたけれど、時間を経て、覚悟が決まったということなのだろうか。


「……で、できない」


 小刻みに首を横に振り、また一歩後退する。

 反対に夏樹くんは踏み込んだ。


「やれよ。やってくれよ」


「無理だよ……!」


「花鈴、頼むから!」


「やだ!!」


 押しつけられた包丁を、払い除けるようにして思わず弾き飛ばした。

 彼の手から離れたそれが宙へ投げ出されて落ちる。


 どっ、と刃の先端が一瞬だけ床に刺さって跳ね、刀身ごと倒れた。

 回転するように転がり、闇の中に紛れ込む。


「おい……」


「わたしにはできない。誰も殺したくなんてない」


 声が震えた。

 手も、肩も、気づいたら全身が震えていた。


「でも、おまえ、あと1回でも死んだらマジで終わりなんだぞ!? そしたら俺が殺したも同然じゃんか!」


「確かに怖いけど……夏樹くんのことは別に恨んでないし、仮にそうなったとしても夏樹くんのせいだなんて思わないから」


 彼は結局のところ、そんな罪の意識から逃れたいだけなのかもしれない。

 それでもわたしの身を案じて、残機を返したい、と言ってくれたことは嬉しかった。


 確かに夏樹くんを殺して取り返せば、フェアになるのかもしれない。

 でも、何があってもわたしにはできそうもない。


「お願いだから……もうそんなこと言わないで」


 強い意思を持ってそう言うと、夏樹くんは気圧(けお)されたように口をつぐんだ。

 だけど今度は柚が不服そうな顔をする。


「でも、実際かなりやばいじゃん。分かってる?」


 それはその通りだ。

 終わらせる方法は分かったものの“裏切り者”を特定するには至っていないし、いまのところその気配もない。


 だけど、夜は毎日必ずやって来る。

 “裏切り者”を見つけて殺す前に、わたしが死ぬ方が早いかもしれない。


 だから一時しのぎでも残機を分け合ってどうにか(しの)ぐのが現実的だ。

 そう言いたいのだろう。


「何だったらあたしのこと殺したっていいよ。いまのところ余裕あるし」


「やめてよ!」


 自分でも驚くくらい強く拒んでしまった。


 夢の中とはいえ、明らかに死ぬことへの感覚が鈍って麻痺している。

 死が軽いものになっている。


 屋上でのときと同じだ。

 だからこそ、わたしを思っての言葉だと分かっていても素直に受け取れなかった。


 怖くて苦しくて不安でたまらない。

 先行きが見えないのにあとがないという状況が拍車(はくしゃ)をかけていた。

 揺れる感情が止まらない。


「……花鈴」


「ごめんね……」


 凍えるような声で小さく呟いた。


 両手を握り締めても震えを抑えられない。

 止まない恐ろしさが肺を圧迫してくる。


 一度、大きく息を吸ってから深く吐き出した。

 弱気にしてくる負の感情をぜんぶ追い出すつもりで。


「────とりあえずいまは鍵を探そう」


 ひと息で告げる。


「そういうことはまた明日考えるから」


 これ以上、反論が出てくる前に、自分を殺せとまた誰かが言い出す前に、わたしはそう続けた。

 その“明日”を迎えるために、いまできることはひとつしかない。




 南校舎側へ移り、夏樹くんも加えて探索を進めていく。


 1階崩落までの残り時間は3分を切っていた。

 そのため4人で総力を挙げて、大急ぎで調べる。


「保健室の鍵ってあったんだっけ!?」


「ちょっと待って。えっと……」


 ポケットの中からいくつかの鍵を取り出し、てのひらの上に並べる。

 プレートを照らして確かめると、その中に“保健室”と書いてあるものを見つけた。


「あった!」


「早く……!」


 焦って何度も取り落としそうになりながら、何とか解錠する。

 扉をスライドさせ、柚とともに転がり込んだ。


 朝陽くんと夏樹くんはそれぞれ、さらに西側の教室を確かめにいってくれている。


 わたしたちは戸棚を開けたり、ベッドの布団を捲ったり、ワゴンを倒して中身をひっくり返したりしながら、手早く鍵を探していった。


「あ、見つけた!」


 ふいに柚が声を上げる。


 プレートには“視聴覚室”とあった。

 屋上でなくても、鍵を見つけられたことは大きい。


「やった……!」


「よし、じゃあ早く次────」


 ──キーンコーンカーンコーン……


 スピーカーがノイズを発し、音割れしたチャイムが鳴り響いた。

 その重低音がお腹の底に響いてくる。


 時間切れだ。


「うそ……!? マジか、やばっ」


「逃げよう!」


 入ったとき同様、転がり込む勢いで廊下へ出る。

 そのとき、地鳴りとともに校舎が揺れ始めた。


 慌てて壁に手をつき、どうにか身体を支える。

 立ち止まっていても揺れ続けているため、平衡(へいこう)感覚が狂っていく。


 そうしながら、ライトを周囲へ振り向けた。

 廊下を照らしても人影はない。


「大丈夫かな、朝陽くんたち……」


「西階段の方向かったんじゃないの? とにかくあたしたちも上ろ!」


 ぐい、と柚に手を引かれ、ふらつきながらも駆け出す。

 ここから近いのは東階段の方だ。


 ぐらぐらと不安定な階段を上りきると、そこで一度足を止めた。

 呼吸を整えているうちに揺れと轟音(ごうおん)がおさまっていく。


 ふと振り返ると、上ってきた階段の途中の部分から下が崩れ去っていた。

 その先では果てしない闇が口を開けている。


(調べきれなかった……)


 もし1階に屋上の鍵があって、それを見落としていたとしたら終わりだ。


 だけど、もう戻れない以上、考えていたって仕方がない。

 2階より上にある可能性を信じて探し続けるしかない。


「どうする? 西側の方行ってみる?」


「うん、できれば合流したい」


「そうね。成瀬にはちゃんと男気(おとこぎ)貫いてもらわないと」


 そういう意図があったわけじゃないけれど、柚も同意見だったらしく安心した。


 北校舎側と南校舎側、どちらの廊下から向かってもよかったのだけれど、何となく南校舎側へ回った。

 その“何となく”が命取りになるとも知らずに────。


 墨汁(ぼくじゅう)の中に沈んでいるみたいな暗闇をライトで裂いて、廊下を歩いていく。


「……!?」


 ふいに白い光が何かを捉えた。

 反射的に足を止めると、柚も同時にそうした。


 ──ぴちゃん……ぴちゃん……


 水音が耳に届いたのは“その姿”を見てからのことだった。

 わたしたちのわずか数メートル先に(たたず)む人影。


 血まみれの化け物が、ゆっくりとこちらに顔を向ける。


 骨が折れているせいで、油のさされていないロボットみたいにぎこちない動きだった。

 それが逆に不気味さを増している。


「……最悪」


 一周回って諦めの境地(きょうち)に達したように、柚が小さくこぼした。


 またしても、ちょうどワープしてきたところに出くわしてしまったのかもしれない。

 運が悪い、どころの話じゃない。


(ど、どうすれば……!)


 心臓が暴れ出し、手足の先から震えに侵食(しんしょく)されていく。


 逃げなきゃ。

 分かっているのに、身体の芯が強張って動けない。


「ほら、化け物! 殺れるもんなら殺ってみなさいよ!」


 声を張り上げて挑発した柚は、言い終わらないうちに化け物の方へ向かって走り出した。


 ぶつかる、と思ったけれど、その身体は化け物をすり抜けて進み、闇に溶けていく。

 結果的に(きょ)をつく形となったのか、一拍遅れて化け物が動き出した。


 ──ズズ……ズ……


 あらぬ方向へ曲がった足を引きずりながら方向転換する。

 ふ、と足が宙に浮き、そのまま滑るような動きで素早く柚を追っていった。


「柚……っ」


 唐突(とうとつ)で一瞬の出来事だった。

 意識のぜんぶをそこに向けたまま、その場に立ち尽くしてしまう。


 そのとき、ぐい、と突然身体が傾いた。


 反動で思わずスマホを取り落とす。ゴトッ、と重たい音がした。


(え……?)


 両肩のあたりに誰かの手が添えられていることに気づき、引っ張られたのだと遅れて理解する。


 戸惑っているうちに、背中に壁が触れた感触が訪れた。

 階段のところまで戻ってきた……?


 光源を失い、視界はほとんどゼロだ。

 わたしを連れて歩いたのが誰なのかさえ分からない。


「あ、朝陽くん……?」


 直感的にそう思い、半ばそう願いながら尋ねた。


「しっ」


 “彼”は素早く制する。

 肩を掴んでいた手が片方離れたものの、気配はいっそう近づいた。


 恐らくわたしの真横の壁に腕をついた。

 わたしをすっぽり覆い隠すようにして立っている。


(な、なに……?)


 その意図が分からず、ただただ戸惑った。

 小さく身を縮め、うろたえることしかできない。


「きゃあああっ!」


 唐突にほとばしるような甲高い悲鳴がどこかから聞こえてきた。

 いまのは柚だろう。


 びくりと肩が跳ねる。

 何があったのか、なんて考えるまでもなかった。


 きっと、化け物に追いつかれて────。


 ──ズズ……


 思考を割るように、またあの引きずるような足音が響いてきた。


 激しく打つ心臓が痛い。

 呼吸が震えてしまう。


 ──ぴちゃ……


 戻ってきたのだろうか。

 先ほどの位置に、また。


(もしかして、わたしを探してる……?)


 今度はわたしを殺そうと狙っているのかもしれない。


 ますます震えがひどくなった。

 あまりの恐怖に皮膚が粟立(あわだ)ち、ぞわぞわと悪寒(おかん)が這う。


 おののいて浅くなった息遣いさえこだましているような気がして、わたしは手で口元を覆った。


 必死で恐怖を飲み込もうとするけれど、苦しくてたまらない。

 涙が滲む。


 そのとき、肩に触れている“彼”の手に、ぎゅっと力が込められた。


「!」


 大丈夫────そう言ってくれている気がする。

 お陰で少しずつ落ち着きを取り戻せた。


 ──ガッ!


 ──バキッ!


 突如としてそんな音が響いてきたかと思うと、廊下の方にうっすらと見えていた白い光が(つい)えた。

 わたしのスマホのライトが消えたのだ。


 恐らく叩き割られたのだと思う。

 あたりは完全な闇に浸かってしまった。


 ──ぴちゃ……


 ──ズ……ズズ……


 だんだんと音が遠ざかっていく。

 幸いにも化け物は引き返してくれたみたいだ。


 それに伴って金縛りが解けていくようだった。

 だけど、強張っていた身体から力を抜いても、()っているように感じられて痛い。


「…………」


 やがて完全に音が聞こえなくなると、手を下ろして深々と息をついた。

 “彼”が体勢を戻し、スマホのライトをつける。


「……朝陽くんだ。やっぱり」


 その顔を見たとき、気づかないうちに小さく笑んでいた。

 彼もまた、どこかほっとしたように力を緩めたのが見て取れる。


「ありがとう、助けてくれて……」


 あのまま動けずにいたら、間違いなくわたしも殺されていただろう。

 それは実際の死に直結するというのに。

 柚の犠牲と優しさも無駄にしてしまうところだった。


「……間に合ってよかった」


 余裕のない態度ではあったけれど、朝陽くんはそう返してくれた。


 恐らく西階段から2階へ上がり、ちょうどわたしたちの反対、北校舎側からこちらへ向かってきていたところだったのだと思う。


「夏樹くんは?」


「1階で別れてそれっきり」


 彼は不安気な表情で答えた。


 1階の西側を分担して探索していたようだ。

 合流する前にチャイムが鳴って崩落した。


 いま姿がないことを思うと、3階以上へ移動したか、あるいは最悪1階の崩落に巻き込まれてしまった可能性も(いな)めない。


「……てか、さっきはごめん」


「えっ?」


 突然謝られ、戸惑ってしまう。

 何のことだろう。


「必死だったとはいえ近すぎたよな」


 わたしを(かくま)うように庇ってくれたことだ、と思い至る。

 その距離感を思い出し、いまさら緊張してきた。


「ううん……! 助かったよ。すごくほっとしたし」


 言いながら、思わず自分の肩に手を当てる。

 彼が安心させるように触れてくれたところに。


「なら……よかった」


 どこか遠慮がちに言い、わずかに微笑んだ朝陽くん。

 北校舎側の廊下を歩き始めたその背中についていく。


「……ちょっと思い出すね、昔のこと」


 おもむろに彼が言った。


「よく一緒に遊んだじゃん。かくれんぼとか鬼ごっことか」


 ああ、と声がこぼれる。

 化け物から隠れて、捕まらないように逃げて、そんな行動が過去を思い起こさせたのだろう。


 わたしと朝陽くんとほかの友だちも一緒に、帰り道にある公園で、ランドセルを放り出しては元気に遊び回っていた。


「したけど、こんなに怖くはなかったよ……」


「それはそう」


 おかしそうに彼は笑った。

 朝陽くんの中では、わたしとの思い出はどうやら悪いものじゃなさそうだ。

 以前、猫のことを話したときも楽しそうだった。


(猫のこと……)


 ふと思い出し、ざわざわと心がさざめいた。


(わたし、どうして覚えてないんだろう?)


 あの頃のわたしたちは確かに仲がよかったけれど、ふたりきりで何かをしたことはそれほど多くない。


 そうすると周囲にからかわれたり噂されたりするから、なかなか積極的にはなれなかった。


 意識しているのに興味のないふり。

 意気地(いくじ)なしのわたしは素直になれなくて、結局「好きです」と伝えられないまま離れ離れになった。


 でも、だからこそふたりだけの思い出は、忘れられるわけがないと思う。

 それなのに、どうして────。


「花鈴ってさ、隠れるのうまかったよね」


 そんな彼の言葉に、はっと意識が現実へ引き戻される。

 いや、夢の中ではあるのだけれど。


「え?」


「見つかるのはいつも最後だった。見つからないときもあったし」


「……そうだったっけ?」


 とっさに笑おうとしたけれど、頬が引きつった。

 無視できない不安感が急速に渦巻いて、わたしを飲み込んでいく。


「そう、日が落ちても見つかんないときあった。いくら呼んでも出てこなくて、みんなで必死に探してさ。花鈴、隠れたまま寝ちゃってたんだよね」


「そうなの?」


 他人事みたいに感じられて、つい正直に驚いてしまった。


「あれ、覚えてない?」


「あ、あんまり……」


 曖昧(あいまい)に誤魔化して苦く笑う。


 かくれんぼをして遊んだという記憶はある。

 でも、具体的なエピソードを持ち出されると思い当たらない。

 猫の話をしたときと同じだ。


『つまり、その“裏切り者”も記憶を書き換えられてて……白石芳乃の呪いに利用されてるのかも』


 自分の言葉が(おの)ずと浮かんできた。

 ますます不安が膨張(ぼうちょう)し、肥大化(ひだいか)していく。


 記憶が曖昧なのは、思い出せないのは、それが偽物だからなのかもしれない。


(まさか……)


 冷えきったような心音が動揺を誘う。


 信じられない。信じたくない。

 でも、()()可能性は常について回っていた。


(まさか、わたしが……)


 わたしが“裏切り者”なのかもしれない。


 わたしが、白石芳乃を殺した……?




     ◇




 波立って揺れ動く感情が表に出てこないように必死で抑え込みながら、鍵探しに集中しようとした。


 でも、1秒後にはまた考え込んでいる。

 全然身が入らない。


「ないねー、屋上の鍵」


 朝陽くんが言った。


 生徒会室、視聴覚室を調べ終えたものの、手に入ったのは4階にあるコンピュータ室の鍵のみだ。

 残りの手持ちの鍵も、3階より上の教室のものばかり。


「次は図書室か」


 視聴覚室の隣は図書室。

 広いけれど、本をすべてひっくり返すような無謀(むぼう)な探し方をしないのであれば、探す場所はそれほど多くない。


 ただ、スマホを失ったわたしは彼と離れられなくなった。


 探すにも移動するにも、光源がないと話にならない。

 明かりを失うのは、この空間では目を開けていないのと同じことなのだ。


 だから彼が照らして見える範囲を一緒に調べるしかなくて、通常よりも時間がかかってしまう。


(もし、わたしが本当に“裏切り者”だったら……)


 鍵を探す意味なんてあるのだろうか。


 生き延びてもどうせ死ぬ。殺される。

 既に死んでいるけれど、また死ぬことになる。


 何度も何度も、忘れ去っては殺され続ける。

 ()り込まれた偽物の記憶に右往左往して、夢の中では芳乃に、現実では仲間たちに殺されるわけだ。

 永遠にその繰り返し────。


「開くかな」


 そんな彼の声で我に返る。

 絡みついてくる思考を振り払うようにかぶりを振った。


(いまは目の前のことに集中しないと)


 扉に手をかけた朝陽くんが力を込める。

 けれど、手応えに阻まれたらしく開かなかった。


「だめだ。図書室の鍵はなかったよね?」


「うん、持ってない……」


 一緒に探して見つけた分の鍵は、わたしがまとめて持っていた。

 その中に図書室のものはない。


「じゃあ、次……あれ?」


 歩き出した朝陽くんが不思議がるような声を上げ、ぴたりと足を止めた。


「どうしたの?」


「開いてる……」


 照らし出す先を目で追う。

 図書室の隣に位置する司書(ししょ)室の扉が開け放たれていた。


「本当だ」


 (いぶか)しむと同時に警戒しながら中を覗く。

 人の気配はしない。


 棚に並んだ本には手がつけられていないものの、デスクの引き出しが開けっ放しになっていたり、その中身が床に散らかっていたり、鍵を探したような痕跡(こんせき)が残っていた。


「夏樹くんかな?」


 2階はもともと彼が()け負って探索してくれていた。

 ここは、1階へ下りてきて合流する前に調べていたのかもしれない。


「そうっぽいな」


 わざわざ調べ直す必要はないため、司書室を通り過ぎる。


 次は学習室だ。

 そこは閉まっていて、鍵も開かなかった。


 さらに移動して確かめると、その隣の資料室は司書室と同じ状態だった。

 扉が開いていて、調べた跡が残っている。


 突き当たりまで来た。

 角を曲がり、西階段の前を通ってお手洗いも横切る。

 そこもきっと既に調べてある。


 南校舎側の廊下に出ると、A組から順にざっと確かめていく。


 北校舎と同じだ。

 扉が開いている教室は既に調べ終えてあり、閉まっている教室はそもそも施錠(せじょう)されている。


 2階を一周して、わたしたちは東階段前に戻ってきた。


「夏樹、あいつ探すのめちゃくちゃ早いな」


 驚き半分、感心半分といった具合で朝陽くんが言う。

 施錠されている教室以外、2階のすべてを既にひとりで終えていたのだ。


「そういえば、本気出すって言ってたね」


「言ってた言ってた。(あなど)れないなぁ」


 朝陽くんが肩をすくめて笑い、階段を上り始める。

 わたしもついて上った。


(わたしのためにも、とも言ってくれた)


 夏樹くんは自分のしたことを心底反省して、罪悪感を感じて、どうにかしたいと思ってくれたのだと思う。


 包丁を持って“残機を返したい”と言いにきてくれた、あの切実な表情を思い出した。


 それと同時に、わたしを庇うため自分を犠牲にした柚の姿も。


 黙々と3階の探索を進めてくれているであろう高月くんのことも。


「…………」


 いま、すぐそばでわたしを守ろうとしてくれている朝陽くんの背中を見上げる。


(もし、わたしが“裏切り者”だったら)


 先ほどと同じことを考えた。


 彼らの命を、心を、踏みにじっているように思えてならない。

 わたしが偽物なら、いますぐにでも消えてなくなりたい……。




 3階へ上がり、北校舎側の廊下を歩き出す。


 (おおむ)ね2階と同じ状態だ。

 ここは高月くんが探索を進めてくれていた。


 開いている教室は素通りし、閉まっている教室は手持ちに鍵がないかを確かめていく。

 多目的室、実験室、準備室を過ぎ、次は理科室だ。


 朝陽くんが扉を照らし出す。

 “それ”を目の当たりにした途端、息をのんで硬直した。


「ひ……っ」


「びっくりした」


 開け放たれた戸枠の部分に人体模型が立っていた。

 光と影の具合でよりいっそう不気味に見える。

 威圧的にわたしたちを見下ろしていた。


「ゆ、柚の言ってた通りだ」


 理科室内で人体模型に追われる、という話。

 恐らく高月くんが追われながら鍵を探したのだろう。


「そうだね……。早く行こ」


 彼に促され、逃げるように人体模型の前を通り過ぎる。


 その間、ぎょろ、と無機質な目がわたしたちを捉えて離さなかった。

 ぞわぞわと悪寒(おかん)が背筋を這う。


 理科室からは出てこないと分かっていても、とって食われるんじゃないかとひやひやする。

 幸いにもそうならずに済んだ。


 その隣の準備室は開かなかったけれど、鍵も持っていない。

 さらにその隣の書道室は調べ終えてあり、扉が開いたままだった。


「朝陽くん、いま何時?」


「えっとー、1時59分。……あ」


 わたしも心の中で同じように「あ」と思った。

 ロック画面に表示されていた時間がちょうど2時に切り替わったのだ。


 ──キーンコーンカーンコーン……


 耳障りなチャイムが鳴り響いた。


 ──ゴォォオ……!


 轟音(ごうおん)が聞こえ始めると、またしても校舎が揺れ出す。

 壁に手をついて平衡感覚を失わないよう耐えた。


 吹き抜けの方を見下ろすと、崩れ去っていく2階が光の届く範囲で窺える。


 それを見て、いま気がついた。

 ここまで長く生き延びたのは初めてのことだ。

 それもこれも、みんなのお陰だった。




 ややあって揺れがおさまると、2階が完全に崩落した。


「……大丈夫?」


「うん……」


 頷いて答えたものの、心臓が強く打っているのを自覚した。

 得体の知れない不安が絡みつく。


 はっきり言って、ここからはわたしにとって未知の時間だ。

 何が起こるか、どんなものか分からない。


 校舎が狭まっていく分、化け物に遭遇(そうぐう)する確率も上がるだろう。

 危険が増しているのは間違いない。


「次、行こっか。美術室」


「あ、鍵持ってるかも」


 ポケットの中に手を入れ、冷たい鍵の束を掴んで取り出した。

 朝陽くんが照らしてくれるのを頼りに“美術室”のプレートを探す。


「……あった」


「よし。貸して」


 美術室の鍵を彼に渡し、残りはまたポケットにしまっておいた。

 ライトで照らしながら鍵を挿し込む様子を眺め、何となく気になったことが口をつく。


「バッテリー、大丈夫?」


 解錠(かいじょう)して扉をスライドさせた朝陽くんは、わたしの言葉を受けて思い出したかのように画面を見た。


「うわ、もう10パー切ってる」


「うそ!?」


 ある程度減っているだろうことは予測していたけれど、それを上回る数値の低さだった。


 調べられていない教室はまだ残っているのに、朝陽くんまで光源を失ったら何もできなくなってしまう。


「まずいな。ここに屋上の鍵あればいいけど」


 彼も焦りを滲ませつつ、半ば祈るように言った。

 ふたりで美術室の中へ足を踏み入れた、そのとき。


 ──ジリリリリリリ!


 非常ベルが鳴り響く。


 突然のことにびくりと肩が跳ねた。

 心臓が止まるかと思った。


 はっと思わず目を見交わす。


「鍵、あったんだ……!」


「よかった!」


 まだ安心できないとはいえ、今夜を生き延びられる可能性がぐんと高まった。

 あとは最上階へ向かい、屋上から飛び降りるだけだ。


「上がろう。朔か夏樹がいるはず」


「うん……!」


 朝陽くんに手を引かれながら、廊下を駆け抜けていく。


 けたたましいベルの音が鼓膜を震わせる中、脳裏(のうり)に血と鉈の色がよぎっては()かしてきた。


 いまも真後ろにぴったりと化け物が張りついているような気がしてくる。

 鉈の刃が首筋に迫っているんじゃないか、と恐ろしい想像が絶え間なく湧いてきて青ざめた。


「はぁ……はぁ……っ」


 息を切らせながら西階段を駆け上がっていく。

 屋上へ行くには、そのまま4階の廊下を通って東階段の方へ向かわなければならない。


 4階まで上がりきると、南校舎側の廊下を走り出した。

 先の方にライトの明かりが見えていた。


「誰かいる」


 駆け寄っていくと、こちらに背を向けて立つ姿が照らし出される。

 その人物を認め、はっとした。


「夏樹!」


「夏樹くん! 生きて、た────」


 言葉が途切れ、闇に吸い込まれる。


 その生存と無事を喜んでいる場合では、まったくなかった。

 彼のさらに奥を照らし、衝撃的な光景が目に飛び込んでくる。


「おまえら……」


 夏樹くんは振り向かないまま、硬い声で言った。

 油断なく前を見据えている。


 足元に広がる血の海と、その上に横たわる高月くんの遺体。

 それを挟んで、夏樹くんと化け物が対峙(たいじ)しているところだった。


「に、逃げないと……」


 震える声でたまらず言った。


 ここを通り抜けることができないなら、北校舎側から回り込んで東階段を目指すしかない。


 でも、結局は階段前で化け物に待ち伏せされてしまうだろうか。

 よりにもよって、どうしてこんな厄介な位置にいるのだろう。


「ああ、でもその前に“あれ”何とかしねーと……」


 身構えたままの夏樹くんが言う。

 あれ、が何を指すのか一拍置いて理解した。


(鍵……!)


 こと切れている高月くんの手のそばに、鍵が転がっていたのだ。


 プレートは“屋上”。

 あれを回収しないことには、脱出口を(ひら)けない。


 屋上の鍵を見つけたのは高月くんだったのだろう。

 階段へ向かう前に運悪く殺されてしまった。


「どうやって」


 余裕のない声色で朝陽くんが尋ねる。


 こちらを見てはいるものの、化け物は動こうとしない。

 鍵は恐らく餌なのだ。とった瞬間に襲いかかってくるだろう。


 彼女は圧倒的な力をもって人間を瞬殺できるくせに、たびたびこうしてわたしたちを追い詰めては(もてあそ)んでいた。


「……くそっ!」


 夏樹くんが振り切るように声を上げ、床を蹴った。

 素早い動きで高月くんの(かたわ)らに屈み、落ちている鍵を掴む。


「逃げろ!」


 そう言うと同時に、こちらへ向かって鍵を投げた。

 放物線を描き、飛んできたそれを反射的に朝陽くんが受け取る。


 ──ザン……ッ


 鋭い音が空気を割る。


 夏樹くんに目を戻すと、口から血をあふれさせていた。


 ぐらついた上半身が滑り落ち、ばったりと前に倒れる。

 切断面からは間欠泉(かんけつせん)のように血が噴き出して止まない。


「い……急げ!」


 突然のことに気圧(けお)されていたけれど、ぐい、と再び手を引かれたことで我を取り戻した。


 真っ赤な血の海と惨殺(ざんさつ)死体、不気味に(たたず)む化け物の横を一瞬のうちに通り過ぎる。


 もつれそうになる足を必死で動かし、東階段を上っていく。


「これ持って!」


 目の前に差し出されたスマホを反射的に受け取る。

 白い光が上下して揺れながら、おぼつかない足元を照らした。


「これも」


 ちゃり、と音が鳴る。

 屋上の鍵だ。言われるがままに受け取った。


 何か言ったり尋ねたりする前に最上階へとたどり着く。

 朝陽くんの手が離れると、わたしは倒れ込むようにしてドアに(すが)りついた。


「花鈴、早く!」


「うん! 分かってる……っ」


 震える手で挿し込んだ鍵を回して解錠し、慌てて彼を振り返った。


「朝陽く────」


 ちょうどくずおれる瞬間だった。

 こちらに背を向け、進路を塞ぐように両手を広げたままの身体が床に崩れ落ちる。


「……っ」


 その向こうに化け物が見えた。


 目の前の状況に圧倒され、わたしは呼吸を忘れていすくまってしまう。


「!」


 突然、眼前に化け物が現れた。瞬間移動してきた。

 血まみれの鉈が振り上げられたのを見て、とっさに身を屈める。


 ──ガシャァン!


 刃がまともにぶつかり、ドアの窓部分が粉々に砕け散った。

 避けるのが間に合わなければわたしがそうなっていた。


 冷えきって力の入らない手でドアノブを掴んで回す。

 震えが止まらない。


 全身でのしかかるようにしてドアを開け、屋上へ転がり出る。


 ──キーンコーンカーンコーン……


 音律(おんりつ)の狂ったチャイムが聞こえる。

 轟音とともに校舎が揺れ出す。


 凍てつくような冷たい風が吹きつけ、重たい空気に圧迫された。


 すくみそうになる足を気力で必死に動かし、ふちの方へ向かって走っていく。

 何度かつんのめって、でも転ばないように大きく踏み込んで、その足でどうにか踏みとどまった。


 校舎と奈落の境界線、その手前で思わず立ち止まる。

 ばっ、と勢いよく後ろを振り返った。


 塔屋(とうや)と屋上のふちのちょうど中間あたりの位置に化け物がいた。

 ずるずると折れた足を引きずりながら、少しずつ距離を詰めてくる。


「あなたは……」


 肩で息をしながら口を開いた。

 ひび割れたような声が掠れる。


「白石芳乃……そうでしょ?」


 慎重にその名前を口にした。

 自分でもどうしてこんな行動に出たのか、はっきりとは分からない。


 ぴた、と彼女の足が止まった。動きそのものが止まる。

 ぴちゃん、ぴちゃん、と滴る水の音だけが静寂を埋めている。


(反応、した……?)


 わたしの声は届いているのかもしれない。

 もしかしたら、話が通じるかも────。


 そんなことを考えていると、ふいに視界が(かげ)った。


 (すだれ)のような濡れそぼった髪が、鼻先に触れそうなほど近くに垂れている。


 その奥に覗く血走った瞳を見た。

 目が合った。


 いつもの真っ黒な眼球じゃない。

 けれど、深い恨みと憎しみを凝縮したように、恐ろしい色をした双眸(そうぼう)


「死ね」


 彼女が言った。

 直後、間合いをとって再び鉈が振りかざされる。


「……っ!」


 反射的にあとずさった。

 その足が地面を捉えることはなかった。


 身体の後ろ側に体重がかかり、そのまま倒れる。

 視界が縦に回るように傾いた。


 両足ともに地面から離れると、浮遊感に包まれながら奈落へ吸い込まれていく。

 見上げると、ぎらつく鉈が虚空(こくう)を切り裂いたところだった。


 そんな光景が、浮かび上がる校舎が、だんだん遠くへ霞んでいく。

 深淵(しんえん)の闇を延々と落下しながら、わたしは意識を失った。


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