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第8話 準備中の町、眠る旅人たち

リンドヴェールの門をくぐった瞬間、外の静かな風景とは対照的な賑わいが三人を迎えた。石畳の道には多くの人々が行き交い、露店が立ち並び、色とりどりの布が頭上を覆うように張られている。どこかから笛の音や太鼓のリズムが聞こえ、まるでお祭りの前触れのような活気があたりを包んでいた。


「わあ……すごい活気。ここ、ほんとに大きな町だね」


リィナが目を輝かせてあちこちを見渡す。エラはまだ人の多さに圧倒されているようで、少しリィナの近くに寄り添っている。俺は二人を見守りながら、辺りの様子を探った。


道端で商人らしき男が布を張り巡らせて何か大きな飾りを作っているし、向こうでは屋台がふたつみっつ連なって準備を始めているようだ。赤や青の旗が通りに下がり、人々が笑いながら通りを行き来している。


「今日は祭りの準備だよー!」


道端の飴細工を売っている老婆が、にこにこと声をかけてくる。細い手つきで飴をねじり、鳥や動物の形を作っているようだ。


「祭り……ですか?」


エラが思わず聞き返すと、老婆は嬉しそうに頷いた。


「そうさね。還り人様が現れたって噂があってね。それを祝う風のまつり。まさか本当にお戻りになるとは、誰も思っていなかったんだけど……今回はどうやら本物らしいって話でねえ。町中が大騒ぎさ」


その言葉に、思わず俺は足を止める。 還り人……? それは、俺のことを指しているのだろうか。 でも、町の人々はまだ誰も俺を指して騒いでいるわけではなさそうだ。それでも、町の人々は誰も俺の顔を知っているわけではない。つまり、伝説として語られていた“還り人”という存在に、具体的な人物像があるわけではなさそうだった。


「えっ……今、なんて……?」


リィナの声がわずかに震えていた。目を見開き、老婆を見つめたまま立ち尽くしている。


「還り人が……現れたって、本当なの?」


老婆は微笑んだまま、飴細工をこね続ける。


「本当かどうかは知らないよ。けど、風の神殿の風が動いたって話もあるしね。そういうのって、昔から“還り人”の兆しだって言われてるのさ」


リィナはしばらく黙ったまま、その言葉を反芻しているようだった。やがて小さな声で、ぽつりと呟く。


「……確かめてみたいかも」


それは、誰にというわけでもなく、ただ自分に言い聞かせるような言葉だった。彼女の瞳には、期待と不安が交差していた。まさか、こんな場所で──そんな思いが胸をよぎる。


彼女は少しだけ微笑んで、飴細工を一つ購入した。


エラもそれを隣で覗き込みながら、老婆に小さく声をかけた。

「……その、おまつりって……願いごととか、するんですか?」


老婆は目尻を下げて、飴を指で丸めながら頷いた。

「そうさねえ。風に乗せて届けるのよ。言葉でも、心でもね」


「言葉でも……」

エラは飴細工の鳥を見つめたまま、ぽつりとつぶやいた。

「……風って、どこまで届くのかな」


「さあね。でも、願う気持ちがあれば、風はちゃんと運んでくれるもんだよ」


エラは声を潜めて俺のほうを振り返る。


「還り人……いろんな伝説があるんだね。シン……どうする?」


俺は曖昧に微笑んで首を横に振る。「まだよくわからないけど……とりあえず今日は宿を探そう。祭りで町が混んでるなら、早めに部屋を取らないと満室かもしれないし」


エラもリィナも頷き、飴細工の老婆に礼を言って先へ進んだ。祭りの準備の熱気が伝わってくる中、まずは宿を確保することが最優先だ。


---


大通りを進んでいくと、町の中心部に近づくほど人の波が濃くなる。屋台や飾り付けが目につき、どこも忙しそうだ。

門番の話では、商業区の先に宿がいくつかあるらしい。露店の間を縫うように歩き、地図代わりに貼られた掲示板の前で一度立ち止まる。


「宿は……この辺りに何軒かあるみたいだね」


リィナが指差し、エラが少しほっとした様子で「よかった……」とつぶやく。三人とも昨夜は野宿だったし、さすがに風呂やベッドで休みたいと思っていた。


俺たちは掲示板の案内を頼りに裏通りを進み、見つけた看板を頼りに宿の扉を開いた。しかし、そこはすでに満室だった。祭りの影響か旅人や商人で埋まっているらしい。


二軒ほど同じように断られ、ようやく四軒目で空きがあると言われた時、三人とも思わず安堵の声を漏らした。


木のカウンター越しに、女将が申し訳なさそうに帳簿を見つめる。

「三人で一部屋……で、よろしいかしら? すみませんね、他の部屋はもう埋まっていて。狭いとは思うけれど」


リィナが即答する。「はい、大丈夫です! 全然狭くてもいいです、お願いします!」


俺は思わず振り返る。「……マジか。相部屋なのか」


「仕方ないでしょ? この祭りだもん、宿なんてどこも混んでるよー」


リィナは悪びれもせずに笑い、エラは微妙な顔をしているが、断って他を探す余裕もないのが正直なところだ。

女将に宿泊代を払い、鍵を受け取って二階へ向かう。


---


案内された部屋は木造の簡素な作りだが、窓から通りの賑わいを感じられ、わりと清潔そうだ。まだ布団は敷かれておらず、部屋の隅に畳まれた状態で置かれている。仕切り用の布も一緒に置かれていたが、あまりプライバシーは期待できなさそうだった。


「……結局、これかよ」


俺が思わず口にすると、リィナは「まあまあ、旅の味ってことで!」と平然としている。エラは落ち着かない様子だが、仕方ないかという表情で頷いた。


ふと、エラが俺のほうに顔を向けた。

「……シン」


「ん?」


「ここに来てから、ずっと胸がきゅってする。知らないことばっかりで、目が回りそう。でも……あったかい」


俺は小さく笑った。

「あったかい、か。そう思えるなら、今日はいい日だったんじゃないか」


「……うん。そう思う」


宿には小さな温泉があると女将に聞き、まずは風呂で汗を流したいところだ。幸い、男女別の湯屋が用意されているらしい。


「じゃ、先に私入ってくるねー」


リィナはタオルを手に、軽い足取りで女湯へと向かった。エラは彼女の背を見送りながら、どうしようかと迷っている様子だ。やがて決心したように「……行ってくる」と小さく呟き、リィナのあとを追う。


俺も荷物を整理した後、少し遅れて男湯へ向かう。

宿の廊下を歩いていると、「きゃっ、なに触ってんのよ! エラ!」というリィナの声が響き、「えっ、背中を洗ってたんだけど……」などと戸惑うエラの声も聞こえてきた。

俺は慌てて引き返し、「女湯に何かトラブルが……?」と一瞬不安になるが、どうやら単なるハプニングらしい。


「もう……!」というリィナの叫びが聞こえるが、すぐに笑い声に変わっていくのを背中で感じ、俺は少し安堵して男湯へ向かった。


---


湯上がりの空気が部屋を包むころ、三人ともさっぱりとした顔で戻ってきた。


俺たちは手分けして布団を敷き、仕切り布を掛け終えると、それぞれ自分の布団に腰を下ろす。狭い空間だが、どこか落ち着く静けさがあった。


「……これ、仕切りあるって言ってもほぼ同じ部屋だよね」


俺が苦笑すると、リィナは気にせず「三人一緒だし、気にしない気にしない!」と笑い、エラは「……もう慣れたよ……」とあきらめたように小さく息を吐いた。


「ねえ、シン。明日ってどうするの? 祭りの準備とかやってるみたいだけど、もう少し滞在してみる?」


リィナが布団に転がったまま、隣の俺に声をかける。


俺は天井を見つめながら、わずかに考え込む。


「再出発の準備もあるけど、還り人の情報を集めてみたい。宿の女将や、通りの人に聞いて回ってさ。それに“還り人”を祝う祭りってのも気になるし、見てみたいな」


エラが仕切り越しに小さな声で続く。「うん……わたしも、祭りって興味あるよ。こういう行事があるって、どんな感じなんだろうって」


「なら決まりだな。もう少し滞在してみよう。満室に近いみたいだし、部屋を変えられるかどうかは女将に相談だが……」


そう呟いてから、俺はふとリィナとエラの様子を伺った。二人とも野宿の疲れと温泉の効果で、まぶたが重くなっているように見える。


「今日はもう休もうぜ。明日、明るくなったら町を回ってみよう。祭りで人も多いだろうから、はぐれないようにな」


「うん、わかった……おやすみ」


エラが小さく呟き、リィナも「おやすみー」と背を向ける。


三つの布団が並んでいるこの光景を見て、俺は心のどこかで苦笑いを浮かべつつも、安心感に包まれるのを感じた。


こうして、俺たちは祭りの朝を迎えるため、リンドヴェールの宿で横になった。

外からは、まだわずかに祭りの準備らしき音が聞こえるが、夜も深まりつつある。

明日から、何が待っているのか――今はまだわからない。


そして、俺は静かに目を閉じ、布団の中でまどろみに落ちていった。

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