第3話 還り人
草原の風が、ほんの少しだけ向きを変えた。
吹き抜ける空気が、遠くから何かの“気配”を連れてくる。
エラが、ふと立ち止まった。
「……誰か、来る」
俺もすぐに気づいた。
風に混じる微かな足音、踏みしめられた草の揺れ。
まるで、こちらの居場所を正確に把握しているかのような気配が近づいていた。
やがて、草原の向こうに、数人の影が現れた。
先頭に立っていたのは、腰に旅の袋を巻き、杖を持った年配の男。
その後ろには若い護衛らしき男女が二人。
男は俺たちを見つけると、深く頭を下げてから静かに口を開いた。
「……還り人さま。語りの長の命により、お迎えに参りました」
エラが思わず俺の袖を引く。「え、どういうこと……? ねえ、知ってる人?」
「いや……知るわけない」
俺がそう答えると、男はわずかに顔を上げ、まっすぐに俺のほうを見た。
「風の兆しと、語りの予見が重なりました。“閉ざされた空間から現れし者あり”──それが今朝の語りに示されておりました。
風が教えてくれたのです。あなた方がこの草原に現れた、と」
どこまで本当なのか分からないが、警戒や敵意はなさそうだった。
むしろ、深い敬意のようなものを抱いているらしい。
「語りの長が、お待ちしております。よろしければ、村までお越しください」
俺はエラと視線を交わす。彼女はまだ戸惑いを隠せないが、小さく頷いた。
「……わたし、誰かと話すのって怖いけど……行く」
「俺も……なんだか気になるし、断る理由もないな」
そうして俺たちは、彼らの案内で草原をあとにし、小さな村へ向かうことになった。
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草原を抜けた先、丘の中腹にその村はあった。
苔むした石垣と、古びた木造の家々が並び、長い時を静かに受け止めているような雰囲気がある。
村に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
道端にいた村人たちが、俺たちを見るや動きを止め、戸惑いや驚き、どこか祈るような目でこちらを見つめる。
「……還り人さま……」
ぽつりと誰かが呟いた瞬間、人々の間にざわめきが走った。
まるで長く待ち望んだ伝説の人物が現れたかのように、村人たちは静かに頭を垂れ、道をあける。
エラは俺の背中に隠れるようにして、小さく震えた声で囁いた。
「こんなの……聞いてないよ……
知らない人たちに、こんなふうに見られるの……初めて……」
「俺も戸惑ってる。でも、危害を加えられる感じじゃないし……」
そう答えながら、案内役の男に続いて村の奥へ足を進める。
そこには、一本の大樹の根元に小さな建物があった。
中へ通されると“語りの長”だという老女が、深い眼差しを向けてこちらを待っていた。