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第20話 王都の街で

王都ヴァルトリアに足を踏み入れた瞬間、音の種類が変わった。


呼び込みの声。荷車の軋み。石畳を叩く靴音。

笑い声と、怒鳴り声と、金属の触れ合う乾いた音まで混ざっている。


人の多さだけじゃない。

情報が多い。


「……すごいね」


エラが呟いた。


「すごい、っていうか……うるさい」

ソフィが即答する。

口調はいつもの通り素っ気ないのに、歩く位置はさっきから妙にエラの近くだった。


「エラ、見えるか?」


「うん。見えてる」


「じゃあ、そのまま。近くで歩こう」


「うん」


俺がそう言うと、エラは袖を掴む手の位置を少しだけ変えた。

ぎゅっと強くするんじゃなくて、離れない程度に、ちゃんとついてくる感じ。


(前に……俺がはぐれたせいだな)


思い出して、ちょっとだけ胸がむず痒くなる。

でも言わない。言ったら、余計恥ずかしい。


人波に押されながら、大通りを進む。

左右の店は派手で、看板が多く、匂いも多い。焼いた肉と香草、甘い菓子、油の匂い。

目が追いつかない。


「ねえ、あれ見て」


エラが小さく指をさす。

大道芸みたいに輪を作っている人だかり。色鮮やかな布、鳴り物、拍手。


俺が顔を上げた瞬間、背中に軽い圧がかかった。


「寄らない」

ソフィが短く言う。

「今、迷ったら面倒」


「……面倒、ね」


「そう。面倒」


言い方はツンとしてるのに、理由はちゃんとしている。

それに何より、ソフィの目の下の影がまだ薄く残っていた。


(疲れてるんだよな)


「ソフィ、無理は——」


「してない」

被せるように言われた。

「……してないけど、早く落ち着きたい」


「分かった」


俺が頷くと、ソフィは一瞬だけ口を開きかけて、やめた。

言い返すタイミングを失ったみたいに、前を向く。


大通りから一本外れると、少し静かになった。

水路が走っていて、石壁が影を落とし、風が冷たく感じる。


「……こっちの方が好き」


エラが小さく言う。


「表は疲れる」

ソフィは淡々と返す。

「迷ったら戻れないから、ついてきて」


「うん」


エラの返事は素直で、ソフィの歩幅がほんの少しだけ緩む。

……本人は気づいてない顔をしているけど。


何度か角を曲がった先で、控えめな看板が見えた。


『宿・シエルの羽』


木彫りの羽のマークが、風で小さく揺れている。

派手さはない。けれど、落ち着いた空気が漂っていた。


「ここでいい」


ソフィが即断した。


「入ろう」


扉を押すと、木の香りと温かい空気が流れ出た。

外の喧騒が、嘘みたいに遠ざかる。


「いらっしゃい」


奥から現れたのは年配の女将だった。

穏やかな笑みを浮かべているが、目がしっかりしている。旅人を見慣れている目だ。


「三人かい?」


「はい」

ソフィが一歩前に出る。

「部屋、空いてる?」


女将は帳簿をぱらりとめくり、少しだけ眉を上げた。


「……運がいいね。ちょうど一室だけ空いてるよ」

「ただし三人部屋じゃない。二つ寝台があるだけだ」


「それでいい」

ソフィが即答する。


エラがぱっとこちらを見る。

どこか嬉しそうだ。


(……そうか、エラは“みんな一緒”が安心なんだな)


気づいたのに、俺はそれを言葉にしない。

言ったら、たぶん照れる。


鍵を受け取って二階へ上がる。

廊下は木の床で、足音が柔らかく響く。


部屋は簡素だが清潔で、窓があり、風が通る。

寝台が二つ。毛布が畳まれている。

三人だと——誰かが床になる。


「……わたし、床でいい」


エラがすぐに言った。


「だめ」

俺は首を横に振る。

「冷える。エラは寝台を使って」


「でも——」


「いいから」


ソフィが横から短く言った。

そして当然みたいに続ける。


「じゃあ、シンが床」


「……分かった」


言い返す気にはならなかった。

床でも寝られる。慣れてる。

それに、二人が落ち着くならそれでいい。


女将が軽いスープを運んできてくれた。

塩気のある匂いが、胃の奥を落ち着かせる。


「夕食はもう少しあとになるよ。まずはこれで温まりな」


「ありがとうございます」


三人でスープを分ける。

温かいものが喉を通るだけで、身体の緊張が少しほどけた。


エラは小さく息をついて、窓の外を見た。


「……王都って、ほんとに大きいんだね」


「大きい分、人も多い」

ソフィが言う。

「面倒も増える」


「また面倒って言った」


「事実」


エラがくすっと笑う。

ソフィはそっぽを向いたまま、ほんの少しだけ口元を緩めた気がした。


(……気のせいか?)


俺がぼんやり見ていると、ソフィが睨む。


「なに」


「いや……なんでもない」


「……変な顔」


「変じゃない」


「変」


こういうやり取りが、妙に落ち着く。

言い合いじゃない。

ただ、距離を測るみたいな会話。


窓の外では、夕暮れが王都の石を赤く染め始めている。

遠くの塔が影になり、街の輪郭が茜の中で浮かんで見えた。


そして、そのさらに奥。

城の輪郭が、街の向こうに見える。


——胸の奥が、ざわつく。


(……知っている気がする)


でも、確信にはならない。

同じなのに違う。

その“違い”が、喉の奥に引っかかって言葉にならない。


「シン」


エラの声で、我に返った。


「大丈夫?」


「ああ。大丈夫」


短く答えてから、少しだけ言い足す。


「……人が多くて、目が疲れただけだ」


「……目が疲れた、とか言って」


ソフィが小さく鼻を鳴らした。


「……ごまかしてるの、見え見え」


「……そう見えたか」


俺がそう返すと、ソフィは一瞬だけ言葉に詰まった。

踏み込みかけて、引っ込めたみたいに。


「別に」

そっぽを向いて、言葉を切る。


エラが俺とソフィを交互に見て、何か言いたげに口を開きかけたが、結局やめた。

代わりにスープの椀を両手で抱えて、温かさに頬を寄せる。


(……そういうところが、優しい)


俺は心の中でだけ思って、やっぱり言わなかった。


ソフィはスープを飲み終えると、短杖を壁に立てかけた。


「明日はギルドに行く」


「ギルド?」


エラが首を傾げる。


「情報が集まるところ」

ソフィが簡単に言う。

「王都で動くなら、まずそこ」


俺は頷いた。


「分かった。明日はそこからだな」


「……明日は私が話す。あんたは黙って頷いといて」


「分かった」


「約束」


「約束」


俺が素直に返すと、ソフィは一瞬だけ言葉に詰まった。

それからそっぽを向く。


「……別に信じてないとかじゃないけど」


「うん」


「うん、じゃない」


「じゃあ、なんて返せばいい」


「……知らない」


エラが笑いをこらえている。

ソフィが「笑うな」と目で刺す。

エラは慌てて口を押さえた。


(……少しずつ、馴染んできてるな)


そう思った。

ソフィはまだ淡々としているけれど、もう“ひとりで立ってる”感じじゃない。

言葉はツンでも、空気の中に混ざり始めている。


それが、なんとなく嬉しい。

でも、これも言わない。言ったら面倒だ。


「……寝るわよ」


ソフィがそう言って、灯りに手を伸ばす。


エラが小さく笑った。


「おやすみ、シン。ソフィ」


「おやすみ」


「……おやすみ」


ソフィの声は小さかった。

でも、確かに言った。


灯りが落ちて、部屋の中が暗くなる。

外の喧騒は遠いまま、王都の夜が始まる。


俺は床に横になり、天井を見上げた。


明日、ギルドに行く。

そこで何が分かるかは分からない。

ただ——この街の空気は、俺の胸の奥をずっと揺らしている。


(確かめる)


言葉にしないまま、心の中だけで繰り返した。


王都ヴァルトリア。

この舞台で、俺たちは次の一歩を踏み出す。

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