【コミカライズ】だって、あなたは聖女ではないのでしょう?
今から十七年前、シャズリーヌ王国に降臨した神はこう言った。
『今年生まれる女性に神の力を授けたよ』
それはつまり、聖女の誕生を意味していた。
しかし、神はそれ以上の情報は与えず、彼女を探すようにとだけ言い置き、天界へと戻ってしまった。
以後、シャズリーヌ王国は聖女を見つけようと躍起になっている。
***
「聖女、ねぇ」
本当にそんな女性がいるのだろうか? ――神殿に集められた女性を見回しながら、聖騎士リアムはため息をつく。
十六歳のときから六年間、聖女候補たちを間近で見ているが、誰も特別な力を持っているようには思えない。
……というのも、気まぐれな神が『誰が聖女なのか』明言することも、印をつけることもしなかったためで、少しでも奇跡に近い力を見せた女性はみな聖女候補とみなされ、神殿に集められているからだ。
聖女候補たちは一定期間、聖騎士たちが見守る中、聖女としての素養や力を確認される。そして、間違いなく聖女ではないと判断された女性は元の生活に戻る決まりになっていた。
「リアム、今日からはこちらの女性――ラブ様につくように」
この日長官が連れてきたのは、ラブという小柄な女性だった。茶色の髪に茶色の瞳、可愛らしい顔立ちではあるが、宝石や花にたとえられるほどではない。どこにでもいる、至って普通の女性に見えた。
「承知しました」
どうせ彼女も聖女ではない。リアムはそう言って長官に向かって頭を下げる。
「リアム様、とおっしゃるのですね」
ラブはそう言って、リアムの顔をじっとのぞき込む。――なるほど、早速取り入ろうとしているのだろう。
聖女候補はいつもこうだ。聖騎士たちが自分の命運を握っていることを知っていて、なんとかして気に入られようと躍起になる。聖女と認定されれば、国から莫大なお金が支給されるし、確固たる地位を得ることができる。王族との婚姻だって可能だし、女性としての栄華を極められるといっても過言ではない。だからこそ、ちょっとした『奇跡』が起きるだけで、いろんな女性が神殿にやってくるのだが……。
「あの、最初に謝っておきます! わたし、聖女じゃないんです!」
「……は?」
しかし、ラブが口にしたのは思いがけないことだった。リアムは首をひねりつつ、ラブのことを見つめ返す。
「聖女じゃない?」
「はい。わたしはどこにでもいる、普通の人間です。本来こんなところに来るべき人間じゃないんです」
「それじゃあ、どうしてここに?」
リアムがたずねると、ラブはシュンと肩を落とした。
「実は、わたしが起こしているのは『奇跡』に違いないって、町の人から騒がれてしまったんですよね。全然、そんなんじゃないのに。それが神殿の人の耳に入ったらしく、お迎えがきてしまって」
なるほど、これまでは本人が『自分は聖女に違いない』と神殿に来るパターンがほとんどだったので、珍しいパターンである。
「……ですから、リアム様にはしっかりわたしを見てもらって神殿に『この女は聖女じゃない』って報告してもらいたいんです。そうしたらすぐに家に帰れるでしょう?」
「……なるほど」
これまで『自分は聖女だと口添えしてほしい』と請われてきたリアムとしては、こちらのほうがずっと気が楽だ。リアムはホッとほほえみつつ「わかりました」と口にする。
「ラブ様の事情はさておき、最低三カ月はここで生活し、聖女としての素養を見定めることになります。よろしくお願いいたします」
「わかりました! よろしくお願いいたします」
ラブは満面の笑みを浮かべると、ペコリと大きく頭を下げた。
***
「それで、わたしはなにをすればいいのでしょう?」
「――とりあえず、病棟に行ってみましょうか。怪我をしている人や病気の方が来ていらっしゃいますので、聖女として『手当て』をしていただきたいです」
説明をしながら、リアムは神殿の奥へラブを案内する。
神殿に併設された病棟には毎日たくさんの人がやってきて、医官の治療を受けている。聖女候補たちは彼らの話を聞き『手当て』をする。聖女ならば患者の痛みを緩和することができる――はずだ、というのが国の考えだ。
実際のところ、聖女がなにをできるかもよくわかっていないので、手当たり次第にそれっぽいことを試させている、というのが実情なのだが。
「手当てねぇ? それで痛みがなくなったとしても、気のせいだと思うんですけどねぇ」
ラブはそう言ってほんのりと唇を尖らせている。
「――いや、聖女候補がそんなこと言わんでください」
「でもでも、リアム様もわたしと同じ考えなんでしょう?」
えへへ、と笑いかけられ、リアムは返答に困ってしまう。
実際のところ、聖女候補たちに『手当て』をさせたところで、誰が聖女なのかを特定するのは難しい――少なくともリアムはそう思っている。患者が『よくなった気がする』と言えばそれだけで、聖女候補には『聖女の素養がある』ということになってしまうからだ。
だからこそ、神殿は未だに聖女を確定できていない。もちろん、本当の聖女を見つけられていなかっただけの可能性も大いにあるが……。
「――この患者さんは心臓を患っています。私たちが薬を処方し、治療を続けていますが、完治はできない病気です。また、薬を飲んだとしても、痛みは強いようで……」
「なるほどなるほど」
病棟につくと、ラブは医官から説明を聞き、患者のそばに座る。
「こんにちは。ちょっと『手当て』してもいいですか?」
「……また聖女候補か。どうせ今回も偽物だろう? なんの意味もないよ」
患者はそう言ってフンと大きく鼻を鳴らす。ラブは少しだけ目を見開くと「わかります!」と笑顔で手を叩く。
「実はわたしも、自分は聖女じゃないって思ってるんです。それでも、あなたの痛みが少しでも軽くなったらいいなあと。……まあ、気休めだと思って」
ラブはそう言って、患者の胸のあたりに手を当てた。
「痛いの痛いの飛んでいけっ」
満面の笑みを浮かべたラブに、患者は狐につままれたような表情を浮かべる。……と同時に、彼の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「……え?」
「えへへ、少しは元気出ました? でも、わたしができるのはこれぐらいなんで、ホント、ごめんなさいね!」
ラブはそう言って患者のそばから立ち上がる。
「――痛みが消えてる」
「え?」
患者がつぶやき、リアムは思わず目を見開く。
だが、次の患者のもとに向かうラブには、彼らの会話は聞こえていなかった。
「ラブ様は手当てをするのははじめてですか?」
「え?」
患者たちへの対応を終えてから、リアムはラブにそうたずねる。
「いえいえ、家族が怪我したときとかにやってましたよ。痛いの痛いの飛んでいけ〜って」
「それで? そのとき、ご家族はなんて言ってました?」
「『ありがとう、ラブのおかげですっかり痛くなくなった』って言ってましたね。もちろん、気休めというか、気のせいだと思いますけど」
ラブはそう言ってケラケラ笑う。
……が、リアムは神妙な表情を浮かべた。
(気のせい? ……いや、違う)
あのあと、ラブは何人かの患者に同じことをしてみせた。
はじめの患者以外は聖女たちの手当てに好意的だったからわかりづらかったものの、みな一様に『よくなった』と言っていた。加えて、気のせいではすまない事象――発熱していた患者がすっかり元気になる、傷口が塞がる、ということも起こっていた。もちろん、タイミングの問題だった可能性もあるが……。
「ご家族以外には?」
「うーーん、あんまりやったことないですね。なんせ小さな町出身ですし、他人に向かって普通そんなことしないでしょ?」
「……そうですね」
リアムは返事をしつつ、心のなかで小さく唸る。
(いや、ラブ様の言うとおり、たまたまということもあるだろう)
結論を出すにはあまりにも早い。彼は小さく首を横に振った。
「それにしても、リアム様ってカッコいいですね」
「は?」
あまりにも唐突なラブの発言に、リアムは思わず目を丸くする。
「よく言われません? 綺麗な顔立ちだねって」
「いえ、特には」
顔立ちこそ整っていて綺麗なものの、いかんせん堅物で無愛想なため、リアムが女性にモテることはない。こんなふうに褒められるのは、正直言ってはじめてだった。
「え〜〜? すごく素敵だと思うのに」
「それはどうも」
「これがいわゆる一目惚れってやつでしょうか?」
「……いや、さすがにそれは気のせいでしょう」
驚くやら戸惑うやら。リアムは頬を染めつつ、ラブからそっと視線をそらした。
***
「ラブ様の言うことって、本当によく当たるのよね……」
それはラブが神殿に来てから一週間後のこと。参拝客がそんなことを噂するのをリアムは耳にした。
聖女候補たちは毎日神殿に立ち、人々の祈りごとや悩みを聞く。それは『聖女たるもの高潔たるべし』という国の考えによるものなのだが、平民出身のラブは高潔――とは言い難い、友人の悩みを聞くような和やかな雰囲気で、参拝客たちの話を聞いている――というか、おしゃべりを楽しんでいた。
「よく当たる、とは?」
リアムが参拝客にたずねると、彼女はキョトンと目を丸くしてほほえんだ。
「それがね、ラブ様に『旦那の仕事が上手くいってない』って相談したの。そうしたら『隣町に行ってみるといいことがありそう』なんて言われて。半信半疑で行かせてみたんだけど、すごくいい縁があったのよ」
参拝客の返答に、リアムはうーんと首をひねる。
(たまたま、だよな?)
そう思うものの、証言者が一人や二人じゃないからたちが悪い。
しかし、ラブ自身にたずねてみても『たまたまですよ』と返されるに決まっている。参拝客の話を聞くラブを見つめつつ、リアムは唇を尖らせた。
それから数日後、リアムはラブを連れて、とある土地を訪れていた。そこでは数ヶ月前から干ばつが続き、飲水の確保すら難しくなっているそうで、聖女候補たちをたびたび派遣している。しかし、それでも雨が降ることはなく、人々は困り果てていたのだが――。
「――雨、ですね」
「本当ですねぇ! よかったよかった」
ふたりが降り立った瞬間、雨がザーザーと降り注いだ。住人たちは大喜びで外へ飛び出し、嬉しそうに空を見上げている。
「傘、持ってくればよかったですねぇ」
「……そうですね」
ラブとともにびしょ濡れになりながら、リアムは唇を引き結ぶ。
「ラブ様、もしかして以前にも似たようなことがありました?」
「まさかぁ! たまたまですよ、たまたま」
ニカッと満面の笑みを浮かべつつ、ラブはリアムに寄りかかる。
(間違いない。以前にもあったんだな)
おそらくはそれが、彼女が聖女として担ぎ出された理由なのだろう。リアムはまじまじとラブを見つめる。
「本当ですって。偶然っていうのはまま起きるものなんですよ! わたしがこうしてリアム様と出会えたみたいに」
「――そうですか? というか、俺とあなたが出会ったことは関係ないですよね?」
「水も滴るいい男! わたし、リアム様が大好きです!」
「――それはどうもありがとうございます」
リアムは眉間にシワを寄せ、うーんと唸り声をあげた。
ラブはリアムが大層お気に召したらしく、頻繁に好意を伝えてくる。もちろん、嫌われているより好かれているほうが仕事がしやすいのだが、真面目で堅物なリアムは反応に困ってしまう。
「リアム様ったら、本気だと思ってないでしょう?」
「……当然です。もしもラブ様が聖女と確定したら、王族と結婚する可能性が高いですし」
「またまたぁ! わたしは聖女じゃありませんってば!」
ケラケラと笑いながら、ラブはリアムをギュッと抱きしめる。
(いや、おそらくラブ様は聖女だ)
こんなにも偶然が続くはずがない。
とはいえ、本人に気のせいだと言い張られてしまったら、聖女だと認定することは難しくなってしまうのだが。
「せっかく来たので、作物の具合も視察していきましょう」
「そうですね! 今からでも元気に育ってくれるといいんですけど!」
「――そうですね」
おそらくはラブの言うとおりになるだろう。リアムは思わず目を細めた。
***
「――あなたがラブ様?」
神殿に戻った二人は、とある人物から呼び止められた。
まばゆい金の髪に緑色の瞳、女神もかくやという美しさを誇る女性で、名をステラという。これまで聖女の可能性が一番高いと期待されてきた女性だ。かたわらには、彼女のお目付け役である聖騎士ラウルが控えていた。
「――なんの御用ですか? ステラ様」
ラブがこたえるより先に、リアムが言う。彼はラブを後ろにさがらせると、ステラたちをじっと見つめた。
「いえね、最近本物の聖女が現れたんじゃないかって噂になっているって聞いたから、顔を拝みに来ましたの。なんというか……至って平凡な方なのね」
その瞬間、リアムがムッと顔をしかめる。と同時に、ラブは満面の笑みを浮かべた。
「わたしが聖女? まさかまさか! ステラ様のほうがよっぽど聖女っぽいですよ。まさに神から愛された美貌って感じ? そういうの、わたしにはありませんもの。ねえ、リアム様」
「そうですね」
「……そこは否定してほしかったです」
自分で話を振っておきながらシュンと肩を落とすラブに、リアムは思わず目を細めた。
「――聞けば、数々の奇跡を起こしているんですって?」
ラブたちの雰囲気に困惑しつつ、ステラがそうたずねてくる。
「え〜〜違いますよ。全部気のせいですって。ね、リアム様」
「…………」
気のせい――と言われてしまえば気のせいのような、はたまたそうではないような。少なくとも、現段階で「そうです」と触れ回るのはためらわれる。リアムが返答に困っていると、ステラはフンと鼻を鳴らした。
「そう……それならいいけど、覚えておいて。本物の聖女はこのわたくしよ。あなたじゃないの」
「なるほど! ステラ様が本物の聖女なのですね! わかりました! リアム様も、わかりました?」
「いや、俺に振られても……」
首を傾げるリアムに、ステラは不機嫌そうに踵を返した。
「なんだ、ちゃんと適任者がいるんじゃないですか。ステラ様ってたしか、一番聖女に近いって噂の人でしょう? いろいろと奇跡を起こしているって」
「……それこそ『気のせい』で済ませられる内容ですよ」
中身はどれもラブが起こした奇跡に近いが、質が違いすぎている。リアムは小さくため息をついた。
「でもでも、少なくともわたしみたいに『聖女じゃない』なんて言わないし、やる気に満ちあふれているじゃないですか?」
「まあ、それはたしかに」
聖女が聖女である証明など誰にもできない。だったら、自覚とやる気のある人間が就任したほうがいい――一理ある。もちろん、それが国のためになるかはわからないが。
「あれだけ美しかったら国民からの人気もバッチリでしょうしねぇ……わたしと違って」
「……もしかして、さっきのこと、根に持ってます?」
どこかいじけたようなラブの表情に、リアムは思わず笑ってしまう。
「当然ですよ! 好きな人からあんなこと言われて、傷つかない女なんていません」
「好きな人ねぇ」
どこまで本気なのだろう? リアムは目を細めつつ、ラブの頭をポンと撫でる。
「あなたは――可愛いですよ。神から愛された美貌……とは違うかもしれませんが、俺はすごく可愛いと思います」
「リ、リアム様……」
ラブは瞳を潤ませながら、リアムの身体にひしっと抱きつく。
「大好きです!」
「はいはい、知ってますよ」
本当に聖女らしさのかけらもない。けれど、リアムにはとてつもなく可愛く見えた。
***
その日以降、ステラはなにかとラブに突っかかってくることが多くなった。どうやらライバル視をされているらしい。
「いやですねぇ、わたしは本当に聖女じゃありませんのに」
「そうよ、そうよ! わたくしが真の聖女だもの!」
ふたりのやりとりを見守りながら、リアムはなんとも言えない気分になってしまう。
(聖女なのに『自分は聖女じゃない』と頑なに主張するラブ様と、聖女じゃないのに『自分は聖女だ』と言い張るステラ様って……)
とはいえ、証拠と呼べるものがない以上、どちらの主張もまかりとおる。神様もまどろっこしいことをしてくれたものだと、リアムはこっそりため息をついた。
「わたし、ステラ様を応援します!」
「応援? そんなもの、しなくて結構よ! だって、わたくしが聖女だもの」
フン、と鼻を鳴らして去っていくステラの姿はもはや神殿の名物と化している。やれやれとつぶやくリアムに、ラブはふふ、とほほえんだ。
「ステラ様みたいな人が聖女なら、この国も安泰ですね」
「そうでしょうか? やる気があるのは結構ですが、見ていて危なっかしい感じもしますよ」
「でもでも、ステラ様って参拝客にすっごく優しいんですよ! あの姿はまさしく聖女って感じがしますし、彼女に救われた人ってたくさんいるんじゃないかなぁって思うんです」
ラブは心の底からそう思っているらしく、瞳をキラキラと輝かせている。
「まったく、あなたという人は……」
ラブのこういう素直なところは可愛いし、好ましいと思う。神様は彼女のこういうところを愛したのだろうか? ――そう思うと、なぜだかジリジリと胸が焦がれた。
「――どうやってここまで入ってきたの!? 帰って! 二度と顔を見せないでよ」
とそのとき、ラブたちが向かう方角からそんな声が聞こえてきた。ステラの声だ。
「親に向かってなんだ、その態度は!?」
「そうよ、ステラ。あなただけこんなところでいい生活を送るなんて許せないわ! だいたい、誰のおかげでこの世に生まれたと思ってるの? わたしたちのおかげでしょう? 本当に恩知らずな子ね」
会話の内容から判断するに、相手は彼女の両親らしい。聖騎士ラウルがふたりを引き剥がしているが、ものすごい圧だ。
「聖女候補には国からお給金が出ているんだろう? 寄越しなさい」
「いやよ。誰があなたたちになんか……!」
「バカをおっしゃい。子どものものは親のものって相場が決まっているのよ。あなたが寄越さないなら、直接上の人間に働きかけてもいいんだけど……」
「やめて! お願いだからやめてよ!」
ステラの瞳から涙がこぼれる。普段のすまし顔からは想像できないほど悲痛な表情だ。これには、彼女にいい印象を抱いていないリアムも胸を打たれてしまう。
とそのときだ。
まばゆい光とともにハチの群れが現れ、ステラの両親を取り囲んだ。
「な、なんだこれは? ハチ? どうしてこんなところに?」
「いたっ! いやよ、やめて! こっちにこないで!」
ハチたちはふたりに狙いを定めると、勢いよく攻撃をはじめる。
「まあ大変! 早く逃げてください! 出口はこちらですよ!」
気づけば隣でラブがそう叫んでいた。ステラの両親は悪態をつきながら、急いで神殿の出口へと向かう。その際、ふたりそろって神殿の壁に小指をぶつけ、痛い痛いと泣きわめいていた。
「まったく、世の中には困った人もいたもんですね」
ラブがそう言う。ステラは顔を真っ赤に染め、急いでその場から立ち去ってしまった。あとにはリアムと彼女の騎士であるラウルだけ。ラウルは小さくため息をついた。
「先程はありがとうございました、ラブ様」
「え? なんのことでしょう? わたしはなにもしてませんけど?」
目を左右に泳がせながら、ラブはぎこちない笑みを浮かべる。ラウルは少しだけ目を細めると、静かに頭をさげた。
「ステラ様が聖女にこだわるのはご両親のためなのです」
「でしょうね! なんなんでしょう、あのふたり? 子どものものは親のものだなんて、馬鹿言うんじゃねぇって感じです」
ラブはそう言ってぷりぷりと頬を膨らませている。ラウルはステラの両親がいなくなった方角をぼんやり見つめた。
「ステラ様は男爵家の令嬢ですが、ご両親があんな調子で……ひどく貧しい幼少期を過ごされました。あのふたりは酒癖も悪く、ステラ様に暴力を振るわれることも多かったようで、本当にお辛かったそうです」
あのステラにそんな過去があったとは――リアムは思わず顔をしかめた。
「そんななか、ステラ様は聖女の素養が認められ、神殿で生活ができるようになりました。はじめのうちはご両親が頻繁にいらっしゃって金の無心をしていたのですが、当然神殿でも問題視されまして。おふたりは出入り禁止になりました。それから数年鳴りを潜めていたのですが、どうやら機をうかがっていただけのようですね。忍び込まれてしまいました」
ラウルが大きく肩を落とす。ラブはそっと身を乗り出した。
「ひどい! ステラ様が気の毒です! なんとかして、あのふたりとステラ様を切り離すことはできないんですか?」
「それこそ、ステラ様が聖女に選ばれるのが一番なのです。神殿にいれば手厚い警護を受けられますし、もしも王族との婚姻が決まればステラ様はあのふたりからは手が届かない存在になります。逆に言うと、もしもこのタイミングでステラ様が聖女でないと判断されてしまった場合、彼女は行場を失うことになるでしょう。だからこそ、ステラ様はあなたが――ラブ様が怖いのです。本当は自分が聖女ではないと気づいていらっしゃるから……」
ラブはラウルの言葉を聞くと、拳をグッと強く握る。
「そうですか。ですがわたしは聖女ではないので……」
ラブはそこで言葉を区切ると、今にも泣きそうな表情でリアムの腕にしがみついた。
「とりあえずは、ステラ様のご両親が壁という壁に小指をぶつけまくることとか、外出するたびにハエが顔に突進してきたらいいなぁって思ってもいいですよね? ね?」
「ラブ様……」
リアムは目を細めると、彼女の頭をポンと撫でる。
「もちろん。あなたは聖女ではありませんから、そのぐらい神様もお許しになります」
「うぅ……うぅうう……」
ステラを思って流す涙はあまりにも温かく、美しい。リアムはラブの涙をそっと拭った。
***
それから数日後のこと。神殿にかつてないほどの緊張が走る。
「ついに本物の聖女が見つかったと聞いたのだが」
現れたのはこの国のトップ――国王と王太子御一行だった。
(くそっ、いつの間にか陛下まで噂が届いていたのか)
リアムがどれだけ報告を先延ばしにしていても、人の口に戸は立てられない。おそらくは参拝者経由でラブの噂が広まっていったのだろう。
「あ……あぁ……」
ふと見れば、ステラが青白い顔をして震えていた。
ラブが聖女に就任すると、他の聖女候補たちは不要となってしまう。神殿を出ればもう、ステラには両親から逃げるすべがない。……残念ながらタイムリミットが来てしまったのだ。
「それで? 本物の聖女はどこに?」
「ここです!」
声をあげたのはラブだった。
(あんなに嫌がっていたのに……)
さすがに王族に対してまで嘘はつけなかったのだろう。そう思いながらラブを見た途端、リアムは思わず目を見開いた。なんと、ラブが指しているのは自分自身ではなく、隣りにいるステラだったからだ。
「聖女様はこちらです! こちらにいらっしゃいます!」
「ラブ様、あなた……」
ステラは困惑しながらラブを見る。ラブは彼女の手をぎゅっと握ると、神妙な面持ちで目をつぶった。
「ほう……? 私が聞いていた聖女の名前とは違っているが、彼女が本当に聖女なのか?」
「ええ、そうです! その証拠に、ステラ様は今ここで、神様を召喚することができます」
「「え?」」
ラブの発言に、ステラもリアムも驚愕する。ふたりはいそいでラブの腕を引き、国王たちから距離をとった。
「ちょっと、わたくしがそんなこと、できるわけがないでしょう? なんなの? これまでの仕返し? あなた、わたくしが罰せられるところが見たいの? 偽物の聖女だってバレて、両親のもとに連れ帰られるところが見たいわけ?」
ステラがラブへと詰めかける。
ラブは首を横に振ると、ステラのことをまっすぐに見つめた。
「ステラ様、今日からあなたは聖女です」
「なにを馬鹿なことを。本当はあなたが聖女なのに……わたくしにはそんな力、ないのに……」
ステラが悔しげに唇を噛む。ラブは目を細めると、もう一度ギュッとステラの手を握った。
「わたしは聖女じゃありませんよ。呼んでください、神様のこと。絶対にこたえてくれますから」
「神、様……?」
そのとき、神殿にまばゆい光がさしこんだ。ついで空から白銀の獣が舞い降り、ステラの前でピタリととまる。
「神様だ……」
神官たちから感嘆の声があがった。十七年前、聖女の誕生を告げるために現れた神が今またここにいる。
「どう、して……?」
「神の力を授けたのだから当然だよ」
驚きに目を見開くステラに神が言う。
「ステラ――君は聖女だ」
その瞬間、ステラの瞳から涙がこぼれ落ちた。神殿にわきおこる熱狂と興奮の渦。神官や聖騎士、他の聖女候補たちからステラがもみくちゃにされている。その様子を見守りながら、ラブが満足げに笑っていた。
***
「よかったんですか? あれで」
リアムがたずねる。神殿のなかでは今、新たな聖女の誕生を祝うための盛大な宴が開かれていた。
「よかった、とは?」
「――あそこで祝われるべきなのはラブ様だったのに。あなたがステラ様に神の力を渡したんでしょう? ……違いますか?」
リアムが言う。大層不服そうな表情だ。
「またまたぁ! わたしにはそんなことはできませんよ! だって、聖女じゃありませんもの」
ラブはケラケラと笑いながら、ゆっくりと空を見上げた。星が綺麗にまたたき、神殿に向かって降り注いでいる。ラブは静かに目をつぶると、その場に立ち止まった。
「ただですね、わたしは聖女なんかじゃないんですけど……」
「……? はい」
リアムがラブを見つめる。ラブは顔を真っ赤に染め、それからリアムにすがりついた。
「まだまだ思い込みの力は残っているというか、いろんなことができる気がするんですよね。もちろん、これまでと同じ気のせいの範疇なんですけど」
「ラブ様……」
つまり、ラブは自分の力をステラに分け与えただけで、彼女自身はまぎれもない聖女ということなのだろう。リアムは思わず吹き出してしまう。
「ここに残っちゃダメですか?」
「え?」
「わたし、絶対役に立ちますし。……というか、リアム様と離れたくないんです! わたしみたいな女を大きな心で受け止めてくれるのはリアム様ぐらいだと思うし……本当に、リアム様のことが好きなんですよ」
今にも泣き出しそうな表情でラブがリアムを見上げる。リアムは小さく目を見開くと、ラブのことを抱きしめ返した。
「あなたの素直なところは可愛くてたまらないんですが……そういうセリフは男の俺に譲っていただきたいですね」
「え? それって……」
ラブの瞳から涙がこぼれ落ちる。と同時に、リアムがラブの額にそっと口づけた。
「俺はずっと、ラブ様を手放すつもりなんてありませんでしたよ?」
だからこそ、聖女を隠匿した罪で罰せられる危険を犯してまで報告を保留にしてきたのだ。もちろん、そんなことはかっこ悪くて誰にも言えやしないけれど……。
「――夢じゃありませんよね? というか、気のせいとか、たまたまとか、見えざる力が働いているとかじゃありませんよね?」
「違いますよ。だって、あなたは聖女ではないのでしょう?」
リアムが口付けると、ラブはキョトンと目を丸くする。
それから「そうですね!」と言って、満面の笑みを浮かべるのだった。