未来ノ島中学校 1年A組根岸リリア
中学校入学。リリアは進学の他に、もう一つ大きなイベントがあった。それは引っ越し。海を超えてだ。
根岸リリアはこの春から、この日本の人工島、未来ノ島で暮らすことになった。この島で飲食店を開業しようというのが、母であるアンヤのかねてからの希望だった。抽選で入植の資格を得て、物件を見つけて引っ越しをする。そのハードルは案外高い。
この島は世界的に話題の人工島だ。故に、住民は元々の土地の民族である日本人が大半を占め、海外からの引越しは抽選制となっている。子が進学する年齢に至り、ここ未来ノ島に新天地を求めてやってくる家族も数多い。海を超えて国を超えて、この島に到着したときには、あまりの環境の違いに驚いてしまった。
故郷にそれなりに愛着もあった。父を亡くし、母の仕事も、うまくいくかリリアにはわからない。不安で仕方がなかったが、この学校での出会いと近所の住民との交流で、少しだけ気持ちは前向きになっている。
リリアは故郷の伝統的な飾りのついたヘアゴムを指先で摘みながら、新しい友人と放課後の女子会トークを楽しんでいた。
「クリスって、赤ちゃんの頃からこの島にいるのか?」
「そうなの。ママが島の建設に関わる会社の役員で」
とりわけこの桐崎クリスタルと大分鞠也に、今のリリアは関心を持っている。席がたまたま近くだったことが大きいが、会話してみると心地よく、ひとまず初動の仲良しグループ形成期間では、この3人でまとまっていた。
「すげーよな、日本とアメリカが両方関わって、いろんな会社が寄ってたかっても100年くらいかかったんだっけ?」
制服のスカートは長い。慣れない丈のそれを折って短くしようか迷うが、今はやめておくことにして椅子に座り直した。
「あんまり長いから、聞いてもママが未来ノ島を作ったのは最後の方だけよ、って本人は言うけどね」
長期プロジェクトならそうだろう。人間、全力で働ける期間は短いらしい。何代にもわたって引き継ぎ、ようやく辿り着いた完成だったと聞いている。
小柄な友人、鞠也も発言する。おとなしいようでいて、案外しっかりとした意見を持っているようだ。そこがリリアが彼女を気に入ったポイントだ。彼女はリリアの机に軽く手をついて立っていたが、側の席の生徒が帰ったため、その椅子を借りた。
「お父さんは、この島の警備をしてるのね?」
「そう。ドローンとか、警察や自衛隊との連携システムとか色々」
きっと鞠也は将来仕事をバリバリとこなす、できる女性になるだろう。そんな気がする。
「その最後の調整で、パパとママは出会ったんだって。最初はアメリカで結婚したあと、そのまま向こうで住もうとしてたけど……案外早く終わった島の完成と入植に合わせて引っ越すことにして」
「最後って、今までの出来事とか調整の色々を把握して終わらせないといけないんだから、それはそれで大変じゃないかしら?」
「詳しくは教えてくれないけど、多分そう言う目に遭ってたと思うよ、ママ」
リリアはふーんとか、へーとか、相槌を打ちながらもあまりこの話題に乗れずにいた。事務的な作業全般、というより、細かいことがリリアは苦手なのだ。だから事務的な色々なことや、社会で必要な手続きが色々あることを考えようとすると、頭が痛くなってくる。
そんなリリアの反応を察してか、クリスが話題を少し変えてくれた。
「根岸さんもこの春引っ越してきたんだよね?」
新顔の扱いには慣れているといった様子だ。産まれたときからこの島にいるという方が珍しい。
「うちは住民受け入れの一発目には漏れたんだけど、二発目に抽選で当たったんだ。それでインドからマムと引っ越してきたってわけ」
色の違う二人と顔を見合わせる。このメンバー、三人集まるとかなりカラフルだ。結構目立っている気がする。金髪に青い目のクリス、赤毛の鞠也と、そして褐色に真っ黒な髪の自分。
「カレー屋さんだっけ?」
そうか、この国の人間はインドの料理に詳しくない。自分の知るスパイス料理は、きっと彼女らにとってすべて『カレー』だろう。
「そんなもんかな。あたしも手伝ってドーナツみたいなの揚げたりする」
わかりやすく説明する。油を使った料理は好きだが、スパイスの調合は細かくて苦手だ。インド人なのにと言われそうなので、今は黙っておく。
「お料理できるのね。私はまだあまり挑戦したことがないんだけど……」
「お菓子とかから始めたらいいんじゃないかな?」
「アタシんちでやってみるか?」
「いいの? 助かるわ……両親も料理をあまりしないから、道具が揃ってなくて」
「そりゃ道具ないなら子供が料理始めるのムリだわ! 鞠也偉すぎ〜!」
「きゃ!」
鞠也の慌てた顔が見てみたくて、頭をぐりぐりと体に押し付けてみた。思ったよりもかわいい反応。これは癖になりそうだ。
「大分さんは、前はどこにいたの?」
「私は本土の、東京のもっと内陸にある群馬県から……両親二人ともがエンジニアで、家で仕事ができるのよ。それに勤務先の支社もこの島にはあるし。それと、海が近いでしょう。山のレジャーの次は海のレジャーが楽しみたいって思ってたみたい」
「なるほどぉ」
案外、鞠也はアウトドアの遊びに慣れているのかもしれない。
「キャンプとか慣れてるの?」
「少しはね。さすがに一人では気が引けるから、やったことはないけど。お米を炊いたりテントを立てたりはできるわよ」
クリスはこの話題に関心を示している。こんな人工島でキャンプができるのだろうか。それとも、キャンプをするためには島外へ行く必要があるのか? リリアはそれを聞こうと思ったが、先に口を開いたのは鞠也だった。
「あと、この島の人工島っていうところに惹かれたのよ。家族全員でね。最近は以前からの住民の転出で物件も空くことがあるし、それで部屋が見つかったから引っ越してきたのよ」
リリアも、母が以前と比べて物件を見つけるのが楽だったと言っていたことを思い出した。最初の抽選に外れたのは、かえって良かったのかもしれない。
教室から数人の女子グループが出ていき、校内放送がある一人の男子生徒を呼び出した。
「桐崎さん、都会っ子なイメージ」
「そう? うーん、行動範囲的に……そうだね、でも割と山に遊びに行ったりしてたよ、家族で」
意外だ。この子は持ち物も結構高そうだし、この島の一等地にあるマンションの最上階に近い部屋、しかもフロア全体を家族で使って暮らしているときいたとき、住む世界の違う人間かと思った。だが話をしてみると普通の中学生。案外庶民派らしかった。以前聞きかじった話を反芻し、リリアは質問してみる。
「お兄ちゃんいるんだっけか?」
「うん。あとパパも、アメリカで育った人でね。キャンプとかバーベキューとか大好きなの」
納得した。きっと金持ちもバーベキューが大好きだろう。広い家なら、マンションの上の方でも家にプールがあるかもしれない。今度聞いてみよう。
「アメリカの国技みてーなもんだよな、肉焼き」
「国技って」
クリスが軽い冗談に笑ってくれ、リリアは安心する。ステレオタイプをコミュニケーションの手段として使っても、問題なさそうだ。鞠也の言っていた群馬という場所は知らないが。
「分厚い牛肉を?」
鞠也は食材の方に興味を示した。料理がしたいという話は本当らしい。
「そう。こだわってるよ」
その時、教室の入り口に一人の男子生徒が現れた。
「クリス」
「あ、柳」
クリスは自分たちに対するように軽く返事をするが、柳と呼ばれたその男子生徒は小柄だが、とんでもなく顔がかわいかった。銀色の瞳は垂れ、癖のない髪が輪郭をふわふわと飾っている。成長を見越してか少し大きめな制服が、逆に今現在の体の小ささを強調してしまっていた。思わず口が開いてしまう。
「帰ろう?」
「ああ、ごめん柳。今日はこの二人と帰ることにしていいかな」
「えっ?!」
リリアと鞠也は思わず声を揃えた。その子と一緒に帰らないのかと、そこまでが口から出かかってしまう。
「いいよ、じゃあ僕も流磨と帰ろうかな。まだ残されてるはずだし……また明日ね。根岸さんに大分さん、クリスをよろしくね」
彼は軽く微笑んで、入り口から離れていった。教室内には奇妙な沈黙が流れる。クリスだけがその沈黙の理由を知らず、こちらを大きな目で見まわしていた。
「えっ、どうしたの?」
何と言おうか。迷いつつもリリアは、まだ衝撃のあまり口を手で覆ったまま動けないでいる鞠也を横目に答えた。
「……彼氏?」
「違うよ!!」
クリスは突然跳ね上がったようにして答えた。
「えっ?」
鞠也はやっとのことで声を出せたようだ。その一音は十分すぎる混乱を伝えている。クリスは即座に鞠也に反応した。彼女も、混乱のままに。
「えっ? …って」
「いやどう見ても彼氏だろ、今の甘ったりィ感じは!」
「あ、甘……?! ちがうよ、いつも柳はあんな感じなの!」
「いつも……?!」
「お、おおお幼馴染なの! 家がマンションの一階違いで!」
「こいつはてーへんだ! 詳しく聞かせろォ!」
盛り上がってきた。リリアは期待を込めてクリスの肩を掴んだ。
「なんで急に江戸っ子みたいになるの?!」
クリスは涙目になりながら肩を竦めていた。どうやら本当に彼氏ではないらしいが、これは近いうちに付き合い始めるというやつだろうか。是非、詳しく聞かなければ!
「すごいわ……! 漫画みたいね」
鞠也は両頬を手の平で覆いながら目配せしてきた。彼らのストーリーを想像すると、胸が膨らむ。だって、さっきのやり取りだけ見ても、絶対にいい仲ではないか。
「そんないいもんじゃ……」
「そこを含めてクリス先生、どうか一つ!」
「え? 彼氏じゃないの? ほんとにほんと? 桐崎さん」
「怪しすぎ〜! 彼氏じゃなかったら何?!」
机に腕をついて詰め寄る。クリスは顔を赤くしており、拳で表情を隠そうとしていた。なんだその反応は。面白いから、もっと見せてほしい。拳を捉えて腕ごと左右に広げさせ、表情をあらわにする。
「だからぁ、お友達なんだってば! 赤ちゃんの頃から一緒だし、もうきょうだいみたいな仲で」
「赤ちゃんの頃からァ?!」
三人のはしゃぐ声が教室をにぎやかに彩っていた。
この頃には予想していなかったことだが、この後中学を卒業して進学先でも仲は深まり、鞠也とクリスは親友と呼べるほどに大切な友人となっていくのだ。