無傷の中の傷跡 この恋心は金平糖
「お兄ちゃんから聞いたの。シノくんが、先輩から殴られたって」
クリスは玲緒奈と帰り道に合流し、話をすることにした。卒業して少ししか経っていないのに、小学校の制服のスカートがもう懐かしい。公園のベンチに落ち着き、鞄を下ろす。芝生がサクサクと小気味良い音を立てて、二人の話に参加していた。
クリスは昨日、柳が上級生から殴られた件についてを流磨に問われた。
流磨は中学に入学した途端に別のクラスになってしまいっていたため、体育の授業の後に柳の身に起きた事件を知らなかったらしい。
それでもほぼ全員の知る存在である柳が、よりにもよって殴られたらしいというセンセーショナルな噂話だ。
数人が授業が終わっても戻ってこず、そしてこの顛末を知るリリアや鞠也の存在、教師陣が急いで体育館に向かう姿。それらは同学年の生徒に目撃され、騒ぎの原因として暴力事件は光速で広まったとのことである。
放課後になって教室で呼び出されたクリスが求められた通りに説明すると、流磨は憤慨していた。
昨日は玲緒奈いわく、家に帰ってきてからすぐ「あいつ、なんで俺に言わないんだよ! ちょっとシノんとこ行ってくる!」と言って彼は玄関から勢いよく出ていったらしい。
柳はあの後病院に行くため早退し、放課後に間に合わなかったため、流磨は顔を合わせられなかった。きっと昨日、柳は流磨からの説教を食らっただろう。
しかし一昼夜経って、朝には手当された柳に対面し、一通りの心情を明かした。おかげでクリスは、柳が閉じ込められ殴られるというショッキングな出来事からは考えられないほどに、玲緒奈にきちんと説明できると感じていた。
「うん、ごめん。あのね、私もれおちゃんに言おうと思ってたんだけど、なんかちょっと……他のことで頭がいっぱいになっちゃったの。情けないな……」
笑って見せる。
「……情けないなんて……そんなの、全然思わなくていいのに」
玲緒奈はまだ小学五年生だ。
学園エリアが島に区分され、そこに幼稚園から大学院までが集められているとはいえ、校舎が別であれば、小学生が知らないのも無理はない。
それに自分の気持ちの整理のためにも、玲緒奈に情報を共有したかった。そうするべきだと感じた。
「実はね、こんな時だけど……私、やっとわかったことがあって」
「うん、なに?」
すでにリリアらに相談したことはあるが、明確に言葉にして伝えるのは玲緒奈が始めてであった。少しだけ緊張が指先に伝わり、拳を握る。
「私……柳のこと、かなり好きみたい」
「え?! 気づいてなかったの?! 今までずっと?!」
絞り出すようで真剣だった一言に対する、この思っても見なかった反応に、顔を上げた。玲緒奈は大きな目を輝かせてこちらにつんのめっている。
「クリスちゃん、出会ったその日に私は気付いたよ?! 嘘でしょ?! シノくんだって、あのときはなんか顔が動かなかったけど、すでにクリスちゃんのこと特別ってことは見てたらわかるし!」
あまりの勢いに腰が引けてしまう。クリスは言い訳をするように返した。
「……う、私そんなかな…………?」
その一言に玲緒奈はリアクションを取るのに数十秒を要して体をギギギと動かし、やがて膝立ちになっていた体制をゆっくりと戻すと、なおも悶えながら元の位置に座り直した。
「…………す、すごい……すごいよ、逆にその感じで今まで……情けないとかよりそっちのほうが……」
言わんとしていることが分からず表情を伺おうと、クリスは玲緒奈を覗き込んだ。
「う……うーん、まあそれが二人を見てて楽しいところでもあるんだけど……」
玲緒奈は顔を手で覆っており、明確に見ることは叶わない。クリスはそのまま空を見上げた。不思議だ。こんなに大きな悩みなのに、上を見ているといつかはどうにかなるのではないか、なんて考えられてしまう。
「それでね、今回って……柳が、一生懸命頑張って、頑張って立ち直ろうとして、でも前みたいにはなれなくて、勉強も運動もスポーツもたくさん頑張ってきたことに対する、事件、だから」
「……不謹慎に感じてるっていうこと?」
多分、部分的にはそうだ。でも、この問題に対しての自分の姿勢について考えあぐねていたという方が正しいかも知れない。
「もちろんそれもあるけど……でも、私は今、柳に好きですとかは言えないって感じた」
怪我で痛々しい顔を正面から見た。同時に、どうしようもなく惹かれていた自分にも気付いたのだ。気付いた瞬間には想いに胸が膨らみ、つい口から出そうになってしまった。
「正直言って苦しい。眼の前に好きな人がいるのに、告白もできないなんて」
自分が納得できない。柳の傷をそのままにして、自分だけ幸せになろうとしているような気がして。柳は大変な目にあったことがきっかけでこうなったが、ではクリス自身も同じ目に合えば同じようになるのか、そうすることが正しいのかと言われると、絶対に違った。
「だけど、柳って本人が悪いわけじゃないのに、実はかなりめんどくさいじゃない? あんな人いないよ、完璧超人の代償をそこで一括返済してるのかよって感じ」
「返済って……」
自分が、柳を支えられるほどに強くならなければ、柳のパートナーは務まらない。クリスはそう結論し、甘い夢を遠い未来の目標と打ち据えたのだ。努力の日々が始まる。
確かに、柳を見つめたときに感じる旨の高鳴りは、砂糖菓子のように甘く熱い心地だ。しかし、まだ駄目だった。
「だから私も長期戦を覚悟しないといけないのかも。これはきっと、ただの幼馴染の甘い恋愛じゃないから」
ドラマや少女漫画、映画や小説で、幼馴染同士の恋愛は甘さと切なさがありながらも、可愛らしく安心して見られるいちジャンルとして見られていると、クリスは感じていた。
つまりは、ともにいる時間が長かった、その上で好き同士でいることが、恋愛の世界では重要なのかもしれないとも、思う。
「柳が自分を受け入れて……許せるまで、私はずっと好きでいる……」
「でも……シノくんが本当にそうなれるかは、誰にもわからないし、いつそうなれるのかも……」
黙って頷いた。奇妙な感触。それは未来への不安と焦燥、柳への罪の意識、心配といった、苦痛の棘。
「好きでい続けられると思う。だって、私にはずっと柳がいる」
きっととても苦しいのだろう。泣きたくなるだろうし、飢餓感に苦しむだろう。それでも思いを告げたくない。
「つらいと思う。だから、れおちゃんには時々愚痴聞いてほしいな」
「……わかった、クリスちゃんがそう言うなら……」
本当に年下なのかと問いたくなるほど、玲緒奈は思慮深くクリスの話を聞き入れた。
「でも、気持ちがかわったらすぐに言ってね! クリスちゃんの判断なら、私も一緒に考えるし、あの……応援するべきなら全力で応援する!」
「あはは、ありがとれおちゃん。ま、そーいうことだから……惚れた腫れたは多分先の話になるね」
現状を笑い飛ばす。つらい時こそ笑ってしまえばいい。そうすれば、もしかして気分が明るくなるかも知れないから。
「れおちゃんは年下だけど、頼れる親友だよ。なんか多分、五年生にしては大人っぽいとか言われてない?」
「言われないけど……? そんなこと、ないと思うし」
玲緒奈はかなり小柄だ。成長が遅いのか、将来に渡っても背丈が伸びないのかはまだわからないが、その外見と中身にはかなりの印象の違いが生じている。
彼女の同級生たちはそれをわかっていないのだろうか?
「えー、そうなの? わかってないなあ」
首をひねる。眼の前を小学校低学年の生徒が数名、はしゃぎながら通り過ぎていった。
「れおちゃんこそ、彼氏できたら教えてよ」
「で、できないよ! ていうか、いらないし!」
「えー」