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星渦のエンコーダー 番外編 短編集  作者: 山森むむむ
未来ノ島学園附属高等専門学校2年生
3/5

退場後の俳優達

【関連エピソード】星渦のエンコーダー 第一部 クリスタル ep.9 三竦みの舞台

このエピソードの直後、柳と流磨が二人になってからの話です。

よろしければ今回の番外編を読む前に、本編の関連エピソードの方をお読みください。

 映画館前から柳を押して立ち去った後、その手首を握ったまま、流磨は自宅近くの公園へ続く坂を登っていた。

 ここは二人の馴染みの道で、ユエンに行こうと柳が提案した道の正反対だ。この行動はおそらく間違い。気付いたが、もう遅かった。やはり自分は、気をつけてはいても感情的な人間だ。

「……全然駄目だ、全然……くそ、シノが絡むと……!」

「流磨、流磨!」

 後ろから名を呼ばれて振り返る。全てのことにイラついていた。

「……何だよ」

 双方息が上がり始めるほどに続けて突き進んでしまった。駄目だ、こうならないために訓練してきたのに。

「落ち着いて、僕はもう大丈夫だから」

 妹のメンタルコーチという立場でありながら簡単に取り乱すとは、全く情けない。兄貴としても、チームメンバーとしても。

 柳の心配そうな顔を見てはっと我に帰る。歩くスピードを緩め、そして立ち止まった。親友の背後に、街の喧騒がチラチラと遠い。

「ユエンのこと、怒ってる?」

「……怒る……に決まってんだろうが、あんな奴!」

 柳はこちらを、まるで森深い湖の水面のように静かに見つめ返していた。どうしてそんなに冷静でいられるんだ? 傷つけられたのはお前なのに! どうして!



「何で……! 何でシノの傷口を抉るような真似をする奴と、仲良くお喋りしなきゃならねーんだよ……!」

 あいつは、柳が嫌がったことに気づいていた。その上で、抉じ開けて傷を見ようとしたのだ。時を経てもじくじくと痛んでいる、そこを。

「ごめん、流磨。僕のクラスにユエンは転校してきて……」

「さっき聞いたよ、本人から!」

「知らないんだ、僕が殺されそうになったことを」

「知らなくても、嫌がってることをあいつは察知したろうがよ! そこで更に、何がお前を苦しめるのか知ろうと探りを入れた……わかってんのか?!」

 口に出すだけで嫌になった。街路樹の植えてある歩道、設置された木製ベンチに腰を下ろし、顔をあげて柳を見る。

「……そういう、ことだろうね」

 柳も横の座面に鞄を置いて座った。このベンチは、自分や柳らが未来ノ島小学校を卒業する時期に制作した、卒業記念品。この島には子供が多く、こうして子供達の足跡が数多く残されている。風が吹き込んだことに気づき、ようやく息をつけた。

「平気って、本当なのかよ」

 確認に問う。妹と柳を守るという使命は、誰かに命じられたわけではない。行動指針だ。

「本当だよ、流磨がここまで連れてきてくれたおかげで、怖いのドキドキが運動のドキドキに変わったし」

「はぁ……」

 柳は、もういつもの調子に戻っている。映画館前で見せた恐怖と動揺の動作不良が、まるで無かったかのようだ。心臓のあたりを抑えながら、きれいに笑顔を作っている。

「ごめんね、流磨……」

「お前が謝るんじゃねえよ……」

 柳はまた謝りかけ、次の瞬間気づいたように止まり、正面を向いてただ座り直した。しばし沈黙が流れる。



「自宅の方角、あいつに知られたようなもんだな」

 失態を反芻する。

「仕方ないよ。あの様子じゃまた探りを入れてくるだろうし……きっと遠からず知られる。クラスメイトに手渡してもいい程度の情報なら、長い期間一緒にいることを見越したら、渡すメリットのほうが大きいかもね」

「あー、そうだよな……」

 奴は高校に通う自分と違い、高専の同じ教室で柳を常に観察することができる。進路選択で心の距離が離れるわけではないことはわかっていた。だが今、物理的に離れた柳に手を出されたら、彼を庇えない。柳も守られてばかりいるつもりはないようだが、それでも心配だった。

「……それが流磨に伝えられなければ連携が難しいと思って、とりあえずさっきは隠すことにしてただけだよ。かなりピリピリしてたしね……」

 結果的に、さっきは判断の全てを柳に任せてしまった。自分が警戒心丸出しに睨んでいたことは、柳にとって大きな負荷となっただろう。うまくやれなかった自分が悔しく、項垂れると邪魔な癖毛が視界に入った。即座にかきあげる。

「自宅の位置くらいは平気じゃないかな? 目的は何にせよ、即座に僕に害を加えることが目的なわけではなさそう」

「……ごめん、俺本当こういうの向いてねーわ」

 素直に認めよう。勘で相手の意図を察することはできるが、何を企んでいるのかまでは想像力が足りていないと、常日頃感じていた。気をつけてはいても苦手分野。そうそう克服できるものじゃない。

 勘の正体も突き詰めれば経験と想像力だろうが、それを操れない自分は、腹の探り合いや読み合いに向いていない。


「ユエンのあの感じ、君と相性悪そうだなとは思ったけど、僕も今日みたいなことになるとは思ってなかった」

 当然のことだろう。柳はすでに自分とユエンが一度会っていたことを知らなかったからだ。情報を共有するため、初めて顔を合わせた時のことを説明する。

「一度、俺がコーヒー飲みに行った時、テラス席の隣に、あのチェン・ユエンがわざわざ座ってきたんだ……それであいつの喋りに引き摺られて、俺はお前と親しいこと、れおのおおよその年齢と名前の確証、あとネオトラ選手ってこともごっそり知らせちまった」

「ああ……だからあんなに警戒してたんだね。ユエンのことを」

「シノは冷静だな」

「冷静じゃなくなった瞬間、流磨が助けてくれたからね」

 感情の蓋をこじ開けられそうになった。その負荷はどれだけ強く、辛いのだろう。なのに柳は純粋な好意を人に向けてくる。それは強さであり、多重の自己防衛機能を超えた、根底に流れる優しさの表れである。毒のない柔らかな微笑み。こちらも力が抜けてしまうというものだ。

「……ふ」

 薄く笑ってみた。柳はにっこりと笑い返してくれる。

「ユエンが何かを知ろうとして言葉をかけてきたのなら、きっと彼はそのためのノウハウを身につけているよね。訓練……みたいなこともしたかもしれない。妙に慣れてる」

 確かにだ。一般の同い年の少年にしては、全てが手慣れていた。柳は続ける。

「素人の流磨がその目論見通りに喋ってしまったとしても、責められないことだと僕は思うけど」

「素人はお前もだろ」

「僕は変な目的で近づこうとする人間に何度も遭遇してきたけど、流磨はそうじゃない」

「ああ、まあ確かに……」

 経験の差だ。ネオトラバースに入る前の幼年ルール競技『スターライトチェイス』から、既にメキメキと頭角を表していた。アマチュア時代から優秀な選手だった柳は、出会った人間の数も質も自分とは大きな開きがある。



 柳は両親の仕事と選手としての経験で、小さな頃から大人の知り合いも多かった。将来性を見込んだ者、単にミーハー心で近寄ってくる者、何らかの利益のために取り入ろうとする者もあったのだろう。

 近くでもその片鱗は見える。クラス替えや校内行事のたび、有名人の柳は数多くの視線を受けていた。

「シノ、俺は……許せなくて…………」

 だが、あの転校生は違う。自身も高いレベルのプレイヤーであり、柳と近い目線で競技の話をすることができるだろう。なのに、知ろうとすることは専らプライベートなことのように思える。友人として接する気があるにしては、あまりにも乱暴だ。


 一度考えを整理しようと、デバイスごと脈を測るように左手首を握った.

「シノの受けた傷のことを俺も全部は知らないし、シノが話したくないのなら、それを尊重したい。だけどわざわざ暴こうとする人間がいるってこと……さっきは、本気で許せないと思った」

「流磨……」

「けどお前も、深く自分を知る人間には、知らせることが避けられない過去だと思うだろ? 頼むから……俺には話して欲しい……」

「…………ごめん、今……はだめなんだ」

「なんで?」

「いずれ話したいとは思ってて……でもこの春の連戦が終わるまでは待ってほしい。僕のメンタルはそこが大きくて、試合に影響してしまうのが心配なんだ」

「ああ、プロデビューして連勝中だもんな、メンタルの維持に影響すれば……」

 連勝は危うくなる。繭に入ってモニタリングスタッフを一人連れてくれば、柳はすぐに試合に参加できる。しかし、勝利するために必要なすべての条件も自分で用意しなければならない。マネージャーはいるが、現在彼は本土にいる。常に隣にいるわけでもない。

「コントロールが難しい問題に今は触れたくないんだ。一時的に箱にしまったような状態だったんだけど、やっぱり流磨には話しておきたくて……ゆっくり準備をしてたところだよ」

 開示する決意に何年もかかっている。重い決断だからこそ、今までも急かすことなんてできなかったのだ。柳がついに心の内側を明かそうとしている。それが嬉しかった。

「サンキューな……」

 黙ったまま柳は頷いた。しかし続く言葉に、温まった心が急激に固まっていく気がした。



「言いにくいんだけど、ユエンにも…………いずれ話すことになる予感がする」

「……何であいつが出てくるんだよ」

「ネオトラバース高校生部門全米優勝経験者だよ?」

 そうだった。東雲柳はプロネオトラバース選手。複数スタッフが行う調整をすべて自己の技術で成し遂げ、デビューから連戦連勝を誇っている。当然、その強さを追い求める意思は強く、知識は貪欲に、常に収集している。

「なるほど……競技を突き詰めるために、あいつの話も聞きたいと思ってるのか」

「そう……そしてその過程で、いずれ僕はユエンと交流を深めるだろうし」

「なら隠し通す方が大変か……お前がそうしたいんなら俺はいいけど、大丈夫、っていう感触はあるんだな? 俺はあいつと同じ教室にいるわけじゃないから知らない」

「こっちもそれを見定めている最中だったんだよ。今日のことで、やや距離を取ることにした方がいいと感じてる。それはユエンにも理解できるんじゃないかな。突然焦って距離を詰めてくるようなことは……うーん、まだよくわからないね」

「お前はプロだし、強くなるために不可欠っていうなら、止めない」

「まあ、でも僕の何かを知りたいっていうユエンのことは今回少しわかった。これを逆手に取ることができる。だからユエンには……お預けだね」

 なんて奴だ。思わず吹き出した。トラウマを触られて固まっていたのに、その相手をもう利用するつもりでいる。それでこそ、俺の親友。

「食うと食われるが逆転したな」

 腹から笑ってしまう。俺が真剣に対峙していた相手を、こいつは手のひらの上で転がそうというのだ。

「僕を弱々しい人間と思わないで欲しいよ」

 虫も殺さぬような笑顔で。わかった、もう十分わかった。お前は折れないよ、強い男だ。

「思ってねーよ、んなこと。一人でサポートの仕事も全部やれるくらい、お前のネオトラバースへの情熱はスッゲェし」

「日本で生まれたスポーツだけど、今はシームレスに試合が行われて言葉の壁も薄い。でも対面でのコミュニケーションで知ることができる情報量は、未だ電脳世界のそれも遠く及ばない。ある意味では電脳世界の方が優っているという見方もできる。間違いではないけど、実のところは現実ベースの情報に付け足したに過ぎなくて、電脳世界の濃密さはつまり、『装飾』であって『本体』ではない」

 それは時折柳と競技について論じ合う中で、彼が主張していたことだった。


「そういう話が、あいつとしてみたいのか?」

「ああ、してみたいのはここから先。試合用アバターの装備開発、カスタマイズについてはあちらが……アメリカが先を行ってるようなものだし、色々聞いたてみたいと思ってるんだ」

「あー、なるほど」

「基本的には、僕に意地悪するつもりはないみたいだよ。そう感じる。だけど多分、ユエンにも言えない理由があるんだろうな」

「わかったよ……」

「なんなら、ユエンには事件のことを……流磨から話してくれても構わないよ」

「何で俺が! 絶対嫌だからな」

「……まあ、言ったら言ったで一言謝罪は欲しいかも」

「いいって言ったじゃねーか、今!」

「これは、僕の荷物だからね……」

「重たすぎる……寄越せよ」

 切実な願いを込めて、伝える。その苦しみはきっと誰の手にも余る。

「うん、だから甘える用意はあるってことだけは伝えておく。君は僕の一部でもあるんだから」

「クリスには、言ってあんのか。同じお前の一部としてよ」


 特別な友人だ。クリスは異性でありながら、性別を超えた奇妙な絆を感じている。流磨とクリスのそれを、柳自身も感じ取っているようだった。

「……クリスは、ずっと僕のそばにいたからね。だけど言葉で説明っていうのは、やっぱり大変で」

「知ってる部分は俺と大して変わらないのかと思ってたけど」

「それで間違いないよ。うん。僕がどれだけ隠しても、クリスはやがて看過してくる。それも年々精度が上がってるみたいでね」

 知りたいクリスと、知らせることができない柳。この状態になって何年経つのだろう。両者の間にあるのは不信ではなく、固く強い信頼関係であることがわかりきっているからこそ、側にいる自分にとっても悲しいものに見えてきてしまう。

「……お前達をみてると、俺まで痛くなる」

「そう…………ありがとう」

「なんで礼なんだよ」

「それは、流磨が僕たちの味方をしてくれるからだよね?」

「ぐっ……」

 思わぬ言及に、次の言葉が出ない。柳はこちらの様子を見てとって、そっと笑った。

「時間はかかるかもしれないけど、必ず……いつか本当にまた、自然に生きられるように頑張るから」

「疲れたら、俺やクリスのところに来い」

「……うん」


 いつか話そう、そう言った過去の傷を開示しようとした直前に、柳は不可解な症状で試合中に搬送された。その内容は過去のトラウマのフラッシュバックと、その記憶の中にあった激痛の追体験。全てが振り出しに戻ってしまったかのようだった。

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