ありがとう
無音の車内で梓が暗い顔をして俯いていると、高梨は梓の髪をゆっくりと撫でた。
「僕達、もう別れよう」
「えっ……」
「お互いすれ違っているのに、気付かないふりをするのはもうやめないか?」
先生から別れを切り出すなんて思いもしなかった。
頭の中がどんどん真っ白になっていく。
だけど、先生は以前から決心していたかのように話を続けた。
「ここ最近考えていたんだけど、校長室の一件からお互い歯車が噛み合わなくなっていったのかもしれない」
「……」
「僕は梓が嫌がらせを受けてると知らされても話を聞き出そうとしていただけで結局一度も手を貸さなかった。教師なのにヒドイだろ……」
「そんな事ないっ! 私がちゃんと話さなかった事が原因だから……」
「大切な人が辛い想いをしていたのに、何もしてやれない自分が情けなくてね。彼女一人すら守れない男なんて最低だし」
先生、違うよ……。
嫌がらせの件は私が勝手に黙っていただけだから、先生は全然悪くない。
それに、情けなくなんてない。
私の気持ちを優先するばかりに、長々と待ちぼうけを食らってただけ。
春に蓮と別れて教室で一人泣いていた私に気付いてくれた時も、先生は泣いてる理由を問い詰めずに寄り添ってくれた。
先生の器の大きさに心が惹かれていったんだよ。
情けないのは先生じゃなくて私なんだよ。
話を黙って聞いていた梓の瞳から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
責めるどころか自分を戒めている高梨の話に、梓は押し寄せる罪悪感と戦えなくなってしまう。
「ほら、そんなに泣かないで。お互い前向きに頑張っていこう」
「うん……」
「最後まで守ってあげられなくてごめんね」
「こちらこそ、ごめんなさい。私は遼くんを幸せにするどころか苦しめてばかりだった。遼くんは優しいから、遼くんなら許してくれるから、遼くんなら理解してくれるからと思って、いつも遼くんの気持ちを後回しにしていた。本当はそれが間違っているのに、見て見ぬふりばかりしていて……」
残念ながら、ありがとうという言葉より今は反省の言葉しか浮かばない。
彼と交際していた半年間、私は一体何をしていたんだろう。
「終わった事はもう忘れよう。後悔からは何も生まれないからね。今日までありがとう。梓と付き合えて幸せだったよ。僕の方こそ力になれなくてごめんね」
先生はそう言うと、車内に置いているティッシュを数枚取り出して優しく涙を拭いてくれた。
今日は先生とは別れようと思っていたけど、こんな残酷な別れ方をしたかった訳じゃない。
本当はお互いじゃない。
歯車を狂わせたのは私の方。
先生は大人だから気遣ってそう言ってるだけ。
本当は、私の心が違うところに向いてる事に気付いてるはず。
もしかしたら、別れ話を切り出す事を察して、私が別れやすいように先に話を切り出してくれたのかもしれない。
自分に非があるように伝えれば、私が自分を責めずに済むんじゃないかって。
だから、あんな優しい言い方……。
ずるいよ、先生。
先生の優しさを受け取ると、どうしようもないほどやりきれない気持ちになった。
蓮が私とやりなおしたいと言ってきてから、私は段々嘘つきになって先生にゴメンねの回数が増えていったね。
最後にゴメンね。
先生には迷惑をいっぱいかけちゃったね。
でも、最後の瞬間まで私の事を大切に思ってくれてありがとう。




