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竜と聖なる乙女の話 かもしれない

作者: 岬かおる


 私の家族を紹介します。

 こちら、朝の忙しい時に昨夜のスープを入れておいた鍋を床に落下させた挙句、それを踏みつけて滑って転んで被害を拡大させた彼の名前はギル。

 実際年齢はとにかく見た目はまだまだ若いので近所の女将さんたちにそれなりに人気の、今はボサボサと伸びた髪を適当に括っているために毛先が使い古した箒みたいになっている銀髪の、先日酒場の女の人に「ルビーみたいできれいね」と言われて逃げ帰ってきた赤銅色の瞳をした。

 私の唯一の家族です。


「ギル。ところで原稿は終わったかしら?」

「う、うん。午後には出版社に持っていく予定だから」

「じゃあ時間はあるわね。ということで」

「はいっ」

「スープが床に染みる前に片付け!服を脱いで桶に突っ込んで水かぶってちゃんと服を着たら散髪屋!出版社はそれから!」

「散髪の予定がさりげなく入ったね?」

「その格好で原稿出しに行かないで。せっかく出版規制が緩くなって継続的になってきた次の依頼がなくなったら、ギルの言語能力じゃなくて見た目を疑うわ」

「僕はロティに疑われるの…?」

「嫌なら行動!私だって感謝祭の号外が大詰めなのにどっかの過保護のせいで遅くまで働けないの!」


 きゅうんと路地裏の犬みたいにしょげていたけれどそこで甘やかしてはいけない。普段はここまでポンコツではないけれど原稿明けはひどい。いや普段はもうちょっとマシという程度だけど。

 いつも思う。私、この人に育てられてどうしてこうなった。


「わかった片付ける約束するだから忙しくても夕刻の鐘で帰ってきてね」

「散髪」

「……も、行きます」

 ようやく諦めたギルに片付けを任せて、私は先ほど彼が転んで被害拡大させた時にテーブルに叩きつけた小さな鞄を肩にかけた。


「じゃあギル。いってきます」

「ロティ」

 ドアを開けた腕をつかまれた。こうされると大きな手だなあ男の人だなあと思い出す。いつもは優しい大型犬みたいだと思っている。

 そんなギルの頬が私の頬に触れて、朝の挨拶をした。

「僕の可愛いロティ。愛してるよ。今日も元気にいってらっしゃい」

「私も愛してるわ。じゃあね」



 私たちの家は城下町でも商業区にある。

 鋳物屋さんの二階を借りているので、いつでもカンコンと銅を叩く音が響いている。職人さんたちはもう独立をしていて奥さんにも先立たれた親方は、お直し専門で今では型から造ることはないみたい。だから昔に職人さんが住んでいた二階を格安で借りている。

 この広さ、なんといってもキッチンの他に続き間があるという物件です親方ありがとう。

 さらにギルと懇意の出版社や、私が今働いている新聞社と近い場所にあるので便利です親方ありがとう。路地が多いから坂道も多いけどね。


「おはようロティ!早速だが記事の差し替えがあってなあ、今日も並べてくれ!」

「また?!もう印刷しないと間に合わないんじゃないの?」

「配置は任せるからさ、はい原稿!」

 主任の声が特別大きいわけじゃない。人が喋りながら出たり入ったりする部屋は騒がしく、階下から聞こえてくるプレス機の音がやかましいからみんな大声で話すのだ。親方の金物音も可愛いくらい。

 こんな騒がしい所で文句を言ったって聞こえないし差し替えは決定だし、仕方ないので私はいつもの木箱を手に取った。


「さて、やりますか」

 まず持つのは、私の両手いっぱい広げたほど大きさの木箱。底が浅くて薄いので最初は軽い。

 その下に記事が書かれた紙を腕で挟むように持って、壁いっぱいの棚から活字ブロックを取り出していく。

 このブロック一個が文章を構成する一文字。

 人さし指くらいの長さの棒状のそれには、先っぽに文字が彫られている。正しくは彫った金型に流し込んで作った凸型ね。これにインクをつけてプレスして印刷していくわけです。

 つまり文章を書くのではなく文字を並べていくお仕事。

 この活字ブロックがアルファベットの大文字小文字、大きさ違いで大文字小文字、装飾された大文字小文字、装飾の大きさ違いで(以下略)など壁にびっしり詰まっている。

 本棚より郵便の仕分け棚より細かい間隔でびっしり。


 まずは棚から文章に必要な文字を探して取り出して持った木箱に放り込んでいく。一気に取りすぎると文章に並べる時にまた時間が掛かっちゃうし、いっぱいだと重いし。私は一行か二行分くらいをひょいひょい取り出したら背後の机に向かう。

 机には新聞と同じ大きさの木枠が二つ。見開き分ね。

 この枠はブロックが縦に刺さるくらいの厚みがあって、積木パズルみたいにいろんな組み合わせで区切れるようにたくさん溝が入っているので。

 仮留めの板で支えながらブロックをぷすぷす刺していく、地味に素早く記事の文章通りに並べていく。まさに区切りがついたところで固定用の木枠をがつっとはめてひと段落。


 これを途中で崩すとしゃがみ込んで世界の終わりを嘆きたい気分になるけれど。

 実際は「あー!!」と叫んでもう一回初めからやり直すしかない。嘆いている時間が惜しいのである。


 これを、みんなが何気なくめくって読み飛ばして道端に捨てていく新聞の面の数だけやっていく。誰も新聞に文字が何個使われているなんて気にしないだろう。

 最初は泣きそう、いや泣いたわよ。まったく終わりが見えないんだもの。

 だけど一年以上もこれをしていると慣れるものだ。

 原稿を書いた記者の癖もわかってきて、活字ブロックを取り出す速度も上がるってものよ。

 今では主任が言ったように、見出しの装飾文字とかレイアウトを私に任せてもらえる。主に時間がない時に。


 見開きができたらガッチリ、それはもうガッチリと木枠を固定して階下の印刷室に持っていく。慣れた人は二枚一緒に持っていくけど、私は片面ずつ。

 これを階段でつまずいて落とすと、確実に何かが壊れる。私の中で。この歳にして私は絶望というものを何度か味わった。

 だけど不思議なことに、その時には「ああ……」というかぼそい嘆きしか出ない。

 怒るって力がいるんでしょうね。世界の終焉に人は無力なんだと悟った。


 新聞社にお世話になってもうすぐ二年。

 私の書いた記事が採用されたのは、たったの一回。それも新聞社に寄せられた失せ物探しの感謝文を可愛らしい感じで紹介しただけのもの。

 この号外にすら私の記事は採用されてないけど、いつかはどこぞの大物政治家の黒い疑惑について「シャルロッテ女史の取材ならお話しよう」と言われるほどの信頼を得て、その記事が一面を飾るのだ。

 夢は語るだけならお金がかからないのである。


 今回の号外は、竜と聖なる乙女の感謝祭に発行する分。

 号外だからいつもの週刊新聞とは別枠の同時進行なわけで、社内がこんな大騒ぎになってます。


 この国には誰もが知っている竜と乙女の伝説がある。


 竜の怒りを鎮めて心を通わせた、聖なる乙女のお話。

 今でこそ人が移動する手段も増えて郵便が届く速度も上がったけれど、昔からあるお話は各地方で色々な伝わり方をしていてどれが起源かもうはっきりしない。

 川に橋をかける工事に竜が怒って洪水を起こしたとか。竜は土地を守る神様で生贄として捧げられた乙女がその花嫁になったとか。

 色々あるけれど、共通しているのは乙女のおかげで人々が助かったという顛末。

 だからこれは「感謝祭」なのだ。


 決してね、美少女選考のお祭じゃなかったはず。

 はずです。


 わかる、経緯はわかる、お祭として聖なる乙女役の女の子が必要だったんだよね。

 伝説を題材にした劇をするにも、感謝を捧げる偶像としても、どの地方のお祭にも乙女は必要だよね。そこから聖なる乙女の選考自体に力が入っちゃったんだよね。

 そこかしこのお祭で選ばれた女の子は、町一番の美少女!となるよねわかる。


 だけど今や、聖なる乙女を選ぶことがこのお祭の主体になっております。

 偉い歴史家の先生が地方ごとに見る伝承の特色について云々語った取材記事より、どこどこの聖なる乙女が稀にみる美少女だった!彼女の素顔とは?!て記事の方が断然売れるもの。

 聖なる乙女なのにアップルパイを焼くのが得意ですとかでいいのかしら。それで竜を篭絡したのかしら。


 ちなみに、美少女選考会はこの王都で一番白熱する。


 昔ながらの王政は形骸化していて、たとえば伯爵という地位よりも資産と議会に席を持っている政治家の方が強い。いろんな意味で。爵位と土地をしっかり管理していた人たちは、今もきちんとその地方で領主様をやっているけれど。

 そんなでも、いわゆる王侯貴族には続いてきた血統というのがあるらしく、貴族のお姫様たちはもれなく可愛い。めちゃくちゃ可愛い。そして美しい。

 本人がそれに誇りを持っているのか親御さんが名誉を欲しているのかわからない、ただ王都の美少女選考会いや感謝祭における聖なる乙女選考は苛烈だ。外見の美しさは元より教養や礼儀作法なんかも審査されるらしい。

 ……誰に?

 たぶん王様?いや議会だったかな?ちょっと興味がなくて曖昧ですが。


 いけない、記者たるもの好奇心は大事だけど興味で左右されたらいけないわ。記者にだって取材する専門分野はあるけどそれは任されるベテランの話よ。

 うーん、今年の乙女がクラウディア・ライヒェン嬢という14歳の亜麻色の髪の乙女なのは知ってるけど。絵姿も見たけど。

 いやあ文句なしに美少女でした。

 同じ歳とは思えません。


 どうも。

 先日、主任に耳年増と言われました花も恥じらうシャルロッテ14歳です。


 記者としてね、幅広い知識は必要だと思うの。これからは興味のない分野もきちんと調べていこうと思います。

 ともかく。この感謝祭の号外は美少女特集いいえ竜と聖なる乙女に関する特別号です。こんなに忙しいのに記事は差し替えだわギルは朝から鍋をひっくり返すわ、私けっこう頑張ってると思います。


「ロティ」


 呼ばれて「はーい」と口だけ返事をしたけれど、並べたブロックを木板で留めている最中だったので顔は上げなかった。こういう時もっと力つけないとダメだわって思いながら、返事とは別に「よいしょ!」と気合を入れて板をはめ込んだ。

「まだ並べてるか。だったら耳だけでいいや、聞いて」

 たくさんの人が出入りする部屋は壁がどーんと抜かれているので、活字ブロックの棚も記者の机も主任の校正待ち原稿が積まれた山も一緒にある。だからとても賑やかで大忙し。

 彼は私の邪魔にならない程度に近づいて話した。


「感謝祭の日、聖なる乙女のパレード観に行くだろ?」

「うん。いつも通りギルと行くよ。興味ないとか言ってないで、これも記事として書いてみようかな」

「おお、そういうの女性視点のがいいかもな」

「ラルフもそう思う?じゃあ書いたら提出する前に見てね」


 私はそのまま顔を上げずにブロックをにらんでいたけど、誰と話してるのかはちゃんとわかっていた。

 ラルフは二つ上の先輩。見習いって肩書きはついてるけど、何本も記事を採用されて取材にも出ている。羨ましい。

 二年前、活字ブロックの棚上段に背が届かなかった私に色々教えてくれた。素早く並べるコツとか教えてもらった。


「だったらなおさら、一緒に行かないとな」

「ギルがいるわ」

「今年は俺とでいいだろ」

「どうして?」

「ロティが俺の乙女になってよ」


 一行分、板をはめ損ねてブロックを崩したわ。


 美少女選考会について、もう一つ説明しておくことがあった。

 聖なる乙女に選ばれなくてお祭が盛り下がってはいけないと誰かが言い出した。乙女は竜の花嫁になった説の地方が発祥だったかしら。


 特定の男性の乙女になる。

 つまり愛の告白が上手くいけば幸せになるとか何とか。


 いやあ庶民の間で爆発的に広まったそうですよ、ウチの新聞社のおじさまたち曰く。

 誰かが言い出したことをこうして広めてしまう影響力、新聞すごい、文字の力すごい。もちろんウチの新聞社だけがしたことじゃあないけど、みんなが乗っかった成果だけど。

 私だってここへ来る前から知ってたもの。

 夢見る女の子の中には「誰かたった一人の乙女になれる方が素敵じゃない」って意見もあるくらい。美少女選考会の存続を揺るがすほど浸透している。

 元々が竜と乙女の、一匹と一人のお話でしょうって誰か言ってやって。

 言い逃げするなってラルフに言ってやって。



「おかえりロティ。散髪行ってきたよ、どう?どう?あと原稿料ももらってきたから、スープも作り直したからね」


 いつもだったら、使い古した箒みたいに伸びた銀髪がさっぱり短髪になって整った顔がはっきり見えるわ素敵ねって。喜ぶところなのにそんな気になれなくて。

 ぽとんと椅子に腰かけた私に首を傾げたギルは、すぐ横までやってきて床に膝をついた。

 小さい頃からそうしてくれるように。

「どうしたの?何かあった?」

 何もないっていうのは、嘘になる。だから私はこう答える。

「今は、……秘密」


 二人で暮らしていくのに、いくつか約束事がある。

 一番大事なのは嘘をつかないこと。

「秘密は仕方ないね、言いたくないことはあるよね。でも嘘はダメ。嘘をつく僕をロティは信じられないでしょう?」

 家族でいるために、嘘はダメ。


 私とギルは何の関係もない他人だから。

 橋の下に捨てられていた赤ちゃんをギルが拾って育ててくれただけ。家族でいるために信頼関係は必要だと昔からくり返し言われてきた。

 ギルは私のお父さんだとかお兄ちゃんだとか名乗ったことは本当になくて、誰にも私にも隠さず話して、最後には大事な家族だよって言ってくれる。


 ギルが好きよ。大好き。

 でも言い逃げしたラルフにちゃんと返事するまで言えないから、これはまだ秘密。


「そっか」

 仕方ないねって微笑んで、ギルはちゅっと音を立てて頬にキスしてくれた。

「今は、秘密だね。もし言えるようになったら聞かせてね」

「もちろん」

「さあ、僕の可愛いロティ。今夜のスープにはなんとソーセージが入ってるよ」


 私の初恋は、もちろんギルだった。


 家族だけどお父さんでもお兄ちゃんでもなくて、つまり好きってことね!と考えたものだ。

 ギルは生活能力がちょっとかなり低いけど頭が良くて、他の国の言葉をいくつも話せるし書けるので翻訳の仕事をしている。

 出版許可の下りた本を丸ごと翻訳するのが主な仕事だけど、たまに商談の通訳とかそんな商家のお坊ちゃんに語学の家庭教師もしている。

 知らない国の言葉を話すギルが不思議で、知りたい話したいと強請った幼い私よくやった。家では数カ国語が飛び交って私もいくつか話せるようになった、書く方はまだまだだけど。未来の記者としてあって損はない特技だと思う。


 5歳くらいの時だったかな。

 私を置いて仕事に出かけるギルが嫌で、冬の寒い時季に彼のマフラーを隠したことがある。

『ロティ。僕のマフラー知らないかな?』

 ここで知らないと答えるのは嘘になるので、隠したって答えた。

『どこに隠したの?』

『教えない。外は寒いよ、出かけないで、一緒にいて』

 嘘は言ってないわ。だけど、なんという正直なわがまま娘でしょう。

 ギルは笑って、私にもコートを着せて抱っこすると、落ちないように首に巻きついてねと言った。

『じゃあロティがマフラーになるんだよ。わあ、この方が暖かいかも』

 そうして私を抱っこしたまま出版社に出かけた。

 正直わがまま娘は、ギルと一緒にいられる上にあったかいし初めて出版社を見ておまけに編集者の皆様が優しくしてくれたので大満足でした。


 それまでいくつかの言語で生活していたけど、ギルの部屋にはたくさんの本が積まれているけど、紙の洪水みたいな出版社の中を見て文字ってすごいなあとか思ってしまった。

 記者を夢見る幼女のできあがりです。

 今はまだ記者のたまごです。これから殻を破って雛になります。いつかね。


 ギルが好き。家族として愛してる。

 私たちは、家族でも当たり前ではなくて愛情と信頼と少しのケンカでできている。うーん、ケンカというか私が怒ってるかな。

 小さい頃はきちんと叱ってくれたけど、彼が怒っているのは見たことないかも。


 僕の可愛いロティって、甘い声でキスしてくれるのが好き。

 キスのお返しをすると嬉しそうな顔をしてくれるのが好き。


 ラルフに言ったことがあったかしら。

 ウチでは、大事なことは目を見て話しましょうって約束があるの。だから明日はちゃんと、ラルフの胸ぐらつかんでも目を合わせて話さなくちゃ。



「ラルフ。ちょっと顔かして」

「他に誘いようはないのか」


 呆れた、というより嫌そうな顔をしたラルフを捕まえたのは帰りがけの階段下。

 印刷のプレス機がガシャガシャやかましく音を立てていて、もはや開きっぱなしの扉から人が出入りしている今日も騒がしい新聞社内。木造の階段下は印刷に失敗した紙が適当に山積みされていて、蹴飛ばしたら廊下になだれてしまう。

「他の誘い方って?」

「こう恥じらいながら『あのさ、昨日のことなんだけど…』とか、うんロティがやってもおかしなモン食ったかなって思うわ」

「ラルフはおかしな物でも食べたの?」

「いいや。今日も昼飯食う暇もなかった」

 じゃあアレは何だったのと睨みつけると、嫌そうな顔をしていたラルフがようやくいつもみたいに笑った。


「もう一回言うか? 感謝祭は一緒に行こう、デートだ、そんで俺の乙女になってくれよ」

 正面から目を見て言われたらもっとダメだった。くそうラルフのくせに。

 確かめてやろうと意気込んでいたけど、飾らないそのままの言葉にちょっとけっこうダメだった。恥ずかしい。うん単純に恥ずかしい。

 だから思わず壁の方を見てしまって、目を逸らした私の負けだった。


「ロティのことだから何の冗談かと言われて終わるのも覚悟してたから、ああ、とりあえず良かった」

「何も良くないよ」

「とりあえず俺のこと意識はしただろ」

「……してない」

「へええ、ほおおう、耳まで赤いけどなあ。思った以上に、そういうお前も可愛いのな」

 どういう、私なのか知らないけど。顔が熱いわ。きっと最近が忙しすぎて熱が出たんだわ。だってラルフよ、可愛いなんてギル以外に言われたことない、……それが嫌じゃない。

 嫌じゃないけど、困るの。

「パレードは、いつも、ギルと行くの」

「お前のギルベルトさん大好きは知ってる。とりあえずデート一回分、チャンスがあったっていいだろ?」

 返事はそれからでいいって。

 ダメならダメって言ってくれていいと、ラルフが言うので。

 大事なことは目を見て話しましょうって約束、もはや私の信条を守れない状態で返事なんかできないから。まずはデート一回分と了承した。



 それを、どう、ギルに伝えるべきか。私は悩んだ。

「友達とパレードを観に行くから今年はギルとは一緒に行けないの」

 間違ってない、嘘は言ってない。だけど正しくない気がする。

「ラルフって知ってるでしょう、彼と感謝祭に行ってくるね」

 これが正しいんだけど、たぶん一緒に行くって言われる。でもデートって二人で行くものでしょう?保護者同伴は聞いたことないよね?断るなら理由を伝えなきゃいけないのに、そのための言葉が思いつかない。

「ラルフに告白されたの、でも返事を待ってもらってるの、自分の気持ちを確かめるためにデートしてくるからギルとは行けないわ」

 ……うん。正確すぎて口から出てくる気がしない。なんて顔してギルにそんなこと言えばいいの!無理でしょ無理!

 世の中の恋人たちは家族になんて説明してあんなイチャイチャしてるのかしら。いいえイチャイチャする予定はないけど。ないったらないけど。


 ラルフは二つ上の先輩。

 新聞社で雇ってもらえたのはギルの紹介があったから。当時12歳のこれに何ができるのかって首を傾げるようなおチビさんに、ラルフは色々な仕事を教えてくれた。親切で丁寧だった。

 今の部屋に引っ越す前、共同住居にいた頃の近所の男の子たちは、乱暴で口が悪くてギルとは違う生き物みたいと思ったけど。ラルフはそれなりに口調が荒くなっても、からかう言葉を口にしても、乱暴だとか怖いとか感じたことはない。

 友達だと思ってたの。だけどはっきり言葉にされて、男の子だって思い出した。

 それを嫌だとか淋しいだとか思わないってことは、私も憎からず思っていたわけだ。自分でも知らなかった。


 でも、ギル以上に愛してるとは思えない。


 もしくは、恋ってとても小さい種から育つようなものなのかな。種を蒔いてあげないと芽も出ない。だからとりあえずデート、チャンスだってラルフは言ったのかも。

 育って花が咲くかどうか、もう少し後の話だとしたら。私はちゃんと彼と話してちゃんとお返事するべきだ。

 号外も刷り上がった感謝祭の前日。私はそうギルに伝えた。

 彼は驚いた顔をして、それからへにゃりと残念そうに笑って、わかったいってらっしゃいと言ってくれた。

 それに胸が痛んだ。


 だから確かめてちゃんと言うからねって気合いで臨んだら、出会い頭にラルフに笑われた。

「その気合い、別の方向に発揮してくれねえかな」

「どっち方向よ」

「ま、インクまみれのエプロンよりいいか」

 だってデートなんてしたことないから、どんな服を着ればいいのかわからなかったのよ。これでもギルが可愛いって褒めてくれた水色ワンピースなんですけど!

 頬をふくらませて仁王立ちしてやると、ラルフはますます笑って「はいはいそういうロティが好きだよ」って言った。

 不意打ちは卑怯よ。


 感謝祭はみんなが知ってる大きなお祭。

 角のパン屋さんも大通りの食堂もたくさんのお店が通りに露店を出していて、あっちこっちと見ているだけで楽しい。フランクフルト美味しい…口いっぱいにお肉しあわせ…

「食い物ばっかりか」

「明日の朝食分まで食べるわよ」

 意気込んでみせたら、ラルフが頭をぐりぐり乱暴に撫でてくれた。首が取れちゃう。思わず目を伏せたのは首が痛かったからで、生ぬるい視線が居た堪れなかったわけじゃない。


 優しい、あったかい、守るものを愛でる、好きだよって言葉が聞こえそうな顔をしないで。

 そんなギルみたいな。


 ……ギルみたいな?


 優しくて温かくてロティは僕が守ってあげる好きだよ大好き愛してるって言う時のギルの表情を思い出す。それはラルフが似ているの?ラルフが私を家族みたいに妹みたいに思っているの?


 それともギルが。


「ロティお前ぶつかるぞ」

 王都の聖なる乙女は国一番の美少女で大変な人気だ、今年も乙女のお披露目パレードがあるので時間が近づくと大通りはたくさんの人であふれる。

 頭を撫でていた手が、不意に腕をつかんで引き寄せてくれた。まだ手に持っていたフランクフルトを落としてなるものかと握りしめていた私は、よろけてラルフに正面からぶつかってしまった。落とさなかったけど。

「食い物への執念」

「粗末にしちゃダメよ」

「後で俺が買ってやるから早く食っちまえ。パレード始まるぞ」

「あ、ちょ、…ひどい!」

 私の手首ごと持ち上げたラルフは、大きな口を開けて残っていたお肉をぱくりと食べてしまった。もう一度言おう。ひどい。

「うう白ソーセージ二本だからね…」

「要求はするのか。ほら紙屑捨てろ、脂ついて…はは、ロティの手もインクが落ちないなもう」

 それは名誉なことだわ。それよりラルフが面倒見がいいのは知ってたけど、ううん、こうして見ると「ラルフがギルに似てる説」のが有力かも。


「ねえラルフ。あなた乙女にって言ってくれたけど、それは私が半人前で放っておけなくて妹みたいに思ってるって可能性はない?」

「……デートの最中に何てことを言い出すんだ」

「だって考えれば考えるほど、いつもギルがしてくれることと同じなんだもの」

「はい観察が足りない証拠不十分な上に推測が甘い記者失格」

「そこまで?!」

「証明してやろうか」

 断言するなら証明してと噛みつこうとしたら、顔を上向けたら、想像してたよりずっと近くにラルフの顔があった。いやいやいやこれは近いでしょ。

 これは、ハグやキスの距離でしょう?


「ーーーや、」


 人混みの中からにゅうっと伸びた腕が、私をさらっていった。

 可愛いって言ってくれたワンピースの腰に巻きついた腕が誰のものなのか、そんなの見なくてもわかる。

「ギルベルトさん、もうちょっと遅くていいんですよ?」

「僕はね、ロティに…関してだけはっ、頑張れるんだよ…!」

 背中にあたってる胸が、心臓がばくばくいってる。走って、このたくさんの人をかき分けて、駆けつけてくれた。


「って、まさか最初からついてきてたの?!」


 格好良く登場したっぽいけど、それって尾行よ!デートの盗み見よ!

「だって心配で……」

 しょぼくれた仔犬感に負けてはいけない。ああ世の中の恋人たちは家族の心配を振り切ってどうやって過ごしているのかしら。

 もはや私に巻きついている大型犬みたいなギルをどうしたらいいのか、深い溜息しか出ない私の前で、フランクフルトを包んでいた紙をぐしゃりと握りつぶしたラルフはにっこり笑った。

 おお、初対面の取材対象に向ける友好的記者スマイル。


「いやあ、ギルベルトさんが本当にロティの父親なら尊重もしますけど、これはあれですね真っ向勝負でいいですかね」

「残念だな、君のことは好青年だと思ってたのに。でも僕が怒ると天変地異が起きるから、穏便にいこうよ」

「まるで伝説の竜のようですね!どうぞ、これから聖なる乙女クラウディア・ライヒェン嬢がいらっしゃいますからそちらに求婚でもしたらどうです?」

「僕の乙女はロティだけだよ。君にも誰にもあげない」


 真っ向勝負って、……これ?私は賞品扱いなの?

 というか、ギルがさらっと。

 私のこと僕の乙女って言ったわね?聞き間違いとか私の願望とかじゃないわね?


「ロティが茹だった。どうしたの?」

「あーちくしょう」

 営業用の笑顔を引っ込めたラルフがちっ、と舌打ちしてた。顔が熱い。ギルに抱っこされるなんて日常茶飯事で当たり前のことなのに、これは背中から抱きしめられてるみたいだって思ったら熱が出てきたわ。

「なあロティ。その人は聖なる乙女に求婚するみたいだから、俺と行くよな?」

 最後通告みたい。ラルフも意地悪だ。

 いえ私がひどいのか。だけど返事はしなくっちゃ。

「……ギルと行くわ」

 彼はもう一度ちくしょうと言っていた。



 だけどゴメンねって言うのは違うと思ったので「ありがとう嬉しかったのは本当よ」と伝えたら、額を指先で弾かれた。感謝祭の記事書いたら見せろよなって、言ってくれた。

「ねえ、ギル」

 屋根のない、豪華なソファみたいな馬車に乗った聖なる乙女は、綺麗なドレスを着てにこやかに笑って手を振ってくれた。うっわもう可愛いなあ。私もあれくらい可愛かったらいいのになあ。

 この国一番の美少女に対して集まった人々は好き勝手に感想を述べたり歓声をあげたりしているから、こんなぎゅうぎゅうに人が詰まった場所でもきっと誰も私たちの会話なんて聞いていない。


「私たちは家族よね?」

「そうだよ」

「家族のことを乙女って言わないよね?」

「ロティは僕の花嫁さんだから、言うと思うよ」

「そうなの?」

「最初からそうだよ」


 最初って、どこ。

 私が拾われたのは十五年前の感謝祭の時と聞いている。なので私の誕生日はこの日だとギルが決めてくれた。感謝祭の時に赤ちゃんだってことは実際の誕生は数日だか数ヶ月だか前じゃないかと思うんだけどそれは横に置いておいて。

 最初って、……どこ?


「橋の下でね、それはもう元気に泣いてるロティを見つけた時にすぐわかったんだ。ああ僕の聖なる乙女だやっと会えたって。君が成長していくのをずっと余さず心に刻みつけられて僕はとても幸福だったよ」

「憲兵さーん。こっちですー」

「秘密にしてたことはあるよ。でもいつも言ってるよね、僕は嘘はついてない」


 僕の可愛いロティ。愛してるよ。


 私たちの話を聞いていた人はいないだろうけど、私たちの周りにはたくさんの人がいた。その幾人かがわっと声を上げたのは、国が誇る美少女にではなくたぶん私たちに、だ。

「こ、困るわ…!」

「どう?唇のキスは嫌だった?」

「嫌じゃないわそれって困るわよね?!」

「ロティも今日で15歳になったからね。あの子と同じ歳になるまでは、唇のキスは我慢してたんだ。今日からはいっぱいしようね」

「掘り下げて聞きたい言葉と不穏な文章があったわね?!」

「大好き。愛してる。それで足りないなら僕に恋をしてね、花嫁さん」


 ああそうね。夫婦も家族ね。そういう意味だったのね?

 ねえ、ギル。

 家に帰ったら聞きたいことはたくさんあるんだけど、むしろ私に関してじゃなくてギル自身についてなんだけど。

 ねえ、ギル。あなたの瞳はそんなに鮮やかな赤だったかしら?


「僕が怒るとみんなが困るから、穏やかに静かにのんびり生きてるんだけど。赤いなら、嫉妬かなあ。もしロティがラルフ少年みたいなのを連れてきたら、さすがの僕も怒ってしまうかもしれないね?」

 私を育ててくれた、温厚で顔と頭がいいけど生活能力がちょっとかなり低い実は粘着質で幼女趣味が発覚したかもしれない私のことが大好きな変態は、愛を盾にして脅迫めいたことを言い出した。

 やめて。私の愛に国家存亡を委ねないで。


「……とりあえず、白ソーセージを二本買って帰りたい」

「一緒に食べようね」

 本当の聖なる乙女も、この甘えたがりには手を焼いたに違いない。ああ、ソーセージでなくてアップルパイの方が良かったかな。





別に幼女趣味でもなんでもないよ

ロティなら何でも美味しく頂けるだけだよ

(憲兵さんこっちです)



******


London Bridge is broken down,

My fair lady


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