放課後の教室
「――――この話は好きだった?」
君はいつものように私に問いかけた。
放課後、部活が終わりかけ時の夕暮れは、教室の窓際で目を輝かせる君を照らしていた。
「うん、面白いと思うよ」
私は君の顔を見つめながら言う。これで二十二回目の回答になる。
私は満足げに答えているはずなのに、君は私の答えには満足しない。
けれど、君は飽きずに、作った物語を私に聞かせてくれる。見せてくれる。読ませてくれる。
悩みながらもどこか別の世界を見つめる君の顔が、私は好きなんだ。
「その顔は今回は微妙だったって事だね」
君は頬杖をつきながら口端を緩めて見せた。
それは、難しい問題に立ち向かう為の準備であり、次の話を模索する時の顔だと、私は知っている。
「いや、面白かったよ」
私は黒板の右端、名前が書かれた日直当番の所を見た。
『積重』
『無機』
積重は君の名前で、無機は私の名前。
明日は当番。面倒だけど、君となら仕方ない。やってあげよう。
「うん、やっぱり今回は微妙だったって事だね」
目線を元に戻すと、君は私の顔を見ていた。
君の眼が私の眼を通り抜けていく。純粋で綺麗な水晶は、私の考えを見透かすように、君の口を動かし始める。
「無機が別の方へ顔を向けるのは、物語が面白くなかった時なんだよ」
「そうなの?」
「うん、だから今回はやり直しだね」
「面白いのに勿体ないよ」
君の瞳を見返しながら、私は視線を君の輪郭に沿っていく。
スポーツはいまいちで勉強もそこそこ、目立った所がない君だけど、仄かに漂う優しい雰囲気。気が付くと、その和やかな空気に吸い込まれていたんだ。
「さてと、どうしようかな」
新しい物語を考える時、君は素敵な顔を見せてくれる。
机に向かって、顔を少し俯かせて、ペンを手に握ったまま、その手で頬杖をつく。
「ん、どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない」
目の前に座る私を不思議そうに見つめて問いかける君。ドキリとした私は慌てる様子は見せないように、落ち着いた声音で君へと返す。
この気持ちは、まだ悟られたくないから。
「変な無機だね」
「そうかな」
五時半、下校のチャイムが鳴り響く。
君がハッとして時計を見つめる。
「もうこんな時間だったんだね」
「うん」
ノートを閉じる乾いた音がパラパラと聞こえた。
君は筆記具を薄い鞄に詰め込んで、小さく吐息を漏らす。私は少しだけスカートをはためかせた。
「暑いなぁ」
夏の終わり、まだ蒸し暑い季節は、スカートを膝丈よりも上にしたところで変わらない。
ずっと椅子に座っていたせいでお尻がベタつく。
「ん、どうしたの?」
今度は私が、止まっていた君に問いかけた。
「ううん、なんでもないよ」
「そう?」
首筋の熱を解放するために、私はシャツのボタンを一つだけ外し、服を掴んでパタパタと空気を送り込む。
これが私にとっての最大のアプローチだ。
「……」
君は立ち上がる。窓の外を見つめながら遠くを見る。一瞬でその視線が解けたあと、私にその眼が向けられた。
「帰ろうか」
「そうだね」
私も椅子から離れて立ち上がると、隣には君が居る。恥ずかしくて見れないけれど、私の横顔を見ているのがひしひしと伝わってくる。
「何か付いてる?」
「ううん」
「そ、そっか」
なんだかソワソワして勝手に耳元の髪をかきあげてしまう。
「ねえ無機」
「なに?」
「いや、やっぱりいいや」
君はそう言って歩き出す。
「変な積重」
これが精一杯の呼びかけだ。
「そう?」
「うん、そうだよ」
「そっか」
君が歩いた後を私が歩く。
私が歩くと、君の匂いがする。
あと何回、これを繰り返せばいいんだろう。
あと何回、君の名前を呼べるんだろう。
高校三年の秋の初め、君と過ごす最後の季節は、素敵なものになるのかな。