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123

作者: 川里隼生

 1986年8月12日。1台の乗用車が都内のビルに衝突、大破炎上した。車内から男性の遺体が見つかった。遺体の主はいずみ洋行ひろゆき、33歳。ちょうど1年前の航空事故で、妻と2人の娘を亡くしていた。突っ込んだビルには、飛行機製造会社のオフィスが入っていた。


 1985年8月12日。

「番組の途中ですが、ここで報道フロアからニュースをお伝えします」

「はい、お伝えします。いま入った情報によりますと、東京発大阪行きのジャンボジェット機が御巣鷹の尾根上空でレーダーから消えたとのことです。この飛行機には乗客およそ500人が乗っているとの情報もあり……」

 19時25分頃、各テレビ局が速報を出した。後に発表された墜落原因は、修理が適切に行われなかったことによる飛行中の機体損傷。乗員乗客523名中、生還したのは僅か3名だった。


 泉は28歳で妻と結婚し、娘が2人できた。東京のイタリア料理店に勤務しており、妻はそこの常連客だった。大阪にいる妻の実家に帰省するため、家族全員で事故機を予約した。しかし泉は仕事のため東京に残ることになり、前日にキャンセルしていた。結果として、泉だけが事故を免れた。強く損壊した遺体が多く、泉の家族も含め、多くの乗客の遺体が身元不明とされた。


 事故後、同じ店で働く同僚や後輩に時折このようなことを言っていた。

「なぜ自分が生き残っているのかわからない」

「家族と一緒に死にたかった」

「全てを奪った飛行機が憎い」


 1986年8月11日。泉は最も親しかった友人と出かけ、昼食を共にした。好物の醤油ラーメンを、普段より時間をかけて食べていたという。

「明日で1年だな」

 話題に困った友人がそう振ると、泉は表情無く言った。

「そうだな」


 事故に触れるべきではなかった。そう考えて、友人は話題を変えた。ああ、ああ、と泉は相槌を打つだけだった。1番の趣味だったカラオケの誘いにも、小学生の頃から大ファンだったプロ野球の話題にも、何も特別な反応を見せなかった。


 1986年8月12日。そのニュースは朝のラジオで小さく報じられた。

「今朝6時頃、東京都千代田区丸の内のビルに、1台の乗用車が衝突しました。通行人は巻き込まれていませんが、運転していた男性が死亡しました。警察は事故と見て調べを進めています」

 同日午後、泉の自宅から遺書が見つかった。


『小学生の頃、パイロットになりたいと思っていた。今、パイロットほどなりたくない職業はない。飛行機だから安全だなんてことはない。賠償なんていらない。いっそ楽になりたい』

 最後の昼食を共にした友人は、今でも悔やんでいるという。

「僕があのとき事故の話を続けて、想いを聞いて、受け止めてやれば、泉はこんなことをしなくて済んだのかなって、思うんです……」

 友人は、眼鏡の奥の目を人差し指で拭った。

 日本航空123便墜落事故の乗員乗客は524名、生存者は4名です。この小説は違う世界の話(言い換えればフィクション)のため、生存者1名分ずれています。

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