case.0 神話の終わりとちっぽけな人間
始まりはいつだって突然だ。だが、誰もその始まりを予見することはできない。気づいた時にはいつだってもう遅い。でも、何もしないわけには行かない。抗うのだ、どこまでも。例え結末が分かっていても、抗うのが人間なのだ。そう、あの出来事が始まったときも、人間は抗ってきたのだ。
20XX年。この年、人類は選択を迫られた。生きるべきか死ぬべきか。シンプルだが永遠の課題とも言えるこの問題に、ついに人類は直面することとなった。
ユーラシア大陸の大国からとあるウイルスがばら撒かれた。今となっては、滅亡論だのヒューマンエラーだの様々な憶測が飛び交うだけで、誰も真相を知ろうとしない。知ったところで無駄だからだ。過去にはもう戻れない。
話を戻そう。ウイルスは今まで観測されてこなかった種類のものだった。感染すると、熱、咳、吐き気、食欲不振、身体の怠さ…、言わばこれまであったような風邪の特性を持っていた。だが、そのウイルスには異変性があった。
まず驚異的な繁殖力。人から人へ、飛沫、接触問わずウイルスは爆発的に世界へと広まった。ただの流行り風邪。その程度の考えを持ってしまったのが運の尽きだったのかもしれない。気がつけば全世界で感染者は爆発し、病によって死者も出た。初めは老人や幼い子どもたち、体の弱いものから死んでいった。人類が脅威の片鱗に気付いたとき、全世界の40%が感染者となっていた。
そして異常性その二、ワクチンが作れない。感染爆発した原因の一つとも言えるが、未知のウイルスに対し、抗体を作ることができなかったのだ。病にかかれば生き残るか死ぬかの二択のみ。自身の免疫力でオリジナルの抗体を作る他に策はなかった。
ウイルスは、感染から六ヶ月ほどで人を死に至らしめた。致死率は30%を超え、人々は絶望の六ヶ月を過ごす事となった。しかし、抗体を持つものが現れた時、六ヶ月という数字は希望に変わった。生きる、という希望に。
どこの誰かは知らないが、新型ウイルスは”ノア”と名付けられた。それは神話に登場する船のごとく、我々を導いた。今や世界人口はピーク時の半分となり、世界の再構築がなされたのだ。
抗体を持った新たなる人類―新人類―、神による世界の再構築、人々は理解した。この惑星は生まれ変わった。約束された土地、楽園、エデンに。
だが、私は思う。エデンへ辿り着けたのは、我々だけではない。エデンへ辿り着けなかった者たちは、彼らなりのエデンへ向かったのだ。けして、我々が選ばれた、とゆめゆめ思うことなかれ。
―とある思想家の手記より抜粋