もらってからのお楽しみ
童話というものを初めて書きました。
子供の頃に読んだ記憶はありますがそれほどたくさん読んだことがあるわけではありません。
書き始めた時、テーマである『贈り物』をすっかり失念してしまい、書き終わってからショックを受けて、別な作品を再び書いたのがこの作品です。
そして、脱稿したら、多くの方々がクリスマスをテーマに執筆されていることを知り、またショックを受けました。
第一話 スマホがほしい
もうすぐ冬休みがやってきます。
その前にやってくる冬のビッグイベントといえば何でしょうか。
多くの人はクリスマスというでしょう。
ぼくもそう思います。
ぼくはクリスマスプレゼントに両親になにを頼もうか想像していました。
教室ではスマホデビューの話が多かったです。ゲームソフトとかお洋服とか昨年までは多かったけれど今年のプレゼントの圧倒的な人気はスマホでした。
ぼくは舘澤日向。小学三年生の九歳です。
クラス替えをしてから気になっている女子マナモちゃんがクリスマスにスマホをもらえる話をしているのを聞いて、ぼくもスマホがほしいと思うようになりました。
スマホがあれば、今よりももっと広い世界を知ることができるようになるとテレビで誰か言っていました。本当ならスゴイことです。今のぼくは家から半径三キロ圏内のことしか知りません。ぼくはJRの踏切を越えた先の町のことはよく知らないのです。
すでにスマホを持っている子も何人かいます。
クラスでいちばんのスポーツマンで勉強もできる子、空沼くんもその一人です。
ぼくも流行に乗って周りのクラスメイトに、スマホを買ってもらうと宣言しました。
すると空沼くんが近づいてきて、ぼくの頭をぽんぽんさわりながらこう言いました。
「ひなた〜オマエやっとスマホ買ってもらえるのかよ〜よかったなぁ」
ぼくはムッとして彼の手をふりほどきました。頭をぽんぽんされることが世界がいちばんイヤなことの一つだったからです。はっきり言いました。
「頭にさわるなッ」
「なあにムキになってるんだよ〜スマホデビューしたあかつきにはオレが使い方を教えてやろうと思ったのによお」
「そんなのいらない」
ぼくはきっぱりと言ってやりました。ぼくはいわゆるイジメられているわけではないけれどイジられたりからかわれることはけっこうあります。でもぼくはそこで屈するほど頭の良い子ではありません。
たぶんこれはぼくの勝手な考えだけれどイジメに負けてしまう子というのは頭が良すぎて色々考えすぎているからなのだと思います。ぼくは鈍感なのでいじられたりからかわれてもほとんどなにも感じないのです。これはぼくの強みだと思います。
ぼくはクリスマスプレゼントにスマホをお願いしようと思いました。
第二話 クリスマスプレゼントのお願い
家の近い友達と一緒に下校しました。
みんなで路肩の雪山から一握りの雪を手に取り、できるだけ固い雪玉を作ると電信柱に当てるゲームをやりました。夏には野球チームで少年野球をやっているので、このゲームに自信のあるぼくは三回に一回くらいの割合で電信柱に雪の跡を作りました。
でもこの時は何度目かに電信柱を外れた雪玉がたまたま通りかかった車のリアガラスに当たって、しまった! と思いました。
こういう時はたまにあります。歩道から電信柱めがけて雪玉を投げて外れると角度からして車に当たる可能性が避けられないからです。
その車がブレーキをかけて停まったのを見て、怒られると思って声をかけあうでもなくみんなでいっせいに左の道路にかじを切って逃げました。
ぼくはいわゆる鍵っ子なので、夕食の時までいつも一人です。アパートには誰もいないので、冬はいつも極寒です。大げさじゃなくて外よりも寒いと思う日もあるくらいです。なぜでしょうか。ぼくの家はインターネットにつながっていないので、空沼くんみたいにわからないことを調べることは簡単にはできません。でも想像はできます。たぶん外は雪が積もっていると保温効果があるからだと思います。反対に家では冷気がたまっているのと古い木造のアパートいうこともあって、すきま風が入ってくるからだと思います。今度先生に聞いてみるか、図書室にあるパソコンで調べてみます。
鍵を開けてひんやりした居間に入ってまずやることは、石油ストーブのスイッチを入れることです。もちろんすぐには暖まりません。ジャンパーを着たまま雪洞を掘ってビバークする登山者のように身を縮めてじっと待ちます。
でもそのままなにもしないで縮こまっているのも飽き飽きしてくるので、一度部屋へ行って先日図書館で借りてきたばかりの文庫本を持ってきて読みました。
魔法使いの少年が魔法学校に入学して親友を作るお話です。評判通りの面白さでぼくはハマりました。本でこんなに夢中になったのは初めての経験です。周りにはマンガとかゲームとか映画とかもっと手軽で入り込みやすいエンターテイメントであふれているのに、文字だけで引き込まれたことはこれまでにありませんでした。
寒さも忘れて読みふけると言いたいところですけれど実際には居間が暖かくなるまでには少し時間がかかります。ぼくはとくに足が冷えやすいタチですので、ストーブの前にお気に入りの椅子を持ってきて、足をストーブ側に向けて本を読みます。しばらくすると火が点いて、まず最初に足に血が通い始めて、そのあとに部屋がだんだん暖まっていきます。
人間とはワガママなもので、最初は寒いと震えていたくせに、部屋が暖まってきたら今度はストーブにかじりついていると暑くなってきます。
そこまで行くとぼくはストーブから椅子を離して、適切な位置まで移動してから読書を再開します。
ぼくは天才ではありませんからどんなに愉しい時間でもしばらくすると集中力が途切れてきます。そこからお菓子の登場です。
ぼくはお菓子の油分のついた手で読書をするのがキライですので、一度中断してからスナック菓子に手を出します。どういうことかわからないけれどちょっと前まではチョコが好きだったのに、今は柿ピーとかせんべいとか古風なカンジのお菓子が好物なのです。
柿ピーを食べていると足元にどこから来たのかネズミがいました。
そうです。うちではたまにネズミが出るのです。だいぶ古いアパートでありますし、すきま風も吹いていることですし、どこかにネズミの出入りする穴があってもおかしくないのです。
冬に現れたことは一度もありませんけれどひょっとしてうちのアパートのどこかで冬を越すための巣を作ったのだと思うと、急にネズミに対して優しい気持ちが芽生えました。
ぼくは柿ピーのスナックとピーナッツを三粒ずつ床に落としました。ネズミは警戒心もあらわに鼻をひくつかせるとその場で一粒ずつ口にしてぽりぽりかじりました。残りの二粒は一粒を器用に口にくわえてどこかへ去って行き、また戻ってきて最後の一粒を持って行きました。もしかしたら巣穴に子供がいるのかもしれません。
お菓子を食べ終わると一度お湯で手を洗ってから読書を再開しました。
冬は十六時頃になると暗くなります。手元の文字が読みづらくなってくると居間の電気を点けてカーテンを閉めました。外が寒いのに家の中は暖かく、かつ電気を点けてカーテンを閉めるとなんとも言えない心地よさがあります。包まれている感守られている感とでもいいましょうか。このまま春までこうしていたいくらいです。もう少しで冬休みなんですけれど。
文庫本を椅子に置くとぼくは夕飯の支度とお風呂掃除をします。まず米を冷水で研いでから釜に移して水を注ぎます。この冷水で研ぐ作業は冬には地獄のようです。せっかくストーブで暖まった手と体が一気に振り出しに戻されます。炊飯器に設置して炊き上がりを十九時に設定します。そのままの流れで今度はお風呂掃除です。お風呂掃除はけっこうクセモノです。普通に洗う分にはいいのですけれどいつだったかバスチェアーを洗ったにもかかわらずお母さんに文句を言われたことがありました。
アンタ、ちゃんとバスチェアーも洗ったのかい、と。
ぼくはもちろん洗ったと反発しました。
ところが、ぼくはミスをしていたのです。
バスチェアーの表面だけ洗ってひっくり返して裏側を洗っておらず、カビがついていたそうです。
お母さんはさすがです。ぼくの想像を越えています。お母さんの守備範囲のことでは不平や逆らわず、素直に聞いておいた方が身のためでした。
浴室を洗っている時にも手袋をつけているのですけれど手が冷えました。ぼくはすぐにストーブの前へ行き、手を近づけました。
そうこうしているうちに、十九時頃にお父さんとお母さんが仕事から帰ってきました。お父さんとお母さんは同じ職場で介護の仕事をしています。部署は違うそうですけれど。
お父さんは『入所』といって高齢者の方が住んでいる階の担当で、お母さんは『デイサービス』といって毎朝自宅まで利用者を車でお迎えに行って、施設に来た高齢の方々と一緒にカラオケやクイズ、花札やオセロ、将棋などレクリエーションを楽しみ、帰りも自宅まで送り届けるという仕事をしています。
毎日クタクタになってお父さんとお母さんは帰ってきます。そのためか夕食の準備もお母さんはほとんど朝に済ませています。
今夜はカレーライスでした。
ぼくもカレーライスくらいは作れますけれど野菜の切り方がお母さんと違うため、納得の行く完成度になったことはほとんど一度もありません。野菜の切り方でも味が変わるからです。
お母さんは帰って来るなりすぐにカレールーの入った鍋をガスコンロのスイッチを点けて温めました。ちょうどその頃、ご飯の炊き上がりを知らせるメロディが流れました。お父さんはテレビをつけてニュースを見ています。よっぽど疲れたのか、ソファに座ったすがたが岩に張り付くヒトデのようでした。
夕飯の時。
テレビが点いていますけれどぼくはほとんど目に入っていませんでした。スマホのことをいつ切り出そうかとタイミングを測っていたからです。ここはお父さんとお母さんの注意がテレビに移った時がベストだと思うのです。
CMから番組が再開した瞬間、ぼくはクリスマスにスマホが欲しいことを打ち明けました。その時に、周りのみんなが持っているから、という文句を言うことだけはしませんでした。なぜならひどく幼稚なものだと思いましたし、他人に流されることはお父さんの嫌うことだからです。お父さんは川釣りが好きなのですけれどぼくは渓流に流されないどっしりした岩になれ、と今より子供の時に言われた記憶があります。うちにはパソコンがないのでインターネットをやりたい、という理由から欲しいとお願いしました。ウソではありません。本当です。
結果は、惨敗でした。
まだ早いだのどうせゲームのアプリで遊ぶだけでしょとかアメリカの某有名IT企業の社員の子供は子供のうちはスマホなどの電子機器を与えず昔ながらの手足や体を動かしたり知恵を使って遊ぶアナログの遊びをさせているとか、よくわからない理由をも並び立てられましたけれど、うちはお金がないんだから、と言われた時がいちばんショックでした。
クラスメイトの会話などからうすうす気がついていましたけれどうちは貧乏らしいのです。お金がないんだから、と言われたらぼくにはどうすることもできません。そういえばお父さんもお母さんもスマホじゃなくて、ガラケーとかフューチャーフォンと呼ばれる携帯電話ですし、キッチンにある冷蔵庫もぼくの部屋のストーブもそういえば中古品でした。外食にもほとんど行ったことがありません。
でも、ぼくよりもショックなのはお父さんとお母さんに違いありません。お金がないんだから、と言わせたぼくにも非はあると思います。
今までにぼくはアレ欲しいコレ欲しいとダダをこねたことがなかったのに、今回初めて自分でお願いしたことがいけなかったのでしょう。ぼくはじっと我慢してだんまりを決め込んでいた方がお父さんとお母さんのためになるのではないでしょうか。
ぼくはスマホを諦めることにしました。これがぼくの運命です。運命を切り開けるほどぼくは強くもありませんし、これといった才能もありませんので。今のぼくにはこの言葉がしっくりくると思います。
分相応。
第三話 補導
路肩に雪山ができているのですけれど平年に比べたら今年の十二月は雪が少ない方だと思います。気温も高く道路や歩道では雪が解けてアスファルトがむき出しになっています。なのでまだ自転車に乗ることができます。
ぼくは帰宅後、ミスをおかしました。
図書館から借りてきた本がもうすぐ読み終わるというのに下校中に図書館に寄って借りてくることを忘れていたのです。
最後のページを閉じると続きが読みたくなり、明日まで待つのも落ち着かないので、もう一度ジャンパーを着込みお母さんの自転車を借りて図書館まで行くことにしました。
日が陰り寒風の吹きすさぶ中、マフラーを忘れたことを悔やみながら図書館で本を返却し、続刊を借りました。
その帰りのことでした。
赤信号で止まっているパトカーの前を通りかかりました。
するといきなりメガホンを使ったみたいな声がしました。なんだろうと思ってぼくは横断歩道を通りながらきょろきょろしました。
わかりました。
どうやらメガホンの声はパトカーから出ているようで、急停止すると助手席にいるおまわりさんと目が合いました。手招きしています。
わけも分からずキッとブレーキの音を立てて停車しました。
「そこの君。こっちへ来なさい」
体格の良いおまわりさんに連れて行かれたのはすぐ近くにあった交番でした。ぼくはなにか悪いことでもしたのでしょうか。あまり良いことでおまわりさんが「こっちへ来なさい」と手招きする話など聞いたことありません。
「その自転車は君のモノかい?」と聞かれました。
「そうです」とぼくは答えました。当たり前です。これはうちでお母さんが使っているものなのですから。
ぼくは椅子に座らされ、女性のおまわりさんから名前と年齢と小学校を聞かれました。ウソをつくいわれはありませんでしたので、素直にうろたえずに答えました。
外で自転車を調べていたおまわりさんが交番の中へ入ってきて電話をかけました。
内容はよくわかりませんでしたけれど説明を受けてわかりました。
自転車の持ち主に電話をかけていたようなのです。
女性警察官のお話によれば自転車に貼ってあるシールのナンバーから登録者を探し出し、そこから本人に電話をかけて盗まれたかどうか聞いたみたいです。
ぼくは盗んでいない、と強く主張しましたけれど家の電話番号かお母さんの携帯電話の番号を教えてと言われて教えました。
おまわりさんが交番の警察官であることを名乗りぼくの名前を出して話を始めました。さいごに気をつけて下さい自転車はお返しできませんからね、と言って電話を切りました。
おまわりさんから話を聞いてぼくはこの出来事のからくりがわかりました。
お母さんは公園に捨てられていた持ち主のわからないボロボロの自転車を拾ったそうです。それがぼくの乗っていた自転車。ボロボロだからこそ盗難車だと思われたのかもしれません。
持ち主に電話をかけたところ、すでに三年も前のことなので返してもらわなくても良いということでした。
いわゆる事情聴取されている時に、何度もおまわりさんに君はしっかりしているから大丈夫、ウソはつかず素直に答えなさい、と言われましたけれどあまりうれしくありませんでした。それよりお母さんなにやってんだよふざけんなという気持ちの方が強かったからです。
その日の晩にお母さんがいきなり泣きながら謝ってきました。
思った以上に切実な顔だったので、ぼくはなにやってんだよと喉元まで出かかった非難をぐっとこらえました。
第四話 ネズミと雨もり
二十三日の夜。
布団の中でごろごろしながら借りてきた文庫本を読んでいる時、ふたたびあのネズミが鼻をひくひくさせながら出てきました。
冷えるので布団から出たくないなぁ、と思いながらもなんとか出て、通学カバンの中から給食のコッペパンを出しました。布団に入ってから現れるとは思いもよらないですけれどこんな時に備えてあらかじめパンを食べるつもりのないクラスメイトからゆずってもらっていたのです。
ぼくは布団の中に戻り、ビニールパックを破りました。コッペパンを出すと小さくちぎって床に落としました。鼻をひくひくさせてパンを手に取り、かじりつきました。じっと見たら、出っ歯の歯と短い両手、ヒゲ、キモカワイイしっぽにはなんとも言えないユニークさがあります。
ひとかけらを手に取るなりどこかへ走り出し、また戻ってくると同じようにパンのかけらを取りどこかへ行きました。それを何度か繰り返して、まだくれと言わんばかりにベッドの上のぼくを見上げてきます。
ぼくは残ったコッペパンをぜんぶちぎって床にばらまきました。その後文庫本を読んでいるうちにうとうとし始めて気づくと文庫本を手にしたまま眠ってしまいました。
ところが、深夜二時頃にぼくは雨音で目が覚めました。もう十二月なのに雨が降っているようです。雨が降っているだけなら心地よいのですけれど、ボタッ、ボタッ、という低い音が部屋の中で聞こえてハッと跳ね起きました。すぐに電気をつけて布団から出ました。
机に置いてあった教科書とノートがびしょびしょでした。
呆然と立ち尽くしたぼくの頭になにかが落ちました。この感じ覚えがあります。雪解け水などがひさしから頭に落ちてきた時と同様の感じです。天井を見上げました。天井に鐘乳石に集まる水のような滴ができています。それが落下しているのです。
これは雨もりというヤツではないでしょうか。オンボロアパートというにもほどがある。始めての経験ですけれど直感が訴えています。これはヤバイヤツだ、と。
すぐにお父さんを起こしました。雨もりしているんだけど! と。
お父さんとお母さんがびっくりして跳ね起きました。
お父さんは布団から飛び出すなりぼくの部屋へ駆け込みました。雨もりを確認するとどこかへ行きました。すぐにバケツを持って戻ってきました。ぼくの勉強机の上に置きます。ボンッ、ボンッ、と意外に大きい音が鳴りました。
「…うるさくない?」ぼくのつぶやきに、お母さんがバスタオルを持ってきました。バケツの中にねじ込むとタオルが水滴を受け止めるのか、それほどうるさい音ではなくなりました。
明日、業者の人を呼ぶことになり、深夜の大騒動はこれでいったん落着となりました。
ところが、静かになったと思ったタオルに落ちる雨もりの一定のリズムを刻んだボスッ、ボスッという音が逆に気になり始めました。そのうちあふれるんじゃないのかとも。ぼくは眠れなくなりました。追い打ちをかけるように天井から不気味な声がしました。
「…明日はクリスマスイブだね」と。
第五話 クリスマスイブ
クリスマスイブの日がやってきました。
この日はお母さんが朝から料理の仕込みをしてくれていました。それが済むといつもの仕事です。お父さんは家族三人分の朝食を用意してくれました。テレビではどこのチャンネルも各地のクリスマスイベントを紹介していました。芸能人のゴシップだとか汚職だとか交通事故だとか殺人事件だとか、そういうニュースがどこにも見当たりません。
ぼくは忘れ物がないかチェックしてから登校しました。普段にはないウキウキした気分でした。ぼくも浮かれています。めったに食べることのないケーキが食べられるからです。残念ながらプレゼントにスマホはもらえないですけれど…。
教室では空沼くんが今夜彼の自宅で開催するクリスマスパーティーに出席するメンバーを集っていましたけれど誰も誘いに乗りませんでした。みんな家族で過ごす予定があるからです。ちょっとかわいそうではありました。
「ひなた〜オマエはどうだ〜? ウチ来ないか〜? どうせオマエんちなんかしょぼいんだろ〜? オレんちが本物のホームパーティーというものを見せてやんよ〜プレゼントもやるよ」
「上から目線で人を誘うな。行くわけないだろ」ぼくはムッとして断りました。
下校中、図書館に寄って例の文庫本を返却して続きの巻を三冊借りてから帰りました。巻数が進むにつれて早く続きを知りたいと思うようになり、ぼくはすっかりこの物語のとりこです。完結まで読み終わったらクラスメイトにも勧めてみようかと思います。
ぼくはいつものように居間のストーブの前で椅子に座り文庫本を読みました。冷え切った足が温もり始めるとこっくりこっくり舟をこぎました。文庫本が手から離れてバサッとカバーがめくれて床に落ちたことに気づきましたけれどそのままにして椅子に深々と座ると本格的な居眠りに付きました。
どれだけの時間うとうとしていたのでしょうか。
ふと、目を開いたら居間の気温が二十二度になっていました。暖かくてますます眠気を誘います。ふたたび目を閉じました。
次に目を開けた時、居間に薄闇が広がっていました。突然呼びかけられました。
「ひなたくん」
ぼくは完全に眠気が吹っ飛び、椅子から立ち上がりました。誰が呼んだのだろうときょろきょろするものの、誰もいません。
「ひなたくん、こっちよ」
声は下から聞こえました。
床。
ぼくの足元です。
まだ完全な闇ではないとはいえ、薄暗がりでしたから確信が持てませんでしたのでぼくは立ち上がって蛍光灯を点けようとしましたけれど、
「ダメ。電気はつけないで」
ぼくはかがんで、じっくり床を眺めました。
目と耳と正気を疑いましたけれどネズミがしゃべっているようです。女性っぽい声でした。
「不思議だ…」ぼくはつぶやきました。「ごめん、ちょっと触らせて」手を伸ばしたら、おなじみのチュチュという警戒する声をあげて逃げられました。
「ごめんね。そこまではかんべんして下さいな。私はネズミですから、自分より体の大きな動物に触れることはすなわち食べられることを意味しますので」
「ぼくはネズミなんて食べないよ〜」
「あら? これでも私たち、ネコやキツネやイタチ、タカやフクロウなどに人気がありますのよ?」
ぼくは吹き出しました。さて、そろそろ蛍光灯を点けようかとしたら、
「お願いです。電気は点けないで」すがりつくような声。「ひなたくん。今日はクリスマスイブね。こっちへ来て」
ネズミに名前を呼ばれるのも変な気がしましたけれど言われた通りについて行きました。
案内された場所はぼくの部屋の学習机の裏側の壁でした。ネズミ一匹通れるほどの穴が空いています。
「ひなたくん。ここのぞいてごらん」ネズミはチュチュを交えて言いました。
「なにが見られるのかな?」
「もちろん見てのお楽しみよ」
「ところで、君には名前があるの?」
「私はネミっていうの」
「ネミか〜そのままって感じだね。そろそろ電気を点けてもいいかな?」
「ダメ」
そこはゆずらないようでした。
「でもさ〜こう暗かったら、穴をのぞいても何も見えないんじゃ…」
ぶつぶつ言いながら学習机をずらして床に横たわります。穴の位置が低いので棒のように横になってどちらかの目だけで見るしかないようです。
あれこれ位置を調整しました。
ここだという位置でじっと目を凝らしました。すでに日の入りなので、部屋は天井から足元の隅々まで暗闇で覆い尽くされています。
半信半疑ながら穴をのぞいていたら、ネズミに取り付けた小型カメラの映像でも見るみたいに、ネズミが下水道をひた走る姿が見えました。ネミはキモカワイイけれど下水道を走るネズミはそれほどカワイイとは思わなかったです。
次にまた暗闇になりました。今度はぼくの視点になったみたいです。どアップで黒いものがごちゃごちゃ動いています。
「ネミ。これは土の中かい?」
「惜しいわね。土といえば土だけれど落ち葉の中よ」
「なんだって落ち葉の中に?」
「そりゃあ隠れたり食事をしたり」
「食事?」
「ほら、そこにあるじゃない。ごちそうが」
どアップで映ったのは化け物かと思うほど巨大なミミズでした。でもこれはネズミの視点で見たものみたいなので実際はそれほど大きくはないのかもしれません。
次の瞬間にはなにが起こったのかわかりませんでした。
バツッと電源コード自体を引き抜かれたみたいな感じです。
「フクロウに襲われたのよ」ネミが言いました。
「そういえば…」
フクロウに捕まったのはあっという間の出来事でした。
「あんな一瞬で食べられちゃんだね。覚悟を決めるヒマもないじゃん」
「わかっていただけて光栄です」
ネミはぺこりと頭を下げると部屋から出て行った。
ぼくは居間に戻り蛍光灯を点けました。カーテンもすき間なく閉め切ります。もう一度椅子に座って本の続きを読みました。物語はもちろん面白いのですけれど昨夜雨もりが気になってろくに眠れなかったからか、また眠気に襲われました。
起きている世界と眠っている世界の境目を行ったり来たりしながらうたた寝していると頭になにか冷たいものが落ちて目を覚ましてしまいました。驚いて天井を見上げます。
雨もりでした。今度は居間かと嘆くのは早かったです。ただの雨もりではありませんでした。初めは綿棒の先くらいの水滴だったものが風船がふくらむみたいに徐々にふくらんでいったのです。これが落ちたら床が水浸しだというほど大きくなった時にふくらみが止まりました。
「やあ」
声がしました。どうやらこの雨もりのカタマリが声を出しているらしいと気づくのに三秒程度かかったかのではないでしょうか。水中でマイクを使って声を発しているようなくぐもった男性の声でした。
「おいらは、すん。今しばらく迷惑をかけているね」彼は名乗り謝りました。「さいきんはこういうオンボロの家も少なくなってきたからね〜おいらの生きるところがだんだん減ってきているんだ」
「あ、ごめんね」ぼくは謝りました。「今日中に業者さんがくるから雨もりは直っちゃう」
「君は正直だね」すんは言いました。「そんな君にもっと面白いものを見せてあげよう」
「え、なになに?」
「おいらに顔を近づけてごらん」
「こう?」
「もっと。もっとだ」
「これくらい?」
「もっと。あと少し。そうそう。ほら、おいらの体に顔を埋めて」
「その水の中に? 溺れちゃわない?」
「大丈夫。いける」
無重力空間に浮かぶ水滴のようなすんの体に顔を突っ込みました。すんの言う通りまったく溺れませんでした。水中にいる肌触りはあるのですけれどシュノーケルで息継ぎをしているように呼吸できます。
「そのまま目を開けてじっとしてて」
すんの言葉通りにします。
目を疑うことが起こりました。
そこはぼくの住むアパートなのですけれど玄関にはあのオンボロの自転車が置いてあったのです。さらに驚くべきことにはぼくがあの空沼くんの家でクリスマスパーティーをしている光景も見えたのです。ぼくはけっこう楽しそうに見えましたけれどお父さんとお母さんはどうしているのだろうと思いました。
「これは君にとって存在していたかもしれない未来たちだ」すんは得意げに言いました。
「どういうことだい?」
「人というのはその時取った行動によって無数の未来が存在するんだ。今君が見ているのはその未来のうちのいくつかなんだよ」
あの時ぼくが図書館へ行くのに自転車に乗っていなければおまわりさんに止められることもなかったですし、空沼くんに誘われたクリスマスパーティーへ行く可能性だってゼロではなかったはずです。そういうことか。
「パラレルワールドってことかい?」
「今この瞬間にも君の未来は無数に分かれているよ」
「じゃあぼくはこの未来を選ぼう」
このままずっとすんに顔を埋めていたらまだ他の景色も見えそうでしたけれど途中でやめました。刻々と時間が過ぎていく中で一秒先の無数の未来のことを考えると頭がごちゃごちゃして追いつかないからです。もしそんなパラレルワールドが本当にありうるとしたら、神様だって本当にいるかもしれません。
無重力空間に浮く水滴がちぎれて消えていくようにすんはゆっくりと時間をかけていなくなりました。
ストーブの前から離れていたからでしょうか。どこからかすきま風が入ってきているからでしょうか。
足が冷えてきたのでストーブの近くまで椅子を持ってきて足を温めることにしました。小説の物語はだいぶ進みました。年末までには最終巻まで読めると思います。終わってしまうのがもったいないのでページをめくる手が遅くなりました。
外で強風が吹いたのかヒューヒューかすれた笛のような音がしました。木造アパートはみしみし音を立てています。足元がひんやりしてきました。どうやらまたうたた寝をしていたようで、なんとなく心地よいのでなかなか動くことができませんでした。でもすきま風は膝まで上がってきています。
ぼくはお母さんの使っているひざ掛けを持ってきました。それでも暖まりませんので一体全体外はどれほど冷え込んでいるのでしょうか。ストーブの火力を上げることにしました。それで徐々に暖まるはずがすきま風はむしろ強くなりました。まるで窓を開けているような寒さです。
ふと下を見たら、奇妙な生き物がいました。
カレイとかヒラメみたいな形をしています。ぎょろっとした目玉が左右どちらに寄るでもなく真ん中に一つだけありました。ヒレをひらひらさせているところなんかはエイにも似ています。
「オレ、すきま風のチュンっていうんだぜ!」
いきなりテンションが高いので、ひるみました。
「ぼ、ぼくは舘沢。舘沢ひなたです」
「それじゃ、たーひな。最近なにか困ってることはないかい?」
「困ってること…ですか? いえ、とくにない…ですね」
たーひなっていうのは今まで言われたことのないニックネームです。
「つまらん! なにかあるだろ、ほらッ。オレ、すきま風のチュンっていうんだ」
「あーなるほど。ありました。寒いです。ものすごく」
「だーかーらッ違うっての!」
「違わないです。チュンさんが来てからせっかく芯から温まりかけてた体が一気に冷えましたよ」
「オレの正体は?」
「すきま風です。ですよね?」
「…ってことは」
「雨もりの次にいらないものです」
「いらないとか言うな。たーひなにはこのコテをやる」
床にカランと音を立てて落ちたコテを拾いました。
立ち上がった時、脱皮したセミみたいに椅子にぼくの抜け殻みたいなものを残していました。どういうからくりかはわかりません。ただ完全な抜け殻ではなくてピンボケした写真のようでした。
「コテを拾ってピンボケを直しなさい」
左官職人さんが壁に塗料を塗っているすがたを思い出して、みようみまねでぼくはコテを手に取りぼく自身の抜け殻のピンボケを直す作業をエアーでしました。
ところが元々不器用のためかうまく直せませんでした。
「…まあ、今はこのくらいかな」
勝手に納得したようにギョロギョロ目を動かすとチュンは砂に潜っていくカレイやヒラメのように消えてしまいました。
第六話 遅いメリークリスマス
夜も更けてグッと気温が下がり雪がちらつき始めた頃になってもお父さんとお母さんは仕事から帰ってきませんでした。
ぼくは何度もカーテンを引いて車が来ないかどうか確認したけれど目の細かい雪が積もる勢いで降るばかりでした。
何かあったのかと心配になると落ち着かなくなりました。読書を中断すると厚着をしてジャンパーと手袋を身につけて外に出ました。
やっぱりだいぶ積もっていました。足首くらいまで。でも軽いパウダー状の雪のため雪かきははかどりました。物足りないと感じるほどでした。
そうしているうちに見覚えのある軽自動車が赤いランプをつけて駐車場に入ってきました。お父さんとお母さんです。
お母さんが降りてくるなりぼくに言いました。
「なんでこんな時間に雪かきなんかしてるの」
「雪が積もりそうだったからに決まってるじゃん。お母さんとお父さんこそなんでこんな時間までかかったの?」
すでに二十一時です。
「施設で大変なことがあってね。それはまた後で。とりあえず冷えるから中へ戻りなさい」
ぼくは先に家の中へ戻りました。お父さんとお母さんは居間に入ってくるとジャンパーや手袋を脱いだり洗面所でうがい手洗いをしたり、弁当箱を出して水につけたりしました。帰宅するだけでもやることがたくさんあります。お母さんの手にはビニール袋がありました。たぶん形からしてホールケーキでしょう。
やっと落ち着いてソファに座ってから遅れた理由を話してくれました。
というのも、施設で急変した入居者さんがいたため、遅番と夜勤のメンバーだけでは足りず、バイタルを取ったりナースを呼んだり、帰るに帰れずバタバタしていたため帰りが遅くなったそうです。結局その入居者さんは落ち着いたそうですけれど。
お母さんは台所に立ってクリスマスのごちそうを用意していました。お父さんはホールケーキをテーブルの真ん中に設置しました。ぼくはスプーンやフォークや箸を用意しました。これが済むととくにやることもなく、上の空でクリスマス特番のテレビを見ました。
ケーキもそうですけれどプレゼントが気になっていました。先日、スマホはダメと言われて以来、他のものの希望を出していないので気になります。
お父さんとお母さんの手で次々と料理が運ばれてきました。フライドチキン、ピザ、生ハムサラダ等、オードブルの皿。お父さんとお母さんにはビールもあります。ぼくはメロンソーダでした。だいぶ遅くなったのでお腹がへっこんでいます。
メリークリスマースと言いながら三人でコップを近づけました。そのあとにお母さんの手から小さな袋が手渡されました。
「プレゼント」
「え、なに?」
想像していたよりもミニチュア感のあるプレゼントだったので、一瞬がっかりしましたけれど中にあったカッコイイ小箱にはスマホの絵がありました。
「スマホ…?」
がっかりが喜びに変わりました。
「開けて見せて」お母さんも嬉しそうでした。
上ぶたを開けたら枠にすき間なくスマホが収まっていました。キレイにビニール袋に包まれています。ぼくは急いで取り出すとなぜか最初からそのことを知っていたかのようにスマホを起動させました。フューチャーフォンとはまったく別次元の世界が拓けました。ロケット花火とアポロ11号くらい違う世界です。
「ただし」とお母さんは言いました。「それはお母さんとひなたの兼用です。普段はお母さんが使わせてもらいます。なにかやりたいことがあったら言って」
さいごの一言は予想していませんでしたけれど半分のスマホを手に入れたようなものですし、プレゼントにすらもらえると思っていなかったので複雑な気持ちがありつつも素直にうれしかったです。
「アナタの方が覚えは早いだろうから覚えたら教えて」
お母さんはちゃっかり言いました。
クリスマスパーティーもたけなわになった頃、雨もりを直す業者さんが来てくれました。でもオンボロアパートなのですんとはまた会う機会があるかもしれません。
スマホで天気予報を見ていたら、今夜から明け方未明にかけて大雪が降るとのことでその予報は的中しました。
クリスマスイブの翌朝、外へ出るとあちこちで雪かきをしている人たちでいっぱいでした。大雪というよりドカ雪です。
(了)
いかがでしたでしょうか。
ちょっと長いかな。
著者が自著についてあれこれ言うのはあまり好まないので、読んで下さった皆様の読後感が全てであると思っております。
童話で感動した作品。
アストリッド=リンドグレーン著『はるかな国の兄弟』です。
たぶん間違いないと思うので興味を抱いた方はぜひ。