再会
気がつくと俺は真っ白な空間にいた。
どこまでも白い世界が続いている。
俺は、この世界に見覚えがあった。
以前、夢で鈴風の母親らしき人に出会った空間だ。
明晰夢。
誰しも経験があるだろう。夢の中で自分は今夢の中にいると自覚するあれだ。
しかし今回は夢の中特有の動きにくさ、頭の周りにくさはなく、普通に身体を動かせるし、頭は冴えている。
「諒さん……?」
後ろから声をかけられて、俺は慌てて振り返る。
そこには、制服姿の鈴風が、ふわふわと浮いていた。
「鈴風!お前、鈴風なのか!?」
「そりゃあそうですよ。ほかになんだというのですか」
ああ、この物言いは間違いなく鈴風だ。
「私浮いてるんですが。どうしちゃったんでしょうこれ」
「俺のほうこそ聞きたい。お前、なんでここにいるんだ? 俺の無意識が作り上げた鈴風の複製物か?」
「むう。失礼なことを言いますね。今日、諒さんたちと記憶転移について調べてたじゃないですか。部室を出て気が付いたら、この空間に浮いていました。適当に飛び回っていたら、諒さんらしき人を見つけたので、声をかけることにしたんですよ」
事故の記憶はないらしい。
まあこれが本物の鈴風なのか、それとも俺の作り上げた偽物なのかはわからないが、今はそんなことどうでもいいだろう。考えてわからないことについて迷っても仕方ない。
「鈴風、落ち着いて聞いてくれ。お前はそのあとトラックにはねられて、ずっと病院のベッドで昏睡してるんだ」
「え、ええっ!? 今日って何月何日ですか!?」
俺は今日の日付を答える。
「10日以上も眠り続けてるんですか!? そんな馬鹿な!」
「本当だ」
「ちょ、ちょっと待ってください。トラックにはねられたら、異世界で悪役令嬢として逆ハーレムの主になれるはずじゃありませんでしたっけ!?」
「なわけあるか!!」
こんなくだらない会話も、今となってはとても愛おしい。
「早く起きてこい。鈴花もお前の父親も、優奈も持田も心配してるぞ。…… あと、それから浮かんでるんだから、いつもよりもスカートには気を使え。パンツ見えてる」
「諒さん。えっちなんですから……っ!まあ、諒さん相手なら別にそのくらいいいですけど」
「そんなことはどうでもいいんだよ。それより、いいから早く目を覚ませ。俺もいい加減、毎日の見舞い生活にも疲れてきたんだ」
「うーん。そうしたいのは山々なんですが。目を覚ますのって、どうやるんでしたっけ」
「え?そりゃあいつもの通り」
「やってみてるんですけど、全然起きれないんですよね。そのわりに飛べること以外は私の思い通りにならないし、全く不便な世界です」
明晰夢を見ている状況で無理やり起きる方法、あれを言葉で説明するのは、なかなか厳しいものがある。それに、それと同じやり方で鈴風が目を覚ます保証はない。
「それにしても、どうして諒さんがここにこれたんでしょう。まさかとはおもいますが、意識のない私を犯した状態で絶頂して気絶したのですか。深く物理的に繋がった状態だからこうなった、みたいな」
お前は一体俺をなんだと思っているのか。そろそろセクハラで訴えてやろうかか。
「違う。お前の母親の鼓動を、お前に聞かせていたんだ。そしたら、全体的に数値が少しましになって、そのまましばらく続けていたら、俺が寝落ちしてしまったんだよ。それで、気づいたらここにいた」
「ほう…… 。それは興味深い」
鈴風が他人事のように言う。
そのとき、俺の胸からぽわんと一つ白い光の玉が飛び出してくる。
「な、なんでしょう。これ。諒さんの中から出てきましたけど」
「さあ…… 。俺にわかるわけないだろ」
光の玉は俺たちの間で浮かび続け、少しずつ大きくなり、やがて人の形を作る。
その光が収まると、そこには一人の人が現れた。
この人には、見覚えがある。
以前、俺が夢の中で、この空間で出会った女性だ。
そう。鈴風の、母親。
「おかあ……さん?」
鈴風が、目を見開いて女性に問いかける。女性は、鈴風のほうを見て、にっこりとほほ笑んだ。
「ひさしぶり、鈴風。大きくなったね」
「お母さん!? お母さんなの!?」
鈴風は、母親に向かって勢いよく抱き着く。その瞬間、鈴風の身体はすとんと落ちて、俺たちと同じように床に足をつける。
鈴風は泣きじゃくりながら、母親を強く抱きしめた。
「鈴風。そんなに泣かなくても」
「だって……、だって……っ!お母さん、死んじゃうんだもん!私が謝る前に死んじゃったんだもん!」
鈴風の母親は「謝る…… ?ああ、あのことね」と呟いて、鈴風の頭をなでる。
「そんなこと、気にしなくていいのに」
「ううん。ずっとお母さんと喧嘩したまま終わったこと、後悔してたから。お母さんにひどいこと言っちゃったこと、後悔してたから」
鈴風は涙をぼろぼろと流して嗚咽をあげ、鼻を啜る。
女性は俺のほうを見て、
「諒くん。あなたが今まで、鈴風を助けてくれたのね。ありがとう」
「礼を言うのは、俺のほうです。あなたが心臓をくれた。そのおかげで今俺は生きているんです。あなたの娘さんに手を貸すことができたのも、あなたがくれた命があってこその行動です」
女性は「そんな大したことしてないわよ」と苦く笑う。
俺もやっと言えた。
この心臓を提供してくれた人、まさかその本人に、礼を言うことができるなんて、思いもしなかった。
「お母さん」
「なに?」
「私を生んでくれて、ありがとう」
「…… 鈴風のほうこそ、生まれてきてくれて、ありがとう」
その言葉に、鈴風は大きな声を上げて涙を流す。
俺も、自分の頬に少しばかり滴が伝っていることに気付いた。
まったく。もらい泣きなんて、俺らしくないな。
しかし、この光景を目の当たりにして、そんなことはどうでもよくなっていた。
「ねえ。お母さん。行かないで。ずっと、ここにいて」
鈴風がそういうと、鈴風の母親はゆっくりと首を振る。
「残念だけど、それはできないの。この程度が限界かな」
「じゃ、じゃあ、せめてたまにここでお話ししよ?」
「それもできないの。こんな『奇跡』はこれっきり。私はもう本当の意味でこの世界に別れを告げないといけないときが、来たみたい。鈴風も、こんなところにいないで、目を覚まして」
鈴風の母親の身体が、少しずつ浮かんでいく。
まるで、先ほど宙を漂っていた鈴風と入れ替わるかのように。
「鈴風。まだまだ先長いんだから。こんなの乗り越えなきゃだめ。それで、たまには私のこと思い出してくれたら、うれしいな」
「お母さん!やめて!そんなこと言わないで!」
鈴風は「行かないで」と叫んでいたが、「そんな顔を見せられたら悲しくなっちゃうな。最期なんだから、笑ってるところを見せて」 と言われ、諦観したように、精一杯の笑顔を作った。
「お母さん!ありがとう、さようなら!」
「うん。さようなら」
高く浮かび上がった鈴風の母親は、また一つの光となり、一つの玉へと収束し、そしてはじけて消えた。
鈴風は「お母さん。ありがとう」と呟いた。
その瞬間、俺の意識が急速に薄れていく。
ああ、今から俺は目が覚めるんだ。
俺はそう直感した。
そしてなぜか、目が覚めたとき、鈴風も目を覚ましており、また元気な姿を見せてくれるのだと、そうわかった。
じゃあな、鈴風。
薄れていく意識の中で、俺は思う。
次はまた、現実の世界で会おう。




