俺の祈り、鈴風の願い
月曜日。俺は学校に行かず、朝一番で鈴風のいる病院へと向かった。
俺は少しでも鈴風の傍にいたかった。
病院のコンビニでコーヒーとパンを買う。ちょうどそこで、同じく朝食を買いに来たであろうと思われる鈴花と会った。
「鈴風は、どうなった?まだ目覚めないのか?」
「はい……。お医者さんも手を尽くしてくれているのですが、まだお姉ちゃんの目が覚める気配はありません」
「そうか……」
鈴花と一緒に、俺は集中治療室に入る。そこでは、昨夜と変わらない様子で、鈴風がたくさんの管につながれ眠っていた。隣のモニターの表示が、鈴風はちゃんと生きており呼吸もできていることを示している。
昨日と変わらない、一見普通の寝顔。
まさか、これがもう目覚めないかもしれないなんて。
そんな馬鹿なと思ったが、それこそが、今目の前で起きている現実なんだ。
俺は毎日ここに通った。通い続けた。火曜、さすがに学校を休み続けるわけ
にもいかず、俺は学校には通って、放課後になったら即座に病院へと向かい、夜遅くまで鈴風の傍に寄り添うという生活が続いた。
五日経っても、そしてついに一週間経っても、鈴風は目を覚ます気配を見せなかった。
「あ、あのさ。諒くん」
土曜昼過ぎの教室。授業を終えてまた鈴風のもとへと向かおうとする俺に、優
奈が話かけてきた。
「どうした?」
「鈴風ちゃん、まだ目が覚めないの?」
「ああ……。そうだな。あれからもう一週間以上経ってるが」
優奈は「そう…… 」と悲しそうに呟く。
「諒くん。これ、受け取ってくれるかな」
優奈は俺に一枚の札を渡してくる。そこには、俺には到底読めない達筆で何やら文字が書かれていた。
「とりあえず、治癒能力を高める札を作ったから。私ひとりの権限でできるのはこれが限界。鈴風ちゃんの近くに、置いてあげて」
「ああ、ありがとう」
俺は優奈から札を受け取る。これがどの程度の効果を持つものなのかはわからないが、少なくとも中大路父と鈴花にとっての気休め程度にはなるだろう。
どうせ振り向いてくれない俺と、俺を持って行った鈴風のために、こいつもいろいろ手を尽くしてくれている。そんな優奈を、ちょっとしたことで責めるなんてできやしない。
俺にはよくわからないので、また適当に聞き流しておこう。
「ん……?」
その時、俺の頭の中にふと閃くものがあった。
ひょっとしてこの方法はまだ、試していないんじゃないか……?
俺はこの一週間、鈴風の見舞いをしていた時のことを思い出す。
事故やそれによる手術の直後は雑菌に感染する危険性があったから、こんなことはもちろんできなかった。
しかし今はどうだ。
今なら、あれをやれるんじゃないか?
もしかしたら、効果があるかもしれない。
そうと決まれば、今すぐ行くしかない。
「行ってくる。もしかしたら、これで目を覚まさせられるかもしれない」
「え?そんな。この札にはそこまですごい効果はないよ」
「いや、これじゃなくて。一つ思いついたんだ。鈴風の目が覚めるかもしれない方法を。行ってくる」
俺は優奈のくれた札をカバンに仕舞い、大急ぎで鈴風のいる病院へと向かった。
病院に到着した俺は、鈴風のいる病室の扉をノックする。
「はい」
鈴花の声だ。俺は念のため「入っていいか?」と尋ね、扉を開く。
「諒さん……。今日もありがとうございます」
「お父さんは?」
「仕事です。夕方になったら来ると思います」
八畳ほどの病室に足を踏み入れる。そこは個室になっており、奥のベッドには鈴風がいつもの寝顔で横たわっていた。
「あのさ。鈴花。鈴風の手、握ってもいいか?」
「はい……。たぶん大丈夫だと思います。私もなんどかやりましたし。管を曲げたり外したりしないようにだけ気を付けてください」
「ああ、わかった」
見たところ、左手には管が繋がれていない。こっちなら問題ないだろう。
俺はベッドの横に座り、鈴風の手を持って自分の胸に押し当てる。
「鈴風。わかるか。この鼓動。お前の母親のものだ」
「諒さん。何をされているのですか」
「聞かせてやるんだよ。お前たちの、母親の心臓の音を」
「え…… ?」
そうか。まだ鈴花には移植について説明していなかったな。どうやら鈴風も鈴花にこの話をしていなかったらしい。
まあいい。鈴花にはあとで説明すればいいんだ。
俺の考えた方法、それはこの俺が持つ二人の母親の心音、それを鈴風に感じさせるというものだった。
俺にはよくわからないが、鈴風と鈴花は、この鼓動を聞くと安心するといっていた。
ならば、この昏睡状態の鈴風の、目を覚まさせられる可能性だって、あるんじゃないか。
そこまでいかなくても、なにかいい影響があるんじゃないかって、そう思ったんだ。
鈴風の手を通して、俺の鼓動を鈴風に伝える。
頼む、目を覚ましてくれ、鈴風。
しばらくして、鈴風の隣に置かれたディスプレイの示す数値が、少しずつ上昇を始める。
上から順に、おそらく心拍数と呼吸数。その下の数字はよくわからないが、上がっている。
「え……っ!?ど、どういうことなんですか。諒さん!」
「説明はあとだ。この方法でいけるかもしれない。医者を呼んできてくれ」
「はい!」
鈴花はすぐに医者を呼ぶべく、病室を飛び出していった。
すぐに医者が駆けつけてきて、詳しい検査をする。
なんでも、今朝の検査の時と比べて、大幅に鈴風の身体は覚醒状態に近づいているらしい。
「あなたが、なにかされたんですか」
医者に尋ねられ、俺は医者と鈴花に自分の心臓の話をする。
医者は「信じられない」と言っていたが、「理屈の上ではあるはずのない変化なのですが、実際に起こっているのだから、駄目元でやってみる価値はあると思います」と続けた。
その後、俺は必死に祈った。祈り続けた。
祈り続けて、ひたすら鈴風に自分の鼓動を伝えようとした。
何時間も何時間も胸に鈴風の手を押し当てて、ひたすら鈴風が目を覚ますのを待った。
そうやって、ずっと気が張っている状態が続いて疲れたのだろうか。
俺の意識は、いつの間にか深い眠りへと沈んでいた。