夢に出てきた女性の正体
その後、俺は結局鈴風を見つけることはできずに、そのまま一人で家に帰った。
「おかえり。……どうしたのあんた。そんな暗い顔して」
リビングでポテチを頬張りながら、寝そべってテレビを見ていた姉には心配されたが、「別に」と返して、俺は二階の自室へと上がった。
自室に入って鞄を放り投げ、制服のままベットに仰向けになり、天井を見上げる。
「終わった……、のか?」
鈴風にあんなことをしている現場を見られてしまった。完全に誤解なのだが、きっと鈴風はそうは思ってくれないだろう。
あんな思い込みの激しいめんどくさい女のことなんか、誤解されたまま放っておいて、さっさと優奈と付き合ってしまえばいいんじゃないか。俺の中には、そう語りかけてくる自分もいた。
しかし、
「…………ダメだ。そんなのは、駄目だ」
別に俺はそんなことをするのは男として最低だとか、そんなことをわざわざ考えてやるタイプではないのだが。なぜか俺は、どういうわけだかはわからないが、その選択肢を選ぶことができずにいた。
なぜだ。なぜ俺は、こんな理不尽な思考をしてしまっているんだ。
それについて考え出すと、持田の言っていたことも、あながち的外れではないのかもしれないと思い始める。
俺は、鈴風のことが好きだということ。
自覚しているわけではないが、そう考えると今俺の心の中にある靄がすべて晴れるのも事実だ。俺の心の不可解な動きに、なにもかも説明がついてしまう。
だとしたら、俺はどうすればいい。どうすれば、鈴風の涙を止めることができる。
オカルトなんか存在しないんだと、母親にはもう会えないんだと考えて、すべてを諦めてしまい絶望の底にいる鈴風。
そこで俺はふと、全ての始まりとなった二年前の事件、中大路家の四人が交通事故に遭い、鈴風の母親だけが死んでしまった話を思い出す。
一家四人が巻き込まれ、母親が死んでしまうような大事故であれば、地方新聞くらいには載っていてもおかしくはないのではなかろうか。
よし、せっかくだから、その事故について、詳しく調べてみよう。
俺は寝転がったままスマホを操作し、あのインチキイタコババアの部屋で鈴風が言った日付と場所をもとに、その事件のことを調べた。
すぐにその事故を扱った記事は見つかった。やはりというかなんというか、グーグル先生が一番上に表示したのは、地元の新聞記事である。
『○○号線で追突事故、一人死亡』
と書かれた見出しの記事だ。俺は記事を開いて中身を読んでいく。
大体俺の知っている内容と同じ。自家用車が10tトラックと追突し、父と妹が重傷、母と姉が意識不明の重体。姉はなんとか一命を取り留めたが、母親はそのまま帰らぬ人となった。
そして俺は、記事を一番下までスクロールし、とんでもない事実を知る。
この事故で死んだ鈴風の母親。
それは、この間夢に出てきた女性と瓜二つだった。
俺は慌てて飛び起きて、昨日描いたその夢に出てきた女性の絵を探す。
しまった。いろいろあってすっかり忘れて、あの紙もかなり適当に扱ってしまっていた。どこに紛れ込んでいるのかわからない。
しかし、捨ててはいない。それだけは誓える。だから、探せば絶対に見つかるはずなんだ。
俺は棚の中身をひっくり返してひたすら漁り、なぜか数学のプリントをまとめたファイルの中から、その絵を見つけた。
そして二つの顔を並べてみる。
「…………やっぱり」
やはりそうだ。そっくりじゃないか。
これは、とんでもないことだ。
夢の記憶というのは、非常に変質しやすい。有名な話として「EVER DREAM THIS MAN? (夢でこの男を見たことがあるか?)」という都市伝説がある。
眉が太く頭髪が薄い、ギョロ目の不気味な顔をしたおっさん。なんとこのおっさんが、世界中で多くの人の夢の中に共通して登場するというのだ。それを見たという人におっさんのイラストを見せると、間違いなく夢の中にいたのはこの男だと言い張るらしい。
これについては、いくつか説がある。
ストレスを感じた状況では、誰もが夢に見る可能性のある人間の根本にインプットされた元型というユング的な説。
この男のイラストをどこかでなんらかの機会に見たことで、印象に残って夢に出てきたという説。
他にもこの小汚い男こそがこの世界を創った創造主なのだという説など、いろいろなものがあるが、中でも最も有力視されているのが、後付説である。
通常、人間は夢で見た人の顔を覚えてはいないらしい。(まああの女性の顔を夢で見たといって、はっきりイラストまで描いている俺がいうのもなんだが。あくまで通常の夢の場合だと思ってほしい)夢で会った男の顔があいまいな状態でそのイラストを見ることで、その男の顔がこれだと、後から自分の記憶に印象づけられてしまうというものだ。
夢の記憶はかなり頼りにならないものだ。目が覚めた直後は先ほどまで見ていた夢の内容をはっきりと覚えているのに、朝出かける準備をしているうちに徐々に記憶がおぼろげになり、昼ごろになると完全に忘れてしまっているという状況には、誰でも経験があるだろう。
だから、もし俺が絵を残さずにこの鈴風の母親の画像を見て、「この人夢に出てきた!」と言っているのであれば、なにも不思議なことではない。夢に出てきた不思議な女性の雰囲気と、この鈴風の母親が似ているから、勝手に俺の潜在意識が結びつけてしまったと考えれば説明ができる。
しかし、今回はそうもいかない。なにしろ、俺は確かに鈴風の母親の顔を知らない状態でこの絵を描いたのだから。
一体、なぜ。覚えていないが俺はこのニュースを見たことがあり、この鈴風の母親の顔が潜在意識に残った状態で、顔がよく似ている鈴風に会ったから潜在意識がそれを結びつけて夢に出した、と考えれば、理屈の上では納得がいくが、あまりに非現実的な確率だと言えるだろう。
どういうことなんだ。
わからない。
まったくもって、わからない。
俺は記事に書いてある事故現場の住所を確認する。
そんなに遠くない。今すぐ家を出れば、さほど遅い帰宅にならずに済みそうだ。
そう考えた俺は、着替えることなくすぐに部屋を飛び出して、階段を駆け下りる。
「諒。どしたの」
「ちょっと出かけてくる!」
俺は姉にそう言い残して、制服を着たまま家を飛び出した。