モスキーニョと160個の風船
「モスキート音だ。みんなも聞いたことくらいあるだろう」
通常、人間の可聴域は20ヘルツから20000ヘルツ。その中でも特に高い17000ヘルツくらいの音を、モスキート音という。
人間の可聴域は一般に20000ヘルツまでと言われるが、それは子供の話であって、年をとるごとに個人差はあれど、聞こえる音の上限はどんどん下がっていく。モスキート音は、早い人なら二十代前半にはもう聞こえなくなる。年寄りなら10000ヘルツ近辺すら怪しい。
二限の数学を担当していたのは、かなりの年寄り教師だった。あの年なら、モスキート音はまず聞こえないと見て間違いないだろう。
それをこっくりさんの声と騒ぎ立てれば、信じてしまう者もいる。あとは群集心理で教室中パニックだ。
ちなみに、実行するならなるべく頭がはっきりと働かない早い時間のほうがいい。それでも一限にこの計画を実行しなかったのは、おそらく授業担当が斉藤だったからだ。まだ二十代の斉藤なら、あの音が聞こえてもおかしくない。生徒にしか聞こえない不可思議な音という演出をするためには、年を取った教師の時を狙わないといけなかったんだ。
匂いについてはまだわからないが、今は音の方を掘り下げていこう。
「嵯峨根。お前昨日は掃除当番だったよな。教室の後ろでなんか怪しい行動をしていたやつはいたか?」
「ううん。もちろん細かくは見てないけど、さすがにそんなことしてたら目立つよ」
「だよな」
真面目な嵯峨根のことだ。掃除をする前にクラスメイトとくっちゃべって、そちらに注意が移っていたとは考えにくい。
「つまり、このスピーカーは事前に仕掛けられたものということになる」
そうなると、犯人はあらかじめスピーカーを仕掛けたうえで、こっくりさんをやろうと持ちかけたってことになるんだ。
「お前を呼んだのはそれを聞きたかったからだ。持田。こっくりさんをやろうって言い出したのは、誰だ?」
当然、仕掛けた当人からすれば、なるべく早く計画を実行に移したいはず。ならば、自分から積極的にこっくりさんをやろうと持ちかけたはずだ。
「確か、倉橋だったかな…… ?うん。倉橋だった。あいつがオレたちに、こっくりさんをやろうって誘ってきたんだ」
「え…… ?」
それは、俺の予想した返答とは違っていた。
俺の予想では、こっくりさんをやろうと持ちかけてきたのは、倉橋結衣ではなく、左右田裕也だったんだ。
「ほ、本当か? 左右田じゃなくて、倉橋なのか?」
「いや、左右田はむしろ四人のなかで、一番乗り気じゃなかった気がする」
どうなってるんだ。俺はほぼ左右田で犯人の目星をつけていたんだが。
「なんなんですか? 諒さんはその左右田さんって人を疑っていたんですか?」
「まあな。昼休み、お前が来た後、俺はある調べものをしたんだ」
それは、教室の後ろの、ロッカーの上なんかをしきりに覗くふりをして、その間の四人の反応を嵯峨根に見てもらうこと。小型スピーカーを使っているというのはすでに分かっていたので、音の出所でばれないようにするには、スピーカーは最低でも違う場所に二つ必要になる。教室の横側には到底隠せる場所などないから、つまるところスピーカーは教室の前後に置くしかない。
早く回収したい犯人からすれば戦々恐々だっただろう。スピーカーが見つかるのはかなりまずいのだから。
そして後に聞いた嵯峨根からの報告によると、そんな俺を気にしていたのは左右田ただひとり。
これによって俺は犯人は左右田である可能性が高いと考えたのだが……。
「そもそも、倉橋はなんでこっくりさんをやろうとなんて言い出したんだ?」
「あいつ、もともとそういう奴だぞ?オカルトとが好きで」
あ、まずい。そういう言葉を聞くと反応するやつがここに。
「持田さん、本当ですか!? ならうちの部活入ってほしかったのに!なんで来てくれないんでしょう」
「そりゃあ、ただのオカルト好きなら、上級生の教室に押しかけてきて叫ぶ奴が部長を務める部活なんて、みんな入りたくないだろ」
「なんですと! なら、私は部員ゲットの可能性を、自ら潰していたとでもいうのですか!?」
今更気づいたのかよ。
オカルト好きの倉橋に付き合う形で、持田と左右田と岡村の三人はこっくりさんに参加したらしい。鈴風ほどではないが、濃密なオカルトオタの倉橋もなかなかに変人扱いされていて、仲いい相手はそんなに多くなかったようだ。最近転校してきた俺にはこの辺の事情は全く分からないので、持田と嵯峨根から聞いておくことにする。
左右田がこっくりさんに乗り気じゃなかったとなると、昼間の視線は偶然だった線も浮上するか。こっくりさん事件とは関係のないものを隠していた可能性もある。
「こっちの話はふりだしだな。まあスピーカーを見つけられたから全くの無駄ではないが」
一応、左右田の件は記憶に留めておくとして、俺は立ち上がって部室に置いてあるセロハンテープを持ってきた。
「諒さん、なにする気ですか?」
「よくぞ聞いてくれた」
そうして俺は言う。
「俺は今から、このスピーカーについた指紋を検出する」