こっくりさんの暴走
次の日、俺が教室に入ると、異様な匂いが充満していることに気付いた。
動物園の匂いを弱くしたものといえばわかりやすいだろうか。謎の獣臭さ。
それに加えて、教室がなんだか若干肌寒い。
「な、なあ。この匂いって、もしかして……」
持田が不安を帯びた声で俺に話しかけてくる。昨日は無事に帰ったようだが、この匂いでまた恐怖が湧き上がってきてしまったらしい。
「これって、完全に獣の匂いだよな。ひょっとして…… 」
「そんなわけあるか。落ち着け」
「け、けど。他のクラスはこんな匂いしてないんだぞ…… ?」
「なにかの偶然だろ。そんなこと、あるはずがない」
とは言ったものの、真相を突き止めないことにはこいつらはきっと納得してくれない。
他の三人も、持田と同じようにまた怯えきってしまっていた。オカルトを信用する奴が多い土地柄故か、その恐怖はクラスに伝染しているようで、何やら教室中が落ち着かずそわそわとした雰囲気にのまれていた。
「どうした。お前ら。元気ないなあ」
担任もその異様な空気に気付いたようで、朝のホームルームのために教室に入ってきて開口一番そういった。斉藤。三十代手前の若い男性教師で、うちのクラスの担任教師だ。何やら今日はマスクをしている。
「先生。この部屋、変な匂いするんですが、何かありましたか?」
クラスメイトの一人がいう。斉藤は「すまん。今日おれ風邪ひいてるから匂いがわからないんだ」と言った。
まだ匂いは残っているとはいえ、この十数分間の換気によってだいぶマシになっている。鼻が詰まっていたら分からなくてもおかしくはない。
そのまま一限の斉藤による英語の授業は平和に終了したものの、二限で事件は起きた。
「えーしたがって。L1とL2の共通部分はL2で惆密であるため、フーリエ変換はL2空間に一意に拡張でき……」
爺さん教師による数学の授業。始まって数十分経過したあたりだろうか。どこからともなく何やら異質な音が聞こえ始めた。
非常に甲高い音。断続的にキーンキーンとけたたましく鳴り響く、非常に不快な音だ。
他のクラスメイトたちも、いったい何事かとあたりを見回す。中には不快さのあまりか耳を塞ぐ者もいた。
「こっくりさんだ…… っ!」
昨日のこっくりさんに参加していたメンバーのうち一人、左右田が言った。
「え…… ?」
「間違いない。昨日のも…… 、こんな声だった」
持田が怯えきった様子で言う。
確か昨日は、こっくりさんの途中で何やらこっくりさんのものらしき声が聞こえたんだっけ。
それが、この音なのか?確かに、高すぎる叫び声に聞こえなくもない。
「みなさん、どうかしましたか…… ?」
数学教師が俺たちの異変に気づき、不思議そうな様子で問うてくる。
「先生、この音ですよ!」
「音…… ?なんのことでしょう」
一人が言った言葉に、数学教師はあっけからんと言い放つ。
クラスの全員が明らかに不快さを感じているのに、この爺さん一人だけはなんらいつもと変わらない穏やかな表情をしていた。
まるで、この音自体が聞こえていないかのような。
「先生!このうるさい音が聞こえないんですか!?」
倉橋が立ち上がって叫んだ。しかし爺さんは不可解な面持ちで「聞こえないですね。みなさんには聞こえるのですか?」と言う。
いったい何がどうなってるんだ。俺たちには聞こえてるのに、教師には全く聞こえてないなんて。いくらこの爺さんの耳が遠いからって、こんなにもうるさい音が聞こえないなんてありえないだろう。
「こっくりさんだ…… 。やっぱり僕たち呪われてるんだ。呪い殺されちゃうんだ!」
左右田がそう叫びつつ、頭を抱えてうずくまる。
それが引き金となり、教室中が一気にパニックに襲われる。
まさに阿鼻叫喚。教室から逃げ出そうとする者、ただただ泣き出す者、恐怖のあまり叫びだす者。
嵯峨根が「大丈夫だから!今ここに霊なんていないから!」となだめるも、俺以外は誰一人として耳を貸そうとしなかった。
しばらくしてこっくりさんの声は止んだが、教室を襲った狂乱は、そう簡単には止むはずなく、結局二限の授業は中止となった。
三、四限は自習になり、担任である斉藤のもとに何人かの生徒が呼び出され、順番に面談を受ける運びとなった。状況が特にひどかった者は、病院に行くことになったらしい。こっくりさんを行ったメンバーの一人である岡村は、体調不良を訴えてそのまま下校した。
俺はずっと生徒にしか聞こえないこっくりさんの叫び声や匂いの正体について考え続け、一つの答えを得た。しかし原理は分かったものの、犯人やその実行の方法については未だ謎のままだ。
これまでの3つの事件とは比較にならない難解さ、悪辣さだ。
そこで俺はふと、鈴風の言葉を思い出す。
忌み数について話していたときの会話だ。
『でもでも! やっぱりその最たるものは、日本特有の4だと思うのです。直球の「死」は、他の忌み数にはありませんから』
そしてこの四番目の事件は、これまでの事件とは一線を画す特異なものだ。あまりに不気味すぎる。
図らずも、鈴風の妄言は当たってしまったことになる。いや偶然だろ。偶然。