安直に4を並べれば怖いだろうという発想
「ここが、草壁さんが伊藤さんの霊を見たと言っている場所ですね」
俺と中大路は、草壁という先輩が『すごい形相で落下する伊藤さんを見た』と言っていた渡り廊下の二階部分へと訪れた。
どうやら午後四時四十分過ぎごろにここを通ったとき、彼女は憤怒に満ちた表情で頭から落ちていく伊藤麻衣の姿を見たのだそうだ。
何かの見間違いか、幻覚の類だとしか思えないのだが。そんなことを言っても中大路も草壁も納得するとは到底思えないので、きっちりと解明しなければならない。
「その伊藤さんって人はこの上から飛び降りたのか?」
「はい。この真上、四階の渡り廊下から飛び降りました」
花壇の煉瓦に頭を打ち付け、ほぼ即死だったらしい。
下を覗き込むと、確かにそこの花壇には、花束やお供え物らしき飲食物が置かれていた。
「自殺の原因って、なんだったんだ?」
「いじめだった、という噂です。学校側はいじめの存在を認めていませんが」
今時はよくある話だ。いじめを苦に自殺し、たとえいじめに関して明言する遺書があったとしても学校はいじめと自殺の関係を認めない。死んだ生徒のことなんかどうでもよく、自分たちの立場を守るためならいじめ加害者すら擁護する。
「毎晩草壁さんの家の近くに現れる黒い人影という話も気になりますね」
ここで『伊藤の幽霊を見た』だけなら、草壁も自分が憑かれたとは思わないだろう。
「渡辺さん。何か気になる点はありますか?」
「いくつかあるが……。まずはその伊藤って人が自殺した原因となった、いじめについて調査したい」
「お、やっぱり渡辺さんもいじめ自殺した伊藤さんの怨念だと思いますか」
「そんなわけあるか」
伊藤の怨霊だとかそういう話を信じているわけではない。
しかし、このいじめの件についてきっちりと理解しておかなければ、この問題は解決しないような気がしてならないのだ。
「まあいいでしょう。伊藤さんの事情を知らないことには除霊も困難でしょうし。いじめの話を把握しておくことに関しては私も賛成します。今から三年C組の教室行きますか」
「やめておけ。デリケートになってる人だっているかもしれない」
さすがに一か月以上経ってるので大丈夫だと思いたいが、さすがにそこを土足で踏み荒らすのは気が引ける。
「それもそうですね。じゃあ明日草壁さんからお話しを聞くことにしましょう。今日はその伊藤さんの霊が現れたとかいう四時四十四分を待ってみようと思います」
「待て。草壁は四時四十分頃と言ってたはずだが」
「わかってないですね。こういうときは四時四十四分と相場が決まっているのですよ」
意味が分からない。
そして中大路の主張する時刻を過ぎても、もちろん伊藤の霊など現れるはずもなく。
「中大路。もう五時だぞ」
「そうですね……。やはり怨霊の類だと思うので、関係者のところにしか現れないのでしょうか」
「自分をいじめていた相手のところにってことか?」
「それだけという可能性もありますし、それだけではないこともあり得ます。ここは草壁さんから話を聞くしかないでしょう」
草壁はおとなしくて温厚に見えたので、まさかいじめをしていたとは考えにくいのだが、人は見かけによらないということもある。彼女が伊藤を自殺にまで追い込んだ可能性は否定できない。
しかし、そうなると少しばかり納得いかないことがある。まあこのへんに関しては、詳しいいじめの話を聞かないことには始まらないので、今考えても仕方ない。
「とりあえず、私はもうちょっと覗いてみようと思います。渡辺さん。お願いします」
「は?」
俺がその意味を理解する前に、中大路はひょいと身軽に手すりに腰掛け、足を引っ掻けながらゆっくり後ろに倒れ出した。
「おい! お前なにやってんだよ!」
「渡辺さんは私の脚を支えててください!」
「無茶言うな!」
スカートの裾から、白い太ももが露になる。
「早く掴んでください! ヤバイです!」
なにがなんだかわからない。
「絶対あとからセクハラだなんだ言うんじゃないぞ!」
俺は念のためそう告げてから、手すりに引っかけてる中大路の脚を押さえつける。下着が見えるか見えないか、というあたりで、中大路は顔を真っ赤にして歯を喰い縛り起き上がった。俺は中大路の手を掴んで引っ張る。
「うわあ!」
中大路は叫び声をあげ、勢い余ってつんのめる。そのまま俺は後ろに倒れた。
幸い頭はぶつけなかったが、腰と背中が痛い。俺は少し呼吸困難を起こす。
「お前ほんとなにやってんだよ」
「いたた……、すみません。草壁さんの視点に立ってみたくて。私草壁さんより背が低いから」
だからってそんな無茶しなくてもいいだろう。
「けどちょうどいいクッションになってくれて、ありがとうございます」
「なりたくてなったんじゃねえ!」
直後、俺たちは無言になる。
一秒、二秒、三秒。
中大路が俺の腰に跨がってる体制になっていることに気づくのに、少々時間を要した。
「ご、ごめんなさい!!!!」
中大路は俺の上から飛び退いて、顔を赤くし後ずさる。
「いえ、わざとじゃないんです。決して狙ったわけではないんです!」
「だよな。うん。わかってる。信じてる」
「初回から私が上なんて、マニアックすぎます!」
いきなり何を言い出すのか。
「場所が渡り廊下っていうのも、淫猥過ぎると思うんです。いや、BL同人なんかではいきなり受けが上もおかしくない、というか私はむしろ好きなので、ノンケものでも問題ないかもですが」
「お前が何を言ってるのか、俺は全然わからないぞ!?」
いじらしく両手の指同士をつつくな。お前はそんなキャラじゃないはずだ。
「でもでもでも! 渡辺さんがそうしたいのなら、どうしてもというのなら、仕方ないですが」
「うるさい!」
こいつは一体どこまで暴走する気なんだろう。
そこで俺はふと、疑問が浮かんだので訪ねる。
「それで、危険な覗き方して、なにか収穫はあったのか?」
「…………決まってるじゃないですか。なんにもないですよ」
突き落としてやろうかと思った。
こうして今日の捜査は終了とし、そのまま解散することになった。
「お、今日はいつもの子来てないじゃん」
次の朝、俺が教室で本を読んでいると、クラスメイトの持田信也が声をかけてきた。
こいつは転校してきた俺に、一番最初に友好的に接してくれたこの学校初の友人である。
「そうだな。こんな平和な朝は久しぶりだ」
俺は読んでいた小説を隣に置いて言う。
「お前また推理小説読んでるのか。好きだな」
「ほっとけ」
高校生から謎の薬で小学生になってしまった名探偵の漫画と、三つ子の姉妹の隣に引っ越してきた生活力皆無の元論理学教授をやっていた名探偵の小説を読んで以来、俺はずっとミステリーが大好きなんだ。
「それにしても面白いよな。オカルトなんて信じないって言ってるお前を、超常現象研究会なんて部活に誘うなんて」
面白くない。本当に迷惑だ。勘弁してほしい。
先週末、この教室で放課後、持田にだけは自分はオカルトなんか信じないということを、はっきりと話したのだ。その時に「あまりこの地では大っぴらにそういうことを言わないほうがいい」とアドバイスされ、それ以降あまり人前では言わないようにしている。
「そういえば、昨日あの子と放課後渡り廊下にいるの見たけど、お前もしかしてあの部活に入ることにしたのか?」
「なわけあるか。ただ一緒に行動しているだけだ」
「え!?」
俺の言葉を聞いて、隣の席で話していた女子グループのうち一人が、大層驚いた様子で俺のほうを見る。
「わ、渡辺くん。あの子の部活入るの?」
驚いた様子で俺にそう問うてくるのは、嵯峨根優奈。同じクラスの女子生徒で、なんでも地元じゃ有名な神社の娘らしい。
「いや、だから入らないって。あんまりにも勧誘がしつこいから、超常現象なんて嘘っぱちだって教えてやろうと思って」
嵯峨根はその出自が理由か、とても信心深いのが話していてもよくわかる。そんなやつに超常現象を全否定するようなことを言うのは気が引けたが、それよりも俺があの部活に入ったと思われるほうがよほど嫌だった。
「嘘っぱち? 本気で言ってるの?」
ほら始まった。嵯峨根のいつもの悪癖だ。
「いい? この町はかつて京の都と呼ばれていた土地の一部で、いろんな神様に守られてきたの。平安京から1200年以上続くその歴史の長さは地球規模で見てもかなりのもので、大体……」
嵯峨根は基本的におとなしい性格なのだが、こういう話の流れになると突然かなりムキになることが多い。俺はまだ、この学校に転校してきて十日ほどしか経っていないにも関わらず、この話はもう何度も何度も聞かされている。
さすがに飽きた。俺は思わず欠伸を漏らす。嵯峨根はむっとした表情を見せた。
「ちょっと、渡辺くん!聞いてるの!?」
「はいはい。聞いてるって」
普通に考えて、教室で大声を出してこんなことを語っていたら、クラスメイトからは相当ドン引きされると思うのだが、このクラスの人間は、そんな嵯峨根に対して完全に慣れてしまっているようで、何事もないように過ごしている。正常性バイアスはとはかくも恐ろしい。
その後、俺は何事もなかったかのように午前の授業を受けて昼休み。俺が持田をはじめとするクラスメイトと弁当を食べていると、教室の扉が勢いよく開かれる。
「渡辺さん!」
中大路の声に聞こえるがそんなことはないはずだ。うん。俺が勝負の間は一緒に行動してやるといったんだから、もう無理やり教室まで押しかけてくるようなことはしないはずだ。
そのはずだ。
「渡辺さん。超常現象研究会の活動をしますよ!」
「お前わざとその言い方選んだんじゃないだろうな!?」
これでクラスみんなに中大路の傘下に足を突っ込んだことを知られてしまった。つらい。
「さて。なんのことやら。それより、部室に来てください。草壁さんが待ってます」
今この場で顔面に蹴りいれてやろうかと思ったが、一刻も早くこの教室を出たくて、俺は仕方なく中大路について言った。