放逐と推理
机に叩き付けられ、大きな音を立てて割れるグラス。入っていた水が、そこらじゅうにぶちまけられる。
「な、なななな……」
中大路は、何が起こっているのか理解するのに少々時間がかかっているようで、声にならない震えた声をあげ続けた。
「一体、なにをするんですか渡辺さん! 濡れちゃったじゃないですか!」
あっけにとられた様子の田中と嵯峨根。そんななか、中大路は大層怒った様子で、濡れた裾を指差しながら、俺に文句を言ってくる。
「ど、どうしたの。渡辺くん……」
嵯峨根は心配半分恐怖半分といった様子で、俺に声をかけてきた。
「わからない……。なんだか、すっごく危ないような気がしたんだ。こうしなきゃ、ヤバイって」
「え……?」
その時、廊下からドタドタという音が聞こえ、神主の爺さんが休憩室に怒鳴り込んでくる。
「何の騒ぎじゃ!」
「す、すみません。実は……」
先ほどは機転を利かせた嵯峨根も、さすがの事態に対応しきれずおろおろと口ごもる。
「なんじゃこの様は!!!」
部屋の様子を見て爺さんは激昂した。
そうして部屋を見渡して、俺と目が合う。
「そこの坊主! お前の仕業か!」
「…………」
そうだよな。こんなことしそうに見えるのは、この部屋で俺しかいない。
俺は何も答えることができず、何やら大層怒った様子の爺さんの目を見つめる。
そこに宿っていたのは、ただ部屋を荒らされた怒りではなく、例えるならば強盗の逆ギレのようななにか。
なにか。
そのなにかを覆い隠そうとするかのように、爺さんは強い剣幕で怒鳴り散らしていた。
「す、すぐにお水を入れなおしますね」
「いらん! こやつらは神聖な場所で神の怒りを買った! この儀式を続けさせるわけにはいかん! 今すぐに荷物まとめて帰れ!」
田中の言葉にも、爺さんは矛を納めようとしない。
「すみません。次はこんなことないようにしますから、どうか……」
嵯峨根がかけより頭を下げる。爺さんは鼻息荒く、
「ふん。木船神社の娘が連れてきたから見込みがあると考えていたが、どうやらとんだ罰当たりで馬鹿な餓鬼だったようじゃ。もうお前らの話なんぞは聞きたくない。今すぐ帰れ!」
そう言い残して、暗い廊下の向こうへと消えていった。
静まり返る休憩室。田中は気まずそうに切り出す。
「申し訳ございません。うちの神主は一度ああいったら聞かないもので、掃除は私がしておきますから、どうかお引き取り願えないでしょうか……。もちろん今回のお代は頂きませんので」
「……わかりました。それでは、失礼します」
俺はさっさと立ち上がり、更衣室で着替えて本堂の外に出た。
しばらくして、中大路と嵯峨根も元の服装で外に出てきた。
「本当に、失礼いたしました」
そう言いながら、田中は本堂の入り口を閉じた。
その時、俺は見逃さなかった。
先ほどまでずっと険しく堅い表情をしていた田中が、なぜだか今は、かなり安堵する様子を見せていることを。
まるで、この結末を喜んでいたような--
「もう! せっかく神様に会える機会だったのに、渡辺さんのせいで全部台無しですよ! どうしてくれるんですか!」
大層怒ってる中大路。俺は今、大急ぎで考えなくちゃならないことがあるんだ。黙っててくれ。
「渡辺くん。そんなことする人じゃないでしょう? なんであんなことしたの? 私も聞かせてほしい」
嵯峨根も俺に問うてくる。
仕方ない。このままだんまりとはいかなそうだ。
「なにかおかしい」
「「……え?」」
「今はまだ上手く言えないけど、全体的にいろいろと不自然な点があったんだ。俺の思い過ごしならいいが。もしかしたら……」
そして俺は、脳内で一つの仮説を組み立てる。
あまりに突拍子もない仮説。しかし、こう考えればいろいろと辻褄が合うのは事実だ。
「もしかしたら俺たち三人とも……。金を騙しとられそうだった、なんてレベルじゃなくて、本当はかなり凶悪な犯罪に巻き込まれる寸前だったのかもしれない」
「わ、渡辺さん? なにを言ってるんですか? 犯罪って」
俺の想像通りなら、使われたのは「アレ」だ。入手のしやすさを考慮して、さらに警察に捕まるリスクをできる限り減らそうとするなら、アレが最適。確か代謝副産物が出るのは最大3日だったはず。常用していない人間なら、さらに縮まる可能性がある。
一刻を争う状況だ。急がないと証拠が消えてしまいかねない。
「嵯峨根!」
「な、なに?」
俺が叫び、嵯峨根は驚きびくんと跳ねる。
「お前かお前の父親に、ここの話をした人。その人は一体、いつその儀式を行ったんだ? あと、その人の年齢は?」
「うんっと、確か70歳くらいのお爺さんだったと思う。儀式を受けたのは、話によれば今週木曜日の15時半くらいだったかな」
なんてことだ。俺が草壁に対して、あの怨霊事件についてどや顔で推理を披露していた頃に、そんなことが行われていたなんて。
木曜日、金曜日、土曜日。48時間弱、二日未満だ。さらに被害者が年寄りであれば、なんとか、間に合うか……?
「今すぐその爺さんに連絡を取ってくれ。大至急だ!」