神域での閃き
「そちらが男性の更衣室。こちらが女性の更衣室となっております。私物はすべて中の金庫に仕舞い、装束にお着替えください」
田中が指差す部屋。俺たちは仕方なくそこに入った。
こんな不気味な男子更衣室に一人で入るのはなかなかつらいものがある。持田あたりを連れて来ればよかったと後悔しながら、俺は一人、男子更衣室の明かりをつける。
中は五、六人程度が着替えられそうな薄暗い小さな部屋。ホテルの部屋なんかにありそうな金庫が数個置いてある。明かりは一応あるものの、小さな電球によって照らされているだけで、十分明るいとは言い難い。
俺は金庫の一つを開く。中に柔道着のような白装束が一つしまわれていた。
さて、考えなければならないのは護身用武器の持ち込みについて。
これまでの雰囲気からして、ここには神主とあの男しかいないと考えてもよさそうだ。電子ロックも侵入者を拒むためのものであり、中からは簡単に開けられるものだということが分かった。
そしてこれだけ厳重なら、この先金属探知機による検査もあってもおかしくない。
なら変なリスクを負うより、ここで武器を置いて行ってもよさそうだと判断し、俺は財布や携帯と一緒にエアガンと催涙スプレーを金庫にしまった。
白装束に着替え、更衣室を出る。しばらくして、中大路と嵯峨根も白装束を纏い更衣室から出てきた。
「嵯峨根さんと着替えるのはコンプレックス刺激されますね」
お前はなにを言ってるんだ。
「では、こちらへ」
陽の光が届かず暗い廊下を歩く。そして廊下をまがってさらに暗くなった先にある襖を、男は開いた。
「嵯峨根様たちが起こしになりました」
中では、紫の袴を着た一人の爺さんが、仰々しい神棚の前に正座していた。
「どうぞ、お入りください」
六畳ほどの狭い和室。陽の光は一切届かず、いくつか立ててある蝋燭だけが頼りだ。
俺はとりあえず部屋の中を見回す。とりあえず、あからさまに怪しいところはなさそうだ。
「真継慶介さん。初めまして。わたくしは、木船神社の嵯峨根優香と申します」
嵯峨根が爺さんの後ろで正座して言う。俺たちもそれに倣い、嵯峨根の後ろに正座した。
「木船神社の娘か。君たちは」
「お、俺は……」
「彼らも信心深い父の弟子です。まだまだ至らぬところも多いですが、素晴らしい経験になると思い、連れてきました」
「あんたの不正を暴きに来た」などというわけにもいかないので、俺が必死で言い訳を考えていると、嵯峨根がとっさの機転を利かせてくれた。
「神に出会う儀式には、二つの段階があります。まずここで、皆で神への祈りを唱え、少しの休憩を挟んだ後、個室へ移動して頂きます」
なるほど。なにかあるとすれば個室のほうか。とりあえず、ここで何かが起こることは警戒しなくてよさそうだ。
爺さんは俺たちに古びた一枚の紙を配る。相当古いようで、かなり黄ばんでおり、強く握ると崩れてしまいそうだ。どうやらただコピー機で刷った紙ではないらしい。
「みなさんには、これを読んでいただきます」
紙には達筆で『八咫の鏡を懸けて映れし形は天香山』と書いてあった。
「これ、なんて読むんだ」
「前教えたよね。『やたのかがみをとりかけてうつれしすがたはあめのかぐやま』だよ」
覚えられる気がしない。
「問題ございません。瑞楽神社秘伝の儀式は、神道の経験が浅い者でも神との邂逅を図れる仕組みになっております。最初は全員で復唱いたします」
「練習が終わった時の本詠唱のときは、隣の人にすら聞こえないくらい小さな声で、一呼吸に一回なるべくゆっくり。忘れてないよね」
初耳だが、俺と中大路は黙ってうなずく。
そして爺さんの後に続き、俺たちはこの呪文を何度も何度も復唱する。百回二百回も詠唱していると、さすがに覚えてきた。
一度各自詠唱するように言われ、俺たちはそれぞれこの呪文を呟く。途中で一度確認のためと再度全員での詠唱をし、また各自での詠唱へと戻った。
唱えながら、考える。これから何が起こるのか。
今この段階ではおそらくまだ何もされていない。なにかされるとすれば、個室に入ってからだろう。しかし、これだけ厳かな雰囲気であれば、ただの映像トリックが通用するとは考えにくい。かなりちゃちなものになってしまうはずだ。そうなると、何人もがここで出会える神を信じていることに、何の説明もつかない。
とにかく、休憩が終わったら気を引き締めないと、そう自分に言い聞かせた。
どのくらい呪文を唱えていたのだろうか。おそらく千回はくだらない。そろそろ足に限界が来た頃、爺さんは「もういいでしょう」と口を開く。
爺さんが「おい」というと、襖が開き、田中が顔を出した。
「みなさま。お疲れ様です。いったん休憩と致しましょう」
俺たち三人は別室に移動する。そこは説明を受けた部屋と同じように、中央にテーブルが置かれていた。
更衣室や呪文を唱えた部屋とは違い大きな窓がついており、普通に外が見られるようになっている。ずっと暗いところにいたからか、俺はつい眩しさに顔をひそめる。
「いやー疲れました。足が痛いです」
中大路の空気を読まない発言も、この状況ではなんだか救いに思えた。
「お疲れでしょう。しかし、ここからが本番です。とりあえず、一旦休んでください」
「私もこれで神様に会えるんですね」
「はい。その通りです」
中大路は興奮冷めやらぬ様子だった。田中はグラスに水を注ぎいれ、俺たちに差し出す。
「あれだけ詠唱すれば、喉が乾いたでしょう。どうぞお飲みください」
俺はコップを握った瞬間、全身の毛が逆立った。
ぞわりとした感覚、全身が突然恐怖に包まれる。
理屈じゃない。本能で、直感で、俺は尋常じゃない恐怖を感じた。
これは、やばい。
「あ、ありがとうございます。私、すっごく喉が乾いてたんですよねー」
「ま、待て! 中大路! 飲むな!」
気が付くと俺は、自分のグラスを倒し、中大路と嵯峨根の持つグラスを叩き落としていた。




