時間厳守
【時間厳守】
黒縁が壇上に上がり、セールストークの前振りみたいな事を口走った瞬間、聖堂内への出入り口が、巨大な観音扉が音を立てて粉々に砕け散った。
「なあっ?!」
巻き起こる突風と、風圧で勢い良く飛び散る木片に黒縁は驚きよろめく。しかし、扉に背を向け長椅子に座る可笑しな連中は微動だにしない。その物怖じせぬ姿勢に、黒縁の連中に対する期待感が僅かに上がった。
「え、え~~と?」
教壇の後ろに縮こまり隠れていた黒縁が恐る恐る顔を出す。ぽっかりと空いた出入り口には、巨大な何かが立っていた。
それは歪なシルエット。大きく膨れ上がった円筒形の何かが細い脚を生やし、フラフラと歩いている。全身が影に隠れ、それが何なのかは判らない。それでも、その円筒物の巨大さだけは確認できた。
碧い中折帽子を被った黒いスーツの、いかにもといった白人の男が首だけを動かし振り返る。
「なあ、社長さんよう。いいのかい、あいつ。遅刻じゃねえの?」
得体の知れない輩を後ろにしながらも、ゆったりとした、落ち着きの有る声だった。
「別にいいんじゃない? 仲良し小好し優等生の集まりな訳でもないんだし、遅刻位で仲間外れにしなくてもさ」
碧帽子に答えたのは長い黒髪の、この場に似つかわしくなさそうなアジア系の美女だった。くたびれた作業着を羽織り、真っ赤なTシャツの真ん中にはデカデカと漢字で『熊猫宅急便』と書かれている。
「……」
「ちょっとオッサン。あんたに話し掛けてんだけど」
「……」
「聞こえてんでしょ。何か言いなさいよ」
「……」
目線すら合わせようとせず口を閉じてしまった碧帽子へ、美女は不満も露に尚も噛み付いていく。
「うっわ。無視ですかそうですかぶっ殺すわよ」
徐々に強まる語尾と額に浮き出る血管は、確かに赤色が似合いそうな短気で攻撃的な性格を現していた。
イライラを募らせ一人で勝手に自身の着火点へと近付く大人気ない赤シャツの美女。勿論、無視する方も無視する方で問題だが。
先の発言が冗談ではないと理解しているのか、不意に高まり始めた緊張感をどうする事も出来ず、周りは静観を決め込んでしまう。
不用意な一言は逆効果。確実に爆発する。
その場にいた全員がそう直感していた。
「ぴぃーちくぱぁーちく、五月蠅え嬢ちゃんよお。大人が話してる所にさあ、ガキが入って来るもんじゃねえよお?」
「…………ぶっ殺す!!」
敢えて空気を読まない、最後の一押しを発したのは碧帽子だった。
碧帽子の嘲りを含んだ一言に、顔も真っ赤にした赤シャツは勢い良く立ち上がる。ちょうど二人の間に座って居た覆面神父と野箆坊が腰を浮かし仲裁の体勢に。
先程の扉が爆発したという争いの発端も忘れ、すわ、殺し合いの勃発かと思われた。
瞬間、聖堂内で鐘の音が響き渡った。
鐘が在るかも怪しい教会で、撞く者も居ない筈の教会で、体の奥の奥まで響かせる特大の一発が弾けたのだ。
誰もが動きを止め音の発信源に目を向ける。
聖堂の中心。出入り口から真っ直ぐと壇上へ続いていた影の中から、ぐわっと長く太い腕が飛び出した。黒縁に向けられて突き付けられた手には分厚い革手袋が。手中には、こぢんまりとした懐中時計が納まっていた。
「……時間だ」
影の中から現れた、巨大な木槌を担いだ大男がぼそりと呟く。
「遅刻はしていない」