008
大きな門扉を潜って王都に入る。
長い旅路を終えて、僕は自身が拠点にする王都に帰還していた。
はぁ……やっぱり、自分のよく見知った街は落ち着くな。いや、あの街も見知った街なんだけどさ。あそこにいると、こう、色々思い出しちゃって辛くなるからさ。
って、誰に言い訳してるのさ。
とりあえず、王都に着いたら、まず真っ先に向かわなくてはいけない場所がある。
存在昇華した後は皆の記憶が消えてしまうので、その場所に行くのは結構面倒なんだけど……リツのやつが必ず来いって言うからなぁ。面倒だけど行くしかない。
僕は面倒に思いながらも、その場所に向けて歩き始めた。
別に、道筋が面倒なわけじゃない。むしろ、この街のどこにいても見える場所に向かっているのだから楽なものだ。
面倒なのは道のりではなく、その場所に着いてからだ。
皆が僕のことを憶えてないとなると、当然、顔見知りなんて一人もいないという事になる。顔パスが出来ないのが面倒なことこの上ない。僕も勇者の一人なんだから、顔パスくらい使いたいところだ。
まあ、勝手に存在昇華を使ったのは僕なんだけど……。
今回の件、リツには存在昇華を使うなと言われていた。存在昇華を使っても僕に関する情報は消せても、神性に関する情報は消す事ができないから。
それに、今回は神性を誰にも見られていない。隠蔽工作もちゃんとできている。リツに頼んで記憶の一部を操作してもらう必要も無い。
僕が隠密行動をして、僕の存在がバレたわけでもない。
存在昇華の|代償(副産物)である僕の情報を有する全ての人間の記憶の抹消は、今回、したところで意味は無かった。むしろ、他方に迷惑をかける結果になった。
それを、僕はちゃんと理解していた。
けど、僕は記憶を消した。
僕は、エンリに恋をしていたのだ。触れ合う度に彼女に惹かれて、会う度に彼女を好きになった。
彼女と付き合えたら、彼女と結婚できたら、彼女と一緒にパン屋を営めたら……それは、とても素敵な日常だ。
けど、僕が力を使えば彼女は僕を忘れてしまう。彼女は、僕が力を使う度に最愛の人を忘れることになるのだ。
僕だけが彼女を憶えている。そして、よそよそしく彼女は僕と接する。それに、僕は耐えられないだろう。
だから彼女の中の僕を消した。彼女の恋心の向かう先を、消したのだ。
ああ、分かっている。僕だって鈍感じゃない。彼女が最初の僕に恋心を抱いてくれていたことくらい理解している。
だからこそ消したのだ。
恋心を向ける先がいなくなれば、彼女は別の誰かにその心を向けるだろう。
僕なんかのことはすっぱり忘れて、新しい恋をしてほしいと思った。
けど、彼女は、ずっと僕を捜してた。忘れてしまった僕を、ずっと捜していたのだ。
それが、見ていられなかった。
だから、もう一度消したのだ。彼女の中の僕を。
僕の勝手で色んな人に迷惑をかける。
本当にどうしようもない。
そんな身勝手な感傷に浸りながら歩いていれば、僕の目指す場所がようやく見えてきた。
この王都の中心に位置する、この国の象徴である建造物。
そう、王宮だ。
ここに、僕を僕だと理解してくれる人物が二人いる。
僕は、その二人に会いに来たのだ。
一人は、世界で知らぬものはいない程の有名人で……っと、どうやら、お出迎えしてくれてるようだ。
王宮を囲む外壁の巨大な門扉に目を向ければ、その前に仁王立ちをする小さな影がある。
眼鏡をかけた黒髪の少年。背の小ささと顔の幼さも相まって、一見すれば少女に見えるその容姿は方々に人気がある。特に、妙齢の女性に人気がある。
まあ、それを言ったら怒られるのは火を見るよりも明らかなので言わないけど。
僕は仁王立ちをするリツに視線を向ける。
リツは仁王立ちをしながら誰かを捜しているようであった。視線を道行く人に向け、その対象を捜している。
が、仁王立ちをして眉尻を吊り上げているリツは傍目に見ても怒っていることは明らかで、誰も彼もリツと目を合わせようとしない。
なまじ顔が整ってるだけ、怒ってる顔に迫力があるのだ。
しかし、僕はリツの怒った顔には慣れているので、平気で彼に視線を合わせる。
すると、リツは僕の顔をじっと見つめた後、片手を上げてにぎにぎにぎにぎと指をにぎにぎと曲げる。
僕はそれにへらっと笑って返しながらにぎにぎにぎにぎと指をにぎにぎと曲げて返す。
これは僕とリツの間で決めた存在昇華後の記憶消去の際に使うお互いの存在証明の合図だ。
僕が合図を返せば、リツはこくりと頷く。
そして、つかつかと僕に歩み寄って来る。
怖い顔をして歩いて来るリツに、周囲の人は自然と道を開ける。
まるでモーゼのようだ。
なんて思ってると、僕の目の前まで来たリツは思い切り拳を僕の顔にたたき付けてきた。
ぺちんと弱々しい音が鳴る。
リツの細腕で繰り出されたパンチでは、存在値の上がった僕には痛痒すら与える事ができない。
しかし、リツはそれを分かっていて僕を殴っているのだ。
「この、馬鹿者が!! 容易に力を使いおって!! おかげでエイボンの書を読み直さなければならなかったじゃないか!!」
「いやあ、ごめんね?」
「ごめんで、済めば、僕の労力は、いらないんだよ!」
言いながら、ぺちんぺちんと僕を殴るリツ。
周囲の人はリツが怒っているのが恐ろしいのか、戦々恐々と僕たちの様子を見守る。
「ほら、リツ。皆が怖がってるから。それに、報告もあるからさ」
言いながら、ひょいっとリツを抱き上げ、王宮の方まで歩いていく。
「なっ!? おい! 降ろせ! この馬鹿が!!」
「はいはい、中でちゃんと降ろすからねー」
「い・ま・お・ろ・せ!!」
「はいはい」
「降ろせーーーーーーーーーー!!」
駄々をこねるリツを無視して、そのまま王宮の門扉をくぐった。
リツがいるため、門番さんは困惑しながらも門を開けてくれた。
顔パス成功である。
「”吹き飛べ”!!」
「うげっ!?」
王宮内に入るや否や、リツが僕に向かって魔術を放って来る。
衝撃が来るだけの下級魔術なので、僕は甘んじて受け入れた。
衝撃を受け五メートル以上吹き飛ばされる。
「ぶふえっ!?」
地面に思い切り顔をぶつけ、そのまま地面を一メートル程滑る。というか、土を削りながら進む。
「いつまで抱っこしてるつもりだ馬鹿め!!」
「もう、してないよ?」
「そういう事ではない馬鹿め!!」
言いながら、わざわざ僕のところまで来て僕の頭を踏み付けるリツ。
「まったく! 書いてある通りの人間だな貴様は」
「へへっ、なんて書いてくれたのかなぁ?」
「とてつもなく軽薄で、とてつもなく馬鹿だと書いてあった」
「その通りだから何も言えないねぇ」
「頭を踏まれても軽口を叩いてるじゃないか……」
はぁと溜め息を吐きながら、リツは僕の頭から足をどける。
「本当に頑丈なんだな、お前は」
「それも書いてあった?」
「当たり前だ。でなければ初対面の相手に僕が魔術を使うわけが無い」
「まあ、リツのは特別製だからねぇ」
「……それを知っているということは、やはりお前がナナガワサクヤなんだな」
「そうだよ。改めまして、僕がナナガワサクヤだ。君がエイボンの書に記載した、四番目の勇者だよ」
リツの持つ世界最高の魔導書、エイボンの書。
エイボンの書に書かれた僕に関する項目は、どういうわけか消えることが無かった。
だからリツは、僕が存在昇華をしても、僕の情報を知ることができる。僕を忘れても、僕を僕だと認識してくれる存在なのだ。
ちなみに、ネクロノミコンにも記載してみたところ、原典と複製含め、全ての記述が消えていた。
なぜエイボンの書のみ僕の情報が記載されているのかは謎のままだ。最高にして至高の魔導書だからか、はたまたそういう仕組みを持っているからか……リツも調べてみてはいるものの、理由はまったく持ってわからないらしい。不思議。
「エイボンの書にのみ記載されてることまで知っているのか……ますます疑う余地が無くなったわけか」
「もう、リツは本当に疑り深いねぇ」
「当たり前だ馬鹿者。お前みたいなちゃらんぽらんをそう易々と信用できるわけなかろう」
「ちゃらんぽらんて……」
「そんな事よりも、ナイアが待ってる。早く中に入れ」
「おお、そうだったね。いやー、久しぶりの再会。緊張しちゃうなぁ」
「……強がるな、馬鹿め」
僕を案じるような声音で言う、リツ。
ははっ、お見通しかぁ……。
「リツには敵わないな」
「お前がわかりやすすぎるだけだ」
言いながら、足早に先を歩くリツ。
「ありがとう、リツ」
そんなリツの背中に向かってお礼を言う。
「礼などいらん。それよりも、お前がいない間、ナイアがどこだどこだと騒がしかった。早く会ってやれ」
「ふふっ、照れてる」
「だ、だだだだ誰が照れてるか!」
図星を突かれたのか、リツが噛み噛みになりながら反論する。
リツは、僕に関する記憶が無くなる前、つまり、僕が初めて存在昇華を使う前に、僕のことを友人だと言ってくれた。
その言葉に、嘘偽りは無く、リツは僕が戦線離脱をするために王都を離れても、飽きることなく手紙を書いてくれた。その手紙はずっととっておいてある。僕の大切な宝物だ。
しかし、存在昇華の影響で、僕が書いた手紙は真っさらなただの紙になってしまったらしい。
リツの手紙も、僕に関する情報だけ抜き取られたように、虫食い状態になっていた。
けれど、リツは僕が書いた手紙がただの紙になってもとっておいてくれているらしい。ただの紙っぺらに意味は無いのに、この手紙に確かに何かが書いてあるのだと言って、文字の消えた手紙を大事にしてくれているらしいのだ。
そんな友人思いのリツだ。仕方の無い事とはいえ、友人である僕のことを忘れてしまっていることを、気にしているのだろう。
リツにとっては初対面にも関わらず、口も悪いし、なんなら魔術だって飛ばしてくるけど、できるだけ僕の知るリツに近付けようと無理をしてくれているのだ。
リツが、友人である僕をどれだけ大切に思ってくれているのかは、聞かなくてもわかる。
まったく、女の子だったら惚れてたよ。
「さ、リツ。ナイアさんのところまで案内して」
「しなくてもお前ならわかるだろ」
「リツが隣にいなくちゃ怪しまれるだろ?」
「僕は身分証明書か何かか!」
「リツは大切な友達だよ」
「た、たたた大切な!? き、急に気持ち悪いことを言うな馬鹿め!!」
顔を赤くして照れながら僕をぺちぺちと殴るリツ。
まったく痛くない拳を甘んじて受け入れる。
そんなふうに騒がしくしながら王宮の廊下を歩いていると、前方から黒い物体が近付いてくるのが見えた。
その黒い物体はふよふよと浮いており、ゆっくりとこちらに近付いてきーーーーたかと思えば、急に速度を上げて接近してきた。
黒い物体は僕達の前でぴたりと止まる。
黒い物体の正体は宙に浮いた一人の少女であった。
黒く艶やかな長髪に、作り物のように整った顔立ち。闇のように黒い喪服のような服に身を包んだ少女の身体は綺麗な線を描いており、世の女性が憧れるような完璧なプロポーションだ。
そんなとてつもない美人が宙に浮いて、じっとこちら、というよりも、僕を見てくる。
そして、黒色の美人は僕の方に顔を近づけてーーーーすんすんと匂いを嗅いだ。