プロローグ
範囲:中学数学
「ここは───遂に、来た、のか。」
此までとは明らかに雰囲気が違う。此までの戦いが全て前座であるかとでも言うように……広大な世界が広がっているように見えた。
僕はこの世界で生きていけるのか?本気で僕を堕落させようとさせる抽象概念に太刀打ちできるのか?
………いや、考える事など意味が無いのはわかっている。そんなことを考えるくらいならこれから迫り来るであろう試練に頭を使った方が良いに決まってる。
ただ……明らかに異質な雰囲気を感じるこの世界……身震いせずにはいられようか。
腕に付属している機械を見る。
針は10を指している。一見時計のようなこの機械、0~10の数字が記されているこの機械。此までの戦いから察すると、僕が堕落しそうになるほど小さい数字を指す。この針が0を指したらどうなるのかは分からない。ただ……絶対に0にしてはいけないということは直感で分かる。さしずめライフポイント(LP)のようなものなのだろうか。
「何立ち止まってんだよ。怖じ気づいてんのか??」
無機質だが確かに感情がある声が響く。勿論周りに誰かいるわけではない。この世界では……おそらく攻略した奴らの声がテレパシーで聞こえるのだろう。
「深呼吸してただけだよ………因数分解様」
「そっちの世界は文字ばっかだからな……まぁ膨大な人間を堕落させてきた俺を完璧に攻略したんだから実力は間違いねえよ、そんなビビるなよ」
「いやだからビビってないから。実際そんな強くない癖にしゃしゃんないで」
この世界の奴らは個性的な奴ばっかりだが、こいつはそこそこ話があったな。といってもこいつがおしゃべりなだけだが。
「せっかく俺がエールを贈りに来たのに相変わらず冷淡な奴……まぁいいや、他の奴らも一言言っておきたいみたいだぞ。どうせいつでも話せるのにな笑」
他の奴ら……よく話しているのに何故か懐かしい気がした。
「いよっと!久しぶりかもね、二次方程式だよ-。連立と弟の一次も予ねてご挨拶だね、解の公式は勿論覚えてるよね?」
二次方程式か……こいつもさほど苦戦しなかったがあの公式は…
「んちゃー、二次関数だよ、私も一次関数君と比例反比例ちゃんを代弁してご挨拶-、」
y=ax^2か。この子もなかなか単純な奴だったが。
「私達グラフ族はこの世界の中でも初等的なものなの。もっと色々なグラフ達が君の前に立ちはだかると思うけど……君は優秀だからきっとくぐり抜けてくれるって信じてる」
「あぁ」
そういや今まで出会ってきた奴らはこの世界でも下等な方だと聞いたな、確か、三平方の奴が言ってたか。あいつはなかなか面白い奴だったが。
「a^2+b^2=c^2。上の世界でも僕は必須。僕に限らず君が攻略した一つ一つの理論。完璧に使いこなせるようにしておくんだよ。まぁ君は優秀だし、あの本を持ってる限り心配いらないか」
あの本、ね。一応持ってるか確認しながら呟く。この世界の概念の全てが書かれている、あの本。
僕がこの世界で目覚めたとき、一番最初に持っていたのは此だった。
最初は当然何が何だか分からなかった。どうしてこんな場所にいるのか、この本は何なのか。死後の世界に飛ばされたのかと思ったりもした。本当に何もかも分からなかったのだ。
本能のままに歩き進めていき、数々の試練を攻略し、数々のナカマを持ち始めたと気が付いたとき……この世界を極めればきっと答えが出るなどといつの間にか思い始めていた。なんせ、この世界に来る前の記憶なんて無くなっちゃってるもんなぁ。
ただ……この本、此までの世界で着々と紐解いてきたが、未だに10分の1も読み進められてない。これから膨大な理論が、きっと、立ちはだかってくるのだ。
怖さと少々の期待(?)に包まれながら、深呼吸をする。
いや、進むしか無い。後戻りする、諦めるなどという選択肢など用意されていない。僕は……この世界を極めるため、自分がどうしてこの本を手に持ち、そしてどうしてある時この世界に目覚めたのか、それを知るために進んできた。
噛みしめろ。この決意を。
厚く、最初の部分が少しだけ茶色く汚れた本をゆっくり閉じ、目を閉じて、此までの理論を巡り、巡り合わせた。
全てが体系化された、と感じたとき、再び深呼吸をし、目を開けた。
「さあ、始めようか、数学を」
僕は「数学I」と記された扉に手をかけた───
史上最大の戦い(高校数学)が、今ここに始まらんとしているのであった。