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プロローグ

 一面に広がる花畑。そよ風が甘い匂いを運んでいる。平和そのものを形にしたような場所だった。俺は野営ができる最低限の荷物を背中に抱え、王から与えられた大剣を携えて道を進む。花畑の影からモンスターが出れば、倒して少しの素材を剥いで、また進む。モンスターにも動じなくなった。

 これまで経験した幾度のモンスターとの戦いの末、漸く手になじんできた大剣を握りなおす。こいつとも、長い付き合いになった。


 時間にしたら、およそ二ヶ月前だろうか。俺はあることをきっかけにこの世界にやってきた。俺が生まれ育った世界と、この花畑の世界は別物だ。何が因果かわからないが、以前の世界でただの男子高校生として過ごしていたのが、たった一瞬の出来事で急変してしまった。



 受験を控えただけの、特に目立ちもせず、程々に勉強をしたり、スマホでゲームを楽しんだり、俺の他にも似たように過ごしている人が何万人もいそうな、そんな平々凡々なのが、木下紫苑。俺という人物だった。


 それが、あの日。

 強制的に中断されてしまった。


 その日は受験勉強を図書館でしようと、一人机に向かって問題集を進めていた。しばらくしたら飽きが来たので、休憩でもしようと本棚の群れに体を滑り込ませた。読んだことのない種類の本を読んでみたくて、図書館の一番奥で背表紙を眺めることにした。

 目についたのは洋書のような分厚い紙で出来た表紙の、特に幅は分厚いわけでもない、値段の張りそうな新品の本。そこの本棚の中ではずば抜けて綺麗で、新しいな、もしかして俺が一番に読んだ人間になるんじゃないか、と思ったのをよく覚えている。

 その本が多分、きっかけだったのだろう。


 じっくり読むつもりもなく、斜め読みのつもりでページを捲る。小さな文字に目がちかちかして、閉じようとした。違う本を探そうと顔を上げたその時、風が吹いた。どこかの窓が開いていたというわけではないのに、背中を押すような強い風。

 思えばあの時、本が変に光っていたことには気が付かなかった。こちらの世界で見た魔法が、同じ光を出していたので、それで思い出した。


 光る本に吸い込まれている。

 自分の身の危険に気が付いたのは、体が半分本の中に入ってしまってからだった。



 そして、いろいろあって、俺の冒険が始まってしまう。

 本に吸い込まれた俺はその後どこかの城の魔術師に召喚されたとのことで、王様に命じられて、人間の敵である魔族の王様の所へ行き、話し合うか通じなければ殺せ、という役を仰せつかったわけだ。

 奇特な体験をしたが、幸い頭にも体にも異常はなかった。しかし異世界に召喚された俺に生きる術はなくて、あれよこれよと為されるがままに旅支度をされ、武器を押し付けられ、王の居る町から押し出されたのだ。


 言われたままに目指した目的地、魔族の城へは二ヶ月かかった。

 いくつかの町を通り、山を越え、モンスターも倒し、そして今、この花畑を超えたところにある、という話だ。

 実際にそこへ入った人間はいないらしい。魔族と人間の交流はほとんど無いというのは、ここ二ヶ月でよく理解できた。畑を作り作物を育て、家畜を飼い、安定した食生活を送る、比較的先進的な人間たちに比べ、生きるために狩り、人間の作物を盗む、原始的な生活を過ごす魔族とでは相容れないのは仕方がないだろう。

 事実、ここまで来る際に、魔族に属するモンスターに襲われ、戦ってきた。初めは痛い思いを何度もしたし、死ぬかと思うこともあった。二ヶ月で俺が辟易するぐらいだから、町に住む人々は日々恐怖の隣で過ごすことになる。


 そこで、俺が魔族の王と話し合い、平和への足掛かりになろうということだった。

 大役過ぎて、俺には難しいのではないかとか、そう思っても俺にはどうしようもない。


 行く町々で魔王についての情報を集めて、元の世界ではしなかった類の苦労の末にここまでたどり着いたのだ。体は順応してきているが、まだ頭は追いついていないところが沢山あって、とりあえず歩きを進めているところがないでもない。


 魔王の城の前に花畑が広がっていることは想像していなかったが、どうやら冗談ではなかったようだった。花畑に入って数十分程か。目視できるところに、大きな屋敷が見えた。

 城と聞いていたがそこまでの大きさはなく、町の領主が持つ家を少し大きくした程度。本当にそこに魔王がいるのか心配になるほど。違ったらまた前の町に引き返して、話を聞いて回らなければいけない。正直そろそろうんざりしている。


 緩やかに下っていく道の先に佇む屋敷は、壁の色は暗くても清潔そうな良い屋敷だった。屋敷の奥には森が広がっているが、怪しい雰囲気はない。普遍的な花畑で暮らすお金持ちの家に見える。

 屋敷の門まで来ても、その印象は変わらなかった。本当にここにいるのだろうか。


「ごめんください」


 乾いた声で門を叩く。玄関の扉までは少し距離があり、この声では聞こえるものも聞こえなさそうだ。なにか来客を伝える道具などはないか探したが、門にそれは着いていないようだった。かといって見張りも居なく、俺はしぶしぶと門を勝手に開けることにした。

 玄関の扉にはノックするためのドアノッカーがあり、それを三回、大きく鳴らす。疲れたせいか、緊張のせいか、心臓が大きな音で主張している。


 しばらく待っても中から人の気配はせず、ため息をついて踵を返そうとした。

 ギイと重たい音を立てて、扉が開いてしまった。


「あの、王の遣いで来たのですが……」


 扉を開けた主にそう声を掛けようとしたのだが、扉の奥には人影も、魔物の召使がいるわけでもなかった。独りでに開いたということか、それともこの屋敷に居る魔王が開けたのか。どちらにせよ更に心臓の音を大きくしながら屋敷の中へ入る。

 中は窓から入る光で、暗くはない。少し空気が籠った臭いがするが、変わった様子はない。屋敷の中でもう一度、居るはずの住人へ声を掛ける。返事はやはり無い。

 無い代わりに、階段の奥の扉が開く。場所から見て広間の扉だろう。部屋の様子はここからではうかがえないが、あそこが開いたということならば、住人があそこにいるのだろう。


 魔王がいるにしては想像よりずっと普通の屋敷だし、ここには居ないのかもしれない。なんらかの魔族が居るかもしれないが、それはそれで魔王の居場所の手掛かりになるはずだ。

 そうやって言い聞かせて自分を鼓舞してから、階段へ足を掛ける。正直怖いし、命の危険だってビンビン感じている。しかしそんなことはここに来るまでも山ほどあった。

 普通の男子高校生が、世界の平和に協力できるなら、きっとそれは大変名誉なことだ。


 開いた扉から、部屋の中へ進む。


「やあ、よく来た人間」


 部屋は予想していた通り、客を招くための広間で、長い机と椅子が何個も並べられている。

 その一番奥に、それは居た。


 頬を緩めて目を細め、友好的に笑うその人物はおそらく、魔王だろう。人生経験の浅い素人でも、奥の存在がたとえようもない大きな力の塊なんだとわかる。

 それが、人間とよく似た姿で、椅子に座り、片手をこちらへ向けて振っている。

 魔王は男性とも女性とも見れる中性的な体で、姿だけ見れば人間と大きな変わりはなかった。ほかに見ない点といえば、透き通るような白い髪だろう。そしてもう一つ。


「なにしに来たか、教えてもらおうか?」


 笑顔が消えて開かれた目が、火のように真赤であることだ。

 カラカラだった喉から、息が漏れる。慌てて息を吸って、吐いて。意識をしないと呼吸の仕方を忘れてしまいそうだった。絞るように声を出すと、蚊の鳴くような小さな音しか出てこない。


「王の遣いで、来ま、した」

「それで?」


 震える手先に力を込めながら、促された先を言おうとする。なんて言うつもりだったんだっけ? どうしてこんなに冷汗が止まらないんだ。

 俺の本能が全身でこいつがラスボスだと叫んでいる。相手はただ座っているだけなのに、すでに臨戦態勢だと体に力がこもる。


「いいだろう、交渉に応じよう」


 俺はまだ何も言っていなかった。人間の王が、魔族と交渉したいと言っているとか、将来的には平和的な交易を進めたいと考えていることとか。それなのに魔王は答えを出した。

 どういうことかと首をひねる隙も無かった。魔王が立ち上がり、俺に近付いてくる。逃げた方がいいと頭ではわかっているのに、体が少しも動かない。

 ついにお互いの手がギリギリ届くまでに来た。座っている時から想像したよりも大きな体に圧倒され、押されるように足が後ろへ下がる。


「お前、人間じゃない魔力の匂いがするぞ」


 言葉の意味がわからず、ただ茫然とするしかなかった。何もリアクションを取らなかった俺に、魔王は首を傾げた。白銀の髪が合わせて揺れる。

 この隙に走って逃げだしたかった。けれどそうすれば一瞬で命が終わることが目に見えていて、俺はどうしようもできず、魔王が考え込む姿を見ているしかできない。


「まあいい。哀れな人柱、戦火の火種」


 その言葉が自分を指していることを理解するのに時間は要らなかった。魔王はもしかしなくとも、俺よりあの王様の考えを理解していたのだろう。

 自分が何故ここにいるか、どうなるか、誰の目から見ても明らかだった。俺だけがわかっていなかった。


 魔王の手が伸びる。体が跳ねるように動き、剣を手に持った。最後の本能だ。窮鼠の気持ちで構える。剣先が震えているのが見えた。当然、二ヶ月の旅で魔王を討つほどの力がついたとは思えなかった。

 死にたくない、痛いのは嫌だ。怖い。


 魔王の目が細くなる。笑っているのか、そうじゃないのかわからない。見極めるより早く、視界があの光で埋められた。

 幸か不幸かわからないが、痛みは感じず、何か走馬灯のようなものを見ることもなく。眠りにつくように、意識は薄れて、そして消えてなくなった。


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