14.邪神の正体
「こんな場所があったのか……」
絶句するシロウの前には、廃墟同然の城の中にあるとは思えないほど、綺麗に整えられた広い庭園が存在していた。
四方を建物に囲まれた庭園には、ここへ来るまでの鬱蒼とした森とはまるで違う、色とりどりの花々が咲き乱れている。
穏やかな暖かい風が吹き、複雑に絡み合った花の香りがシロウの鼻腔をくすぐる。
「……彼女が、ディエナの母親で今のおれの主人であるレイアウナ様だ」
グロックが示した先に、小さな蛇になったディービーを肩に乗せ、花を一つ一つ選びながら、手折っていく女性がいた。
ディエナの美しい銀髪は彼女からのものなのだろう、光を孕んでさらさらと高価な絹を思わせる髪は、額にうっすらと浮かぶ汗と相まって、不思議な妖艶さを醸し出す。
細い指が一つの花を取り、左手にそっと掴まれた他の花々に並ぶ。
グロックが歩き出そうとすると、それを追いぬくようにスクアエが走り出し、花に当たらないように気を付けながら、足をもつらせながらもレイアウナの下へとたどり着いた。
「レイアウナ様……」
「スクアエ。よく無事で戻りましたね。グロックさんと一緒ですか。それに、あの方は、確か……」
レイアウナの視線を受けて、シロウは会釈をし、グロックを前にしてゆっくりと近づく。
彼を先導させることで、敵意が無いことを示そうと思ったのだ。
レイアウナにとってシロウは娘の仇であり、余計なことに巻き込んだ張本人でもある。何を言われても仕方がない、と腹をくくっていた。
グロックに倣って庭園の通路を通るシロウは、庭園の美しさを認識しながらも、レイアウナから視線を逸らすことはできなかった。
少なくとも千年は生きているはずのディエナ。その母親であるレイアウナがいくつなのかはわからないが、見た目だけで言えば三十を過ぎたかどうかという若々しさだ。
シンプルな白いドレスに包まれた肢体は、清楚ながら隠しきれない女性らしさを思わせる曲線が露わに浮かび上がっている。
「シロウを連れてきました。生きていた頃からの親友で……」
「教団の勇者、ですね」
「元勇者、と言ったところです。お初にお目にかかる。志岐士郎禎信、という名ですが、こちらの人には言い難いらしいので、シロウ、と」
「わかりました、シロウさん。あなたがここへいらしたことを、まずは歓迎します」
シロウは驚いた。
レイアウナは彼を歓迎すると言った。敵視されているものとばかり思っていたが、物腰柔らかく微笑みを向けいる。
正直に意外だと感じた旨をシロウが告げると、レイアウナは口元に手を当てて笑った。
「人が互いを理解するには、まず言葉を交わすことが必要です。それに、グロックさんが最初に“親友”だと仰いましたでしょう? 彼の大切な友人を、話も聞かずに追い出すような真似はできません」
「いやあ、それは……」
レイアウナが言うと、グロックは顔を赤くして頭を掻いていた。
彼もレイアウナがシロウを憎んでいるのではないかと感じていて、予め自分の親友だと告げることで多少なり心証を良くしようとしていたのだろう。
完全に見抜かれていたようだが。
照れくさそうにしている親友の顔を見て、シロウはグロックがレイアウナに向けている感情の正体を知った。
「そうか、ここにお前が居ついた理由はわかった」
「お、おい。誤解するなよ。おれは彼女の境遇を聞いてだな」
「わかった、わかった」
シロウはグロックがまだ気持ちを伝えていないのだろうことに気付いて、話題を変えた。
彼はグロックに紹介の礼を言ってから、レイアウナの前で地面に正座し、深々と頭を下げた。
グロックやスクアエが驚いていたが、レイアウナは微笑みを浮かべたままでシロウの動きを見ている。
それは嘲笑では無く、シロウの行動と言葉を全て受け入れる覚悟の笑みだ。
「申し訳ない。俺はディエナに復活させてもらった身の上でありながら、彼女を守るどころか、俺の身代わりに封印される始末。詫びのしようもありませんが、まずは現状を伝えねばならぬ、とここに参りました」
「ディービーから内容は聞きました。あの子ったら、親よりも惚れた男性のために動いたのですね。いつの間にか大人に……というのも妙な話ですね。彼女が生まれてからもう千年は経とうというのに」
レイアウナはシロウを責めるようなことは言わなかった。
顔を上げるように伝え、変わらぬ笑みのままで「ありがとう」と口にする。
「あなたは、ディエナのためにここまで来てくれたのですね。邪神と呼ばれ、世界中の人々から憎まれたあの子のために」
「それも誤解だったと聞きました。そう。俺がまず彼女を封印したことも間違いだった。考えれば、言葉が通じる相手であるのが分かった時点で、話を聞いておくべきだった」
「あなたの気持ちはわかりました。母として、喜ばしい言葉です。人として生まれながら、人として扱われなかった彼女のために、そこまで苦しそうな顔をしてくださるのですね」
レイアウナの誘いで、城の中にある食堂へと移動し、再びグロックが茶を用意する。
手慣れた様子を見るに、何度も同じように用意をしていたのだろう。
深い森の奥で百年もの間、彼はレイアウナを守る騎士としてここに在ったのだ。
新たな居場所を得て、落ち着いた表情のグロックを見て、シロウは少し安心していた。
「人として生まれた、ということだが……」
「ええ。わたしも人間です。今でこそ一千年以上生きていますが、元々はとある小さな村に生まれ育った人間でした。そこで、ディエナも生まれたのです」
「レイアウナ様、そのお話は……」
「良いのです、スクアエ。あなたがディエナのことを思ってくれていることもわかっています。でも、シロウさんにとって知っておくべきことでもあります」
シロウへと向き直り、レイアウナは一度目を閉じて静かに深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。
「私が住んでいた村はとても貧しい田舎の寒村で、お世辞にも裕福ではありませんでした。働き手でなければ食事も満足に貰えないくらいには、余裕のない村です」
語られる物語に、シロウはじっと耳を傾ける。
☆
レイアウナが十歳を二つほど過ぎた頃に、両親は彼女一人を遺して死んでしまった。
流行り病でのことであり、母から父へと伝染し、そろって倒れたかと思うと、あっさりと死んでしまった。
奇跡的に感染せずに済んだレイアウナだったが、病気の両親を葬った後、彼女を庇護する者はいなかった。
親しくすれば病が移るかも知れない。そして生まれつき力が弱く、ろくな技術も持たない彼女は村の役に立てないという理由もあった。
村の人々は彼女を避け、孤独な彼女は両親が遺した古い家で、孤独と飢えに耐えながら生きていかざるを得なかった。
だが、全く食事ができなかったわけでもない。
陽が落ちて人々が寝静まると、村の男たちが一人ずつ、あるいは複数、ひっそりと尋ねてきた。
それぞれ近くの森や野山で採れる山菜や木の実、獣の肉などを手土産にして。
もちろん、慈悲の気持ちなどという甘い感情によるものではない。もっと醜く、彼女を人として見ていない理由からだ。
最初に来た一人の男がわずかな食べ物と引き換えに彼女を押し倒した。
多少の抵抗はしたが、幼い少女の細腕で抵抗しきれるものではなく、大して暴れることもできずに、レイアウナは純潔を奪われた。
その後、病が移らないことを知った別の男が来て、レイアウナを力づくで汚す。
そしてまた次の日には、別の男が。
レイアウナは村の女性たちから白い目で見られながら、男たちから性欲のはけ口として飼育されているような状態になった。
閉鎖的で町からも遠く離れた村のことであり、官憲などが彼女を救い出すことも無い。
最初は自分の不幸を呪っていたレイアウナだったが、次第に感情を失い始めた。生きていくために仕方が無い、と割り切るようになった。
そんな時にレイディエーナが生まれる。
村の誰の子かもわからない。知らない人物も混じっていたような気もして、レイアウナは父親が誰か考えることすらできなかった。
妊娠しても男たちはやってきたが、どうにか無事に出産を果たした。村の産婆も手伝ってくれず、一人で地獄を見るような出産ではあったが、生まれた子供には恨みは無い。
むしろ、彼女を孤独から解放してくれた。
レイアウナは変わらず慰み者の立場だったが、ディエナの笑顔が見られればそれで良いと思っていた。
娘に魔法の才能が有るのはわかっていたが、町の学校に通わせるような余裕があるはずも無く、村の他の子どもたちに目を付けられてもいけない、とディエナには隠しておくように言い含めておいた。
実際はディエナが扱う魔法は普通のそれとはまるで違うものだったが、レイアウナにはそれを見分ける知識は無かった。
貧しいながらもディエナは天真爛漫に育ち、とうとう十三歳の誕生日を迎えた。
三十を目前にしながらも美しかったレイアウナは、自分に似た容姿を持つディエナの存在に不安を覚えたが、それはほどなく現実になる。
「この子は違います! やめてください!」
村の男たちが、ディエナにも身体を差し出す様に求めたのだ。
レイアウナ同様美しく育ったディエナに対し、男たちは自分たちが分け与えた食料で育ったのだから、と権利とは言えないような話を主張する。
母は娘を庇い、娘は薄々気付いていた母の立場を見せつけられ、男たちに向かって反発した。
結果、二人の態度に激高した男の一人が農具を振り上げ、ディエナに振り下ろした。
農具は、ディエナを庇ったレイアウナの頭に突き刺さる。
呼びかけに答えなくなった母。何度も呼び掛けるディエナに、男たちは「一人減ったが、ようやく邪魔者がいなくなった」と覆いかぶさろうとした。
だが、男はそこで存在を失うことになる。
「許せない……!」
ディエナの魔力が、強烈な圧力となって近づいてきた男を文字通り押しつぶした。
あばら家の床に広がるべったりとした血の染みに成り果てた男を見て、他の村人たちは瞬時には何も反応できなかった。
対して、命を奪ったディエナは自分の中に力が湧き上がるのを感じていた。
そして本能が赴くままに村の人々を殺戮し、掻き集めた魂の力を使って母を蘇らせたのだ。
☆
「その時から、私もディエナも人ではなくなってしまったのでしょう。娘が人の子でいられなくなったのは、私の弱さに責任があります」
シロウは何も言えなかった。
レイアウナの見た目からは想像もつかないほどに壮絶な物語を耳にして、頭は追いついていても心が理解できずにいる。
「私は汚れてしまったものです。ですが、彼女は純粋な女の子に育ちました。育ってくれたのは良いのですが、純粋に過ぎたのです。私を襲う相手を躊躇いなく殺し、いつしか私はここに流れ着き、人と会うことをやめたのです」
しかし、盗賊や詐欺師などを含めて多くの人々を殺害したディエナの噂は、消えるどころか誇張されて広まった。
そして、この森でモンスターたちとの交流を進めてモンスターを復活させる技術を得たころには、深い森に住む邪神の噂はまことしやかに流れ、全てのモンスターの頂点であり、操っている黒幕としての邪神の印象が定着していく。
「ディエナは邪神として生まれたわけでもなければ、邪神になろうとしたことはありません。ただ、私を守るために戦い、殺していたのです」
それでも特殊な魔法の力と周辺を固めているモンスターの存在は、否応なしに彼女の印象を悪化させた。
「邪神が存在するから人が怯えていたのではありません。畏怖の対象を“邪神”と呼ぶことで、自らが克服しなければならないモンスターの被害や災害の責任を擦り付けていただけなのです」
そして、その状況を利用してアスカリア教団は力を付けた、と頭の中でつながったとき、シロウはゆっくりと立ち上がり、非礼を詫びて部屋の外へと出た。
レイアウナとグロックは何も言わず見送る。
スクアエは少しだけ迷って、「あんたの責任じゃないわ」とだけ伝えた。
しかし、シロウは答えずに部屋を出た。
人が作り上げた“邪神”。
そのイメージを押し付けられた少女を、シロウは封印したのだった。