13.戦友
「懐かしい気すらする。あれほどに恐ろしげだった森だったのだが……」
「ひょっとすると、シロウっちも俺らと近い存在になったからかも知れないねぇ! ねえスクアエっち」
「一緒にしないで。それより、急ぎましょう」
途中で一頭の馬を手に入れた彼らは、シロウが徒歩、スクアエが騎乗という形で七日間の行程を進んできた。そうしてようやく、邪神の城がある森へとたどり着いたのだ。
シロウはまだまだ体力に余裕があり、スクアエの状況を考えてのことだったが、見た目はまるでお嬢様と護衛そのものだった。
ディービーが絶えず茶化していたため、時にはスクアエの限界を超えて蛇の氷漬けが出来上がるところだった。
「疲れた……」
「馬に乗るだけでも、結構大変って言うしなぁ」
「あんたのせいよ」
力を節約せねばならない状況で、スクアエはどうにか堪えてディービーの蛇を叩いたり引っ張って伸ばしたりするにとどめたが、それはそれで規制されている蛇が苦しいだけで、ディービー本体には影響がない。
騎乗のままでは森での行動に制限が出るからとスクアエは馬から降り、遠慮など一切なく馬の頭から飛び移って来たディービーを睨むように見上げる。
「ディエナ様が復活したら、すぐにあんたを氷漬けにしてやるわ」
「おお、怖いなぁ。シロウっち、その時は護衛を頼むよ」
「知るか。身から出たさびだろうに。行くぞ」
森へと踏み込むと、すぐに周囲の空気から重々しいものに変わる。
何者をも拒む息苦しい雰囲気と、密集している木々の隙間から時折向けられる何者かの視線を感じ、何とも落ち着かない。
緑というよりは黒々としているように見える葉が枝々に生い茂り、陽の光を最小限の行動違反だけを照らしだす。
奥までは見通せないが、シロウ達は躊躇いなく奥へと進んでいく。
モンスターたちの中でも知能があるものはスクアエ達を襲わず、勘であろうと経験であろうと、実力を見抜けるものはシロウを襲おうとはしない。
けもの道すら存在しないなか、シロウは腕に生やした刃で草を刈り払いながら進み、その後ろから、荷物を載せた馬の轡をとってスクアエがついていく。
「便利な能力だねぇ。これなら歩きやすいや」
「歩いていないあんたが言ってもね」
「ディエナの母親……か。以前はそんな存在を聞いたことも無いが……」
実際に、シロウたちが以前にディエナを封印したとき、そんな人物は城にいなかった。念入りに捜索するような余裕などなかったが、娘であるディエナが倒されたとなれば、出てきてもおかしくないのでは、とシロウは問う。
それについて、ディービーは蛇の中から小さくなった上半身で肩をすくめて見せた。彼は普段城の外にいて、その時も城の前で早々に敗れていたから知らないのだ。
「あの御方は、戦う力をお持ちじゃないの。だから、シロウが来たときには城の奥で隠れていただいていたわ。全てが終わるまで出てこないように、とディエナ様に言い含められて……」
「では、封印後も生きていたというわけだな。今も城にいるというわけか」
「多分ね」
復活を果たし、スクアエとジュノーを復活させたディエナは、まずシロウを探し始めたという。
城へと一度戻ろうとスクアエたちは提案したが、ディエナはそれを拒んだ。
「“母親に会うなら、シロウを連れていきたい”と言ってね。ディエナ様は、本当はあんたを復活させてすぐにお母様にお会いしようと思っていたのよ。でも……」
「俺の希望を優先したのか」
「あたしが怒っている理由が、これで理解できたかしら?」
「ああ、やっと……止まれ。何かいる!」
先導していたシロウが手を後ろに向けて止めた。
息をひそめてシロウに従ったスクアエは、慎重に周りを見回す。
ディエナが支配していた森。だからこそ多くのモンスターが住みつき、人を寄せ付けぬ魔境と化している。
中には見境なく襲ってくるようなものだっているかも知れない。
「っ! 正面だと!?」
多くのモンスターや獣は本能的に真正面では無く死角を狙ってくる。
そのためにシロウは左右や背後を特に気にしていたのだが、虚を突かれてしまった。
草むらから襲ってきたのは全身を鎧で固めた戦士だった。その手には身長よりも長い長剣を掴み、猛然とシロウを真っ二つに叩き切らんと振り下ろしてくる。
「フルプレートアーマー!? リビングアーマーか!」
激しい火花を散らしながら、腕から短く伸ばした刃で受け止めたシロウは、振り払い様に鎧の腹部を蹴り飛ばした。
リビングアーマーは後ろ向きに飛ばされたように見えるが、蹴ったシロウ自身、相手がわざと後ろに飛んで衝撃を逃がしたことに気付いている。
強い、とシロウは相手を評価した。そこいらにいるモンスターの動きでは無い。
本来、リビングアーマーと言えば生前の無念を晴らすために夜な夜な歩き回り、仇を求めて人を襲うタイプのモンスターだが、生前の強さそのままであるために然程強力な種では無いはずだ。
だが、シロウの目の前で転がった相手は、そのまま回転して草むらへと潜り込み、そのまま気配を消した。
重厚そうな鎧を着こんでいながら、身軽な動きで音も無い。
「……来る!」
風を切るような音を聞いたシロウは、刃を出したままの腕を振るった。
骨まで響く様な音を立てて腕の刃にあたったのは、先ほどの敵が持っていた大剣だった。縦回転する大剣は、シロウの腕には阻まれたが、切っ先が袈裟懸けにシロウの胸元を裂く。
「ぐおっ!?」
「シロウ!」
「はっはは! これで決まりだ!」
剣が投擲された場所から飛び出してきたリビングアーマーが、腹の底から笑いながら、予備の武器らしき武骨なナイフを手にシロウへとショルダータックルを敢行する。
腹部に思い切り鎧の肩を押し付けられたまま、シロウは押されるままに後ろへと下がり、そのまま仰向けに倒されてしまった。
「貰ったああああ?」
「言っただろう。勢いで攻撃するな、と」
シロウは倒れた勢いそのままに、鎧の腹部に足を引っ掛けて巴投げにしてしまった。
引き手もせずに投げっぱなしになったリビングアーマーは、頭から落ちたように見えて、しっかりと受け身はとっている。
それでも、鎧の重みで激しく地面に叩きつけられたのだ。普通ならもう立てない。
「知り合いみたいに話していたけれど?」
「まあな……グロック、お前だろう?」
戦いが終わったとみたスクアエが話しかけると、腕の刃を収納しながらシロウは苦笑して呼びかけた。
リビングアーマーのデザインはとある国で昔使われていた一般的な騎士の装備で、さらに大剣を投げた後に使ったナイフにもシロウは見覚えがある。
呼びかけに応えるように、倒れていたリビングアーマーが起き上がり、地面に胡坐をかいてどっかりと座りこんだ。
「生きていたのか」
「いや、死んだ。あの時、お前が邪神へと挑戦するための道を作って戦ったのが、おれの最期の戦いだった」
グロックと呼ばれたリビングアーマーは、ガントレットでガチガチに固められた手で頭を軽く叩いた。
すると、頭部を覆っていたヘルメットは幻のように搔き消え、無精ひげが目立つ中年の男が姿を見せた。
青い癖のある短髪をかき分けるように掻き、グロックはゆっくりと立ち上がる。
「強いな、百年前と同じだ。衰えていない」
「衰えようがない。何しろ、封印されていたんだからな。いや、アスカリア教団に殺されかけて、眠っていた」
「なんだと? おい、そいつはおれの話なんざ後回しで良いから、とにかくその話を聞かせろよ」
落ち着いて話ができる場所へ行こう、とグロックはついてくるように促し、シロウは従う。
スクアエがそんなシロウに近づいて、「説明してよ」と彼の背中を冷たい指先でつついた。
「彼はグロック。俺がこの森へと踏み込み、じゃ……ディエナの城へと踏み込む時に邪魔をするモンスターたちを相手に戦って、道を作ってくれた男だよ」
「そしておれはシロウの友人だ。今でも、そう思っている」
「俺もだ」
「ふぅん。友人なのに、いきなり襲ってきたの?」
シロウとグロックは、互いにこの世界で出会った親友だった。
グロックはとある国から教団に引き抜かれた戦闘教官だったのだが、シロウが召喚されて旅に出る際に同行を申し出た。
魔法について教えたのはマリィだが、この世界の戦い方やそれ以外のことは、ほとんど彼が教えたと言って良い。
「さあ、着いた」
「こんな近道があるなんて……」
「俺っちも驚いたよ、まったく」
グロックの案内で、近道を使ってディエナの城へとたどり着くと、スクアエとディービーが一様に驚いていた。こんな抜け道があるとは知らなかったらしい。
この城に住んでいたスクアエも、近くの森をうろうろしていたディービーも知らなかったらしい。
以前は荘厳で美しい城だったのだろう。
全体は小さくまとまっているが、見事な尖塔を三つ持ち、崩れかけてはいるものの、分厚い塀が周囲を囲んでいる。
全体が深く蔦に絡まれ、まるでそれらに捕まって時間に取り残されてしまっているかのような姿だ。
「時間だけは腐るほどあったからな。森の中は延々と歩き回って散々調べた。今じゃあ、この森には一番詳しいかも知れないな。何しろ、モンスターたちは自分の縄張りの外にはあまり行こうとしないし」
「グロック、お前は……」
「後で話す。城の中に入ろうぜ」
扉はすでに無い。
以前にはあったのを、シロウが蹴り飛ばして破壊して、そのままだ。
ぽっかりと空いた入口を潜ると、広いホールがある。あちこちが破壊されており、砂や小石が薄く積もった床は、ほとんど出入りが無いことを示している。
一つの部屋に入ると、そこには手入れがされた椅子やテーブルが用意されていた。棚からは、天然の植物を蒸して作る茶の葉が置かれていた。
グロックがそれをつかみ取り、炉に火を入れて湯を沸かす。
「人間だった時の記憶があると、必要が無くてもこういうものが欲しくなる。味はいまいちわからないが……気持ちは落ち着く。死んでいてもな」
座るようにグロックに言われ、シロウもスクアエも席につき、ディービーは一足先にディエナの母親に会いに行くと言って部屋を出て行った。
スクアエは迷ったが、シロウの隣に座りなおした。ここで話を聞いておくことにしたのだ。
「女連れとはな。あのシロウが」
「彼女は……」
「あたしはスクアエ。ここでこの男に殺されたアイシーメイデンよ」
「ああ、そういうことか……。悪いが、一から説明してくれないか」
「もちろんだ。そして、お前のことも教えてくれ」
シロウは彼が教団の裏切りによって殺され、ディエナの魂によって復活できたことから、ここへやってくるまでの顛末を語った。
茶を淹れて、じっと聞いていたグロックは時折頷いては、親友が語るのを見ている。
そして小一時間ほどで、話は終わった。
「教団が、な」
「それでグロック、お前の方はどうしてこの城に?」
「そうよ、それが妙だわ。あの御方もここにいるはずなのに」
グロックのための部屋が城内にある。なのに敵であったはずのディエナの母親もこの城に残っているという事実に、シロウは疑問を持っていた。
スクアエもそれが知りたいと思っていたらしい。
「……ここでモンスターたちと戦って死んだおれは、気付いたらリビングアーマーになっていた。それ自体はまあ、納得できた。存分に戦って死んだつもりだったが、どうにもやり遂げた感は薄かったからな」
リビングアーマーになった彼は、森を彷徨い、いつしか城へと辿りついたらしい。
全ての戦いは既に終わっており、そこに残っていたのは多くのモンスターの死体に、食いちぎられた人間の死体。
破壊された場所も多く、周囲には死臭が漂っていた。
「その中に、シロウやマリィの死体が無かったことに安心したよ」
「お前のことを、俺も探し回った。見つけられなかったけどな」
「モンスターをひきつけるのに、あちこち走り回りながら戦ったからな。最後はどこでどうなったか、おれ自身も憶えていないくらいだ」
ふらふらと歩き回ったグロックは、城の奥で生き残りのモンスターたちに守られたディエナの母親を見つけた。
正確には、導かれたというべきかも知れない。
リビングアーマーの性質通りにふらふらとしていたグロックは、城の奥から聞こえる、繊細な楽器の音色にも似た話し声を聞いて、そこに向かった結果、ディエナの母に会ったからだ。
「それ以来、おれはこの城の番人として彼女に仕えている。人間からしたら裏切り者かも知れないが、彼女の話を聞いた以上、おれはそうせざるを得なかった」
「グロック……」
「邪神と呼ばれたレイディエーナは元々人間だ。少なくとも彼女の母親は人間だった。それを邪神と呼び、人間の敵に仕立て上げたのは……教団だ」
グロックは立ち上がり、ディエナの母親に会って欲しいと告げた。
「ディエナの母親……レイアウナ様の話を聞いてくれ。おれが何を考えてここにいるのか、わかってもらうにいは、それが一番手っ取り早い」