10.テーゲン支部襲撃
最初に攻撃を仕掛けたのはハーバードとレイヴンだった。
逆さまのままで八本の足を蜘蛛のように動かして迫るハーバードと、巨大な左手に乗ったレイヴンが真正面から攻めてくると、騎士たちは一時騒然としたが、すぐに訓練通りの動きに戻れた。
さらに建物の陰からジュノーが姿を見せて騎士たちを側面から襲い始めると、混戦の模様が広がっていく。
それでも、騎士たちは命令に縛られて建物の前から打って出る真似はできない。
建物の中に侵入されてしまえば、聖女エイミィの邪神迎撃準備を阻止されてしまう。そうなれば邪神が来た時に全滅してしまう、と聖騎士たちは説明されていた。
多少の不利があっても、たとえ倒すことができなくとも、守るべきは教会であり、聖女だった。
とはいえ、騎士たちが防戦一方だったわけでも無い。
「ぬおっ!」
ハーバードが思わぬ痛みを憶えて、捕まえて喰らいついていた騎士を手放した。
見れば、足の一本が完全に折れている。もげかけていると言った方が良いかも知れない。まだ七本の足があるので倒れるようなことはないが、久しぶりに感じた痛みに顔を顰めた。
むしろ驚きの方が大きいかも知れない。
ディエナが封印される前、シロウたち一行以外からまともにダメージを受けたことが無かったからだ。
「やりおる。レイヴン、気を付けよ」
「……」
黙して語らぬレイヴンだったが、前身を包む鎧をガチャガチャと揺らして大きく頷き、手に持った長いランスを二度、三度と突き出した。
悲鳴が立て続けに響き、さらに引き寄せるようにして振り上げたランスが、飛来する火魔法の一撃を弾き飛ばした。
多少バランスを崩したものの、レイヴンは騎乗する左手に繋がった鎖を引き寄せて持ちこたえる。
「流石。やりおる」
ディエナ様のためにも負けてはおれぬ、とハーバードはぶらぶらと邪魔な足を自ら千切り、目の前にいる槍騎士の一団へと投げつけた。
血反吐を吐いて吹き飛ぶ槍騎士を見ていた別の騎士は、ハーバードが突き出した数本の足に鎧ごと腹を貫かれた。
そのまま騎士の身体を持ち上げ、振り回して敵集団を蹴散らす。
ジュノーも地面に伏せてガサガサと騎士たちが集まるところまで潜り込むように進むと、周囲に並んだ足から無差別に噛み千切っていく。
立てなくなった騎士たちは味方に後送されていく者もいるが、多くはジュノーの餌食になるのを待つばかりになった。
こうして、待ち構えていた騎士たちが戦っている間に、ジュノーが現れた方と反対側から、スクアエとディエナ、そしてシロウが教会へと踏み込む。
戦いの混乱を狙ったうえ、見た目は普通の人間である彼女たちを止める者はいない。
支部の構造については不明だが、マリィの遺体が安置されている場所の候補として、とにかく奥を目指していく。
最奥に、少なくとも何かしらのヒントはあるだろうと踏んでのことだが、その前に建物内で警備をしていた騎士隊とぶつかる。
「お前ら……民間人が何故ここにいる!」
「ん、もうっ! シロウ、ディエナ様と一緒に先へ言って!」
「だが……」
「あなたじゃないとマリィの資料かどうかわからないでしょ? あたしが道を作るから!」
「……すまん、恩に着る!」
「スクアエ、頑張ってね!」
「お任せください!」
先を急ごうとするシロウたちへと手を伸ばそうとした騎士は、瞬時に自分の左手が鎧ごと氷漬けにされて動きを止めた。
「う、うわああ!?」
一瞬で冷凍されてしまったことへの驚きにわずかに遅れて、冷たさではなく痛みを感じ始める。
その直後には、彼は全身を氷漬けにされてしまった。
「ディエナ様は私が守るわ。指一本触れさせない」
いつの間にかモンスター“アイシーメイデン”としての姿へと変わったスクアエは、通路は床も壁も氷が張り詰めるほどに温度を下げた。
寒い場所であればより力を発揮する。そのうえ、寒さを自ら作り出せる。
まともに遭遇すれば即座に凍らされるのが運命だと言われる彼女は、強い。
それでも、抵抗するための魔道具を持っているのか、凍った床に踏ん張り、かろうじてだが攻撃を繰り出してくる騎士たちもいる。
廊下にわらわらと姿を現した騎士たちの中には魔法が使える者も多いようで、スクアエの氷を解かすかのような業火を放つ者もいた。
建物内だというのに、その攻撃には容赦がない。
「暑いわね、もう!」
スクアエはディエナが昨夜言っていた言葉を思い出していた。魔法が進歩して、自分でも危ないかも知れない、と。
ディエナが厳しいのであれば、スクアエにとっては致命傷になりかねない。
現に彼女の冷気に対抗しうる業火の魔法が立て続けに放たれていた。
それでも、彼女はこの通路で騎士たちを足止めせねばならない。主であるディエナのため、彼女から貰った命を、彼女のために使い切るのであれば、スクアエは最高に幸せだった。
☆
建物を駆けまわっていたシロウは、一人で歩いていた騎士の姿を見かけて素早く飛び掛かった。
メットごと首を極めているというのに、金属の軋みを響かせながら確実に息苦しくなっていることに、騎士は恐怖した。
「ひっ!?」
「声を上げるな。ゆっくりと答えろ。マリィの遺品と遺体はどこにある? 正直に言えば命までは取らぬ」
「う、あ、あっちの廊下を曲がった、奥の資料室に……」
「そうか。では眠っておれ」
ぐい、とシロウが軽く腕に力を入れると、首を絞められていた騎士はあっさりと意識を手放した。
「殺さないの?」
「約束したからな」
「でも……」
騎士が指示した場所へと駆けこんだディエナは、目の前に広がる光景を確認して、シロウへと笑みを向けた。
廊下を曲がった先には、待ち構えていたかのように槍騎士たちがずらりと並び、後方には詠唱を行っている魔法騎士たちが肩を並べていた。
「罠だったみたいだけど?」
「後で見つけてしっかりと始末しておく。行くぞ!」
「任せて!」
ディエナの魔法は、自分の存在を形作る魂の力を切り分けて使っているようなもので、属性など無く、詠唱も必要ない。
魔法の出鼻を潰された騎士たちは、そのまま激しい衝撃に撃たれて地面を転がる。属性を持たないディエナの魔法は純粋な破壊力として騎士たちの肉体を叩き潰していく。
そして前衛である槍騎士達には、純粋な暴力としてシロウが突っ込んだ。
槍の穂先がかすめていく。
風を切る音が耳元を通り過ぎても、シロウは意識を目の前の敵から逸らさない。
まず一人。
床を叩き割らんばかりの踏み込みと同時に心臓へ向けてまっすぐに拳を撃ちぬく。
「がっ……」
悲鳴では無く、衝撃を受けて口から洩れた空気の音だった。
鎧が潰れる程の威力がある突きをうけた騎士は、一撃で心臓を叩き潰されて絶命している。
殴るという行為が、シロウの怒りを、その激しさをそのまま叩きつけるための破壊力に変わって騎士達を叩きのめす。
大人数で一人を囲む、圧倒的有利な体制にありながら騎士たちだけが一方的に殺されていく。
槍の穂先は悉く切断され、鎧は意味を成さない。むしろ逃走には重りとなり、逃げだそうとしても背後から一瞬でシロウに追いつかれた。
「ごぶぅっ!」
「いぎっ!?」
悲鳴が響く中、シロウはふと違和感に気付いた。
魔法がまるで飛んでこないのだ。
この世界の戦闘では、遠距離からの魔法による援護を受けての直接攻撃が一般的で、部隊構成から見て、それは今も変わらない筈だった。
シロウが視線を向けると、魔法騎士たちは他の剣を持つ騎士達に守られて何かを懸命に唱えていた。
「ディエナ!」
「わかってる! でも、あの魔道具が厄介なのよ!」
「……あれか!」
ディエナの魔法が放たれたが、剣騎士達が持っている何かの魔道具によって掻き消されているらしい。
自分の時にはそんな便利なものは無かったが、とシロウは魔法の進歩に驚きながらも、ディエナが指差す方向へと向かった。
そしてすぐに、彼らの中の数人が手にしているものに気付く。
シロウが魔道具を狙っていると察した騎士たちは、盾を持った者たちが前に出て通路をふさいで防戦に徹する体勢を整えた。
しかし、それはシロウにとってはまるで意味を成さない。
「馬鹿め。俺のことを知らぬと見える」
教団のどの連中までシロウのことを知らされているかはわからないが、少なくとも目の前にいる騎士たちは知らないようだ。
シロウの特性と、その威力を。
「……あっ」
盾を構える騎士の誰かが呟いた。
その直後には、ずらりと並んだ騎士たちが盾ごと上下に切断され、血肉を巻き散らしながら通路へと倒れている。
何が起きたか飲み込めなかった魔法騎士たちは、天井まで達した血しぶきが滴となって落ちる中に、シロウの姿を見た。
「も、モンスター……?」
「馬鹿な。あんな奴、聞いたことも無いぞ!」
「好きに呼べ。俺はもう、人間は辞めた」
両腕の前腕から、匂い立つような刃紋を見せる見事な大太刀が伸びていた。
二刀とも血肉を断ち割ったことを示すかのようにべっとりと血に塗れ、したたる液体は血振りと共に壁へと叩きつけられる。
魔道具も同時に切り裂かれたようで、両手ごと魔道具を喪った騎士達も血の海に倒れてもがいていた。
「さっすが!」
「やれ、ディエナ!」
声を張り上げたシロウの左右を、激しい圧力が駆け抜ける。
直後には、魔法兵士達は鎧ごと壁に押し付けられ、水袋を叩きつけたような音を響かせて単なる肉塊へと変わった。
「相変わらず、恐ろしい威力だ」
「右半身を叩き潰したのに、すぐに起き上がって反撃した人の台詞じゃないわね」
「そうだったか?」
「そうだったわ」
ベタベタとした血だまりを踏みつけた二人は、蹴り破る様にして奥の部屋へと突入した。
そこには、数名の騎士達に囲まれたエイミィの姿があった。
「敵襲!?」
「もうこんなところまで……」
剣を抜きながら吠えた二人の騎士に向けて、ディエナは問答無用で魔法を撃ちこもうとした、しかし、思ったように魂の力が使えない。
それどころか、全身から力が抜けていくような感覚に襲われ、眩暈に耐えかねて膝を突いた。
「し、シロウ……」
恐らくは何かの魔道具のせいだろう。
チラつく視界の中でシロウを見上げたディエナは、彼が呆然としているのを見た。
「ま、マリィ……?」
「私は聖女マリィ様の子孫、エイミィ・クナートルです。……あなたが、本当の勇者シロウ様ですね?」
「俺を知っているのか?」
「これを見て、多少は……」
騎士に危険だと言われながらも、エイミィは一歩踏み出して紐で綴じられた一冊の本を見せた。
彼女は、祖父の言葉を聞いてここで邪神を待つ間に、遺品の中からその本を見つけて、今までに多少目を通していたらしい。
「これは聖女様が遺されたものです。ここに、あなたのことが、真実は聖女マリィ様のご活躍ではなく、勇者による世界の救済であったことが記されていました」
「それを見せてもらおう。俺には真実を知る権利があるはずだ」
「そうかも知れませんが……あなたはすでに邪神の仲間です。ここに来るまでに多くの騎士を殺し、さらに邪神は私の祖父も……」
「お前の祖父を殺したのはお前たち騎士の攻撃に因るものだ!」
「信用できません! 邪神に迎合することで生き返った者のことなど!」
激高したエイミィは片手で持てる程度の、小さな壺を取り出した。
裏切ったのは教団が先だ、と言いかけたシロウに向けて、エイミィは壺を向けながら一言だけ呟いた。
「封じます」
「ぬあっ!?」
強烈な引力に引かれるような感覚がシロウを襲った。
確かに床に立っているというのに、壺がある方へと全身が引きはがされるような、力だけで抗うのは難しいほどの圧力が。
床に足を食い込ませ、辛うじて耐えているシロウに向かって、じりじりと騎士たちが迫ってくる。攻撃を加えて弱らせようというつもりだろう。
「……シロウ。ちょっとだけお願いしていいかな」
「ディエナ?」
部屋の影響を受けて脂汗をかいていたディエナは、シロウに向けて苦しそうな笑みを見せた。
彼女に対しては封印の力は働いていないようだが、いずれにせよかなり弱っているのが顔色だけでもわかる。
美しい白い肌は青褪め、澄んだ青い瞳が苦しみに揺れていた。
「わたしがあの魔道具を使えなくするから……今度は、あなたがわたしを復活させてくれる?」
「何をする気だ?」
「発動したことであの魔道具の仕組みが大体わかったから、その対策をするのよ。言葉で説明するのは難しいわね」
「……危険じゃないんだな? なら、任せておけ。俺はそれくらいの義理は果たす」
「義理じゃ嫌。わたしが必要だと言って」
こんな時に、とシロウはディエナのマイペースさに苦笑しながら、彼女を封印した時のことを思い出していた。
彼女は敵だった。そのはずだが、今ではシロウにとっては恩人であり、自分へとまっすぐ好意を寄せている相手だ。
それはあの時と同じで、シロウはあの時、彼女の言葉を聞く耳を持たずに封印したのだ。
「……認める。俺にはお前が必要だ。でなければ、真実はわからない」
「半分合格。じゃあ、お願いね」
ディエナは立ち上がったかと思うと、シロウへ向けて突き出された剣から彼を庇う様にして向かい合う。
鋭い切っ先が、ディエナの細い背中へといくつも突き刺さる。
胸や腹から切っ先をのぞかせながら、それでもディエナは笑みを浮かべていた。
「ディエナ!?」
「待っているわ、シロウ」
一瞬の口づけ。
ディエナがシロウの頬を掴んだ手は、唇が触れると同時に彼女の身体ごと離れていく。
「くっ!」
シロウが伸ばした手は、僅かにディエナに届かない。
そのまま、ディエナの身体はまるで濁流に流されていくかのようにエイミィが持つ壺へと吸い込まれていく。
彼女は、シロウの身代わりに封印の魔道具へと身を任せたのだ。
しかし、彼女はただ犠牲になったわけでは無かった。
「これは、わたしだけで定員オーバーってことで」
「ああっ!?」
魔道具へと吸い込まれる瞬間、ディエナは自分の身体に刺さっていた剣を壺へと叩きつけ、完全に破壊した。
想定外の相手に、しかも魔道具を破壊されるという状況に陥ってエイミィは慌てて魔道具を抱えようとした。
しかし、崩れた壺を全て抱えていられず、ボロボロと崩れていくパーツを指の間から零していく。
「これで、もう使えない……」
そう言い残し、ディエナが吸い込まれたのは壺の中に固定されていたこぶし大の宝石だった。
彼女の瞳と同じように青く輝く宝石をエイミィの手が拾う前に、シロウの手が奪い取る。同時に、エイミィが片手に握っていたマリィの遺稿も掴み取った。
「あっ!」
「ディエナの復活方法を教えろ!」
「そんなものあるわけないじゃない! 封印して二度と復活させないための、聖女様の研究成果なのに!」
「貴様!」
頭に血が上ったシロウは、思い切りエイミィの顔に拳を叩き込もうとした。
しかし、その直前に何者かが噴霧した煙が部屋に充満する。
「ちぃっ!」
一瞬だけ戸惑ったシロウが改めて拳を振るうが、すでにエイミィの姿は無かった。
そして、煙が収まったとき、部屋に残っていたのは本とディエナを封印した宝石を抱えたシロウのみだった。
「逃げられたか……」
手元に残った宝石と本へと視線を落としたシロウは、自分がいながらディエナを再び封印されてしまったことに、マリィと瓜二つというだけで最初に攻撃するのを躊躇ってしまった自分の失態に吠えた。
そして、傷を負いながらも駆け付けたスクアエは、シロウの短い言葉で状況を察してすぐに彼を殴りつけた。
二度三度とスクアエが拳を振るう間、シロウはただ、その痛みを受け入れている。
こうしてシロウたちのテーゲン支部襲撃は一応の目的を果たしたものの、残った者たちは暗い表情で町を離れざるを得ない結果となった。