9.それぞれの不安
「ちょっとまずいかも」
エイミィ一行を襲撃した後、シロウたちは街道を外れた森の中でひっそりと野宿をしていた。町の宿は手配が回っている可能性があり、面倒だろうと判断したのだ。
簡単な食事を済ませて、焚火を囲んでいる時にディエナがぽつりと呟く。
それを聞いたのはスクアエとジュノー、そしてシロウの三人で、他のモンスターたちは歩哨として周囲の警戒を行っていた。最上級のモンスターが二体歩き回っているだけで、知能があるモンスターはまず寄ってこないのだが。
「思ったより、魔法が進歩しているのよ。この前の宿で殴られた時も、弱っていたとはいえ、あそこまでくらくらしちゃうなんて思わなかったし」
「しかし、日中の戦闘ではディエナ様は以前のように戦っておられたではありませんか」
「充分な魂の力があって、それに相手は雑兵に等しい連中よ。それでも、最初に受けたあの一撃は馬鹿にできないわ」
ディエナは自分がシロウと戦っていた頃に比べ、魔法の威力が随分と上がっていることに気づいた、と正直に吐露した。
宿の中で聖騎士たちが使っていた“魔道具”が、もし対ディエナ用に特化して作られていたならば、もっと重大なダメージを負っていたかも知れない。
「まあ、それでもわたしの方がずっと強いのだけれど」
「しかし油断はできないな。しばらくはモンスターたちを復活させるのは控えた方が良いのではないか?」
「駄目よ」
シロウの言葉に、ディエナは明確に拒否の意思を見せた。
それは彼女の信念からの言葉だ。
「ジュノーやスクアエを最初に復活させたのは仲が良かったからで、他の子たちがどうでもいいってわけじゃないもの」
「ディエナ様……」
「シロウ。貴方と戦ったときに一度は死んだ子たちが、復活するのは嫌?」
「俺に選択する権利は無い。……だが、そうだな」
ディエナが不安そうな目を向けてきて、隣にいるスクアエはプレッシャーをかけるように睨んでいる。ジュノーは微笑みを浮かべたままで、その心理は読めない。
シロウは目を逸らそうとしたが、考えを改めてディエナと視線を絡めた。
「ぜひ、復活させて欲しいものだ。教団の話を信じ込み、俺は連中とは命のやりとりをした。だが、今ならば落ち着いて話もできる。それに……」
握りしめたシロウの右腕。その前腕から無数の刃が飛び出す。
「もう一番、というのであれば応じよう。それで遺恨が晴れるなら、それから話をすれば良い」
「あら、素敵。それなら、わたくしももう一度やり直したいくらい。わたくしの相手は、あの男だったけれど」
「グロックか……」
ジュノーが指す“あの男”は、グロックという名前の戦士だった。この世界でできたシロウの親友であり、邪神の城へと踏み込む際に道を作るためモンスターの足止め役を引き受けた男だ。
邪神との戦闘後、帰りの途上シロウとマリィは彼の姿を探したが、ついに見つけられなかった。
恐らくはモンスターとの戦闘で死亡し、死体は喰われてしまったのだろう。
「あの男も、良い武人だった」
「……じゃあ、あたしとも戦うつもり?」
「その意志が無い相手と戦うわけがないだろう。それとも、まだ俺に対して遺恨があるか?」
「ないわよ。あたしが弱かったのは理解しているし、今でも勝てないのはわかっているもの。許せないのは、あんたじゃなくて弱かったあたし自身だから」
「そうか……」
スクアエに微笑んで見せたシロウは、改めてディエナへと向き直った。
彼はもう、モンスターに対して隔意は無い。むしろ今は知るべきだと思っている。
「手下の数を揃えるのも良いが、自らの身を守れる程度には力を残しておかねばなるまい」
「わたしの心配をしてくれるのね。でも駄目よ。わたしのために命を賭して戦ってくれた彼らのために、できることをしなくちゃ」
しかしディエナは自分の我儘でシロウに頼み込んで同行している状況に過ぎない。スクアエたちをそれに突き合わせているのも心苦しいが、彼女たちが自発的にやっていることをやめろとは言えない。
対して、シロウの方もディエナに対して恩がある。それこそ、命に代えても返さねばならぬ恩が。
「好きなようにしてくれ。俺も好きなようにする」
「じゃあ、わたしはわたしのやり方であなたを手助けするわ」
「ああ。俺も俺のやり方でやる」
ディエナは言葉の後に、「そして全てが終わったら……」と続けようとして、口を閉ざした。
シロウはまだ、マリィの思い出に囚われているようにディエナには見えていた。無理に自分の好意を押し付けてもシロウは逃げてしまうかも知れない。
不安が、ディエナの言葉を押さえ込む。
「それじゃ、今晩はやすみましょう。それから、目指すはテーゲン支部ね」
「ああ。では、今度は俺が歩哨に立つ。連中に休むように言うと良い」
「え、でもシロウも休んでおかないと……」
「明け方に少し眠れば充分だ」
シロウはディエナの言葉を遮り、焚火の前から離れた。
実のところ、彼はディエナの気持ちを分かっていた。これまで数日間行動を共にしていたことで、彼女が言っていた「シロウを伴侶に」の言葉が真剣であることを。
まだ真正面からその気持ちを受け止めるほど、気持ちの整理がついているわけでは無い。
「迷っておいでのようだ」
「……ウォーカー。いや、ハーバードという名前があったのだな」
「憶えていてくれたか」
一人、ゆっくりと周囲を見回しながら森の中を歩いていたシロウに声をかけたものがいる。
顔を上げると、背後に上下が逆さまになった人の顔。
先日の戦闘前に復活したモンスターの一人、ハーバードだった。
逆さまになった僧の腰から伸びる四対の蜘蛛の足。全体は人間の数倍のサイズだが、視線はシロウと並ぶという奇妙な格好になる。
「あの時……拙僧を惨殺した時には全くの無我の境地であったはず。しかし今のお主はまるで落ち着きが無い。新兵の如き迷い。それほどに復活は嫌だったか?」
「ふ、見た目通りに坊主のようなことを言う」
「坊主? はて、初めて聞いたが、どこか懐かしい響き……拙僧も以前は人間であった……らしい。あまりに時代が経ちすぎて忘れてしまったが、あるいは拙僧も……いや、今や詮無きことよ」
ハーバードはにたりと笑う。
見た目は単なる坊主頭の青年だが、その刃は鋭い。
シロウもつられて笑った。
「過去のこと、か」
「然様。過去のことよりも今この時のことを考えよ。すでに終わったことをどういう言ったところで何も戻らぬ。むしろこの瞬間を無為に過ごすに等しい」
「過去を知らねば、未来は見えぬ」
「見ようとしないだけではないか?」
見通すような目をしたハーバードは、シロウを見据えていた目を閉じた。
「しかし、過去を清算せねば未来への足枷となるのもまた道理。……そのためにディエナ様が力を尽くしていること、それだけは忘れて欲しくないものだ」
「……肝に銘じておく。それにしても見事な気配の隠し方だな。近くに寄られるまで、まるで気が付かなかった」
「無我の境地。……言うて人には難しいことよな」
「なら問題は無いな」
シロウは肩をすくめた。
「俺ももう、尋常な人ではない」
☆
静まり返ったテーゲンの町に、人はほとんど残っていない。
早暁ではあるが、理由はアスカリア教団による避難誘導の結果によるものだ。
普段は早朝から買い物客で賑わう商店通りも、人々が集い、噂話に花を咲かせる井戸端も、人の姿は無い。
唯一、教団支部の周辺だけが人でごった返していた。
その全てが教団に所属する聖騎士だ。槍や剣を持った騎士たちも多いが、半数は魔道具や杖などを持った魔法騎士で構成されている。
「奇襲で来るとすれば、深夜あるいは早朝です。早くに起こしてしまい、申し訳ありませんが……」
「構いません。私は戦闘については素人ですので、ザガン様の指示に従います」
「ありがとうございます。ですが、例の封印装置については……」
「お任せください。必ず、やり遂げて見せます」
持ち場に戻ると言って、エイミィはザガンに一礼して教会の中へと消えていった。彼女に付き従う騎士たちだけでも百名近い。
他に数百名の騎士たちが教会の周囲を固めている。
ザガンは持ち場についた騎士たちに気を抜かないようにと注意すると、自らも室内へと向かった。
切り札ともいうべき魔道具を使うために待機するエイミィとは違い、彼は後方から指揮するため、仮の指令本部へと待機しなくてはならない。
「なるべく、早目の登場を願いたいものだな」
「は? 邪神の……敵の登場を、ですか?」
デスクに軽く腰かけ、編成表が書かれた書類を手に取りながら呟いたザガンの言葉に、紅茶を用意した侍従が驚いて聞き返した。
邪神が登場すれば、被害は少なくないことを彼も知っているのだ。
だというのに、ザガンはまるで敵の登場を待ち望んでいるかの様な言葉を吐く。
「い、些か問題のある発言では?」
「何を言っている。敵がいて、探す手間も省けるうえに、民衆に与える被害も最小限で済む。さらに言えばエイミィ様の聖女としての実力を示すこともできる」
それのどこが問題だ、とザガンは問い返し、砂糖のポットから紅茶へとスプーンを三度ほど往復させ、カップに口を付けた。
砂糖は貴重品ではあるが、ザガンほどの地位にあればそれほど不自由しない。特に甘党の彼は移動時には壺一杯分の砂糖を必ず荷物に加えている。
精製が荒くやや舌に残る雑味もあるが、それでも紅茶の味を引き立てる甘み……いや、甘みを引き立てる紅茶の香りに満足してカップを置く。
「連中は少数だったという。あるいはモンスターを集めて攻めてくる可能性はあるが、上位モンスターが多少増えたところで、騎士団がまとまって戦えばそれほどの脅威ではない。問題は……」
「邪神、ですか?」
「違うな。これ以上はお前が知って良い範囲ではない。下がっていろ」
侍従を部屋から追い出したザガンは、デスクへと座り直し、頑丈な板面に肘を突いた。重厚なデスクであり、彼に似合っているが、この支部の支部長が使っているものだ。今回は彼が支部長室を本部としたため、彼が利用している。
贅沢なデスクだ、と板面を撫で、ザガンはくるりと部屋を見回し、ため息を吐く。
「問題はシロウという男だ……邪神ではなく、勇者であったはずの男だと?」
シロウは今まで自分が知らされていた内容に欺瞞情報が多分に含まれていたことにいら立ちを憶えると共に、知らされるタイミングが遅すぎると歯噛みしていた。
邪神への対策はできているが、果たしてその“元勇者”がどれほどの使い手であるのかがわからない。
エイミィは邪神の姿は良く憶えていたが、話に出ており、前衛部隊と戦っていたということしか知らない。戦い方も、姿形もわかっていない。
「……場合によっては、エイミィも捨てるか」
あっさりと言ってのけるあたり、ザガンの求めるものがエイミィの血統と立場であり、彼女自身ではないのが明白だった。
それをザガンは自覚している。
しかし、女性を騙して悪いとは感じていない。というより、騙しているつもりは無い。彼と共にいれば幸福な一生を過ごせるように気遣う程度のことはしてやるつもりだった。
むしろ、平民の生まれである自分のために、生まれと才能だけで不自由なく生活できて、それどころか多くの人々に傅かれる立場であることを、もっと自覚して欲しいとも思っていた。
だが、それを責めたところでエイミィには通じないだろう。彼女が見て来た平民は、皆が熱心な信者ばかりであり、彼らが自分たちの生活の苦しさを吐露するところなど見たことも無いのだ。
「純粋で良い。余計なことを知って、不幸になるよりは、知らぬまま、当然のように幸福をむさぼって生きていけば良いのだ。ただし、俺のコントロールを前提に」
教会は決して腐敗しているわけでは無い。
どこの国の為政者も、王の考え一つで法が変わり、民衆たちは重い税のために苦しんでいる。救いの手を差し伸べているのは教団であり、そういう意味では各国の王族や貴族よりは清廉であると言える。
だが、だからと言って政治的な争いが無いわけでは無い。
軍事力を持つ部門と布教活動を行う部門は本来二人三脚でなければならないはずが、イニシアチブを取り合うために水面下で何かとぶつかり合っており、人事権を持つ部門はその動きが自分たちの利になるようにコントロールを計る。
教長への影響を強めようと多くの者たちが献上品を掻き集め、次期教長候補であるエイミィやザガンに対しても、多くの袖の下が集まる。
ザガンはそれを悪いとは思っていない。
欲しいのであれば得られる場所まで登ってくれば良い。それができないのに不平不満を言っているような輩を彼は心底見下している。
下位の者たちを嫌っているわけでは無い。自分の特性と能力を把握し、与えられた役割をそつなくこなしているのであれば、むしろ好意すら覚える。
だが、自らを高める努力すらせず、ただ若くして地位を得たという表面の出来事だけで彼を羨み、恨み言を言うような輩は問題外だ。
「……始まったか!」
考えにふけっていると、突然表の方から騎士たちの叫び声が聞こえて来た。
ザガンが立ち上がると、侍従が飛び込むようにして部屋へと入って来た。
「敵襲です!」
「聞こえている。真正面から馬鹿正直に来たのか……襲撃者の中に邪神はいるか?」
「わかりません! ですが、大型のモンスターが数体、騎士たちと交戦中です!」
「なんだと? 男は、人間の男はいるのか!」
「確認できていません!」
何も確認できていないではないか、と怒鳴りつけたいのを必死で押さえ、ザガンは騎士たちにあまり建物から離れず、支部の塀や壁を利用して戦うようにと命じた。
そして、傍らに置いていたマントを羽織り、足早に指令室を出る。
「すぐに建物正面へ戻って、敵の内容を詳しく観察して司令本部まで報告に戻れ。それと、裏を守る連中にはつられて正面に出ることが無いよう改めて厳命しておけ」
「ザガン様はどちらへ?」
「聖女様へ連絡に行く。戦いが始まったことを知らせ、準備を始めていただかねばならん」
ザガンが不安視していた一番厄介なパターンは、面が割れていない元勇者が人間のふりをして―――という言い方も妙だが―――教会へと入ってくることだ。
そしてもう一つ不安がある。
果たして、邪神に通用する魔道具や魔法が、元勇者にも通用するのだろうかと。