第六話 セレンティーヌ
「バルド・・・」
ゼンは、目を見開き、唇を震わせた。
「ゼン・・・」
バルドが口を開く。すると、アニーにも気づいたらしい。アニーを見た瞬間、その瞳に沈痛の色が宿った。
それを見た瞬間、ゼンの中で何かが弾けた。
「近寄るな!!」
ゼンは、アニーを守るように覆いかぶさり、バルドを睨みつけた。
ゼンの中にあったバルドに対する好奇心も、憧れも粉々に砕け散っていた。
あるのは、バルドを招いた自分自身に対する怒りと、バルド自身に対する怒り、そして、母も村の皆を殺すよう命じたヨナに対する怒りだった。
その三つの怒りが、バルドを見た瞬間、膨れ上がった。怒りは彼を責める言葉となり、叫びとなって溢れ出た。その責めは、バルドだけのものではないと頭の片隅で分かっていたが、それは明確な形になることなく掻き消えた。それを認めてしまえば、立ち上がることすらできなくなるだろうとゼンは気づいていた。
「あんたが、・・・あんたがこの村に来なければ、こんな事にはならなかった!!母さんもアニーも、村の皆も死ぬことはなかったんだ!!」
「・・・お前、知っていたのか?」
目を見張るバルドに、ゼンは噛みつくように畳みかけた。
「あぁ!兵士が言うのを聞いた!王族殺しと関わったから皆殺しだって!!お前のせいだ!!お前がみんなを殺したんだ!!」
一息に言葉を吐き出し、ゼンは、荒く息をつく。バルドは、痛みをこらえるような表情を浮かべながら、目を閉じる。そして、目を開き、口を開いた。
「・・・そうだな。こんなことになったのは、俺の甘さが原因だ。謝って済む問題でもないが、すまなかった」
草原に膝をつき、バルドは頭を下げた。その行動は、ゼンの神経を逆撫でした。
「そんな、謝ったって、みんなは・・・。母さんも、アニーも帰ってこない!!すまないと思うなら、みんなを生き返らせてみせろよ!!」
「・・・・・」
「おい、なんか言えよ!!」
何も言わないバルドに焦れたゼンの目に、彼の腰に下げた短剣が映った。
それは、ほとんど衝動だった。ゼンは、バルドの懐に潜り込み、短剣を奪った。
その短剣は、血で濡れていたとは思えぬほど太陽の光を反射して、銀色に輝いていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!!」
その鋭い切っ先を、ゼンはバルドに向けた。想像していたよりも重く、力を込めて両手で持たなければ、今にも落としてしまいそうだった。
カタカタと短剣の切っ先が揺れる。
頭を上げ、立ちあがったバルドは、静かな口調で問いかけてきた。
「それを使ってどうするつもりだ?」
短剣を盗られ、切っ先を向けられているというのに、バルドは焦りも怒りもしなかった。その何でもないという態度が、ゼンの鼻についた。
「あ、あんたを殺して、みんなの敵を討つ!」
それは、ほぼ勢いだけのものだったが、短剣の重さが自身の言葉を実感させ、ゼンは、改めて口にした。
「そうだ!ぼくはあんたを殺す!!」
『うわあぁぁぁぁぁぁ!!』と大声を上げ、ゼンはバルドに突っ込んでいった。
「・・・・・・」
だが、その切っ先がバルドに届くことはなかった。布一枚を挟んで、剣が止まっていたからだ。ゼンは、切っ先を向けたまま、固まっていた。
「どうした、刺さないのか?」
ゼンは、ギリっと奥歯を噛み締め、剣を掴む手に力を込める。
「うわあぁぁぁぁぁっ!!」
叫び、ゼンは短剣を明後日の方向に投げた。カシャンと音がし、草原に短剣が落ちた。
「ごめんっ!!みんな、ごめんっ!!」
村の皆に、母に、アニーに謝りながら、ゼンは涙を零しながら蹲った。
バルドに剣を刺そうとした時、恐怖が、ゼンの胸の中を過っていった。このまま吸い込むように刺せば、血が迸る。ゼンを襲った盗賊や、バルドを襲おうとした盗賊のように、血を溢れさせ、死んでいく。
自分の行動一つで、誰かの生き死にが決まることに、ゼンは恐怖した。それは、怒りで我を見失いかけていたゼンを引き戻すのに十分だった。
けれど、バルドに対する怒りも家族や村の皆に対する想いも消えたわけではなかった。
しかし、ほかにどうしようもなくなり、ゼンは蹲るしかなかった。
「お前は悪くない」
涙を流し、嗚咽するゼンの耳に、バルドの声が響いた。背筋を伸ばし、顔を上げれば、放り上げた短剣をバルドがしまうところだった。
「お前は何も悪くない。悪いのは、お前の誘いを断りきれなかった俺にある。だから、自分を責めるな」
その言葉で、バルドを招いた自身に対する怒りが噴出する。まるで、ゼンの心を見透かしたようなバルドの口調に、ゼンは赦されたというよりは怒りを感じた。
「お前に何がわかる!!わかったように言うな!!お前に言われたからって、みんなが戻ってくるわけじゃない!!」
そう口にして、ゼンは、怒りの度合いがバルドよりも自分に強く向いていることに気が付いた。
「どんなに謝っても、どんなに後悔しても、もう遅い!!ぼくは、一生背負っていくしかないんだ!!」
それは、いっそ胸を掻き毟りたくなるほど苦しかった。けれど、それがこの悲劇を生みだした自分への罰だとゼンは思った。
「背負うのは勝っ手だが、自分を赦せるのは自分だけだぞ」
バルドが小さく息を吐きながら、ゼンを見る。憐れむようなその表情に、ゼンは目を逸らした。
バルドは、背中に背負った長剣を抜くと、地面に突き刺し、土を掘り返し始めた。
「・・・なにしてるの?」
「アニーを埋める」
「・・・村の墓地じゃだめなの?」
「埋めた証拠が見つかれば、村に生き残りがいたと気付かれる。死にたいというなら別だが」
「・・・ぼくは、べつに・・・」
ゼンは、自分がどうしたいのか分からくなった。家族もなくし、帰る村もない。バルドへの怒りも先ほどより薄れ、ただ重苦しい後悔と罪悪感だけが胸にある。
『死んでも』と口の中で呟いたその時、鋭いバルドの瞳とかち合った。
「一生背負っていくと言ったその口で、今度は死を願うのか?勝手だな」
吐き捨て、見損なったというような眼差しを向けるバルドに、ゼンは思わず眉を寄せた。
「あんたは違うっていうのか?」
強い口調で問うと、バルドは大きく頷いた。
「あぁ、俺にはやることがある。たとえ、人を殺そうと悲劇に見舞われようと、全部背負って生きていく。たとえ血反吐を吐こうが、生き抜いて、俺は俺の目的を必ずやり遂げてみせる」
瞳に力強い光を宿し、言いきったバルドは、土を掘り返す作業を再開させた。
有無をいわさないバルドに圧倒され、ゼンは茫然と彼を見つめた。
自分のことしか見ていない発言にもとれるが、その生き抜こうとする意思はゼンの心を微かに揺らした。
(そうだ。ぼくは、まだバルドを許したわけじゃない・・・)
それは、ヨナに対しても同様だった。けれど、彼らの命を奪うなど、ゼンにはできない。これからも、誰かの命を奪うことなどできないだろう。けれど、自分にしかできない方法はある。
「・・・バルド」
「なんだ?」
「ぼくは、あんたを許さない。だから、あんたが死ぬまで貼りついて、あんたのやることを見届けてやる」
「・・・そうか。勝手にしろ」
否定も肯定もせず、バルドは突き放すように言った。
「うん、勝手にする」
ゼンは、小さく頷き、しゃがみこむ。そして、バルドと一緒に土を掘り返していった。
アニーを埋め終えたバルドとゼンは、森を抜け、イニオ村に戻った。
村には遺体がひしめき、こげ臭い臭いが鼻につく。村人の談笑する声や、子供たちの笑い声が響いていたかつての村の面影はすでになかった。
涙を零しながら、ゼンはバルドの後をついていく。
母・フローラと村の皆に、埋葬することができないことを詫びながら、ゼンはただ歩いた。
村の出入り口が見えてきたその時、ゼンは振り返り、自分を育ててくれた故郷に、決意と秘め、別れを告げた。
(いつか必ず帰ってくる。それまで・・・)
「さよなら・・・」
後をついていくゼンの気配を感じながら、バルドは小さく息をついた。
ゼンが短剣を向けた時、バルドは刺される覚悟をしていた。だが、ゼンは自らの意思で止めた。おそらく恐怖を覚えたのだろうが、それでよかったとバルドは思った。
まだ幼い子供が、血にまみれ、復讐に燃えるところなど見たくはなかった。
意図せず、連れができたが、それでもバルドの目的は変わらない。王都へ行き、宰相、ルベリウスを殺す。それがバルドの目的だった。
(ルベリウス、俺はお前を許さない!!マーク、ガリオン、アイシャ、スレイ。あいつらを裏切り、セレンを殺したお前を!!)
※※※※※
王都イルナーンは、夜の帳に落ちていた。イルナーンの中心には、王宮があり、そこには宰相の住む屋敷がある。その屋敷のバルコニーから澄んだ歌声が聞こえてきた。
その歌声の主は、薄紫色のドレスを着た女性だった。背は小人族にあるように低かったが、その顔立ちは二十代の女性だった。褐色の肌が月夜に映え、黒色の長い髪が風に揺れている。
「セレン、セレンティーヌ」
セレンティーヌと呼ばれ、女性は振り返る。
室内に灯るランプの明かりに浮かび上がって現れたのは、一人の男だった。白を基調とし、青い線のはいったローブを身に纏っている。その瞳は、竜族を示す赤だった。
「ルベリウス」
セレンティーヌの胡桃色の瞳が、驚いたように見開かれた。
「邪魔をしたくなかったんだけどね。春が近づいているとはいえ、夜はまだ寒い。早く入った方がいい」
思いやるその言葉に、セレンティーヌは微笑んだ。
「ありがとう」
ルベリウスに促され、セレンティーヌは部屋に入った。
部屋には暖炉が赤々と燃え、美しい装飾の施された絨毯と、ハシバミ色やモスグリーンなど落ち着いた色合いで統一された室内を温かく照らす。
この屋敷に住むようになって三年が経つが、いつも気持ちが落ち着かない。どこか場違いな感覚が消えないのだ。
セレンティーヌは、上等なビロードに覆われたソファに座る。
「紅茶、飲むかい?」
ルベリウスが白の陶器―ポットから紅茶を注ぎ、カップに注ぐ。渡されたセレンティーヌは、礼を言って受け取った。
桃色の花―ルルイエをあしらった白いティーカップから、じんわりとした温もりを感じる。思っていたより、自分の体が冷えていることにセレンティーヌは気づいた。
紅茶を一口飲む。ほのかな甘さと渋みが口の中に広がり、セレンティーヌは、ほうっと息をついた。
ふと、ルベリウスの方を見れば、優しい眼差しでセレンティーヌを見ていた。
それに気恥ずかしさを感じながら、セレンティーヌは口を開いた。
「会議の方は大丈夫だったの?」
今日の議題は、フォーネロ中にある娼館、そこに住んでいる人々の環境改善と地位の向上についてだった。
「まぁ、表だって反対はしてこなかったけど、彼らの目がね、言ってた。たかが娼婦、男娼、その他もろもろのそこで働く輩に、どうして我らが配慮しなければならないのかってね」
ルベリウスが肩をすくめる。
「そう・・・」
周りの予想通りの反応に、セレンティーヌは重々しく頷いた。
ルベリウスは宰相として即位してから、長人族、小人族、人間の地位向上を目指すために邁進していた。
それは、三年前の反乱に端を発する。長人族、小人族、人間が入り乱れ、起きたこの反乱により、竜族たちは、圧倒的に数の多い彼らを力で従わせるよりも、待遇を良くし、味方に引き入れた方が良いと判断したのだ。
かつては竜族のみだった王都の騎士団は、人間、長人、小人が入り、各地の村、町、都市に駐在し、所属する場所の治安に務めている。
それでも、竜族の三種族に対する偏見や差別の目、三種族の竜族に対する憎悪がなくなったわけではない。
三年前より以前の記憶をなくしているセレンティーヌでも、ルベリウスの屋敷の使用人から注がれる好奇の視線、舞踏会などで突き刺さる竜族の視線を感じ取り、居心地の悪い思いをしていた。
記憶のない自分を小人族として見下すことなく、保護し、守ってくれたルベリウスには感謝してもしきれない。
「ねぇ、ルベリウス」
「ん?」
ルベリウスのために何かをしたい。小人族である自分にできることは少ないだろうが、できることをやりたい。そう思った。
「私に何かできることはない?」
「え?」
意外だったのか、ルベリウスの瞳が見開かれた。
「この三年間、あなたは記憶のない私を守ってくれた。小人族である私を匿うことはデメリットなはずなのに、あなたは辛いとも苦しいとも言わなかった。あなたに、たくさんのありがとうを言っても言いきれないわ。その代わりというわけではないけれど、私も何かしたいの。ねぇ、私に何かできることはない?」
ルベリウスは、にこりと優しく微笑んだ。
「君がこの屋敷にいてくれて、歌を歌ってくれたり、一緒に紅茶を飲んでくれて、話をしてくれる。舞踏会にパートナーとして出席してくれる。それだけで嬉しいよ」
「でも!私は何も知らない!あなたの話を聞いているだけで何の案も出せていない。あなたの苦しみを一緒に背負ってあげられない。それが辛いの!」
「セレン・・・」
「ルベリウス、私は・・・」
さらに言葉を紡ごうとするセレンティーヌを、ルベリウスは片手で制した。
「君の気持ちはよく分かったよ。なら、一つ、わがままをいってもいいかな?」
すると、徐にセレンティーヌの右手を恭しく取り、その瞳を真っ直ぐに見た。
「俺と結婚してください」
突然のプロポーズに、セレンティーヌは目を丸くした。
「三年前、君がこの屋敷に来てから、ずっと、ずっと好きだった。俺の思いを、願いを共に背負ってくれるのは君しかいない。俺の隣でずっと支えてほしい」
「ル、ベリウス・・・」
宰相夫人ともなれば、夫の補佐もすることもあるだろう。
王都イルナーンだけでなく、フォーネロ中の財政状況を知ることができ、フォーネロに住んでいる人々の暮らしを知ることもできるだろう。それは、ルベリウスを支えることと同じだった。
そばで支えること。それは、セレンティーヌも望むことだった。けれど。
「ルベリウス、それは・・・。私は小人族なのよ?」
いくら法を改正したとはいえ、差別と偏見は残っている。小人族の女を妻とするなど、いくら王の信頼を受けていても、重臣達が黙っていないだろう。
「種族なんて関係ない。俺は君がいいんだ」
真っ直ぐ、てらいもなく見つめてくるルベリウスに、思わずセレンティーヌは頬を染めた。
「君はどうなんだ?俺のことは嫌い?」
セレンティーヌは首を振る。
「嫌いじゃないわ」
ルベリウスは、ほっとしたように笑った。そして、どこかからかうような表情を浮かべながら、上目づかいにセレンティーヌを見つめた。
「それとも、ほかに好きな奴がいるとか?」
困ったようにセレンティーヌは笑う。
「いいえ。そんな人、いないわ・・・。知っているでしょう?」
セレンティーヌと親しい男性といえば、ルベリウスしかいない。それがわかって聞いているのだ。
「なら!」
ルベリウスは、セレンティーヌの右手をぎゅっと握り、期待に瞳を輝かせた。
けれど、セレンティーヌは首を縦に振ることができなかった。
「・・・ごめんなさい。少し、考えさせて」
セレンティーヌはルベリウスを見ていられず、目線を下げた。
「・・・わかった。ゆっくり考えて。無理強いはしたくないから」
残念そうな表情を浮かべながらも、ルベリウスは頷き、そっとセレンティーヌの右手から手を離した。
「・・・ありがとう」
ルベリウスの優しさに申し訳なく思いながら、セレンティーヌはそう言うことしかできなかった。
ルベリウスは優しい。それは、この三年間、共にしたセレンティーヌ自身が一番理解していた。
きっと結婚すれば、誰よりも大切に思ってくれるだろう。けれど、何かがセレンティーヌの胸にひっかかっていた。
ふと、胸元に下げた首飾りが目に入る。そこに下がっていたのは、三つの小さな鉄製の輪だった。
ひんやりと冷たく無機質なそれは、記憶を失い、ルベリウスの屋敷の前で倒れていた自分が唯一持っていたものだ。これに触れていると、なぜかとても安心する。
その首飾りに触れながら、セレンティーヌは思った。
(どうして私は、素直に「はい」と言えないのだろう)
そんなセレンティーヌの様子を、心の内で苦々しく思いながら、ルベリウスは見つめていた。
(まったく、記憶を無くしたとはいえ、お前の影響力は強いな。バルド)
あの首飾りは、バルドがセレンティーヌに結婚を申し込んだ時にあげたものだ。
セレンティーヌが笑顔を浮かべて受け取る様を、ルベリウスは昨日の事のように覚えている。
闘技場やその周辺に宝石などあるわけがなく、バルドは布を裂いて紐状にして、輪を通し、首飾りとしたのだ。あの輪は、バルドが常に持っていた短剣の柄に括り付けられた鎖だった。
(まぁ、いいさ。死人には一生敵わないと分かっている。焦らず、じっくりやればいいさ。あの時のように)
ルベリウスは、セレンティーヌに見えないようにほくそ笑んだ。