第五話 悲劇
武器を全て取り上げられ、手かせをつけられて、牢屋に放り込まれたバルドは、冷たい石の床に座っていた。鉄格子の窓からは、すでに日が昇り、青空が見えている。どこからか鳥の鳴き声が響いていた。
真四角に切られた石を積み上げてできた牢屋の入り口は、年季のはいった木の扉で閉じられ、上の方には開閉式の見張り窓が備え付けられていた。
バルドは、ぼんやりと扉の木目を見つめていた。
(早く王都に連れて行ってくれないかね・・・)
その時、扉の向こう側がにわかに騒がしくなった。耳を澄ましてみると、声が聞こえてくる。
バルドは立ち上がり、見張り窓を肩で押し上げた。その隙間から、四人の兵士の姿が見えた。
「リンドン隊長からのお達しだ。牢屋番は一人残し、リンドン隊長の部隊と合流し、イニオ村に向かえとのことだ」
「イニオ村?」
「あぁ、ヨナ様からの命令だ。王族殺しのバルドと共犯の罪で、村に火をかけ、一人残らず殺せと」
兵士の言葉に、バルドは目を見開いた。
自分が手配されていることは知っていた。ゼンに引き留められたとき、振り切らなかったのは、心の奥底にあった人恋しさに引きずられたからでもある。
このまま何もしなければ、確実に王都に―ルベリウスに近付けるだろう。
それは、バルドにとって願ってもいないことだった。
ここを抜け出し、イニオ村に向かったからといって、一人で何人倒せるか分からない。
下手をすれば、あの村で命を落とすことになる。それは、願い下げだった。
バルドの頭に、ゼンとフローラ、アニーの顔がちらつく。
しかし、彼らの顔が浮かんだ時点で、バルドの心は決まっていた。
(おれも、対外甘い・・・)
小さく息をつくと、バルドは見張り窓から離れた。そして、両足に力を込める。
ドンッ、ドンッ、ドカァンッ!!
盛大な音をたてて、木の扉が内側から吹き飛び、壁に激突した。
「おい、何をしている!?」
見張り番だったらしい長人族の兵士が、槍の切っ先をバルドに突きつけた。
バルドは兵士に回し蹴りを見舞い、意識を失わせた。兵士が腰に下げたいくつもの鍵から、手かせ用の鍵を探し、手かせを外す。
没収された武器とマントを身に着け、バルドは領主の館から脱出した。
兵士達の行動は、バルドが思っていたより迅速だった。
館内に出くわした兵士達を片っ端から切りながら、速力を上げてバルドがイニオ村に着いた時には、すでに全てが終わった後だった。
家々は焼け焦げ、道端には、村人の死体がいくつも転がっていた。
辺りは、鳥の声さえ聞こえず、バルドの足音が響くのみで、ぞっとするほど静かだった。
バルドは、ゼンの家がある場所へ向かった。広大な麦畑も火が回ったのか、黒く変色し、焼け野原となっていた。
ゼンの家も他の家と同様焼け焦げていた。藁の屋根は燃え落ち、石造りの壁も黒く変わっていた。
バルドは、家に近付く。すると、玄関の前に、いくつもの矢を受け、炭化した遺体が一つあった。
「・・・・・」
大きさからして、フローラだと気付く。バルドは、小さく目礼する。ティナールやヴァネッサに祈るわけではなく、ただ、その魂が平穏の野につくことを願った。
平穏の野とは、剣闘士達の間に伝えられている、全ての魂が行きつく場所のことだった。
バルドは、家の中に入った。抜け落ちた屋根には骨組みしかなく、そこから青空がのぞいている。
家の中にも火が回ったのか、テーブルや椅子などの調度品は黒く変色し、炭化していた。かろうじて、鉄製の鍋は生き残っていた。
(――いない)
寝室にも足をのばしたが、フローラ以外見当たらず、ゼンとアニーの姿はどこにもなかった。
(どこへ――)
木枠がひしゃげた窓へ近寄れば、雑草があちこちに伸び、茂っていた。そこに、不自なほど潰れた場所があり、真っ直ぐ森の方へと続いている。それは、人が踏み敷いた後にも見えた。
バルドは窓を乗り越え、森へと向かった。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
湖の見渡せる森の奥で、ゼンは涙を流し、叫んだ。
傍らには、胸元に黄色の野花を置かれ、両手を組み、目を閉じ、横たわるアニーがいた。
その顔に生気はない。
アニーの魂は、ティナールとヴァネッサの元へいってしまったのだ。
(どうしてっ!どうしてっ!どうしてっ!)
昨夜、領主の館へ連れて行かれるバルドを見送り、何もできなかった自分自身にもやもやとしたものを感じながら、家へと帰った。
母にはバルドを追いかけていったことを怒られ(ティナールとヴァネッサ、そしてルベリウスをとぼした事がよほど腹に据えかねたらしい)、しぶしぶ眠りについた。
その翌朝、朝食の準備をしていた時、突然、扉が破られた。
瞬きする間もなく、矢が飛び、母―フローラの肩に突き刺さる。
「逃げなさい!!」
フローラはゼンを突き飛ばし、雨のように降り注ぐ矢からゼンを守った。
ゼンは泣きそうになりながら、アニーを力まかせに引き寄せ、窓から外へ出た。
「二人逃げたぞ!射ろ!!」
耳元に矢が掠めるのを感じながら、アニーを抱きかかえ、ゼンは森へ走った。
木々の間を抜け、湖が見渡せる開けた場所へ出たゼンは、誰も追ってこないのを確認し、
アニーを草原に降ろした。
「アニー、お兄ちゃんは、ちょっとこの辺りの様子を見てくるから。ここでおとなしく待ってるんだ。いいね?」
「ねぇ、お母さんは?」
アニーが目をこすりながら、フローラを呼ぶ。アニーは、寝起きだったために、フローラの最期を見ていないのだ。ゼンは、口元を引き結ぶと、無理やり笑みを作った。
「母さんなら後からくるから大丈夫。いい子で待てるね」
「・・・うん」
アニーは頷いた。
木々の隙間や茂みを抜けながら、ゼンは辺りを見回した。近くに矢を持った何者かがいるかどうか確認したかったのだ。
目を走らせながら、ゼンは混乱していた。一体、何が起こっているのか。
「いたか?」
ふいに、声が聞こえ、ゼンは足を止めてノコギリ草の茂みに隠れた。目の端を向ければ、弓矢を持ち、矢筒を背負った二人の兵士がいた。
「いや、いない。この辺りにはいないんじゃないか?」
「簡単に諦めるな。村人は全員殺せという命だ」
「でもよ。ヨナ様も乱暴だよな。いくら王族殺しと関わったからって、皆殺しはないだろ」
「なら、直接ヨナ様に言えよ」
「冗談!そんな事したら、こっちの首が飛ぶ。おれはまだ命が惜しい」
二人の兵士は、そんな会話を繰り広げながら、ゼンのいる場所から離れていく。
彼らの言葉に、ゼンは血の気が引いた。
(・・・皆殺し。王族殺しと関わったから・・・)
ようするに、バルドがこの村に来たことで、母が、村の皆が殺される羽目に陥ったということか。
(なんだよ!!なんなんだよ、それは!!)
ゼンは、血が滲むほど手を握りしめた。
「アニー!」
湖へ戻ったゼンは、アニーを呼ぶ。すると、その端で倒れているアニーを見つけた。
「アニー、どうした!?」
抱き起こしたアニーの額からは汗が吹き出し、唇は真っ青になっていた。
「お兄ちゃん、すごく寒いよ・・・」
(まさか、毒!?)
息も絶え絶えの様子の妹を見て、ゼンはアニーの体を見回す。すると、膝頭の脇に何かが掠ったような傷があった。
「アニー。膝のところに傷があるけど、もしかして矢に当たったのか?」
そうあってほしくないと思いながら、アニーに尋ねる。
「うん・・・?よくわかんない・・・」
意識が朦朧としているのか、アニーの口調は覚束なかった。原因は分からないが、何もしないわけにはいかない。
「もしかしたら、毒かもしれない。待ってろ。今、毒消しの薬草探してくるから・・・」
そう言って、草原に寝かせると、思いのほか強い力でアニーはゼンの腕を掴んだ。
「いやだ・・・。一人にしないで・・・。ここにいて・・・」
目を潤ませ、必死で腕を掴むアニーにゼンは折れた。
「・・・わかった。一緒に探そう」
ゼンは、アニーを背負い、森の中を歩いた。だが、いくら歩いても、毒消しの薬草は見つからない。
(父さんに、もう少し薬草のこと、教えてもらうんだった)
今はいない父―セドリックのことを思い出しながら、ゼンは歩を進める。
「アニー、もうちょっと待ってろよ」
そう言って、アニーを背負い直したその時、アニーの腕が、力が抜けたようにダランと揺れた。
「アニー!?」
驚き、アニーを抱きかかえる。
「アニー・・・・っっ!!」
ゼンはアニーを揺さぶる。だが、アニーは、すでに息をしていなかった。
「あぁ、あぁ、アニィィィィーーーーー!!」
兵士がいるかもしれない。だが、そんなことはどうでもよかった。ゼンは、アニーを抱きしめ、力の限り叫んだ。
湖へと戻ってきたゼンは、物言わぬ躯となったアニーの身なりを整え、両手を組ませた。
そばに咲いていた花を胸元に置く。
アニーの頬にゼンの涙が降り注ぐ。けれど、アニーが目覚めることはない。
「っ。ごめん、ごめん。アニー」
救えなかった後悔が、ゼンの胸を塞ぐ。次第にそれは、自分に対する怒りとなり、ゼンは拳を地面に叩きつけた。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ガザガザッ。
ひとしきり叫んだ後、茂みが揺れる音ともに、ゼンの耳がこちらへ近づいてくる足音を捉えた。
隠れる気もおきず、ゼンは蹲った体勢のまま、顔を向けた。
ノコギリ草の茂みをかき分け、現れたのは、バルドだった。