第一話 バルド
ダークファンタジーを目指して書いてみました。楽しんでくれれば幸いです。
「はぁ、はぁ、はぁ!!」
重く、雲が垂れこめる薄暗い空の下、一人の少年が頬を赤くさせ、息を切らしながら、必死の形相で走っていた。
腰のベルトにくくりつけたポシェットからは数種類の薬草が覗いており、少年が走るたびに揺れている。
「イヤッホォーー!!」
少年の後ろには、歯が抜け、左目に眼帯をした男が御者をする幌馬車が走り、その左右を馬に乗り、汚れ、錆びた鎧と剣で武装した二人の男が並走していた。
三人の男達は一様に下卑た笑みを浮かべており、目は獲物を狙う狼のようにぎらついた光を放っていた。
「運がいいなぁ、オレたち!ちっこいとはいえ、こんな獲物にありつけるんだからよおっ!」
左側で並走する、新緑に似た緑色の瞳をもち、鼻筋の通った見目よい男が、顔に似合わぬ粗野な口調で言い放つ。
「どうする?娼館か、それとも奴隷市場に売り飛ばすか?」
右側を並走する、子供のように背は低いが、頬に大きな切り傷を持ち、立派な顎髭を蓄えた男が、楽しげに口元を歪めた。
「てめえら、ぐだぐだ言ってねぇでさっさと捕まえるぞ!話はそれからだ!」
幌馬車の御者である眼帯の男が、二人に唾を飛ばしながら栗毛の馬に鞭をいれた。
馬はいななき、速度を上げると、武装した男二人の馬を抜き、少年に迫った。
(いやだ!いやだ!いやだ!)
背中に馬の足音と荒い息を感じながら、少年―ゼンは、瞳にうっすらと涙を浮かべた。
どうしてこんなことになったのか。
妹―アニーの病気が少しでも良くなるようにと森に薬草を採りに行ったのが間違いだったのか。
森は、ゼンにとってもう一つの家のような存在だった。
春には山菜を採り、夏には流れる小川で魚を、秋には木の実採り、冬には、今は亡き父と共に狩りをした。
三年前までは、盗賊や追い剥ぎが森を住処にし、街道を行く行商人や旅人を襲って荒らしまわっていたため、森の実りを収穫することなど不可能だったが、法が新たにつくられ、フォーネロ中の都市や町、村に王都・イスナーンの騎士が駐在することになり、人々を脅かす盗賊や追い剥ぎを一掃してくれたため、自由に森の中を歩く事ができるようになった。
そのため、麦粥だけだった食事に変化が現れ、口にできる食べ物も多くなった。
だというのに、なぜ、ここに盗賊がいるのだろう。しかし、それに答えてくれる者などありはしない。
ゼンは、辺りに目を走らせる。街道なら、旅人か行商人が通っているだろう、それなら、匿ってもらえるか、騎士に連絡をしてもらうことができると期待して走っていたのだが、その期待を裏切るように、走っても走っても、人の気配はなかった。薄曇りの空のせいか、森の木々もどこか鈍い色をしており、入る者を歓迎する雰囲気ではなかい。
だが、このままではいずれ捕まる。娼館に行くのも、奴隷になるのも願い下げだ。
街道はあきらめよう。それなら、まだ、障害物になりそうな木々のある森の中を走った方が捕まる確率を減らせるかもしれない。
(よしっ!!)
意気込み、森に足を踏み入れようとしたその時、ゼンの瞳が人の姿を捉えた。
濃い土色のマントに身を包み、街道を早くもなく遅くもない足取りで歩いている。
その人物は、二十代後半の男だった。鋭い目つきに、整った顔立ち。左頬には、三角形の形をした赤い刺青が、三つ彫られている。黒く長い髪を首の部分で縛り、その背には、矢の入った筒と弓を背負っていた。
長人族だろうか。
長命で、弓を使い、容姿の優れた種族。それが、世間一般の長人族のイメージだ。
男は顔が汚れていたが、目鼻立ちもはっきりとしていた。しかし、その瞳の色は、長人族の緑ではなく、茶色だった。
「た、たすけてっ・・・!」
この際、どちらでもいい。
息も絶え絶えになりながら、ゼンは刺青の男に助けを求めた。男は、ゼンをちらりと見たが、ふいと視線を外し、ゼンの横をすり抜けてしまった。
「え・・・」
茫然とするゼン。思わず立ち止り、男の方に顔を向ける。男は足を止めず、そのまま歩き続けた。目の前に盗賊達が迫ってきている。
「何だ、あいつ?」
緑の目の男が声を上げ、顎髭の男が眉を寄せる。
「かまわねえ!やっちまえ!」
眼帯の御者が叫ぶ。その言葉に呼応して、緑の目の男と顎髭の男が剣を抜く。
次の瞬間、二人の眉間に深々とナイフが突き刺さった。男達は剣を抜いた姿勢のまま絶命し、どうっという音をたて、馬の背から地面に落ちていった。乗り手をなくした白と黒の馬二頭は、足踏みをし、首を振る。
その様子を、ゼンはただ見ていることしかできなかった。
「ちくしょう!引き殺してやる!!」
二人を殺され、怒りで顔を赤くした御者は、鞭を振り上げ、さらに馬の速度を上げると、男に向かって突っ込んでいった。
「あぶないっ!!」
このままでは馬に踏みつぶされる。
ゼンは叫んだ。
その時、ギラリと何かがきらめいたかと思うと、馬が突如悲鳴を上げ、前方につんのめるように前足を折り曲げ、地面に倒れた。同時に繋がっていた幌馬車も横倒しになり、街道を塞ぐ形になる。
「あっ・・・」
ゼンの目に映ったのは、男の持つ鈍く光る剣だった。厚く幅の広い両刀のそれは、男の腰から足首にかけての長さがあった。その刃先には、赤い血がついていた。
馬がもがくように前足を動かす。その前足には、骨まで見えるほどの深い切り傷ができていた。
(馬の足を切ったんだ・・・)
ゼンは、剣の血を振り払う男の背中を見つめる。
引き殺されるかもしれない中、馬の足を切るという判断を下した冷静さ、それを行う行動力と馬のスピードに弾かれない膂力。刹那の速さで馬上の男達を絶命させたことと言い、男がただものではないことを示していた。
「ちくしょう!いてぇよぉ!!」
馬車から投げ出された御者は、左肩を強打したらしく、右手で肩を押さえていた。恥も外聞もなく喚いている。
男が近づくと、御者は痛みで歪ませた顔を一気に青くさせた。
「まっ、待ってくれ!命だけは・・・!」
そう言って、御者は右手を背中に回した。
「な~んてなぁっ!!」
だが、それは演技だった。右手に短剣を光らせ、御者は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「あ?」
刹那、御者の首から血が迸る。草むらに血が激しく飛び散り、御者は訳が分からないという表情を浮かべたまま、その命を終えた。
御者を殺した刺青の男は、剣についた血を草むらに飛び散らせ、鞘に納めた。次に、二人の男の眉間に突き刺さったナイフを抜き、マントの内側にしまう。
そして、今だ街道に佇む、白と黒の二頭の馬の手綱を外し、森に放した。次に、右の腰に下げた短剣を取り出し、地面に横たわった栗毛の馬の首筋を切りつけた。馬は血を流し、息絶える。すると、男は徐に馬の皮を剥ぎ出した。
ゼンは、三人の男の死体を視界に入れながら、おそるおそる男に近づいた。
「あの、何してるの?」
男は振り向き、ゼンを見る。だが、次の瞬間、興味をなくしたかのように顔を戻し、作業を再開した。
「皮を剥いでる」
「・・・食べるの?」
「放っといても、狼の餌になるだけだからな」
男は、黙々と馬を解体し、数個の肉の塊にすると、刃のような鋭い葉をもつフィロの葉で包み、肩に下げた灰色のバッグに入れる。男は、血で濡れた手を幌で拭うと、横倒しになった馬車を避けて歩き出した。
「あ、待って!」
ゼンは男のマントを掴んだ。男は振り向き、目だけをゼンに向けた。
「たっ、助けてくれてありがとう!」
「お前を助けたわけじゃない。降りかかった火の粉を自分で払っただけだ」
マントが手から離れる。
「あの、何かお礼を・・・!」
「礼なんぞいらん」
「いや、あの、でも・・・」
三人をためらいもなく殺した男に恐怖を感じながらも、ゼンは、その行動力と力強さに圧倒され、興味が心の内から湧き上がってくるのを感じていた。行商人とも旅人とも違う。血と死の臭いが男からはした。
―別の世界が見られる。
そう思う自分はおかしいのかもしれない。頭の片隅でそう思いながら、ゼンは、しかし、やめようとは思わなかった。
「ぼっ、ぼくを助けてくれたのは本当だし。だからっ・・・!」
言い募るゼンに、男は小さく息をつき、体ごと向けると、ゼンを見下ろした。
「ぼうず。好奇心は猫をも殺すって言葉を知ってるか?」
「え?」
「何でもかんでも首を突っ込むと、そのうち身を滅ぼす。何事もほどほどにという意味だ。死にたくなければ、さっさと家に帰れ」
ゼンの頬が羞恥で赤く染まる。お礼をしたいと言いながら、ゼンが男自身に興味を持っていることに気がついている。
(ええい、もう破れかぶれだ!)
それならそれでいい。男をどうにか引き付けようと、ゼンは、力強くマントを掴んだ。
その時、視界に、馬車と三人の死体が入る。ゼンの頭に、ある考えが過った。
「ね、ねぇ、あの死体とこの馬車、どうするの?」
「別にどうもしない。放っときゃいいだろ」
投げ遣り気味に答える男に、ゼンは首を横に振った。
「だめだよ。ここは街道なんだ。馬車だってどかさなきゃ、行商人の人達が困るよ。それに、死体の臭いにつられて狼が街道に出てきたら余計に被害がでちゃう」
「・・・おれには関係ない」
にべもない男に、ゼンは懇願した。
「お願いだ。手伝ってよ。ぼくだけじゃ、この人達を埋めることもできないよ」
「・・・・・」
沈黙を貫く男に、ゼンは最後のひと押しをした。
「もし、あなたが同じ立場になって、野ざらしのままだったら嫌だろう?」
じっと見上げていると、男はため息をつき、しぶしぶといった風に頷いた。
「わかった」
ゼンは、男の力を借りて、三人の死体を森に埋めた。幌や馬車は、盗賊達が持っていた剣や刺青の男の剣で細かく刻み、森の中に投げ捨てた。
街道が元のように通れるようになった頃、辺りはすっかり暗くなっていた。
「手伝ってくれてありがとう。え~っと・・・」
名前を言おうとして、ゼンは男の名を聞いていない事に気がついた。
「バルドだ」
「ありがとう。バルドさん。ぼくはゼン。この近くにあるイニオ村っているところに住んでいるんだ。もう遅いから、今日は家に泊まりなよ」
ゼンは、にこりと笑みを浮かべる。
「・・・・・」
そのまま去ろうとする気配を漂わせる男―バルドに、ゼンはとどめの一言を放った。
「さよならするっていうなら、駐在している騎士さん達にあることないこと吹き込むけどいい?」
「・・・・」
バルドが、じっとりと半目で睨んだ。
「大変だろうな~。騎士さん達、けっこう強いよ?たった三人で、この辺りの森に住んでいた盗賊を倒しちゃったんだから。職務にも忠実で真面目だし、地の果てまで追いかけてくるかもね」
大げさなもの言いをして、ゼンはバルドを煽った。
家に招いて、バルドの話を聞いてみたい。どんな村を、町を、都市を見てきたのか。こことは違う人々の暮らしを知りたい。そして、バルドという男を知りたい。外の世界、バルドに対する興味がゼンを動かしていた。
期待を込めて、ゼンはバルドを見つめる。しかし、これでゼンが動かなければ、諦めるしかないと思う自分もいた。
その時、バルドが息を吐いた。それは、呆れと疲れが入り混じったようなものだった。
「・・・このクソがきが」
吐き捨てるように言った後、バルドは歩き出した。
(断られちゃったか)
残念に思いながら、歩き去っていくバルドの背中をぼんやりと見つめる。すると、バルドが足を止め、ゼンの方を振り向いた。
「おい、何してる。とっとと村に案内しろ」
一拍置いて、意味を理解したゼンは、思わず「えっ」と声を上げた。
固まるゼンに、バルドは不機嫌そうに眉を顰めてみせた。
「聞こえなかったのか?早く案内しろといってるんだ」
「う、うん!!」
―来てくれる。
その事実に頬が緩むのを感じながら、ゼンはバルドに駆け寄った。